2008/8/10
さらに数週間が経過した。オリヴィエは日々の雑務に追われ、遠祖写真のことなどすっかり忘れていた。
ある日のことだ。
明けて翌日は揃って非番だったため、久しぶりにマイルズと一緒に一夜を過ごし、オリヴィエはけだるい朝を迎えていた。
マイルズの部屋はオリヴィエの部屋よりもシンプルだ。だが、将官私室のやわらかで広いベッドより、硬い兵士向けの少々手狭なベッドの方が、オリヴィエは好きだった。より、密着して過ごせるので。
滑らかな男の肌の感触を指に確かめると、男からも同じように軽く乳房がくすぐられる。本格的な愛撫というほどではなく、ただ、小さな赤子が母親の乳を飲み終え、その乳房の感触を楽しむような仕草だ。
まだベッドから出たくない、という気持ちのまま、何度も軽く唇を合わせ、互いの肌を弄っていると、無粋な内線電話がかかってきた。
当然のことながら、部屋の主であるマイルズが出る。
「私だ。何かあったか?」
電話は、ブリッグズ要塞の門番兵からだった。何でも、オリヴィエ宛に大量の荷物が届いているらしい。
「しばらく入口辺りに留め置けないのか?或いは閣下の部屋にでも。」
「無茶言わないでくださいよ。大コンテナが10個です。あんなの、閣下の部屋になど置いたら、閣下の寝る場所どころか、部屋に入ることすらできなくなりますよ。」
着衣に袖を通しながらすっ飛んでいくと――コンテナは、要塞入口に比較的近い、大ホールに運び込まれるところだった。普段は、野外訓練等の際、オリヴィエがここに全兵士を集めて訓示する他、悪天候時には練兵訓練をするところだ。
「とにかく、中身を見てください。子ども向けのタンスやベッド、それに衣類が山のように入っています。全て新品で色は白やアイボリー、まるで出産準備品です。」
大ホール壁に沿って一列に並べられたコンテナの半分ほどの中身を確認している最中、オリヴィエも遅れて到着した。
「コンテナを運んできた従者から頂きました。どうぞ――アームストロング家からの手紙です。」
封ろうを切る指ももどかしく、オリヴィエが手紙を広げると、そこにはアームストロング夫人の直筆で手紙が認められていた。返送された見合写真は確かに受け取ったこと、事情が事情なので、セントラル帰還は不承不承であるが承知する、ただし、要塞内の当直勤務は止め、代わってノースシティ周辺に居を構えること、今は母体のことを優先し、可及的速やかに軍務を休むなり辞めるなりした方がいいと思うこと、相手の男性について、今はとりあえず不問とするが、出産後は必ず連絡すること、早めに孫の顔を見に行くので、その際は相手の男も同席するよう話すこと、取り急ぎ出産準備に必要なものは送るので、出産後、男だか女だか分ったら、追加で衣類や玩具を送るから、などと認められていた。しかも手紙の最後には、『年が年なのだから、無理しないように。もう貴女一人の身体じゃないのだから、健康に十分留意するように。』と、母親らしい気遣いも記されていた。
コンテナからは、新たに、マタニティドレスが何十着も出てきた。軍務に服している時には全く着ることのできないだけばかりでなく、オリヴィエ用とは思えないほど少女趣味なものばかりだったが。
「いったい何だって、こんなものが送られてくるのだ?私がいつ子どもが出来たというのだっ?!」
わなわな手が震える中、マイルズが別のコンテナを開け、アームストロング家の家系図をオリヴィエに手渡す。そこにはメモが挟まれていて『依頼を受けた家系図を貴女に送ります。生まれた子には、幼少時からの英才教育が肝心です。アームストロング家の伝統と格式について、よく教育するように。貴女が良き母としての役割を担うこと、心から願っています。父。』と書かれていた。
家系図の下には、アームストロング家歴代の当主と令室を初めとする家族らの写真が、1枚ずつきれいに整理されてアルバムに貼られている。分厚い台紙に貼られていることを除いても、かなりのボリュームだ。しかも別冊として、右に経歴や没年齢とその理由、左にその者の写真を貼ったものまで出てきた。傍系となった男では、戦死した者が思ったよりも多い。もう何百年も前から隣国と戦争を繰り返し、領土を少しずつ併呑していったアメストリス国の影の歴史を支える貴重な資料でもあった。
途中、例の『紛れ込んでいた見合い写真の曽祖父』と、その家族を模写した絵画の写真が出てきた。さらには、その曾祖父がまだ子供だったころの、家族絵を撮影した写真も。数十年前は、まだまだ写真よりも絵画の方が一般的だったし、アームストロング家には昵懇にしている絵師がいたからだろう。
子ども時代の曾祖父の顔は明らかに女顔で、確かに自分と似ているところがあるようにも思える。
「閣下――その、本当に子どもができた、ということは?」
傍らでマイルズが心配そうにオリヴィエを見つめている。それ以上は口にはせぬものの、恐らく、聞きたいことはたった1つだ。『誰の子ですか?まさか私以外のですか?』。
「私がそんなにふしだらな女に見えるか、マイルズ?下らぬ。それにしても、何だって『私に子どもができた』などという偽情報が流れたのだ?」
マイルズは呆けていたので、使い物にならなかった。代わりにバッカニアにちらりと目で合図すると、もう一人の補佐官は軽く頷く。
「了解しました。恐らく要塞内の兵士の誰かが、アームストロング家に何か話したのだと思います。私が行って、疑わしい人間と話を詰めてきます。ご心配なく。ちゃんと、全てが明らかになるまで、徹底的に問い詰めますので。」
バッカニアが全兵士らの聞き込み――兵士の何人かに言わせれば、聴聞というより、補佐官という立場を借りた、拷問――が終わった。だが、これと言ってそれらしき人物も見当たらず、バッカニアは途中から――オリヴィエに命じられてではあるが――マイルズと一緒に不審人物を探索に加わった。
とはいうものの、コトがことだけに、見つけ出したら即裁断してやると、復讐心に満ち満ちた赤いの目をギラつかせているマイルズの様子は、周りの人間が退くばかりで、捗々しい結果は表れなかった。
2人で一緒に聞き込みしていた時だったが、『子どもなんてものは、相手なしにできるものじゃない。貴様じゃないのか、バッカニア!』と、マイルズから難癖をつけ始めた。するとバッカニアはその辺の卓に置かれた鏡を差し出すと、『もう一度、そのセリフ、貴様は鏡の前でじっくり話してみろ!』と返されていた。
最終的には、100%完全にアームストロング家の勘違いであることが分かり、2人は10個のコンテナを鉄道便に乗せてセントラルまで返送したが――これにも問題が生じた。孫の顔見たい思いしか頭にないアームストロング家当主・ご令室は、『子どもなどいない』という事実を受け入れず、『流産したのではないか』『実家にバレたので、慌てて堕ろしたのではないか』とマイルズを詰問したのだ。
「貴方には別にご家庭があると、私はオリヴィエから伺っています。しかしながら、そんなことは全く問題外です。アームストロング家の娘であれば、別に男の庇護を受けずとも、あの子だったら立派に母としてやっていけますから。」
電話をかけたマイルズの困惑した表情、しかも電話口から漏れ聞こえる母の怒鳴り声を傍らで聞いていたオリヴィエが、途中から電話を取り上げたが、派手な舌戦を繰り広げただけで、途中からガシャリと電話は切られた。
「とにかく、私は私だと言うしかなかった。あれは100%私の両親のフライングだ。ではあるが――。」
そもそもの原因は、他ならぬオリヴィエとケイト、しかも『見合い写真を返送し忘れたツケ』だったため、オリヴィエはがっかりして座り込んでしまった。
しかも、写真返送を頼まれた女医・ケイトが『たまたま受けた』アームストロング夫人からの電話は、『なぜ見合いを断わり続けているのか』という探りが誤解を招いた。
『もしかして、オリヴィエにはもう決まった殿方がいて、お付き合いしているのではないのかしら?こんなにも返送が遅れた、というのは、何か理由があるに違いないでしょう。』
ケイトは、アームストロング家がオリヴィエとマイルズとの交際に猛反対していることを知っていた。ので、そんなことはない、本当に忙しいだけだったのだ、と愛想よく受けこたえただけだった。
しかしながら、ブリッグズ要塞を統べる女王の健康管理も『当然』担っているはずだと予測したアームストロング夫人は、ケイトに対して聞いたのだ。『健康状態は大丈夫か?』と。
つまりは、オリヴィエご懐妊の兆候があるということなら、彼女だったら知っているかも、と予測のもと、ケイトにひっそり探りを入れたのだ。ケイトは、それに対し「極めて健康で良好ですよ。でも――」と言葉をつなげていた。
「今年の夏は、ブリッグズ地方もひどい暑さでしたからね。忙しいこともあり、オリヴィエはあまり食欲がなかったようです。お酒もあまり飲まなくなりましたし、煙草を近くで吸われるのを嫌うようになりました。」
酒を飲まなかったのは、軍務の関係。夜中にドラクマからの侵入者が絶えなかったから、おちおち酒を飲んでいる時間も取れなかっただけだ。煙草は単に、ノド風邪の影響で、たった数日間だけの話だ。
「ではトイレで吐き戻していることは?」
「1度見かけたことがあります。ただ、その後私のところにきて、胃薬を貰っていきましたが。」
「ねえ、女医さん。それでは、あの子の顔つきがきつくなった、ということはありませんか?」
「いえ、もともと仕事が立て込んだりすれば、険しい顔になることはありますが、そんなにいつものことではないですよ。ああ、でもそういえば、ここのところ、険しい顔になることもあったかも。」
連日、ゲロりたくもなるような軍電話を受け続けたストレスだということは、アームストロング夫人には伝わなかった。しかもそんなこんなの雑談をしたのち、ケイトはアームストロング夫人に話したのだ。家系図と先祖代々の写真の話を。
「なんか、この前医務室で話したとき、そのことで盛り上がってしまいまして。オリヴィエって、ご尊属のどなた似だかお分かりになりますか?彼女自身もそのことをかなり気にしていましたし、私も医者としてちょっと気になります。後学のために教えていただきたいのですが。」
翌日、オリヴィエは、二日酔い頭で医務室に現れた。ケイトが差し出したトマトジュースに口をつけたが、青臭いにおいに辟易し、数口飲んだだけでグラスを押しやった。そのまま飲まずに捨てるのかと思っていたら、据え付けられている冷蔵庫からビールを取り出し、トマトジュースにどぼどぼ入れ始める。こちらを口に含むと、うん、これなら何とか飲めそうだ、と少しだけ微笑んだ。
「ねえ、それって二日酔い覚まし?それとも、迎え酒?」
「両方だ、ケイト。」
「その飲み物、『レッドアイ』って名前が付いているのは、ご存じかしら、オリヴィエ?」
「嫉妬に燃えた男の目、ということか、ケイト?」
「それもあるけれど、二日酔いした濁り目を模したとも言われているわ。」
グラスを目線まで持っていき、色合いを見たが、やはり嫉妬目のイシュヴァール似の男のそれにしか見えなかった。
「後で同じものを私の部屋に持っていってくれ、ケイト。それから、マイルズに説明しておけ。『大量飲酒後に激しい運動をすると、急激に酔いが回るから危ない』」
「そうね。それに飲酒後の一夜の過ちは、何とかの原因になるから。」
手が滑ったのだろう、オリヴィエのくるりと巻いた髪の一部が、トマトジュースの中に突っ込み、赤く染まった髪は、タコの触手のように、ぺたりとオリヴィエの頬に貼り付いた。
先祖代々かけられた呪いは、未だ有功のようである。(FIN)
投稿者: miyanomiki
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