奈留島ゴミ箱131ヶ所巡り・奈留島百人一首に続いて、天皇陵巡り掲載中。

2018/2/28

29−1欽明天皇  天皇陵巡り
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 古事記には、アメクニオシハルキヒロニハノスメラミコは大和に師木島(シキシマ)の大宮を造り、天下を治めた。
宣化天皇の娘イシヒメ命を妻として、敏達天皇など3人の子を、妻の妹ヲイシヒメ命にも1人の子を産ませ、家臣の子糠子郎女(ヌカコノイラツメ)との間にも3人の子をもうけています。
又、蘇我稲目の娘キタシヒメも妻とし、用明・推古天皇など13人の子を産ませ、稲目のもう一人の娘ヲエヒメとの間にも崇峻天皇など5人の子をもうけ、計25人の子供がいたと書いてあるだけでした。
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 石舞台の案内ボランテイアに見せてもらった欽明天皇陵の写真です。
明日香村の西北にあって、最初はこの写真の右下から自転車で来ました。
右下の小さな森が猿石のある吉備姫墓です。
 さて、日本書紀では、40歳ぐらい年上の異母兄第28代宣化天皇没後、天国排開広庭天皇(アメクニオシハルキヒロニワノスメラミコト)は磯城島金刺宮(シキシマノカナサシノミヤ)(奈良県桜井市)で即位し、第29代欽明天皇(キンメイ)となりました。
 古事記と違うのは、妻とした石姫(イシヒメ)は共通ですが、小石姫(オイシヒメ)の名はなくそれ以外の2人の妹と結ばれているようです。
古事記・日本書紀と併せると、継体天皇とわずかに仁徳系と繋がる手白香皇女との子欽明天皇は、その妻に、異母兄の宣化天皇と自分の母親の妹との間に産まれた娘4人を選び、出来た6人の子供のうちの1人が第30代敏達天皇になって、今の天皇家に男系として繋がっています。
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 陵に向かう参道は、本当はここから始まって、この石段を上って行くのが正面のようです。
 欽明天皇は宣化天皇の娘以外にも、糠子(ヌカコ)との間に3人の子をもうけています。
 そして何よりも、蘇我稲目の娘、蘇我馬子の姉にあたる堅塩媛(キタシヒメ)と小姉君(オアネノキミ)を后妃に迎え、それぞれ13人と6人の子をもうけていますので、最大28人の欽明天皇の子供を数え上げました。
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 参道の坂道を上がってその頂上近くになると、鳥居が見えてきました。
 欽明天皇の御世には、大伴氏が失脚して、蘇我・物部の二強になりました。
欽明天皇と蘇我の2姉妹から生まれた15人の子供の中から、用明・推古・崇峻天皇が産まれているので、蘇我稲目は外戚の地位を確保し台頭して来たとも言えますし、蘇我氏との姻戚関係によって天皇家の力がより強くなっていったとも言えます。
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 参道坂道峠に立つと、真下に天皇陵の拝所が見えてくるという、なかなかかっこいい陵です。
 538年「仏教伝来 ご・さん・ぱい」と憶えましたが、欽明天皇の即位は539年なので仏教伝来は552年説もあるようです。
欽明天皇は仏教を許し、蘇我稲目に仏像を拝むように指示しましたが、その後疫病が流行ったので、仏教は一旦中止になっています。
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 第29代欽明天皇は571年に在位33年63歳で崩御し、檜隈坂合陵(ヒノクマノサカアイノミササギ)(ナラケンアスカムラ)に葬られました。
612年には堅塩媛がここに改葬されて一緒に葬られているのは、蘇我家の力からかもしれませんが、制札には堅塩媛の名はありません。
蘇我家を悪人にしたい色んな力が色んな時代に有った為かもしれませんね、私も子供の頃は蘇我家は悪人という話の中で育っています。
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 この堅塩媛、男7人・女6人と13人の子を産んでいて、その名前も皆判っています。
計算すると、20才ぐらい年上の欽明天皇と結婚して、11歳で長男の用明天皇を生み、4番目の子推古天皇を25歳で生んだ後、更に9人生んでいるので、13番目の子を生んだのは35〜45歳の高齢出産になり、45〜58歳ぐらいで亡くなっています。
たくさん産んだのは立派ですが、夫に他にも6人の妃がいる中で、高齢になっても夫を引きつける肉体と魅力があったのは立派ですね。
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 最初の写真の右下の方から陵を見ていますが、周濠はこちら半分しかなかったのですね。
この陵は正式名は平田梅山古墳という前方後円墳ですが、この北にある見瀬丸山古墳(ミセマルヤマコフン)が真の欽明天皇陵だという説が有力です。


    返事

花水木さん:また今回も天皇陵巡りと
    長い文になってしまいましたね、すみません。
     切手シート集めているというわけではありません。
    なんとなく集まってきたという感じです。
タグ: 天皇陵

2018/2/26

お年玉商品  
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 今年の年賀葉書のお年玉、ちょっと確率悪く、3等お年玉切手シートが3枚当たっただけでした。
少なかった幸せを贈ってくれた人は、若い時に神戸の病院でお世話になった上司の外科部長、島に行く前に働いていた病院の看護婦さんが2人でしたので、3人には恒例の礼状を書きました。
  ありがとうございました!
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 切手シート、ずっと前回の「子」から集めていましたが、残念ながら昨年が喪中だったので、「酉」の切手シートがありません。
あと11年生きて、酉の切手を集められたら良いのですが・・・・・。
 今年のこの戌のデザイン、それほど良いとは思いませんが、日本に7名しかいない日本郵政の切手デザイナーの一人、星山理佳さんの作品らしいです。

     返事
花水木さん:うううう〜
    天皇陵巡りは地味ですが、今や私の生きがい?になっています。
    この後、天皇家はおどろおどろしい近親相姦入り乱れる世界に入りますので、
    せめてこれを楽しみに、お許しください。

2018/2/23

28−1宣化天皇  天皇陵巡り
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 第26代継体天皇と目子媛との間に産まれた第2子で、古事記では建小広国押楯命(タケヲヒロクニオシタテノミコト)・日本書紀では檜隈高田皇子(ヒノクマノタカタノミコ)と書かれ、兄の第27代安閑天皇の同母弟になります。
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 兄の安閑天皇には子がいなかったので兄の死後、檜隈廬入野宮(ヒノクマノイオリノミヤ)(奈良県明日香村)で即位し第28代宣化天皇(センカ)になりました。
 旧臣であった大伴金村と物部麁鹿火(アラカヒ)を大連(オオムラジ)にし、蘇我稲目(イナメ)を大臣(オオオミ)にしましたので、ここからいよいよ蘇我氏の台頭が始まるようです。
 橿原神宮から橿原高校へ向かって自転車を走らせ、案内杭に従って左を見ると、写真のように住宅の間からこんもり盛り上がった陵(鳥屋ミサンザイ古墳)が見えてきました。
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 古事記では、仁賢天皇の娘である橘之中比売命(タチバナノナカツヒメノミコ)との間に3人の娘をもうけ、又若子比売(ワクゴヒメ)との間に2人の息子をもうけたと書いてあるだけで、その陵の場所さえ記述はありません。
 仁徳系統から続く第24代仁賢天皇の子供は、1人は第25代武烈天皇になり、3人の娘はそれぞれ第26代継体天皇・第27代安閑天皇・第28代宣化天皇の皇后になったということです。
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 日本書紀では、仁賢天皇の娘、すなわち義理の叔母にあたる橘仲皇女(タチバナノナカノヒメノミコト)を皇后にして、石姫皇女(イシヒメ)・小石姫皇女(コイシヒメ)・倉稚綾姫皇女(クラノワカヤヒメ)と1人の皇子をもうけ、又別の妃との間に1皇子いたようです。
 拝所の裏側の周濠には堤があって、横にひろがる水鳥の遊ぶ池に繋がっていました。
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 兄の後を継いで即位し、在位4年で73歳で崩御し、この身狭桃花鳥坂上陵(ムサノツキサカノエノミササギ)(奈良県橿原市)に仁徳王朝から続く系統の出である奥さんの橘仲皇女と一緒に仲良く葬られています。
 ここの制札の字はちょっとへたくそですね。
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 ただし、宣化天皇の息子は天皇には成れず、父親継体天皇が偉くなってからの後妻の子である異母弟の欽明天皇が次の代を継ぎました。
 でも欽明天皇の皇后に宣化天皇の娘の石姫皇女が成って第30代敏達天皇を産んだので、仁徳系統の血は女系ではありますが、手白香皇女の血と共にわずかに今に繋がってるようです。
 宣化天皇陵の前の道からは、写真のように目の前に畝傍山が大きく見えていました。
タグ: 天皇陵

2018/2/21

27−1安閑天皇  天皇陵巡り
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 古事記の安閑天皇(アンカン)の章はかなり短く、ヒロクニオシタケカナヒノミコトは大和の勾金箸宮(マガリノカナハシノミヤ)(奈良県橿原市)を造り、陵は河内の国古市の高屋の村(大阪府羽曳野市)にあると書いてあるだけでした。
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 父親の第26代継体天皇がまだ越前にいた頃に、尾張の目子媛(メノコヒメ)との間に産まれた第1子、広国排武金日天皇(ヒロクニオシタケカナヒノスメラミコト)は越前の岡太神社(オカモトジンジャ)の境内横にある皇子が池で、産湯を使ったと言われています。
その池の周囲には、継体天皇1300年祭を記念して、江戸時代の1830年にに作られた6角形の石の玉垣で囲まれていました。
写真は福井県鯖江市に近い越前市にある岡太神社境内の端にある皇子が池ですが、池らしきものはなく単に中央に石が置いてあるだけでした。
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 父継体天皇に連れられて、弟と共に中央に出てきたヒロクニオシタケカナヒノスメラミコトは、父の死後第27代安閑天皇として即位し、父が皇后とした継母の手白香皇女の父親(仁賢天皇)の娘、すなわち継母の異母妹の春日山田皇女(カスガノヤマダノヒメミコ)を皇妃に迎え、中央政権とより強く結びつこうとしましたが、子には恵まれませんでした。
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 安閑天皇の在位期間は2年と短く、70歳で亡くなりました。
陵は古市高屋丘陵(フルイチノタカヤノオカノミササギ)ということで、何故かあまり関係なさそうな河内の近鉄古市駅近くの、交通量の多い道路の前にあり、高屋築山古墳(タカヤツキヤマコフン)という6世紀初頭の前方後円墳です。
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 制札に継体天皇皇女神前皇女(カンサキノオウジョ)墓とも書いてありましたが、この神前皇女は安閑天皇とは異母兄妹ですし、何故一緒に入っているのか知りません。
 日本書紀では、この陵に皇后春日山田皇女と異母妹神前皇女も合葬したと書いてあります。
私は後で知ったので行けなかったですが、この安閑天皇陵の南300ⅿほどに古市高屋墓として、春日山田皇女の墓は宮内庁によって明治8年に治定されてるようですが、何故皇后とは引き離されたのか、皇后なのに何故陵ではなく墓なのかわかりません。

     返事
花水木さん:私の好みもどちらかと言うと、
    羽生より宇野選手ですね。
     カーリングとかペタンクとか、なんとなく好みです。
     「先生の娘さんは大丈夫」と言われますが、私はA型娘はAB型、
    似てるようで否です。
    でも、年下の義理の息子はめちゃくちゃ優しい人ですので、
    我々親子は共に良き伴侶に恵まれた?ということで、
        チャンチャン!
タグ: 天皇陵

2018/2/18

京都マラソン  京都から
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 今日は京都マラソンの日、くねくねと京都の観光地や鴨川の河川敷を走るコースで、私の家の前の北山通りも折り返して走ります。
車では出られない日になったため、1日家に居ました。
 通りに出たら、この一番の人はもう折り返してきていましたが、結局一番は違う人だったようです。
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 冬季オリンピック、フィギアはあまり好きでないので、羽生選手が勝ったより羽生さんが藤井君に負けた方が、私にとってはビッグニュース。
 一番観てるのは、今の所調子良い男女カーリングです。
対アメリカの試合を観ながら、ちょこちょこ外に出てマラソン見物。
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 この仮装の人も早い方ですが、そろそろたくさんの選手の行列になって、もう向かいには渡れません。
天気は良くなってきました。
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 この素晴らしい投球で、この後アメリカは降伏しました。
女子も面白く、綺麗な人も多いですが、男女のレベルはかなりありますね、日本の男子は失敗しません。
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 そろそろ時間制限に引っ掛かる選手も出そうな時間になってきましたが、まだまだ選手の列は続きました。
 土日の競馬18レース買って、17レースが2頭は入ってるのに3頭目が入ってず、3連複全敗でした。
したがって今年最初のGTもたくさん買ったのにダメでした。
競馬休んだ方が良い気がしてます。

   返事
花水木さん:京都の三世代同居の家に嫁いだ娘ですが、
    思っていた以上に、皆さん優しく親切で、飾り気のない人たちなので、喜んでます。
    しかしながら、娘がそれにふさわしい嫁になってないので、頭痛いです。

2018/2/16

今年のバレンタイン  
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 今年のバレンタインデイ、特に盛り上がらずに終わってしまい、貰ったチョコも年々少なくなってきています。
 それでも診療所の看護婦さん一同からのチョコレートと、娘の嫁ぎ先のお母さんがわざわざ家まで持って来てくれた温めるととろけるチョコケーキの2個は確保しました。
 ありがとうございました。
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 先日五島列島に行った時に、奈留診療所の若い同僚医師から貰ったガンダム、プラモデルより上等な超合金のガンダムでした。
作る所はあまりなかったので早々と完成、机の上に飾って時々動かしています。
  ありがとうございました。
 物を貰うのは、当たり前ですがうれしいです!

     返事
和さん:ゆっくり「寿し善」で寿司食べて、
    「ソトノマ」でお茶して帰るつもりでしたが、出来なくて心残りです。
     しかも飛行機は予定通り飛んだようなので、余計残念です。
花水木さん:石舞台周りの田んぼや駐車場、
    先日会食した知人のお兄さんが持っていて、道楽で無くしたことを聞きました。
    後輩の実家はまだありますか?
     小判形石造物、水もあったので余計に大便器に見えますね。
    この水をかけての禊もちょっと辛いか。
     おばあさん元気ですね。食べる人は元気で長生きしますね。

2018/2/12

明日香へ輪行2.  
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 昔から有名だった(昭和2年史跡指定)酒船石(サカフネイシ)、小高い丘の上にある長さ5.5ⅿの石です。
酒を搾る槽とも、薬を作る装置とか、水を流して占いをする道具とも言われてきました。
初めて実物を見ましたが、人工的な溝があるとしかコメント出来ません。
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 酒船石が頂上にあった丘の麓に、最近(平成12年)話題になった酒船石遺跡があります。
天皇陵巡りのついでに行くにはもったいないかもしれませんが、今の天皇も来られていました。
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 ここは有料で300円、シニア割引もありませんが、最近はどこにでもおられる案内ボランティアの人が詳しく説明してくれたので、値打ちはありました。
 天智・天武の母親で土木工事好きの斉明天皇が作らせたようで、説明によると、単なる噴水施設ではなく、この亀形石造物の内に座って前の小判形石造物の水をかけてもらって禊をした後、この上の丘に登って祭祀をした可能性もあるそうです。
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 明日香で一番有名でしょうね、蘇我馬子の墓と言われてる石舞台、250円の入場料がJAF割りで200円でした。
石室を覆っていた盛り土が早くから失われ、巨大な天井石が露出していたことから、この名前で親しまれています。
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 石室に通じる入り口と羨道(エンドウ・センドウ)です。
ここにも案内ボランティアさんがいて、もっと石が露出していて遠足の子供がその上に乗ってる写真を見せてもらいましたが、50年前に私たちが行った時は、無料でしたがさすがに石の上に登った記憶はありませんでした。
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 今も石室内に入れます。
やっぱりお墓だと思うと、なんか圧迫感のある神秘性があります。
高校生の時より70歳の今の方が、絶対感受性が豊かになっていると思います。
あの頃、無駄に生きすぎましたよ!
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 畑と民家の間にあった亀石、私の背ぐらいの高さがあります。
亀の顔というより、童女のような感じがしました。
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 7世紀後半終末期古墳の石室の一部がずり落ちてきた 鬼の雪隠(セッチン)、石室の蓋石部分にあたります。
 寒い中を自転車で走ってきたので、これを見ると余計におしっこがしたくなりました。
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 雪隠部と後方の目的不明の細長い通路のみが、欽明天皇陵の飛び地として宮内庁書陵部の管理となってるようで、柵があります。
とってつけたような感じですが、まあ宮内庁管理になった方が、変わらないという利点はありますかね。
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 雪隠の上の方に、これまた宮内庁管理の 鬼の俎(マナイタ)がありました。
石室の底石が露出していて、この上の部分が落下して下の雪隠になったようです。
この辺りには鬼が住んでいて、通行人を捕まえては、この俎で料理して、雪隠で用を足したという伝説が残っています。
 明日香の石造物ばかりを廻りながら、この後も西の方に自転車を走らせ、天皇陵を巡って橿原神宮前駅に到り、ここで自転車を折り曲げて、近鉄電車で帰りました。
丸1日、ちょっとしんどかったですが、有意義な冬の日でした。

    返事
花水木さん:治療は内服ですか、吸入ですか?
     神保さんからは今年も年賀状を貰いました。
    静岡県人はむちゃくちゃ礼儀正しいですね。
     心旅、私が一番期待していますが、採用はしてくれないでしょうね。
大雪男さん:来島嬉しかったですが、
    城岳の東屋で前泊したと聞いて、びっくりしたことを思い出しました。
    今は猪が出るので、」あの東屋で寝るのは無理ですよ。

2018/2/7

五島に行きました2.  五島列島
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 奈留島到着の夜、家内は女子会の宴会で「一番亭」に、私は病院の男ばかりの同窓会的宴会に「華」に行き、いつも以上に焼酎を飲んでしまいました。
 2日目はブラブラ奈留島散策、マスクをしてる島民が多いいですが、まだまだ声をかけてもらえます。
奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡りの第1番札所北川豆腐店横のゴミ箱もだいぶくたびれてきていますし、豆腐店も解体され駐車場と畑に変わっていました。
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 奈留島唯一のコンビニ、と言ってもコンビニ風の店ですが、奥さんが亡くなられたということで閉じられていました。
 空き地や空き家も目立ってきていて、この日は風も強く小雨の降る、奈留島にしては寒い日だったので、歩く道はよけいに寂しかったです。
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 でも、知ってる電気屋さんのご主人の顔が見えたので店内に入っていくと、奈留産の七福芋で作った「七福芋」と言う名のイモ焼酎を作って、町おこしをしてるようで、思わず買ってしまいました。
評判は良いようなので、ちょっと割高ですが、どこかで見かけたら買ってあげて下さい。
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 私が島をブラブラしてる間に、家内は島を去る院長夫人が中心になって続けていて、家内も少し手伝っていた童里夢(ドリーム)のなるっ子教室の手伝いで、得意のステンシル作業中。
 会場の離島開発総合センターの戸には、懐かしい「田舎に泊まろう」で私の官舎に泊まってくれたお礼として、紙芝居のナレーションをしてくれた神保悟志さんが、童里夢のメンバーと共に写った写真が飾られていました。
2007年3月18日からもう10年以上が経ったのですね、これも私の記念すべき思い出です。
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 これも家内の得意技?で、私も結構手伝ったセンターの緞帳の修復作業、この写真も飾ってありました。
センターがいつまでもあって、島民が集会でこの緞帳をいつまでも見てくれることを願います。
やっぱり奈留島には思い出がいっぱい詰まっています。
 *NHKBSで火野正平さんが自転車で走ってる「心旅」、今春は又長崎県を走る予定なので、心に残る風景として奈留島をリクエストしました。
私の手紙が万一採用されたら、観て下さいね!
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 奈留島を去った時も一緒に働いていた若い先生が、2年前に渡し忘れていたと、島を離れる時に奈留島港までわざわざ持って来てくれたガンダムのプラモデル、大きかったですが大切に持って帰りました。
ありがたいことですが、ガンダムやプラモデル好きと話したことあったっけ。
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 まだ島を離れて2年、道で会った人々も懐かしそうに声をかけてくれましたし、それほど大きく変わったこともなかった奈留島ですが、次は5年後かいつかもう一度は訪れるつもりはしています。
その時には、知ってる人も少なくなってるでしょうね、この景色ともしばらくお別れです。
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 夕方再び福江島に戻って1泊します。
夜は「心誠」で、美味しい刺身やアワビのバター焼き、そして久賀島の海老など堪能しました。
食べ終わってから写真を思い出しましたが、後の祭り。
以後もほとんど写真撮影を忘れてしまっていました。
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 最終日、起きたらホテルの外は雪景色、レンタカーで富江に向かいました。
富江病院のスタッフもほとんど変わらず、皆元気ですし院長も元気でした。
お土産に富江病院の広報誌「みじょか」も貰えました。
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 富江でも写真が少なすぎます、撮り忘れが多いいのは情に溺れすぎて、いつもの記者魂?を忘れてしまったせいかもしれません。
夕方の飛行機で帰る予定が、雪混じりの風で欠航が心配されたので、飛行機を急遽キャンセルして、昼前の九商フェリーに飛び乗りました。
長崎から博多はいつもの特急かもめ、佐賀平野の窓外は雪景色でしたが、なんかピントがずれた写真になってしまいました。
 帰りは5時間の予定が10時間近くかかって帰りました。
なんか宿題を終えた気分です。

     返事
花水木さん:素人があまり必死にならず
    ダラダラ作ってるブログですが、花水木さんのコメントは尊いものと思ってます。
     奈留島の院長もよく頑張らはったと思いますが
    院長夫人の奈留島の人や子供たちへの貢献の方がもっとすごいと思います。
    院長の替わりは又医者が来ますが、院長夫人の替わりが見つかってないのは心配です。
和さん:男子会は60代男7人、50代男2人、
    30代男1人と若い研修医の11人で、同窓会でした。
     富江は帰りの便が心配であわただしく終わりました。
    やっぱり島は天気次第ですね。
大雪男さん:福江ー佐世保航路出来てましたね。
    島民なら往復5千円ぐらい、あの頃有ったら便利だったのにと思います。
     私のちゃらんぽらんな頑張りなんて、院長の頑張りの十分の一にも及びませんよ。
    院長夫婦がいなくなって、奈留島の人はその有難味が身にしみると思いますよ。
     今年の阪神、藤浪・桑原・北條・高山・中谷が働いたら優勝です。
福山市さん:お久しぶりです。
    フットワーク軽く遊んでおられて嬉しい限りです。
     私のブログは奈留島を書かないと読者もコメントも少ないようです。
    新たな読者獲得を計らなくてはとも思っています。

2018/2/5

五島に行きました1.  五島列島
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 五島に夫婦で行ってきました。
いつもの金・土・日の3連休を利用して、2泊3日の旅です。
京都ー博多は地下鉄と新幹線、福岡空港ー五島つばき空港はボンバルディア、福江ー奈留島間はニュータイヨウかフェリーオーシャンで、予定を組んで行きました。
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 行の天気は良いとは言えませんが、無事に福江島も雲の下に見えてきて、私が名付けた福江のダイアモンドヘッドも見えています。
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 奈留島に行く船の待ち時間が2時間以上あるので、いつも行く「こふひいや」でケーキとコーヒーを飲んで時間つぶし。
 写真のここの奥さんのしてるブログ「ちょっとコーヒーブレイク」、検索してみて下さい。
すごい写真が毎回出ています、プロではないですが、プロ以上、私の五島の写真では恥ずかしいです。
「ちょっとコーヒー・・」の前回の雪の夜のこの店の写真と、今回の写真と比較したら一目瞭然です。
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 いつもより少し荒れてる海を奈留島に向かいます。
すれ違う長崎からの九商フェリー万葉。
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 あとから長崎港を出てますが、先に福江港に着く九商のジェットフォイルもすれ違います。
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 月夜間なのに、網船の母船と運搬船?も走っていました。
国境離島補助金が出るようになって、島民カードを持ってる人は福江ー奈留の運賃が半額以下になっていましたので、ちょっと羨ましいし、もっと早くしてほしかったです。
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 反対方向に進むフェリーオーシャンともすれ違います。
いつも見慣れていた風景や船ですが、久しぶりに見ていると、懐かしく感じられます。
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 奈留港が見えてきました、こういう冬の天気の悪い日に見ると、人影も見えず寂しいですが、わざわざ院長夫人は迎えに来てくれていました。
 家を出てからここまで、9時間弱かかってますので、遠いいと言えばその通りです。
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 奈留病院ではなく、奈留医療センターになっていますが、外観は変わらずに建っています。
30年以上ずっとここで働いていた院長が、今春退職されるので、その挨拶に来たのが旅の目的です。

   返事
和さん:赤くならず、ちょっと目を離したすきに、
    ほんまに消えてしまい、真っ暗な空でしたね。
     きっちり五島は時化ました。
花水木さん:月の見える方向が、我が家の小ベランダ側でなかったので、
    反対の窓から首を出さないと観れません。
    それで外に出た次第ですが、寒くはなかったですね。
     真っ暗になった後、起きていた人だけが、赤い月を見たということですね。
     欠ける月に祈ってもらったので、花水木さんの願いはあまり通ぜず、
    嵐の旅行になってしまいました。

2018/2/1

皆既月食  
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 昨日1月31日21時前、皆既月食が始まりました。
風呂もいつものように入り終わり、寝間着姿ですので、2階の窓から首をのばして撮影しました。
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 いつもならそろそろベッドに入る時間ですが、コートをはおって外に出て、小さい三脚で固定しながら撮りました。
地球の線がくっきり出てきましたが、私が手を振っても影には出てきません。
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 月が赤くなるのを楽しみに待ちますが、赤になりません。
外は意外と寒くはなかったですが、ちょっと撮影しては家に入ってTVを観て、また写真を撮りに外に出ました。
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 もう完全に寝てる時間ですが、頑張って外に出て写真を撮りました。
そろそろ皆既月食になりそうですが、まだ赤く輝いて来ません。
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 最後に外に出たら、もう月は完全になくなっていました。
赤い月は見られず、再び月が地球の影から出てくる時に赤く輝くのかもしれませんが、そこまでは到底待てないので、もう寝ました。
今朝の新聞の月は赤かったので、私は肝心の時に家の中に入っていたようです。

追伸
明日から3日間五島列島に行ってきます。楽しみですが、天気があれないことを祈ってます。/span>


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