奈留島ゴミ箱131ヶ所巡り・奈留島百人一首に続いて、天皇陵巡り掲載中。

2018/6/30

小野妹子2  天皇陵巡り番外
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 小野妹子のついでに、息子小野毛人に続くその子孫について。
小野家の出は元々、滋賀県湖西の琵琶湖大橋の少し北、小野の郷らしいです。
近くには、小学校の水泳遠足で行った和爾浜水泳場があるので、小野家のもっと先祖になる和爾氏(ワニシ)ゆかりの地でもあるようです。
 家から車ですぐの小野毛人墓のある崇道神社の横を通って、八瀬大原を抜け、途中峠を越えると、小野妹子そのままの名前が付いてる道の駅まである、小野の郷までは30分ぐらいで着きます。
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 小野の郷の新興住宅地の真ん中に残った、小高い丘のような唐臼山古墳(カラウスヤマコフン)は、7世紀前半に造られたようですが、ここも小野妹子の墓だと言われています。
そこには鳥居をくぐって、急な石段を上がる、小野妹子神社もあります。
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 小さな小野妹子神社本殿の裏にある小山は、太子町磯長にある妹子墓や崇道神社奥の毛人墓になんとなくイメージが似ていました。
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 唐臼山古墳の展望台からは、住宅地の向こうに琵琶湖大橋や、湖東の三角形の近江富士も見渡せました。
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 小野妹子から5代後の小野篁(タカムラ)(802〜853)、参議篁として小倉百人一首の11番目の歌でも有名です。
妹子は遣隋使として2回も中国に渡っていますが、篁は遣唐使として派遣されるのを拒否して、嵯峨上皇の怒りにふれ、隠岐に流されています。
その後は許され、昼は朝廷に出廷し、夜は冥土へ通じる六道の井戸を通り、閻魔大王に使えていたという伝説もあります。
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 この篁と小野一族を祭神として祀る小野篁神社と小野神社、この本殿は、何故降格されたか知りませんが、誰かの怒りに触れたのか、旧国宝で現在は重要文化財でした。
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 小倉百人一首第9番小野小町も、篁より2代後の小野一族とも言われていますが、判りません。(奈留島百人一首のため島の官舎の部屋で撮ったカルタ写真、官舎の畳が懐かしい!)
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 小野神社境内には、小野小町の塔もありました。どんな由緒かはわかりません。
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 小野神社から梅雨前の暑い道を歩くと(家内にも付き合ってもらいました)、よく似た造りの小野道風神社にたどり着きました。
小野道風(トウフウ)(894〜967)も篁の2代後になりますので、妹子から数えると道風は7代後、妹子の仍孫(ジョウソン)(孫の孫の孫の子)になります。
この本殿も、旧国宝の今重文でした。
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 字の上手な三筆は、空海・嵯峨天皇・橘逸勢(タチバナノハヤナリ)、三蹟は、藤原佐理(スケマサ)・藤原行成(ユキナリ)とこの小野道風です。(昔から何回憶えても覚えきれませんでした)
 花札の「柳に小野道風」の絵柄でも有名ですので、鳥居横にはこんな池もありました。
暑い中いくら待っても、蛙は柳に飛びつけませんでしたので、行動しなければなんの結果もかち得ないということを知りました。
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 小野家は、菓子の免許を与えることを許された家でもあったので、小野家は日本の華道・菓道両方の創生発展に寄与していたようです。
 帰り道、琵琶湖大橋のちょっと有名らしい店でランチしましたが、小野家の墓参りをしたおかげか、そのデザートは豪華で美味しかったですよ。

     返事
花水木さん:池坊はごたごたしていて、
    京都でも人気はもひとつのようです。
     珍しい名前と言えば、奈留島にいた大学柔道第3位になった
    熊埜御堂未来(クマノミドウミライ)さん、もうせっかくの苗字も変わってますかね。
タグ: 天皇陵巡り

2018/6/27

小野妹子1  天皇陵巡り番外
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 推古天皇の時代607年、第2回(第1回は600年か?)遣隋使として派遣され、隋の煬帝(ヨウダイ)(在位604〜618年)の返書を帰路になくしてしまったされる小野妹子(オノノイモコ)、日本史でも学んだ有名な人物ですよね。
 その時聖徳太子が書いたと言われる煬帝を怒らせた国書「日出処の天子、日没する処の天子に致す・・・・」の話も有名です。
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 その小野妹子の墓と伝えられているのは、聖徳太子や推古天皇の眠る大阪府太子町磯長の科長神社(シナガジンジャ)の横にありました。
写真は科長神社の鳥居、撮影立ち位置が小野妹子墓の階段下です。
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 階段を上って行くと、丸く石の柵に囲まれた円形の墓がありました。
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 中までも入れますが、中央は小山だけの円墳のようです。
まずまずきれいに整備されているのは、華道家元の池坊が管理されているからのようです。
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 何故池坊管理かと言うと、587年聖徳太子建立の京都六角堂の初代住職(専坊)となった妹子が、隋で学んだ仏前に花を供えるという行為を六角堂でも続けていたので、「華道の祖」となったようです。
京都のへそ石で有名な烏丸六角にある西国第18番札所六角堂の、この正面写真の奥のビルが池坊のビルです。
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 小野家は一応第30代敏達天皇から続く家系で、数々の有名人を輩出しています。
NHK大河「おんな城主直虎」で高橋一生が演じて名を上げた小野政次も小野家の子孫で、現在も小野家の子孫はいるようです。
 先ずは、私はこれまで全く知らなかった妹子の息子小野毛人(オノノエミシ)から。
小野毛人の墓は京都から八瀬大原を通る鯖街道の始まり、八瀬まで行く手前の崇道神社の奥に何故かありました。
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 677年に没したとされる小野毛人の墓が、その頃はまだ未開の地であった京都の比叡山の麓の山中にある理由はわかりませんが、今年の冬に飛鳥資料館で見た国宝(コピーですが)小野毛人墓誌が出てますので、まあ毛人の墓でしょう。
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 崇道神社から山道を登ってたどり着いた小野毛人墓は、なんとなく父の小野妹子墓をこじんまりとしたようで似ていました。
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 途中にはこんな警告書が貼られていて、この切株も熊がむしったようで、山の中ですが自宅から歩いて行けなくはない場所で、これはちょっと怖かったです。
大声で歌を歌いながら、急いで降りてきました。

    返事
花水木さん:夾纈(キョウケチ)、三大染色法の一つです。
     途絶えていたこの染色法を友人が再現しました。
タグ: 天皇陵巡り

2018/6/6

伝山背大兄王墓の西宮古墳  天皇陵巡り番外
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 聖徳太子と蘇我馬子の娘刀自古郎女(トジコノイラツメ)との間に産まれた山背大兄王(ヤマシロノオオエノオウ)、すなわち第31代用明天皇の孫にあたりますが、聖徳太子像としてよく紹介されているこの絵の向かって右の童子です。(この見慣れた聖徳太子像も、最近は別人の説もあります)
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 奈良県の北西部、生駒山系と矢田丘陵に挟まれるように、「ちはや振る神代もきかず竜田川・・・」の小倉百人一首でも有名な竜田川が流れる谷合に、平群町(ヘグリチョウ)があります。
町の案内看板には、平群の由来は、古代に都のあった奈良の桜井や飛鳥方面から見て、奈良盆地の北西の対角地域としての辺国(ヘグニ)がヘグリ(平群)になったと書いてありました。
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 平群には天皇陵巡りの長屋王墓などがあるので、今回は近鉄電車で平群まで行って、その辺を歩きました。
 平群中央公園にあるこの西宮古墳(ニシノミヤコフン)伝山背大兄王墓は、一辺36ⅿの方形墳で、7世紀中頃から後半の築造と考えられています。
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 石室は開いていて、その中にも入ることが出来るのです。
山背大兄王墓は、宮内庁によって斑鳩の法隆寺近くの富郷(トミサト)陵墓参考地(岡原古墳)が、そうであると定められていますが、そこは古墳時代中期の古墳のようなので、年代的にも間違いのようです。
そこにも行かなければならないのですが、わがままな私の都合でそこはやめて、年代的にも合致するこちら西宮古墳の方に足を運びました。
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 京都を山城の国と言いますが、これは山背(ヤマシロ)が山城になっただけで、元の意味は平城京から見て奈良山の後ろ(背)にある地域からその名が産まれています。
 聖徳太子一族が住んでいた奈良斑鳩から見たら、矢田丘陵の後ろ側にここ平群はありますので、平群の西宮古墳に葬られたから、逆に山背大兄王という名が付いたかもしれない。
そう思うと、西宮古墳の方が真陵の可能性がますます高くなるのではないでしょうか。
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 あまりこういう暗い狭い場所に入るのは苦手の方なのですが、石室の一番奥まで入って入口の方に向き直りました。
 くりぬき式の家形石棺の蓋はなくなっていますが、兵庫県産の竜山石(タツヤマイシ)(昔奈留高校の軟式野球部国体出場の応援に島から行った時に、寄った石の宝殿のあった辺りで採れる凝灰石)で出来てるそうで、なんかやけに綺麗で発泡スチロールで出来てるような感じさえしました。
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 石棺の縁に穿ってあった盃状穴(ハイジョウケツ)らしき窪みを見つけました。
私がよく読んてるブログ「晴徨雨読」で、ジョンノビさんが盃状穴のことを調べています。(これを書くのが分かってたように、じょんのびかあさんから前回コメントが入ったのには驚きです)
これを見つけたことで感激したこともあるし、次の天皇の有力候補であったのに、蘇我入鹿によって滅ぼされた山背大兄王の墓の中にいるので、なんか霊気を感じたのか、怖くなってきて早々に石室から這い出てきました。

    返事
花水木さん:「ちりとてちん」出演の吉弥さん、
    上手なのと性格で、関西落語会では人気ものです。
     この苺パフェ、下はコ―ンフレークばかりなので、それほど美味しくはなかったです。
じょんのびかあさんさん:お元気ですか!
     またN君主催のミニ同窓会にも顔出してください、皆喜びますよ。
      丁度今回盃状穴なので、この写真じょんのびさんにメールで届いていましたか?
商家の嫁さんさん:これまたお久しぶりですね!
    ブログ「Blue〜」で隅に時々写ってるお姿は拝見?してますよ。
     小浜はかなり頻回に行くので、ぜひ美味しい店をメールなりこのコメントで教えて下さい。
タグ: 天皇陵巡り

2018/1/7

今城塚古墳  天皇陵巡り番外
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 4日初出勤後また4連休の今年のお正月もそろそろ終わりかけ、あと一つ新年会を残すだけになりました。
 2回目のブログは、天皇陵巡りから始めるのも読者をなくすようで、かといって正月の話題では私の気持ちも表現できず。
と言うことで、昨年書き残した天皇陵巡り番外編で妥協というかお茶を濁します。
 高槻市、ここにある大きな今城塚古墳(イマシロツカコフン)は、ほぼ第26代継体天皇陵と思われますが、宮内庁がこれを治定しなかったので、誰でも入れるどんな調査も出来る巨大前方後円墳になっています。
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 昨年12月、天皇陵巡りの番外編としてここを訪問しました。
宮内庁に治定された天皇陵なら、この外堤に拝所があって、目の前の空濠になってる外濠越しの内堤と、その向こうの見えない内濠越しに、前方部を見るだけに終わってしまいます。
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 しかしここでは、内堤の上にこの様に立つことが出来、再現されてる多数の筒型はにわが並べられた向こうには、内濠も充分見渡せます。
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 しかもここは、前方部にも後円部にも登ることが出来ます。
戦国時代には城として使われたり、伏見大地震で地滑りを起こしたので、後円部は削られ、石室や石棺などはまったく判りませんが、いつもは外から眺めるしかなかった天皇陵を、その墳丘に足を付けて、内から内堤や内濠を見てると、さすがに私もちょっと感極まってしまいました。
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 内堤の上には、埴輪祭祀場として発掘された大きな形象埴輪のレプリカが並べられていて、なかなか壮観で、その技術力にびっくりしました。
でも、これより700年ぐらい前に兵馬俑を作った中国も、昔はすごかったですよね。
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 この古墳の横には、今城塚古代歴史館が建てられていて、無料で見学できました。
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 出土した巨大な家型はにわなど、本物が並べてあって、写真撮影も許されて、ボランティアの人が丁寧に説明してくれました。
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 マンツーマンで説明してくれたボランティアの人と話していると、なんと私の小学校の先輩で、同級生の親戚でもあり家も近いことが判明、奇跡の出会いでした。
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 写真左の方に写っている宮内庁治定の次の回の継体天皇陵を巡って、右の方の今城塚古墳まで歩いてきたのですが、もう少し山側には、藤原鎌足の墓と言われる古墳もあるようで、その話も熱心にしていただいたので、興味深く楽しかったです。
 先輩、どうもありがとうございました!

      返事
花水木さん:おめでとうございます
     暮れの富士山女子駅伝で、富士山型コーンをたくさん見ました。
     最後は1週間ぐらいちょっと苦しんで、死ぬなあと思ってから死ぬのが、私の理想です。
大雪男さん:おめでとうございます
     元伊勢からその奥の眞名井神社に行く途中に、ユースを見た気がしています。
    元気に安全に山して下さい。
タグ: 天皇陵巡り


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