
粒々庵を一番はじめから読む
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〜粒々庵物語〜
「夏色――第一話――」
初夏6月、力強く茂る緑の美しさに貴史は感嘆の溜息をついた。冬の寒々しさが嘘のように、見事に葉をつける木々は逞しい。見上げれば清々しい白光が瞳を射る。
この国には四季がある。色鮮やかに表情を変えるこの国の自然は、最も愛すべき祖先からの遺産だ。中でも穏やかな春から躍動する夏へと移って行くこの季節が、貴史は一番好きだ。桜の春を過ぎ生命力溢れる夏の訪れに、貴史の心も弾む。
四季を身体と心で感じることは、とても大切だ。その感動なくして、この仕事は勤まらないと貴史は常々思っている。四季の美しさを和菓子に映すのは、とても繊細で芸術性を問われる仕事だ。とは言え、貴史自身は専ら和菓子を売るだけで、作っているわけではない。
けれど職人と同じ感性を持ち、同じ気持ちで商品である和菓子を愛したい。それが、数百年の歴史を持つ老舗の暖簾を守る貴史の心意気だ。
若竹色の着物を纏う貴史の手には、大切そうにキノコの紋の入った藍色の風呂敷包みが握られている。風呂敷の中には、貴史が父親より受け継いだ京都嵯峨野の老舗和菓子屋粒々庵の今夏の新作和菓子が収められている。
風呂敷を見つめる貴史の目は、とても優しい。まるで、愛する日向を見つめるような穏やかな眼差し。恋人であり、粒々庵の若き職人である日向の作った和菓子は貴史にとって、とても愛しく誇らしいものだ。この和菓子には日向の熱意がたくさん込められている。
日向の奴、今頃なにをやっているのだろうと考えて貴史は思わず笑みを零した。日向のことを考えるだけで、とても優しい気持ちになれる。日向は、かけがえのない存在だ。
せっかく嵯峨野から祇園まで出てきたのだ、日向に土産でも買って行ってやるかなと考えを巡らせる。ところでと、貴史は時計を見上げた。にわかに貴史の顔が曇る。
約束の時間を三十分も過ぎている。時間と場所を一方的に指定してきたのは彼女の方だと言うのに、困ったものだ。
緑溢れる丸山公園の時計の下で、貴史が待っているのは昔馴染みの芸妓彩糸(あやいと)だ。その彩糸から電話をもらったのは一昨日のこと。彩糸のお客がどうしても貴史に会いたいと言っている、お茶席を設けるから自分を助けるためと思って来てもらえないだろうかと言うものだった。
和菓子屋の若旦那として、日頃お客に愛想を振りまいている貴史ではあるが、その実極端な人嫌いで、今回も丁重にお断りするつもりだった。しかし彩糸にどうしてもと泣きつかれて、貴史はしぶしぶ重い腰を上げたのだ。
「ったく、面倒な話だ」
今すぐにも引き返したい気持ちが高まって来る。あと五分待って彩糸が現れなかったら、絶対帰ってやると貴史は決めていた。
時計の秒針がぐるっと一回りする。そしてもう一回りっと思ったその時、背後から鈴のような可愛らしい声がかかった。
「こんにちはぁ。お兄はん粒々庵の若旦那はんどっしゃろか?」
「え? え、ええ」
振り返った貴史に、にこっと微笑みかけたのは綺麗に白粉を施し、ブラのついた柳と撫子の簪を挿したまだあどけなさの残る舞妓だった。置屋の紋が彫り込まれた銀色のビラ簪が、日の光に煌く。涼しげな水色の地の振袖には夏草と蛍が描かれている。舞妓一年生の証、下唇にのみ紅を塗ったその口がほっとしたように緩む。
「はぁ、違うてたらどないしよ思て。ホンマ噂通り綺麗なお兄はんやわ」
「君は?」
普通の男なら、日本人形のように艶やかで可愛らしい舞妓に『お兄はん』と呼ばれただけで浮かれあがってしまうのだろうが、貴史は違っていた。冷静に目の前の舞妓を観察している。
「すんまへん、ご挨拶が遅れてしもて。うち、夢久の舞妓で彩糸さん姉さんの妹、彩涼(あやすず)どす。彩糸さん姉さんがお茶席のお支度で抜けられへんさかい、うちが代わりにお兄はんを呼びに来たんどす」
彩涼、そう名乗った少女は懐に忍ばせた金魚柄の名刺入れを取り出し、祇をん 彩涼と書かれた花名刺を貴史に差し出した。その名刺と彼女の顔を見比べて貴史は合点がいった。
そう言えば彩糸が今度妹を引くと言っていたことを思い出したのだ。花街では新しく舞妓がデビューする際、先輩芸妓と姉妹の杯を交わすのが慣わしだ。祇園に新しい舞妓が誕生したニュースは、先日貴史も地元のTV番組で見た。とすると、彩涼は今月デビューしたばかりの新人舞妓と言うわけか。
「ほな、行きまひょか。祇園の料理旅館『水月』さんのお茶室を貸しきってるんどす」
彩涼がすっと貴史に手を出し出す。その手をしばらくじっと見つめた後、貴史はそれを無視してすたすたと歩き出した。水月なら貴史もよく知っている。彩涼の案内がなくても平気だ。出会ったばかりの少女の手を軽々しく取るほど、貴史は軽率ではない。
「あぁ〜ん、お兄はん待って、待っておくれやす」
彩涼が小走りに貴史の後をついて来る。おこぼに仕込まれた鈴がリンリンと鳴る。リンリン、リンリン、リ……!
「ヒャッ!」
「!!!」
振り向いた貴史の腕に、小石に脚を取られた彩涼が倒れこんで来る。白檀の香が漂う柔らかな彼女の身体を、貴史は反射的に抱きとめていた。
「すんまへん、うちまだおこぼに慣れてへんのどす。そやし、」
15cmもの高さのあるおこぼを恨めしげに見つめて、彩涼が再び手を差し出す。それを見て、貴史ははぁっと息をついた。
「わかった、ただし、旅館までだぞ」
そそっかしい新米舞妓に微笑みかける。彩涼は、顔中笑顔になって大きく頷いた。

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一応20000Hit記念と言う事で、SSを書き始めました。更新ちっともしてないのに、いつも覗いて下さるお客様、ホントありがとうございます♪
かなり作者の趣味に偏ったSSになりそうですが、お許し下さい(p・Д・;)アセアセ