
夏色を初めから読む
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「夏色――第9話――」
「おこしやす」
夜の祇園、八つ団子の提灯に薄明かりが灯る夢久の玄関に、夢久の女将が正座をして手をついて頭を下げる。綺麗な所作で顔を上げ微笑む女将に、貴史と日向も軽く会釈をした。
絵例のごたごたから一週間が経っていた。ようやく風邪も治り、職場復帰した貴史のもとに、祇園夢久の新人舞妓彩涼から招待状が届いた。自分のお座敷に、どうしても貴史を招待したいと言うものだった。
しかし日向から彩涼の気持ちを間接的とは言え聞いてしまった手前、どうしようか貴史は悩んだ。彩涼の気持ちに応えられないのなら、彼女にはもう二度と会わない方がいいのではないだろうか。それに、彩涼に会うとなると、後ろめたいものがある。又日向を心配させるわけにはいかない。
悩みに悩んだ末、貴史は日向を連れて夢久を訪れる覚悟を決めた。
「さぁさぁどうぞ。お酒もご用意さしてもうてますぅ」
女将に促されて貴史はお座敷へ上がった。
「こんばんはぁ、彩涼どす。よろしゅうお頼申しますぅ」
座敷に上がって間もなく、白い手が襖を開けた。黄緑色の柳と撫子の花簪を揺らし、白地に波紋の涼しげな振袖を纏った舞妓彩涼が現れる。
「今日はうちのわがままを聞いてくれはっておおきに」
薄墨色の羽織に身を包む貴史を、満足そうに見つめて彩涼が下唇だけ紅を塗った唇を綻ばせる。
「うち、貴史さんにはホンマお世話になりっぱなしで。どうしたら貴史さんにご恩返しできるんやろぉって考えていたんどすぅ。日向さんに買い物に付き合うてもうたりして」
「あ、その、この前はごめんなさい。俺、ちっとも役に立てなくて」
面目なく項垂れる日向に、彩涼はシャラシャラと簪を揺らして首を振り微笑んだ。
「うち、それで考えたんどす。うちにできるんは、舞を舞うことだけやって。うちは置屋の娘どす。小さい頃からだ京舞のお稽古をさせてもうてきました。うち、そそっかしいけど、舞を舞うことだけは誰にも負けしまへん。そやし、うちの舞を貴史さんに見て欲しのどす。それが、うちにできるせめてものお返しどす」
毅然とした態度でそう言って、彩涼は頭を下げた。舞を見て欲しい、そう言った彩涼は一人前の舞妓の顔をしていた。
彩涼が目配せをすると、女将が三味線を構えた。京舞『祇園小唄』の前奏がゆっくりと始まる。貴史と日向は吸い寄せられたように彩涼を見つめた。
祇園小唄は、古都京都の四季と艶やかな舞妓の様子を謳ったもので、流れるような優雅な所作で、彩涼が小さな身体いっぱいに古都の情景を表現する。
裾を払うその脚も又艶かしく、だらりの帯が一際煌いて見える。
誰にも負けない、勝ち気にそう言った少女の言葉に嘘はなく、貴史も日向もしばしの間、彩涼の舞に魅せられていた。
やがて舞が終わり女将がそっと部屋を出て行くと、貴史は我を取り戻して盛大な拍手を彼女に送った。
「素晴らしかった。ありがとう」
お世辞ではなく、心からの感謝を伝える。彩涼は恥ずかしそうに瞳を畳の上に落として深呼吸をすると、意を決したように口を開いた。
「うち、回りくどいんは苦手どす。そやしはっきり言いますぅ。うち、うち、出会った時から貴史さんが好きどす。こんな綺麗な男はんに会うは初めてやったし、それに言葉はキツイけど、貴史さんはうちのことちゃんと心配してくれはって、嬉しおした。そやし、うちの気持ち、受け取って欲しいのどす」
迷いのない瞳で、彩涼は貴史を見ている。貴史は静かに、少女の告白に耳を傾けた。
「ありがとう、彩涼の気持ちは嬉しい。君はそそっかしいけれど真っすぐで、一本筋の入った立派な舞妓さんだ。女性としても素晴らしい。けれど、君の気持ちには応えられない」
「――ッ」
「僕には、もう心に決めた人がいるから。好きな人がいるから、君の想いを受け取ることはできない」
「た、貴史さん」
嘘偽りのない正直な気持ちを伝える。それがせめてもの彩涼に対する誠意だと思うから。隣に座る日向はどうしたものか、おろおろと貴史と彩涼の顔を見比べている。
緊張した空気が流れる。
けれど、その空気を掻き消すように、彩涼は声を立てて笑った。
「ッ、フフフ、うち知ってますえ。貴史さんの好いたお人はんが誰か」
「!」
チラっと彩涼が貴史の隣に座る日向に視線を移す。大きな彩涼の瞳に見つめられて、日向がおそるおそる自分を指差す。
「日向さんてば、買い物へ出た時、うちが選んだプレゼントにいちいちケチをつけるんどす。いけずばぁっかりしはって。バレバレどす」
「あ、あ、あの、ご、ごめんなさい。俺、貴史さんを取られたくなくて」
ツンと顎を反らせる彩涼に、身体の大きな日向がペコペコと頭を下げる。それを見て、彩涼がふぅーっと身体の力を抜いた。
「ええんどす。うちが反対の立場かて、日向さんと同じことをしたと思いますぅ。いや、うちやったらもっといけずするかもどす」
「え、ええエッ」
ニヤニヤ笑う彩涼に、日向がブルっと身体を震わせる。
「薄々わかっていたんどすぅ。うちと日向さんを見て逃げ出した貴史さん。うちを置いて走り出した日向さん。うちの入り込む隙なんかあらへん。けど、諦められへん」
「――彩涼」
少女の気持ちを慮って、貴史は瞳を細めた。
「あ〜ぁ、ふられてしもたぁ。かなんわぁ」
首を竦めて溜息をついた彩涼は、けれどそんなことくらいでめげてはいなかった。
「けどうちはまだ望みを捨てたわけやおへん。うちが貴史さんに女の良さを教えてあげるんどす。日向さん、うち貴史さんを諦めたりなんか、せぇーしまへん。そやし、覚悟しといておくれやす」
「あ、彩涼ちゃん」
思ってもみない少女の宣戦布告に、日向は情けなく眉を寄せた。それを見て、貴史が声を上げて笑う。
「ほな、お座敷遊びの続きどす。金毘羅ふねふねでもしまひょか」
彩涼のその一言でお三味線を持った女将さんが呼ばれ、一気に賑やかになる。三味線の軽快な音色に乗せられて、貴史も日向もお座敷遊びに興じた。
「あぁ、けど困った。彩涼ちゃんが、あぁ」
お座敷がお開きになり、夢久を出た貴史と日向は祇園白川沿いを夜風にあたりながら歩いていた。
夢久を出てからずっとこの調子で日向は頭を抱えている。彩涼がどう頑張ったところで貴史の心はとっくに日向のもの、貴史が日向以外に心を奪われることなんかあるわけないのに。
クスクス笑いながら、貴史は日向の隣を歩く。彩涼には悪いけれど、今もこれからも、自分は日向を愛している。その気持ちは変わらない。
「あの、すみません」
「?」
後ろから声をかけられて、日向と貴史は同時に振り返った。二人の後ろに立っていたのは、濡れたように黒い髪と涼しげな目元が印象的な美少年だった。白い頬を幾分紅潮させて、少年が日向に携帯電話を差し出す。
「これ、夢久へお忘れじゃないですか?」
「アッ! す、すみません!」
ポケットを探った日向が、少年に直角にお辞儀をして携帯を受け取る。少年は、そんな日向に穏やかな眼差しを向けている。
「自分は男衆見習いをしています、彩涼の兄で高坂周と言います」
「彩涼ちゃんの……」
少年は礼儀正しく頭を下げた。言われて見れば確かに、彼は夢久の女将によく似ている。繊細な顔の造りが美しい。
「妹がなんだかご迷惑をおかけしてしまったみたいで、すみませんでした。それと、厚かましいお願いなんですが、妹をこれからもよろしくお願いします」
少年はそう言うともう一度頭を下げて駆け足で去って行った。妹想いの優しいお兄ちゃんと言った感じで、好感の持てる子だった。
「はぁ、綺麗な男の子でしたね。高校生くらいかな?」
「ん?」
「ヒッ」
綺麗、その言葉にムッとなって日向のほっぺたをつねる。つねられたほっぺを押えながら、日向が慌てて言い訳する。
「た、貴史さんのが綺麗ですよぉ〜っ。俺にとっては貴史さんが一番です。けど、あの子なんか雰囲気が貴史さんに似てるかなぁって。貴史さんに弟がいたら、きっとあんな感じじゃないかなぁって思ったんですよ」
「似ている?」
日向に言われて貴史は自分の頬を掻いた。そしてピンと閃いた。
「なるほど、そう言うことか」
「へ? そう言うことって?」
なに? っと日向が貴史の顔を覗き込む。つまりはそう言うことだ。ひょっとしたら、彩涼の想いと言うのはつまるところ究極のブラコンなのかもしれない。本人に自覚はないろうが、彩涼は貴史に周の姿を重ねて見ていたのかもしれない。
「貴史さん、そう言うことって?」
教えてくれと懇願する日向に、貴史は意地悪く微笑んだ。
「教えない」
「え、ええ〜ッ」
日向にやきもちを妬かれるのも、悪くない。
「さ、帰るぞ」
「あ、待って、待って下さいよぉ」
貴史は日向を置いて、夜の祇園を駆け出した。
――Fin――

最後までおつき合い下さってありがとうございます(o^ ^o) / 彩涼のお兄ちゃん周くんは『ギヲン・アソビ』って言う私の書いた小説の主人公です♪そちらも又いつの日か機会があれば載せたいです♪

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