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2011/12/30

今年の残念−R.E.Mの解散  music(US)
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 31年に渡る活動履歴があったとはとても思えぬほど現役感たっぷりだったREM。その解散。とはいえ、やはり歴史は長いので、文章にすると長く、いっそ喋りにした方が良いと思って動画版にしました。最初は余談が長く、最後は途中で画像が切れてしまいましたが、宜しければYou Tubeにてどうぞ。

その1
その2
その3

 内容で途中で切れた部分。R.E.Mにはブルースの影響があまり感じられないこと。その辺が80年代デビューのロックバンドだな、と。彼らの場合、むしろカントリーとかフォークの影響が強い気がする。その意味で彼らが元々影響を受けたニューヨーク・アンダーグランド・パンクのベルベット・アンダーグランド、パティ・スミス、テレビジョンらの直系の矜持は基本変わらなかったんだろうと思います。

・デビュー・シングル「レディオ・フリー・ヨーロッパ」


・IRSラストのアルバム『ドキュメント』から「世界が終わる日」。ファンに人気が高い曲。


・同アルバムから。「ザ・ワン・アイ・ラヴ」。エモーショナル!


・メジャー移籍でポップな方に触れながら、スケール感もアップ。「オレンジ・クラッシュ」


・彼らの人気を決定付けたシングルヒット、「ルージング・マイ・レリジョン」。彼らの歌詞がだんだん意味深さを増します。


・「エブリバディ・ハーツ」。この曲は。。。古典になるのではないでしょうか。いつの時代もひとは自分に向き合わざるを得ない局面があるのかと思いますが、その傾向はいろいろな事が起きたこの現代社会でなお一層意識化させられます。
 クールな彼らの、らしい、人びとのための思い溢れるうた。何度でも聴ける。映像も。


2011/12/25

忘年会雑談ust  society
 昨日友人宅に男3人集まって多少真面目な話を含めて雑談をIpadで収録しました。ツイッター&ブログにてお世話になっているhillowzeroさんも加わってもらい語らっていただきました。
 収録の方法上、自分のみ映像に映っています。
 何というか、私の語りやツッコミはうざい感じですが、お時間のある方はご覧くださいまし。
 158:44秒(!)です。


2011/11/23

ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マティリアル・ワールド  movie
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 ジョージ・ハリスンのドキュメント映画『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』を観てきました。監督はマーティン・スコセッシ。彼が作ったボブ・ディランのドキュメント映画にも負けない3時間半。2部構成の長尺なもの。後述しますが、個人的には全然長く感じませんでした。(じっとしているのが苦手な自分はお尻が痛くなってきて、足を組んだりほどいたり、お尻をもちあげたりしましたが)。
 ビートルズに関心を持つ人を前提に書きますが、やはりビートルズと言えばジョン・レノンとポール・マッカートニーのソングライテングが大きすぎ、その中では取り立てて目立つ存在としてビートルズ初期は描かれてはいません。しかし同時に大きいな、と思うのは彼が最初期のオリジナル・ビートルズに参加した当時は何と17歳で、そしてあのビートルズの偉大な下積み修行時代であるハンブルグ公演にも参加していることです。

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 第一部はビートルズ時代が中心ということもあり、彼自身のスポットライトを浴びる場面が想像以上に少ないのです。旧友のエリック・クラプトンや、ビートルズだったポール・マッカートニーがインタビューに応えますが、やはり当時のビートルズのフィルムはジョンやポールが歌う姿であり、MC役のポール・マッカートニーの姿なのです。
 また特定人物のドキュメントであるのに「面白いよなぁ」と思うのは、例えばドイツ・ハンブルグ興行で知り合った朋友で、後にソロになってからベーシストとしてジョージのアルバムに参加するクラウス・フォアマンがある場面においては主人公であり、また短命だったオリジナルメンバーのスチュアート・サトクリフが死んだアパートメントを訪ねて悲嘆にくれているジョン・レノンだったりするわけです。それらの場面ではジョージ・ハリスンは如何にも世間のパブリック・イメージである「第三の男」らしく、彼らの気持ちを汲んで背後に寄り添うような存在として目立たないけれども、安定性をもたらす存在として描かれています。
 エリック・クラプトンのインタビューも、ビートルズのオーラに圧倒された自分自身について主に語っているわけで、その時間の主役はクラプトンです。ですが、そこには話の媒介としてジョージの存在が通低しているわけで、ジョージ・ハリスンという人は同世代を生きたミュージシャン仲間に愛され、また生涯を通じて幅広い交友関係を持っていた人ですが、彼の立ち位置は座の中心と言うよりも、いろいろな人たちの良さを認めて全体の中のバランサーのように存在し、しかしその座の中心にいるという感じがありません。
 彼の自己を打ち出すエゴのようなものは、強力なジョンやポールの前でコンポーザーの仕事が認められず、その点で確かに苦悩していたことは他者によっても語られますが、しかし彼の活路は黄色い声を浴びてアイドルとして存在しているビートルズからアーティスト集団として変貌・変化する中で、シタール演奏家、ラヴィ・シャンカールとの出会いなどを通じて、インド音楽とインドの思想に触れることにより、グッと内面性を深め始めたビートルズの中でもかなりストレートに東洋思想の影響を受けて精神の安定とか、哲学的な発見の方向で自分のアイデンティティを掴んでいくことにより確固としたものになっていきます。

 映画のタイトル「リヴィング・イン・ザ・マティリアル・ワールド」は彼の2枚目のソロアルバムのタイトルでもありますが、まさに20代前半にして彼自身が物質世界と精神世界の両にらみの中で、特に世界の若者にとって精神的支柱であると同時に、消費者側としても最も崇拝されているビートルズというビックバンドの中に存在して、またそこにいたからこそ、物質社会の狂乱から逃れる術を精神世界に求めた感じがあります。ジョン・レノンにもその傾向はあったと思いますが、ジョージはビートルズの中心ではなかった分、より一層その精神世界への入れ込み方の自由度が高かったのかもしれない。また、映画ではビートルズ話では有名な、ある歯科医のパーティで飲み物に入れられたLSDというドラッグでトリップして知覚が広がり、そこから神のビジョンを得て、その後の東洋思想まで広がったというストーリーが暗示されていますが、実際にそういうところはあったようです。
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また、シタール奏者ラヴィ・シャンカールの存在はどう考えてもジョージにとって大きい。一部、二部を通して伝統音楽と西洋ポップミュージックの違いはあれど、ミュージシャンとしてシタール奏法の手誰に対する偉大なレスペクトはあったろうし、そこからルーツを持つ伝統音楽奏者の背景にあるその音楽が発生する哲学や思想、宗教へとはまっていく流れは非常に分かる気がします。
 彼自身がその後ソロアーティストとして何を伝えていくのか、どんな表現をするのかという時に精神的に、また演奏技法的にもラヴィ・シャンカールを通じて学んだものは、彼が一人のソロアーティストになっていく過程の中でも特に大きかったのでは?と想像されます。

 二部は彼がソロになって以降の物語がほぼ中心となります。もう一度彼自身の年齢を考えれば17の時にセミプロとなり、ビートルズが世界のアイドルになった時はまだ21~23歳頃です。そしてビートルズがライヴをしなくなったとき、彼は24歳です。何と若いことでしょう。
 僕は長い間、彼の早熟ぶりや、精神的な成長の速さ、ソロになってからの他のリーダーだった二人をしのぐソロミュージシャンとしての勢い、そしてロックチャリティの先駆けとなった「バングラデッシュ難民救済コンサート」の主催者を手掛けた後のミュージシャンのトップ争いからの離脱、などを考える時に思うのは、普通の人間がもつメンタリティを守る常識人としてのジョージ・ハリスンという人はあまりにも人生の早い時期にいろいろなものを見過ぎてしまったのではないか、ということです。
 ジョン・レノンはそれこそ早くから異端児で野性的な強さがありますから、社会活動家的となり、その後はハウス・ハズバンドになることであの時代の若者たちのロールモデルとなりましたが、やはり早い段階からビートルズの喧騒を冷静に見ている自分があったと思いますが、それでもジョージとは年齢の開きもあり、ある意味で世間智があったかもしれない。それに比べ、ジョージは余りにも若くして人びとの狂乱と成功の結果をダイレクトに浴び、違和感や時には虚無感すら感じたかもしれません。それゆえの東洋思想への傾注だったのかもしれません。

 二部ではビートルズを離れた後、より一層幅広い交友関係の人びとがインタビューが聞けます。これ以上書くと映画の内容が見えてしまうので控えますが、自分もファンであるモンティ・パイソンへの偏愛がもう一つの素顔のジョージを表していて面白い。モンティ・パイソン映画「ライフ・オブ・ブライアン」の製作費を自分の家(というか屋敷)を抵当にしてまで工面した話は初耳。それほど彼はブラックユーモア好きでもあったわけです。精神性の高さとブラックユーモア好きの両立が如何にもイギリス的です。(本筋とは関係ないですが、モンティの実質的リーダー、ジョン・クールズがモンティ映画は神の信仰への冒涜だととなえる人物に対して論理的な反駁をしているシーンが格好いい)。
 しかし、ソロで自己確立していく二部においてもジョージの存在に「俺様」的なるものが見えないところが面白い。確かにガンに倒れた後にもかかわらず、自宅で暴漢に襲われるところの妻のオリビアの回想など、ドラマテックな見どころ聞きどころは多いのですが、面白いのはジョージを触媒として自分のことを語っている、という感じがいろいろな人のインタビューの中に見えるような気がするのです。
 ジョージ自身が反メディアなところがあったように思うので、基本的にソロ時代もライヴやインタビューが少ないためもあるでしょうが、やはり印象通りクワイエット・マンというべきでしょうか。
 彼がいつも大事にしていた人間関係や誠実さの証ゆえなのか、多くの人が彼の思い出を素敵なものとして語ります。しかし、彼の人を惹きつけるそのオーラの出所はどこからくるのか。それは映画ではなかなか説き切れない謎でもあります。
 私が3時間半でも短くないと思う理由はそこにあります。むしろまだ多くを観たい。6時間でももっと多くの声を聞きたい。資料を知りたい。

 私は何故か、ビートルズファンになって以降、聞き込み始めてから一番のファンになったのはジョージ・ハリスンでした。何故なのか。確かに彼の曲はビートルズの中にあって、もっともソロの匂いがするものでした。あの顔、あの声、あのギター。そして分かりにくいが好きものには惹かれてしまう独特の曲調。いまは改めてそれらを聞くと、彼自身の音楽の造形ぶりや勉強ぶりに驚くほど感心させられますが、ドーンとくるジョンやポールの楽曲に比べると確かに分かりにくい所もあるでしょう。
 するめのような音楽であり、ツウが聞いてニヤリとするような曲調やアレンジだったりもします。
 そしてそれだけではない。聞くと、独特の哀愁や精神性を感じるのは確かです。その不思議な魅力をもっと知りたい。

 この映画を見てますますそう思いました。もっと知りたい。これはまだジョージのイメージの範疇なんじゃないか。このイメージの奥にまだ何か潜んではいないか。だから、6時間でも観てみたいという気にファンとしてはなっていくものでした。
 いわば、この映画はジョージファンだった自分の抗いがたいジョージ好きの印象に新たな火をつけてくれて、もう少しカタルシスを得たい、と思うインスピレーションを与えてくれるもの。それが彼の精神性への源流をもっとたどって欲しいという思いなのか、あるいは逆に彼の人間臭さの追求なのか。それはわからないのですが。




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ジョージ・ハリスンのソロアルバム第1作目。『オール・シングス・マスト・パス』。哲学的な詞と素晴らしい楽曲である表題曲がすでにビートルズ時代に出来ていたにもかかわらず、アルバムにも採用されなかったように、多くの楽曲がすでにビートルズ時代に出来ていたと思われます。ビートルズラストアルバム「アビー・ロード」「ヒア・カムズ・ザ・サン」が収録されていたように、それらの曲に近いクオリティが全体を占める名作中の名作です。
 ビートルズがソロになってからもポール・マッカートニーのソロに次いで発売され、当時のLPで3枚組という大作であるにもかかわらず、第三の男の才能に皆が驚き、一番あの当時売れたアルバムであるのも深くうなずけます。
 かように書いている自分も今年の初秋に中古レコード屋で現在CD2枚組になっているものを1350円で購入し、そのクオリティの馬鹿高さに驚いた次第。特にCD1枚目の1曲目のボブ・ディランとの共作から始まってラストの「オール・シングス・マスト・パス」まで捨て曲なしのハイクオリティ。いやいや、驚きました。これだけの能力がビートルズで認められなかったとなれば、それは爆発するよなぁ。ジョージのボーカルは”線が細い”というけれど、それを補う彼の唱法の味わいは何とも言えません。誰か研究してほしいくらい。本当にこの歌声はファンにはたまらないんだ。本人も好きなんだと思うけど、メロウな楽曲においては特に生きるんです。
 


ファーストアルバムの中からノリのいい一曲。バングラデッシュ難民救済コンサートから。この時のジョージはまだ28歳ですよ。風貌はもはやキリスト様w。しかし、格好いい楽曲です。
タグ: george

2011/1/13

グレン・ティルブルック札幌公演  music(UK)
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 行ってまいりました。UKロック/ポップの伝説的バンド、スクイーズのリードボーカリストだったグレン・ティルブルックのライヴ。場所は札幌の地下鉄琴似駅改札口を出たところにあるNPOが管理している小さなホール。値段も前売り2000円、当日券も2500円という破格な安さ。ここではまる1年は前のラウーというアイルランドの若手トラッドポップのアコーステックなライヴも見ていますが、音響は悪くない。
 グレンは基本、ギター1本での弾き語り。

 登場したグレンはガタイがいい。最近の演奏映像はYOUTUBEなどで少し見ていて、年齢相応に風格のある体つきになったなと思っていましたが、第一印象は「でかい」。外人さんって、骨格や体つき自体が大きいのかしらん、とか考えつつも、唄いだしたグレン氏は次から次へと熱唱に次ぐ熱唱。いや、1曲入魂。1曲絶唱、というべきか。しかしスクイーズを知っている人はご存じのとおり、曲はみんなポップ。その1曲1曲をシャウトしまくる。
 途中で一度休憩が入ったけれど、当然だと思う。それでも1ステージでの、あのボーカルスタイルで1時間近く歌えるのも凄い。体格が良くなったも唄うためには納得がいきます。おそらく初期スクイーズ時代からも声の衰えは全然ないんじゃないかと思います。

 そのオリジナル・スクイーズ時代の代表曲、シングル曲もばんばん歌ってくれてソロ時代の楽曲をほとんど知らないオールドファンの私は大満足。 客筋はざっと見、それなり若く、ソロのグレンの方がなじみが深い印象。この辺はグレンさんとしても嬉しいのではないでしょうか。そうですね。「Pulling Musseles From the Shell」辺りが年齢の試金石かと。ですがアンコール1発目の「Another Nail For My Heart」は手拍子の入り具合や盛り上がり方からして、会場全体が知られている曲のようで、やはり個人的にはこのポップ王道に乗った曲は世代を超えているんだなぁ、と。嬉しかったです。

 グレンのサービス精神は基本小さなハコで歌う「Goobye Girl」で発揮会場の通路全体を動き回りながらの一体感。名曲「Is That Love」「Tempted」「Black Coffe In Bed」をあの当人自身の歌で、と思い出しただけで、もう駄目。。。 あるいは「Up The Junction」がソロでギター1本でやると案外サイケなアレンジの曲になるんだね、という発見とか。

 やはりこのストレートなシャウトのノリはスクイーズと同時代的にはエルヴィス・コステロが一番似ていると思うんだけど、どこか微妙に違うところもあると思います。コステロは最近こそ少し薄らいではいるけれど、どこか怒気とか、苦みとかが歌にリアリティと迫力を与える声をしているけれど、グレンはちょっと違う。基本的に『向日的』だ。もう4曲目くらいから汗を顔中流しての絶唱なんだけれど、観客を圧するような感覚はないのです。どこまでも温かみが基調にあると思う。その伸びやかな声はちょっと適当な表現が浮かばなくて。そう、あえていえばポール・マッカートニーに近いのかなぁ?

 またそのポップなメロディ・メーカーぶりもどこかどストレートにはいかないのだなぁ。どこか捻りがあって簡単に分かり易さのカタルシスにも行かない。だから、「Another Nail For My Heart」や「is that love」「black coffe in bed」のメロディと声が記憶にずっと残り続けるんですけどね。時折これらの歌が鼻歌的に出てきます。心地いい時や逆に落ち込んでいるときに。

 その意味ではスクイーズ時代も含め、それほど熱心なファンとはいえないと思う一人でして、ソロでは「アンタッチャブル」くらいしか印象にないんですが、彼の歌の上手さ、見事さは堪能しまくりでした。素敵な夜だった、としか言いようがないです。

PS:
1曲カバーでキンクスのある名曲を演奏。さて、なんでしょうかね?
奇妙な効果音を時折使ってたグレン。どうやらI-PADでその効果音を出してたみたい。
この後にいよいよ東京でのライブが14〜16日まで。金、土、日ですね。そして18日の横浜がラスト。問い合わせはMUSIC PLANTさんまで、ということで。
下に懐かしのスクイーズの名曲と、ソロの「アンタッチャブル」を貼りつけます。このソロ曲は昨日のライヴでも光っている1曲でしたね。





2010/12/30

今年のCD  music(US)
 







 2010年。今年も年末を迎えました。なんと前回のブログ記事から2カ月以上です。
 ツイッター・ヘビー・ユーザー(?)になってからというもの。もう一つのブログを含めてブログにまとめる作業が極めて少なくなってしまった。これが際立つ今年の特徴でもありありました。

 個人的な状況が少し変化と流動化も含んでいたのも多少は関係しているかも。とはいえ、相変わらず安定化した生活は続いているのでご心配なく。(僕は僕自身の心配をしなければいけませんがw)。

 さて、とはいえ音楽は相変わらず良く聞いています。とはいえ、「きちんと向き合って聴く」機会は格段に減りましたが。

 今年の自分にとって良かったCDは上記の物になります。一番上のザ・コーラルの新譜以外を見て、過去の僕の志向を知る人には「??」のチョイスかもしれません。
 また、そのザ・コーラルを除いてどれも新譜ではありません。
 もうひとつ言えば、コーラル以外は自分が購入したものではなく、人から借りてそれをCD−Rに焼いたものばかりです。

 実は訳あって現在、厚生労働省所管の生活支援給付金付きの職業訓練である「基金訓練」を受講していますが、そこで知り合った僕より一回り下の世代の洋楽マニアの男性と、同世代の女性から借りたCDでそれが今まで自分が自分の経済では購入しなかった、どころか関心すらなかった分野を含めて良かったという話です。

 ザ・フーのトリビュート盤は分かりやすいところ。キャストの「シーカー」の原曲忠実なロックンロールに血が騒ぎ、その後OCS「エニウェイ・エニハウ〜」ウェラーの「サークル」等々豪快でドラマテックなザ・フーの世界にどのバンドもノリノリで聴いてて実に気持ち良い。シェリル・クロウだけはチトつらいか。

 ハンク・ウィリアムスというアメリカン・カントリーの偉人はザ・ザのマット・ジョンソンが「ハンキー・パンキー」というカバー・アルバムを出しましたが、こちらは大御所ディランから始まり、幽玄なるジョニー・キャッシュのカバーで終わるトリビュートアルバム。間のケブ・モや、ベック、ルシンダ・ウィリアムスのカバーが精神の深みを表現しており、アメリカン・ルーツ・ミュージックの世代を超えた深さを教えてくれます。その中でもやはりエミルー・ハリスの歌声は遠く、より昔のトラデッショナルな趣まで感じさせてくれます。単にモダン・ヒルビリーの担い手としてのハンク・ウィリアムスを超える作業。

 その意味ではボブ・ディランを素材にした映画「アイム・ノット・ゼア」のサントラ盤?2枚組、特に1枚目はハンク・ウィリアムスのカバー集ほどではないにしろ、元々ディランがどれだけメロディ・メーカーとして才能があるかが分かる好盤。ディランの唄いまわしだと苦みが強く分かりにくいメロディの強さがこのカバー集にて分かる仕掛け。

 こうしてアメリカン・ルーツ系の旅は晩年のジョニー・キャッシュの幽玄なる歌声まで。これはやられました。肺腑に沁みます。上記の2枚目写真盤面はジョニー・キャッシュがリック・ルービンと組んでのアメリカン・レコーディングス・シリーズの未発表が5枚組でボックスセットで出たものだそうです。どんだけ晩年、精力的なんだ?って話ですが。その5枚目の「ベスト物」を借りて聴いたんですね。それを聞いて、凄いと思ったのなんの。僕の中でジョニー・キャッシュの存在が一挙に大きくなった次第。

 最後に、ここのところアメリカン・ルーツ系とともに愛聴しているのがブラック・アイド・ピーズのシンガー、「ファーギー」のソロアルバムとアリシア・キーズ。ここら辺は自分ながら「エッ?オイ」とツッコミどころな感じですが、いや、これがいいんですわ。
 コンテンポラリーなアメリカンR&Bとでもいうのかな?見向きもしなかったんですが、実に良質でかつモダンなアプローチもあり、その良さに気付かされました。

 自分の方向を一定に限局してはいけんですな。もちろん、そこに気づくのは他者を介しての働きかけのおかげですが。

 さて、ではそんな次第で日本も世界も荒波が続きそうな来年ですが、お互い元気に過ごしませう。皆さま、よいお年を。







2010/10/3

扉をたたく人  movie
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 妻を亡くしたある大学教授。仕事にやる気を失い何年も講義内容は同じ。そんな彼の鬱屈した日常の中で借りていたアパートに不法に住み込んでいたシリア人の男性とセネガル人の恋人。彼らの出会いの中で、男性が持っているアフリカの民族打楽器を通して友情が生まれ、頑なだった教授のこころに揺れが生じ、変化が生まれる。。。
 静かで内面的で、かつ暗に米国の国家政策批判をしている作品。てっきり欧州作品だと思っていました。如何にも欧州風な淡々とした作りなので。ところがこの作品、アメリカで作られたもの。目を開かされました。アメリカの映画もこういうものが増えるなら観ますよ。
 米国映画の作風に変化が生じ、それが自国でも受け入れられているのだとしたら。
 07年の作品のようで、日本公開は09年のようです。オバマ政権誕生前の作品なのですね。
 NYの街に普通に氾濫する中国語の看板も現代的。時代の変化をしみじみ実感します。



 映画で友人となるシリア人の若者は言います。「フェラ・クティ聴いたことあるかい?アフリカのビートを作った人だ。このバンドのトニーアレンのドラムは最高」といった趣旨を。フェラ・クティの映像は濃すぎますので、トニー・アレンのこのポップでゴキゲンなPVを。

2010/9/13

Sex Pistolsのデモアルバム「SPUNK」  music(UK)
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 本日の記事は一般向けではありません。極く個人的なマニアックな発見についての私的な日記です。本年、セックス・ピストルズのマネージャーで「UKパンクの仕掛け人」とも目されたマルコム・マクラーレンが死亡したニュースをご存知の方が洋楽ファンにもおられるかもしれません。

 マルコムの死亡がどこか脳裏にあったのか、時間がある折々、ジョン・サベージという英国の音楽ジャーナリストがパンクの発生からニュー・ウェイヴへの変転までを描いた大部の本、「イングランズ・ドリーミング」を読んでいました。その中にはおそらくここまで綿密なものは無いと思われる、マルコム・マクラーレンの生い立ちから、バンド、セックス・ピストルズのメンバーを集結させるまでのマルコム・マクラーレンのいわば「青春時代」までも取材している貴重な本です。(余程マニアでないと関心が持ちにくい領域(苦笑))。

 そこまで、ある意味粘着的なまで取材している本ですから、当然、セックス・ピストルズが起動し始めた1976年からずっとバンドの動き、その周辺の動きを追っています。

 そのような本を時折読みつつ、あるとき市内中心部の老舗商店街のはずれ。狸小路7丁目の中古レコード屋でピストルズが出した最初にして最後のオリジナルアルバム「ネバー・マインド・ザ・ボロックス」が発売される2ヶ月前に海賊盤として出回った、マニアに評価の高い「SPUNK」の日本盤を目にしました。1400円で。そして一昨日、またそこを通った折にまだあったのでついに購入してしまいました。

 これが個人的には良かったんです、相当に。クリス・トーマス・プロデュースの70年代を代表する「あのアルバム」の音のメリハリ、ギターのウォール・サウンドや高速スピードに比べると弱いけれど、逆にこちらの音のほうが生々しく、公式アルバムにあった都市的ドライ感に比べると人間くさくて、それだけナマな毒々しさもあるように思う。

 プロデュースはピストルズのサウンド・エンジニアだったデイヴ・グッドマン。その意味ではクラッシュのこれまた歴史的な名盤であるファーストアルバムが彼らのサウンドエンジニアの手でプロデュースでリリースされ、後に「音がショボイ」と言われたモノと対応する、ピストルズの生のサウンドとクオリティがこれでしょう。実際に幾つかのライヴ映像(海賊モノ含む)や海賊盤ライヴの演奏を聞く限り、ライヴセットのアレンジはこちらの「SPUNK」アルバムのサウンドの方に忠実。

 その意味ではピストルズの歴史的アルバムはだいぶデコレーションされていたということかもしれないが、パンクが世界に大事な意味として発信されるためには必要なことだったでしょう。クラッシュのファーストのように、英国ドメステックなサウンドには出来なかったはず。

 だから、当時ピストルズのライヴに遭遇した人たちはこの海賊盤がぜひとも聞きたかったものに違いないはず。

 「ノー・フィーリングス(分かってたまるか)」など、どれだけポップなメロディセンスを持っているかも分かる資料となっているし、当時言われた「パンクはまともな演奏が出来ない」という言葉を翻す貴重な資料にもなっています。

 大貫憲章氏のライナーのラストに書かれていることが全てを表現していると思うので、それを記載して本日はこれにて。

「いずれにしても、ロックファンなら持っていて損は無い1枚だ。ジャンルなんか関係ない。パンクもニューオリンズ・ロックンロールも根源的には同じだ。氏素性が知れない同胞なのだ。でなけりゃ、かくもイーブルでアナーキックでいられるわけがない。あるのは『今この時』だけなのだ」。

 縷々、伝説本めいたものについて長々書いた後に、パンク伝説をちょいと翻すような身近で生身で、オーラを身にまとう前のピストルズの初々しいサウンド群たちが聞けます。ただ、残念ながら今は手に入れられないかも・・・?

タグ: PUNK

2010/9/10

ザ・コーラルの新作が出る!  music(UK)
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 ブログ、長いことほったらかしにしきてホントにホントにすみません!
 挨拶も早々、ザ・コーラルの新作が出ますよ!

 びっくりマークが語尾二つなのは、今回も間違いなく傑作になるに違いないから!コーラルびいきの私。前作の「ルーツ&エコーズ」も傑作だ!と騒いだのですが、世間的には地味な扱いでしたねぇ(涙)。まぁ、確かにアルバム後半に従い地味な流れはあったんだけどさ。

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 今回はですねぇ。これは”通”が聴いたらかなりキマスよ。文句のつけようがない。って、まだ購入してないんだけどさ。そもそも日本発売がまだ。ただ、今月中内なのは間違いない。そんな中、ユーチューブで幾つか新作の曲を聴いて。「これは素晴らしいものになるに違いない」と直感しました。

 前作のときにも書いたと思うのですが、コーラルはファーストアルバムにあった西洋近代以前に目をつけていたような野性味や蛮性は確かに薄まり、その分60年代テイストというか、ノスタルジックなポップテイストが強まって来ているのは間違いなとは思います。懐かしい感じのサウンドではあるのですが、でも良く聞けばそれだけではない。やはりコーラルオリジナルとしか言いようのないサウンドマジックがあるのではないかと。だから、いま。英国にとって、とっても貴重なバンドだと思うんですよね。そしてそれに見合った作品を作り上げていく能力と気概を私は感じます。だからますます好き。

 素晴らしきギタリスト、ビル・ライダー・ジョーンズの脱退という喪失、今作のコンセプトが「ミステリーの死」だという如何にも彼ららしい発言、あるいはアナログにこだわりダウンロードで音楽を聴くことに嫌悪感を示すメンバーがいるなど、中年オヤジにとっては姿勢として愛情の肩入れしたくなる若年寄性も好きにならずにいられないところなんですけどね(笑)。ただ客観的にもその才能は疑いないと見ております。

 本作で大いに盛り上がって欲しいのですが、時代とのリンクでまた彼ららしく地味目な展開かなぁ・・・。リバプール周辺出身らしいメロディの才気に話が及ぶような時代でもなさそうだしねぇ・・・。否、否!世間を舐めてはいけないと私は見ます。少なくとも評論家の皆さま方の耳を通してでも、彼らの良さが広まることをワシは望みますぞよ。

 まずはシングル曲のPV。まさかこのようなコーラスワークから入る曲とは。意表を突かれました。しかし良く出来た曲だ。「1000 Years」。



 
 こちらはアルバムタイトル曲、「Butterfly House」。これも実にいいんだ。サイケポップテイストながら後半のギターワークなどはやはりロックだねっ、と。




 ノエル兄との競演。「 In The Rain」。こんなことをオアシスファンが聞いたら絶対激怒すると思うけれど、ノエルはコーラルに参加した方がいいんじゃねえか?と思います。くだらない話は聞いたことがないことにして、どうか一つ。(~_~;)

2010/6/11

ご免なさい!  music(UK)
とてもとても長くご無沙汰してました。
もう3ヶ月ぶりくらいでしょうか。
多くの人がすでに利用中かもしれませんが、私もツイッター派になってしまっていまして。
つい、ツイッターに簡単にポスティングするばかりでブログ更新が減っていました。申し訳ないことです。

さて、いよいよワールドカップ南アフリカ大会、開催ですね。大会初日の初っ端で南アと当たるメキシコは少し可哀想ですね。完全アウエー状態ですから。私、個人的には4年前のメキシコはとても好きなタイプのサッカーをしていて、気分としてはひいきなんです。今でもそのスタイルは変わっていないとよいのですが。

ところでアフリカ大陸で一番最初にワールドワイドのイベントを行えるとしたらやはり南アフリカでしょうが、その南アフリカがアパルトヘイトであった時代からの象徴であるのはネルソン・マンデラ氏。そのマンデラ氏ももう91歳。「big issue」の表紙も飾っています。

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ところで、個人的にこの方を初めて知ったのはオリジナルメンバー以後のスペシャルズの名曲「フリー・ネルソン・マンデーラ」が初めてでした。映画「遠い夜明け」などはそのあとでしたね。

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バンドリーダー、ジェリー・ダマーズ氏は難しいタイプの人かも知れませんが、ロックファンの知覚を広げた意味で歴史的価値ある存在です。目立ちたがりにはとても思えない彼のような人が忘れられているのはやはり少々寂しい気がしますね。
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スペシャルA.K.Aになる前の2作の名作を発表したスペシャルズ。今聴くとネタ元がある曲が多いのに気づかされますが、やはり彼らの個性というものは確立していたし、何よりもSKAを極東まで教えてくれたその意義は大きい。貴重なバンドです。では映像を。(映像を含め、素晴らしい曲です!)

http://www.youtube.com/watch?v=AgcTvoWjZJU

2010/3/12

wilcoの来日があるみたいね。  music(US)
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 Wilcoが4月に来日するようですね。これ僕、勝手な思い込みなんですが今のメンバーの面子で観るライヴが一番強力なのじゃないですかね?けして良い聞き手とはいえない自分ですので(持っているのは2枚のみ。評価が高い最新作はまだ残念ながら聴けていません。)安直なことは云ってはいけないと思うのですが、強力な布陣の気がします。アメリカロックの大物の風格感も。

 しかし最近のライヴ映像を見るとこのコンビネーションのバンドはぜひ見て見たい気にさせるものですね。こちらも評価の高い前作「SKY BLUE SKY」は大愛聴盤で、バンドの音楽的な幅の広さと繊細かつ聴かせるギター・サウンドに相当ハマッているんですが、こちらの映像を見ると風格があります。ボーカルのジェフは全然ルックスに構わないようで(笑)。そんな自然体も好き。リード・ギタリストのどこかエキセントリックでパンクな風情も良いですな。(ギター・ソロでは白目を剥いておりますw)。エクスタシーさえ感じるのです、この曲には。ワタクシ。
・Wilco - Impossible Germany - Lowlands 2009



 そしてこの曲は人から教わって知ったのですが、「Wilco、いいねえ!」と思った曲です。
・Wilco - Jesus, Etc (clip)

2010/3/1

エディ・リーダーの新作聴きたいヨ  music(UK)
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 もう発売されてだいぶ経っていると思うけれど、エディ・リーダーの新作「Love Is the Way」を手に入れたいんですけどね。先のギル・スコット・ヘロンと云い、その他いろいろ聴きたい作品があるのですが、我が家の経済デフレ・スパイラルに陥っている有様で(苦笑)。
 エディの新作はでもね、マイスペでダイジェスト的に聴いても良さそうなんだなぁ、これが。

 本を読んだりその他の作業をしていたりする際、どうしても音楽がBGM的になり、それなりに持っている作品とじっくり向き合うことがかなり減ってしまっています。もちろんYoutubeの影響もありますね。僕もネット時代の子どもになっている感じです。

 最近は同じ作品を日々毎日に聞くようなことが多く、ウィルコの前々作、ヴァン・モリソンの「エンライトメント」、エドウィン・コリンズの初ソロ作、ジョー・ストラマー・ジュークボックス(最高のワールド・オールデーズ)、レゲエのマックス・ロメオ「ウォー・イナ・バビロン」辺りを交互に。寝るときはリチャード・ホーレイという人の結構前に出たものですが、その人の最も最近のものを睡眠代わりに、という感じで。

 しかし、おなじ作品を何度も聴くというのも効用ありです。今まで気づかなかった音や、最初に聴いた頃からマイスペースなどを通して出会った音を通して彼らの音作りに新しい発見があったりとか。

 例によって話がそれそう。エディ・リーダーの新作。どうも僕にはこの作品も所謂ぼくにとっての愛聴盤になりそうな気がしてならないのです。

 肩の力が抜けた新曲のPV。ソロになって以来の歌作りのパートナー、ブーさんが協力しています。いかにもブーさんらしい雰囲気。しかしエディが可愛いぞ 「Roses」。



 こちらはソロでも初期の曲ですが、ナチュラルなムードがたまらんです。「hmmingbrd」

2010/2/21

ギル・スコット・ヘロンの新作、凄そうだ。  music(US)
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 ギル・スコット・ヘロンは僕もそれほど詳しくはないし(持っているのは中期までのベスト盤とセカンドアルバムのみ。ともに輸入盤)、日本でそれほど知られるブラックミュージシャンというわけでもないと思う。ソウルというのとはやや趣が違うような気がするし、とはいえソウルではないともいえない。

 そしてGSHについておぼろげに洋楽ファンが知るのは、ラップの元祖のような趣とか、メッセージ・シンガーとしての黒人。時には音楽よりも言葉の人、という感じか。確かにGSHは大学在学中に一年留年して本を書いた後、詩人として音楽をバックにうたいだした「ポエットリー・シンガー(歌う詩人)」のイメージが強い。白人で言えば、初期のパティ・スミスのような感じ?
 その彼に友人のピアニストが音楽的な貢献をしながらかなりポップな曲も書いている。
 レゲエでいえば、ダブ・ポエットリー・シンガー、リントン・クエシ・ジョンスンなどもその系譜かもしれない。(プロデューサーのデニス・ボーヴェルとの関係の密接さなども似ている感じ)。

 そのギル・スコット・ヘロンの新作が出るとの事。普通は「ふ〜ん、そうなの?」って感じで終わりそうなところだけど、その作品の出来、緊張感が溢れている感じで現代においてもまだ前衛的で挑戦的な感じがするのだ。ミュージック・ビデオと彼のマイスペースで聞いただけだけど、何と30分程度!のアルバムというからこれは密度が濃そうだ。全編、聴いてみたいなぁ。

 マイスペとPVを見る限り、黒人音楽界はもちろん、ロック界でもこれだけの挑戦的な音楽が現在作れているだろうか?と聞き手としてはワクワクするし、挑戦的な冒険が減った気がするロック界にも強烈なインパクトを与える作品に仕上がっているんじゃないか?と想像する。それをベテランミュージシャンがやっていることに素直な敬意を感ずる。
 新作はなんと16年ぶり(!)との事。その間、彼は薬物で獄の中に入っていたりしていたらしい。魔術的だけどリアルすぎる音。数曲聴いただけだけど、そんな感想を持った自分。むむむ、と思ったりもするのです。

新曲PV「Me And The Devil」。不穏な空気が漂っています。



ポール・ウェラーもカバーした「The Bottle」。ベースが格好いいファンキーな名曲。



そしてこの人といえばこの曲。「The Revolution Not Be Televised」。



 過去にもこんなに凄い仕事を。やはり新作は全編聞いてみたい。おそらくものすごくシリアスな出来なんだろうと思うけれど。

2010/2/11

ポール・ウェラー、音楽の神様に  music(UK)
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どうも、長い間新しい記事を書いていませんでした。すみません、お久しぶりです。
 丁度新しいニュースで「ポール・ウェラーが2010年のNMEアワードで、音楽の神様とも言われる賞「Godlike Genius prize」を受賞することが確定した。」というニュースが入ってきたので、これはめでたい!ということで久しぶりにウェラーを簡単に振り返ってみたくなりました。
 まぁ、英国の音楽新聞NMEがそれこそウェラーがデビューした頃のような権威が今もあるのか?と言えば正直なところどうなのでしょう?という気もしますが、名実ともにポール・ウェラーは英国ポピュラー音楽界の最高功労者のひとりとなったということでしょう。改めてまずはめでたい。

 英国以外で驚くほど人気が高くないというのは彼の特徴ですが、どうしてなんでしょう。”モッズ”というスタイルといい、なぜアメリカではあまり受け入れられない特徴なのか?ということも含めて興味深いところです。まあそれはそれで。

 ウェラー兄ぃの受賞についてのコメントです。
 「この賞をもらえるなんて、光栄だよ。僕は天才でも、神でもないけど賞の受賞を素直に喜んでいるよ。たとえ賞がもらえなくても、演奏をしてお客さんが喜んでくれるとか、賞をもらったような感じの喜びってあるけど、こうやって、賞という形で功績が認められることは素晴らしいことだと思う。花輪をかけてもらってお祝いをするような気分かもね。」
 相変わらず実直な発言ですな。ポール・ウェラー=真っ直ぐな人、っていうイメージはそのライヴでの雰囲気とルックスがそれをイメージさせるに十分ですが、実際インタビューとか読んでもブレがないし、ポップ・ミュージック・シーンの中でも常に健全なバランスと、納得できる反骨心を示してきました。この人の凛としたたたずまい、真っ直ぐな背筋はいつまでも「青い人」にとっては、あこがれとして残っています。

 まぁルックスがいいのは天性でしょうがないとしても、それはそれとしてやはりその発言や行動と真っ直ぐなたたずまい。そして音楽。受賞タイトルはおおげさだけど、すべてをひっくるめて納得の受賞の気がします。

・ポール・ウェラー 1958年生まれ。
The JAM 1976〜1982
The Style Council 1983〜1990
Solo 1990〜

 彼のキャリアをライヴ映像で振り返りましょう。まずは若さのパッション全開。ザ・ジャム。「David Watts & Private Hell」



 そしてスタイル・カウンシル、85年のライヴエイドでの映像。若々しい!巨大な観衆を前にしてややテンションが上がり気味か?それでもスタイリッシュで格好がいいし、キリッとしたものがある。「Internationalists〜Walls Come Tumbling Down」。



 そしてソロでこれぞ栄誉あるブリットアワード2006の特別功労賞授賞式とライブ。「Come on /Let's Go」。



 こんなしゃんとした人こそテレビで見たいものだ。もっと云えば、これぐらいシャンとしている人間以外はテレビに出すなよ。(暴言です。これを書いている人間はちょっとおつむがイカレテいるもんで(^_^;))

2010/1/14

ヤング@ハート  movie
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 DVDを借りて観た『ヤング@ハート』。もう最高でした!大笑いし、ジンとして。日頃の憂さもすべて一瞬にして晴れますね。
 アメリカの高齢者によるコーラス・グループなんですけど、そのグループの音楽監督の選曲が年齢を考えれば普通考えられないもの。このグループの平均年齢から云えば若者、といってもいいような中年監督なのですが、歌わせる曲がト−キング・ヘッズ、ソニック・ユース、ザ・クラッシュ、コールドプレイと来たもんだ。

 で、練習一つとっても「高齢者だから」とか「彼らの生きがいのため」とか小理屈抜き。選曲は明らかに音楽監督の好みだし、歌わせる老人に対しても基本的には普通のスタンス。遠慮とか配慮とかも格別なし。とてもドライなんですよね。

 メンバーもそのドライさを受け入れるし、パワフルなものを持っている自分を受け入れてる。彼らの嗜好がクラシックやオペラという想像内のもので。でもロックや現代のポップソングが受け入れられないかといえばそんなことはなくて、十分自分の中にあるエキサイテングなものを楽しんでいる。そう、この楽しむ感覚は相当こちらの文化とは違うな、と「スゲエ」と大笑いしながらふと思いますね。

 要になるメンバーが亡くなったり、やはり悲しい現実は起きるのだけど、何かそのボブ・ディランの彼らの持ち歌「フォーエバー・ヤング」じゃないけれど、そうやって歌って皆を楽しませて最後まで、という明るさは凄いナァと思いました。

 これはあれだ。ジョニー・ロットンは90歳になってもピストルズで「アナーキー・イン・ザ・UK」を歌ってもらわないとね(笑)。それを80過ぎの僕が聴くわけだ(苦笑)。日本の老人ホームもそう考えると30年後辺り楽しみですね。暗いほうにばかり考えてもつまらない。日本の「ヤング@ハート」が出てもらわないと。ただ、さだまさしや南こうせつは私はご勘弁(~_~;)

 もちろん皆がじゃないだろうけど、向こうの人は老いも若きもありゃしない。老人が現代のロックを歌い、若いロッカーが40年代辺りのヒルビリーやカントリーソングを歌ったりするわけだから。音楽の接点に共通項が多いのが羨ましい。それに向こうのポップソングは叙事的な歌詞がかなりあるのに、日本のJポップにはその要素がほとんどないように思う。これはどうして?



Young @ Heart Road to nowhere

Fix You- Young@Heart

2010/1/12

マイケル・ムーアの『シッコ』  movie
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 先日レンタルの会員更新の時期が来たので年会費を払ってサービスの2本レンタル無料特典でマイケル・ムーアの『シッコ』と興味深そうな音楽映画『ヤング@ハート』を借りてきました。
 早速『シッコ』を見ました。見始めた最初は懸念通り社会告発のための分かりやすい逆プロパガンダ映画の様相だなぁ、映画の完成度はキビシイかも?と思ったのですが、見ている内にだんだんと。。。余りにもアメリカの医療制度というか、民間医療保険業界の問題でしょうね。それが酷すぎるので。思わずのめりこんでしまいました。
 ある意味アメリカ的なやり方というか、本当は深刻な問題なのにあえてポップミュージックなどをBGMに使いつつエンターティンメント要素を強めたドキュメントの体裁はあるのだけど、『ボウリング・フォー・コロンバイン』のような軽味?も皮肉な笑いも無いというか、持ちようがないというか。
 端的に云ってシリアスです。

 見せ場となる911の被災地で救助のボランティアを行った人たちがその後救助の後遺症の医療費や医療待遇に苦しみ、医療に関してはアメリカ市民より厚遇されているキューバのグアンタナモ基地までムーアと一緒に船に乗って押しかけるシーン。当然の如く基地では無視され、その後すぐキューバに上陸して、仮想敵国のはずのモンスター国家(?)キューバで手厚い医療を受ける。善意に生きる善良なアメリカ市民の人たちが「これって何?ふざけてる!」って状態になるのは見ていてしみじみと切なく、哀しい。
 人間にとって一番大事なものが逆立ちしてますよアメリカさん、と思わずつぶやきたくなる。。。何のための、誰のための社会なのか。。。まして自国の市民の被災に実際に動いた人たちのその後の身体的後遺症なのに。

 おそらく他国との比較に関しては多少乱暴な面もあるのだろうとは思う。アメリカの医療と比較される形で映画で紹介されている国はカナダ、イギリス、フランス。制度の細かな使い勝手では医療費は無料、無料の話ばかりで3割負担の日本の健康保険制度もこの映画を見る限りカナダ、イギリス、フランスに比べれば肩無しな感じです。おそらくその通りのところもあり、同時に多少現実とは違うところもあるはず。マイケル・ムーアもそこは承知の上であえてそのようなドキュメンタリーに仕上げた面もあるのではないだろうか。彼が追求するのは「わかりやすさ」のはずだし、「わかりやすい」からといって「嘘」はついていないはずだ。おそらく制度の細部を端折っているだけで。それだけアメリカの医療制度が現実的に果たしている機能においても、その精神においてもおかしい、というところから映画の動機は始まっているであろうがゆえに。

 ムーアのマジックにあえて乗っかって見た場合、アメリカの国民は長い間ある種の先入観を持たされて来ているのではないかと思う。それはとてもとても深い部分において。そしてその先入観はこの21世紀の現代社会にマッチするものなのか?という根本的な疑問を起こさせる。医療制度という生活実感レベルの、かつドラマ性が薄い分野でそこまで考えさせるムーアの視点はたいしたもの。

 仮に国家が国家として生産力が世界的1レベルであることを誇りたいとしても、国の生産の総和に寄与するのに一番力になっているのはミクロ単位の国民のはずだ。
 というか、それ以前に国民のための国家なのか?国家のための国民なのか?という根源的な問い。その答えを持っている国だったり政治なのか、ということに話は尽きる。これはわが国についても同じ問いが発生する場面。その意味では地続きの問いを呼び起こします。

 日本も「財政」問題で社会保障費における自己負担はじりじりあがっているけれど、それをどう見るかというときも「国」という上から見ていくのか「社会」というお互い様の水平目線で見るのかで随分と様相が変わると思います。もしも上からの負担と給付なら(実際は普通の人たちの負担と給付だけど)、その負担と給付額だって、その時代時代で恣意的に変えられるだろう。マジョリティが犠牲になるその寸前まで。

 その答えが最近ムーアが来日したときのインタビューでも強調していたけれど「資本主義でも社会主義でもない。大事なのは民主主義なんだ。民主主義が基本にない資本主義は危険だ」というところに尽きるのだと思う。ムーアの、母国アメリカに対する怒りをも超えてしまうような哀しみの源は、この「民主主義」の精神の危機と、善良な人たちの善良なるがゆえの犠牲に対する歯噛みするような思いなのではないだろうか。そしてこれもわが国にも通ずる話なんじゃないかと思う。

 「資本主義でも社会主義でもなく、民主主義の精神が大事」ということは英国の労働党議員、T・ベン氏の発言から影響を受けていると思うのだけど、この人の発言がこの映画では重みがあると思うのです。映画の内容から浮き上がって発言だけを書き抜くと唐突で極端な印象も与えてしまうけれど、映画の中で語られるこの方の発言は重みがあります。彼の話を書き抜いて見ます。

 「国家支配の方法は2つある。恐怖を与えることと、士気をくじくこと。
 教育と健康と自信を持つ国民は扱いにくい。
 ある種の人々は思っているよ。
 ”教育と健康と自信は与えたくない” ”手に負えなくなる”と。」

 「教育と健康と自信」。確かにこの3つが揃えば人は元気になれる。社会の矛盾とも戦える士気が生まれるだろうし、仕事においても自分で自分をコントロールすることが出来るだろう。
 それこそ、教育者は、「教育と健康と自信」が大事だと云うだろうけれど、現実の世の中は健康も教育も自信も根こそぎ奪ってしまおうという声が無いわけではない。
 まさにこの世の不条理か、あるいは単に人間同士のつなひきというか、おしくらまんじゅうが続いているというべきか。

 いずれにしてもアメリカさん。国の末永い平和を志向するなら、あるいは繁栄を志向するならまずは一人ひとりの人間が生きることにおける不安な状態を放置しないことだと思います。別に難しいことではない。すでに医療・教育においては互助精神で成功した先進国は沢山あるし、今でもそれで国が破綻したという話は聞きません。もちろん、社会保障制度を維持するために戦争をする国もありません。

 そして、でも自国のことを告発する勇気を持つ人が出てくるのもアメリカなんですね。『デモクラシー・ナウ!』のような独立系TV局もそうですが。
 これは自分の国、日本のことでもどこかで通じることであって。資本主義がどこを起源にしているのか、民主主義を基盤にしない資本主義はどこに向かうのか、生活のベースが安定しない競争社会が如何に社会にとってデンジャラスなものか。親切に教えてくれるような映画でした。医療の事情は違うけれど、医療から見えるその背景の思想は日本も反面教師として見習わないと、ということでしょうね。

PS.
高名な町山智浩さんのムーア最新作の批評も面白いです。なるほど、こういう観点もあるのか、と。


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