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2009/11/29

Van Morrison  music(UK)
 もうけっこう経つわけだけど、CDレコーダーが壊れてしまったオーディオコンポを修理してから、やはり自分が一番大切にしている作品群はCDが多いので、それを再びセットして通して聴くことが出来るようになって良かったと思っているこの頃なのですが。やはり年齢のせいなのか、ヘビー・ローテーションなってしまう作品が多いようです。その中でも特に聴く機会が多いのがヴァン・モリソンの1990年作、いわば中年円熟期の名作「Enlightenment」。
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 随分前にも紹介したことがあるので、同じようなことを書いてしまうかもしれませんが、この作品はひと言でいえば「渋い」のですけれど、同時に高揚感に満ちた明るい曲と、ヴァン・モリソン特有の広大なる内省(変な形容ですね)がポップに溶け合っており、この前年、次年作も名作なのですが、その狭間にある本作品こそが個人的には一番名作に思えますね。1曲目の高揚感溢れる曲でわしづかみされますし、そこから続けて始まるヴァンのこころの真理を辿る旅、もしくは人間の心の真理を探究する旅を表現するような2曲目「Enlightenment」以降の世界もけして重く沈殿することなく、独特な広がりと誠実さが溢れていて、訳詞を見ながら聴くともうたまらないものがあります。
 基本的に「捨て作」がない人であり、キャリアも長く、かつコンスタントに新作を出しているこのようなベテラン・アーティスト特有の現象で、過去のカタログがなかなか簡単に見付からないのが往々あるのがつらいところです。やはりアマゾンなどで注文するしかないのかも。いずれにしても個人的には大推薦の作品です。爽快なロックンロールが好きな人には多少辛いところもあるかもしれませんが、長い時期を洋楽とともに過ごす予感を感じている人には持っていて絶対に損はない作品です。
 自分の中の世界を彷徨うこの詩人の曲では、例えば自分の少年時代、自分をいわば救ってくれた過去のミュージシャンたちを回顧しつつ賛美する「In The Days Befor Rockn'Roll」のような曲がまた、たまらないものです。

 とはいえ、ヴァン・モリソンは同じリズム&ブルースを基盤にして同時代にデビューした、白人的ソウルを志向した方向でキッチリ大衆性を意識したローリングストーンズ等々とは違い、大衆を無視するような音楽では全然無いけれども、とはいえずっとベクトルが自分自身を向いているヴァン・モリソンのソウルは、入り口としてはイキナリ上記作を聴いてもツライかもしれません。そのような人たちには格好いいビート・ロックを聞かせる「ゼム」時代のシングル曲も含まれた80年代末頃に出た彼のベスト盤から入門にするのが一番かもしれません。ただ、この作品もまた、どうやらなかなか入手しにくいベスト盤になっているようです。その後も各種のベスト盤が出ているようなので。ただ、個人的にはヴァン・モリソン入門はこれが一番最高!と思っているのが以下写真のベスト盤というわけです。
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http://www.hmv.co.jp/product/detail/555124

 で、ヴァン入門した暁にはぜひ「Enlightenment」も、と思うのですが、やはり中年期の素晴らしき円熟も念頭に置いてもらいたいと思いつつ、よりロック寄りの躍動感とポップ性を持つという側面から考えるならば、ソロ第2作の超名盤「Moondance」を先に聞いてみるのも一つの王道だろうと思うのです。(う〜ん、何となく上から目線的な書きよう)。
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 これはピーター・バラカンさんも指摘されていることですが、このアルバムのLP盤でいえばA面の部分、すなわち「And It Stoned Me」「Moondance」「Crazy Love」「Caravan」「Into The Mystic」。すべてが名曲ぞろいの捨て曲なしで流れがスムーズ、というとんでもない傑作です。(その分、B面部分がほんの少しだけテンションが下がりますが)。

 ヴァン・モリソンといえばご存知の人が多いと思いますがアイルランド出身で、かの地が生んだ最も偉大なソウルマンですが、同時になかなかとっつきずらい人、というのも周辺話を読むとまた事実のようではあります。また、来日したことのない最後の大物ミュージシャンの一人とも言われますが、もしかしたら今後も来日することはないかもしれません。それくらい自分自身というものに忠実な人かとも思います。

 そのような気質の人ですからYOUTUBEなどでもビデオチェックが厳しく、なかなかきちんとした映像が見るのが難しく、映像があがってもすぐ削除されるというのがつい最近の当たり前のことでした。

 しかし、ここに来てヴァン・モリソンのオフィシャルサイトでまだ若い(若く見えないところが少々ビジュアル的に損をしている人ですが)ヴァンの映像が鮮明な映像で見ることが出来ます。そしてその楽曲がソロ代表作の「Moondance」中心の曲ときているのですから、ファンとしては随喜モノです。
 ここでそれらの映像をあげさせていただきましょう。

 まずはザ・バンドの解散ライヴをスコセッシ監督が撮った映画『ラスト・ワルツ』。('76年)その中でザ・バンドをバックに歌う「Caravan」。映画でも、最も高揚させられる場面であり、基本的にオーバーアクションの少ないヴァンが何かにとりつかれたような大熱唱。格好つけなど構わないアクションも全開の素晴らしいパフォーマンスです。本当に熱い!
http://www.youtube.com/watch?v=fYr60DVzehg

 続けてジャズの要素も溶かし込んだアルバム表題曲で名曲中の名曲、「Moondance」。80年、モンタレーでのライヴです。
http://www.youtube.com/watch?v=B9GBn3EG2Mw

 こちらもアルバム「Moondance」からのオープニング曲「And It Stoned Me」。同じく80年のモンタレーライヴから。ゼム時代などの彼の若い時代のフィルムも取り混ぜたファン感涙の映像です。
http://www.youtube.com/profile?user=OfficialExileFilms#p/u/11/s38k5-yl1q4

もう少々。こちらはロック・クラシックソング、「グローリア」。70年代前半のレアな映像で、まさに若きVanの実にディープなソウル。
http://www.youtube.com/watch?v=-bx_djloAsI&feature=channel

 最後に。ヴァンのファーストソロアルバム「アストラル・ウィークス」は発売当初は良く分からない作品、という評価だったようですが、現在ではロックアルバムの名盤に数えられています。実は恥ずかしながら私はまだ全体を聴いたことがありません。ベスト盤にも良く収録されている「Sweet thing」。最近、当時のメンバーを再結集して「アストラル・ウィークス」を再現するライヴを行ったとの話。そのライヴからの映像から「Sweet thing」。実に感動的な音楽。
http://www.youtube.com/watch?v=4BYvoH2_XuA&feature=channel

 いや〜、ヴァン・モリソンに関しては凄すぎてなかなか簡単には説明できない気も。とにかくこの人のボーカル、そして楽曲におけるアレンジメント。鮮明な映像でライヴ場面を見ると本当に改めてその凄さに思いが至ります。ルックスはけしてポップスターのものではないです。スタイルもけして良くは無い。でも音楽とは実質と魂だ!ということをとことん教えてくれます。オフィシャルサイト提供での映像のようで、残念ながら画像の埋め込みまでは許可されていません。ぜひ、ヴァンモリソンのYOUTUBEサイトで、好きな人は全体像を確かめてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=4BYvoH2_XuA&feature=channel

2009/11/4

LAUのライヴ、行ってきました。  music(UK)
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雪が花びらのように舞った昨日、スコットランドからやってきたケルトミュージックの新世代の実力者LAU、観てきました。
このところ寒い日が続いていたのだけど、イヤア、昨日の夜は本当に暖まりましたねぇ。
もう前座の千年楽団さんの時から、「このところ、本当に生演奏に飢えてたんだよナァ。」としみじみ実感しました。オープニングはチンドン風に始まったんだけど、かなり音楽的な幅は広い。メンバーも多くて。管楽器が活躍する瞬間、「ああDexy's Midnight Lunners、ああ映画『ブラス!』よ。。。」なんてイメージしてね。実際は相当違うんですけど(笑)。

そして、LAU。
サウンドチェックの間にメンバーが普通に出入りしてて、その姿が本当に普通の兄さんたち風情で実に自然体。
一番後ろに座っていた自分から向かって左にアコーディオンのマーティン・グリーン。彼はイライザ・カーシーなんかと組んだりもしていたらしい。そして中央がギター&ボーカルのクリス・ドレヴァー。右がフィドル奏者のエイダン・オルーク。彼はスキンヘッド。座席からはマーティンの動きは良く見えるので、僕は最近好きになっているフィドルという楽器を操るエイダンの姿を極力注視していました。前に男性が座っていらっしゃるので、その頭の間から。そして、結論を先に云っちゃうと、彼のフィドルは凄い!(まぁ、フィドル奏者の演奏を聴く機会そもそもまず無かったので玄人がどういうかは知りませんが。)

始まってみれば、彼らの演奏はタイトで思った以上にシャープな演奏。そして抜群なコンビネーション。1曲の中に自在な緩急がありまして、風景描写を想像するような音像が緩やかに奏でられたり、ジグやリールで、ケルト系の人たちが上半身を動かさないで凄いステップでダンスするんだろうなぁと思うような激しい局面も。ギターがリズムを刻みつつ、アコーディオンとフィドルがベースになったり、主役になったり。これらが割りと長めの1曲の中で表現されます。

エイダンのフィドルには酔いました。一番良く見えたアコーディオンのマーティンはテンポが上がると動きも激しくなり、座っている椅子で激しく上体を揺らす。椅子から転げ落ちたことも過去あったんじゃないかと思う程(笑)。

日ごろ格段に知らない音楽、見ることが出来なかった映像、それらが実に気軽に視聴できるようになったとはいえ、やはりライヴにはかなわないな。 演奏を見に行ける機会がそうは無いのが、チト寂しい。

いや〜、ごちそうさま。
このあとは19日の日にこれまたアイルランド出身ののフィドル奏者、マーティン・ヘイズとギターのデニス・カヒルのデュオ演奏が札幌であります。
残念!なことに自分は経済的に行くことが出来ませんが、札幌でこういう本場のケルトミュージックに触れる機会はそうはないと思うので、地元の人はぜひ。
こちらは教会でやるので、アコーステック。よりナマな世界に触れることが出来るかと思います。
マーティン・ヘイズ&デニス・カヒル札幌公演特設サイト

いやいや、LAU。ありがと。おかげで身体が温くなったよ。
ライヴ映像を2曲ほど。(並び方が違っていますね。真ん中にフィドル)。
でもやはり理想は生演奏なんだな。。。



2009/10/25

Gomez−How We Operate  music(UK)
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 XTCの「Nonsuch」とともにこの英国の中堅バンドの前作('06年)『How We Operate 』を購入したんですけど、いやぁこれがまたいいんですわ。実に渋いといえば渋いんだけど、珠玉のメロディと音楽への素養と造詣が深いと見た。研究しがいがありそうなバンド。最新作も出ているようですが、僕が元々良く聞いたのがマイ・スペースにあがっていたこの作品の曲たち。

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 あのUK中心の素晴らしいPV番組アワ・フェイヴァリット・ショップでも何曲かOAされたはずなんだけど、当時はきちんとチェック出来ていなかったな、不勉強。

 このバンドには二人のボーカリストがいて、一人は今風のややナイーヴな感じ。そう、あえていえばウィルコのジェフ・トゥイーディを思わせる。風貌もなかなかにハンサム。もう一人は硬質でハスキーなソウルフルなボーカリスト。こちらは眼鏡くん。

 今の自分の好みなのは何故かというと、もちろんいろいろな音楽的背景や仕掛けを感じると同時に、アメリカの空気感を強く持っているせいでしょうね。それが僕自身が最近アメリカ産の音楽を聴く機会が増えたこととリンクする部分が大きい。
 逆に言うと、オルタナ・カントリーから派生したジェフ率いるウィルコが英国のポップの影響も受けつつ、自分たちの独自な音楽とは丁度反対の形で並立していて、それが面白い。

 アメリカ音楽を栄養にするイギリスのロックバンドと、イギリスの音楽も吸収する自分たちのルーツ(アメリカ)に根ざすロックバンド。ウィルコにゴメス。どちらも現代ロックの良心を体現しております。

 まずはこのアルバムのポップな面を体現する曲、「See The World」。この時期にとても合います。独特のしみじみ感が伸びやかなメロディと相まって秋にはいい。


 ちょっとオリエンタルな雰囲気で渋い。インド風でもある、「How We Operate」。


 Gomezの男くさいハードボイルドな雰囲気をかもし出すのがこのボーカリストなんだけど、このポップな曲で思い切り自分を笑っております。なかなかユーモアセンスありそうな人とみた。「Girlshapedlovedrug」。


 で、もう一人の今風のボーカリストの彼。このアルバムの冒頭曲でボーカルを取っていますが、これが実に渋くて良く練られた楽曲なのだ。「Notice」。

 メンバーの名前も知らなくて。勉強不足だな。いや〜でもこのアルバムは本当にイイ。彼らをひいきにして注目していこう。

 おまけ。これはザ・バンドのカバーでしょうね。PVに登場するメンツが凄い。何だかEndless Highway - The Music of The Bandというプロジェクト?のようなんですが。。。ザ・バンドのトリュビュートか、何か?
「Up on Cripple Creek」。
 実にアメリカ〜ンな渋い歌声でございます。本格派。

2009/10/24

日ハムが日本シリーズへ。  スポーツ
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 日本ハムがクライマックスシーズンを勝ち抜けした。パリーグが一足先。(その後、セリーグは巨人に決定。)やはり地元ホームグランドのチームなので、この時期になるとにわかにファン意識が高まる。パトリオシズムというのか、郷土愛というのか。そんなに強いほうではないとは思うのだけど、やはりその種の自然感情というのはあるようだ。

 何せ、北海道は長いこと野球の後進地域であった。日本人の野球好きは絶対に甲子園高校野球の影響があると思うのだけど、北海道のチームが全国で優勝や準優勝を重ねるという奇跡から常連強豪まで発展させたのが駒沢苫小牧高校だった。野球マンガの名作「キャプテン」を地で行く3年間の最後の年にあの「ハンカチ王子」と二日に渡って投げ合った、今楽天でダルビッシュに続くパリーグの大型ピッチャーに成長せんとする田中投手がいる。彼は高校時代の香田監督、そして野村監督と。監督にも恵まれている。

 楽天は東北。日ハムは北海道。北国ホームのチームが熱い闘いを繰り広げる。どちらのチームもファンの視線は熱く、かつ温かい。マー君で負けるのなら、しゃあないや。これが道内日ハムファンのホンネである。
 甘いし、隙もたっぷりある気質だが、それでいいのだ。(赤塚不二夫風に)。

 はっきり云って、ホームで試合が出来ることが日ハムの一番のアドバンテージだった。地元の判官びいきでないと思うのだけど、ファンの観戦と応援のセンスはプロ球団の中でも非常に高いと思う。そして細やかな工夫とアイデアがある。ピッチャーがピンチになると、あるいはここ一番のときには球場全体に応援の拍手が沸きあがる。あうんの呼吸のような一体感。それが「稲葉ジャンプ」のような姿を俯瞰してみると全体主義のように見えるかもしれないけれど(笑)。
 ただ、対戦相手へのレスペクド意識だって相当高いんだぜ。と、思うのだ。

 私は見逃したのだけど、野村監督の最後の試合ということで、日ハム選手と楽天選手で野村監督の胴上げが起きたらしい。おそらく自然発生的な流れだろう。野村監督の教え子が日ハムにいるし(例えば稲葉)、梨田監督の教え子もいる楽天。

 北海道は東北出身の人が住み着いている比率が非常に高いし、何というか蝦夷(エミシ)対決ってことで実によかったんじゃないか(笑)。そも、日ハムにはいつも私は高校野球的な空気を感じるのであります。

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胴上げの輪には梨田監督の背中も。いい光景ですねえ。

2009/10/19

コステロとXTCで再びーある部分でFAB4の相続  music(UK)
 今しばらくアメリカのルーツ系のミュージシャンについてはもう少し。何せ今注目中のその人はかなり深いところまで考えないと難しい感じ。そうすると、アメリカに流れてきた音楽と、おおげさに考えると文学とか、文化的な背景まで考えないと、と思えてきて。明らかに考えすぎのドツボにはまっているんですが、やはり移民国家でもありますし。。。

 というところで、分かりやすいところでコステロとXTCで。ともに90年代のアルバムを再購入して良かったんで簡単に思うところを。
 ちなみに、現在個人的にこの二者で僕が一番いま気に入って何度も聞くのはコステロは86年(だったと思うけどね)の『キング・オブ・アメリカ』。XTCは82年の『イングリッシュ・セツルメント』です。ともに非常に彼らの作品の中でも統一感が高くて同時に完成度も高い二作だと思います。ただ、アトラクションズと組んでのコステロ、そしてXTCと、ニュー・ウェイヴ色の強い時期に思いいれ強く聴いていた自分とは明らかに違うなぁと思います。やはり加齢の影響でしょうね。同時に、まだニュー・ウェイヴの影響が80年代小僧として強かったころに、彼らが今でも時代にあせない作品を作っていたということに改めて感心します。
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 さて、まずはコステロです。最近、89年の『スパイク』の自作、91年にリリースされた『マイティ・ライク・ア・ローズ』をたまたま古書店で500円の格安値段で売っていたので買戻ししました。ここは95年にコステロのカバー集「コジャック・バラエティ」も同じ値段で先月買戻ししたのですが、正直そちらは余り良いとは思えなかった。少々やっつけ仕事の感覚があり。理由はといえば、もともと『スパイク』セッションの後に、90年にコンパスポイントスタジオでほぼ同じメンバーで2週間でとった作品らしく、そのメンバーの流れでこの『マイティ・ライク・ア・ローズ』が作成されています。この作品はかなり力が入っています。『スパイク』でポール・マッカートニーとの共作が話題になりましたが、この作品でも2曲共作曲が収められ、そして改めて聴くとこの時期では一番ビートルズ色が強い作品に仕上がっていることに気づきました。『コジャック・バラエティ』のセッションはリラックスしたのでしょう。その分、こちらは本気度が高い。それだけに、今より18歳若かった僕には少々”濃すぎ”て最初は掴みが良く、良く聞いていたのですが、段々その濃く味の強さがきつくて余り聴かない作品となったのでした。これに比べれば『スパイク』のほうがまだあっさり目と「しみじみ味」があるかな、と。でも、今回改めてコステロの力量に思い知らされましたよ。上のジャケットにあるように、この頃のコステロは似合わぬヒゲを蓄えてまるでグレートフルデッド風です。何もかも構わなくなった頃かね。自然体の自分に自信が持てるようになったってところ。この後、突然クラシックカルテットに行くのだから。この後の彼はついていくのが段々大変。

ビートルズっぽい冒頭曲。でもポールが絡んでいない、日本タイトル「もう一つの夏」。

Elvis Costello - the other side ...
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で、こちらがむしろ原曲がとてもポール・マッカートニーが絡むイメージが無い「ソー・ライク・キャンディ」。PVはみつからないのですが、珍しい、ポールとデュエットしているバージョンがユー・チューブで見付かりました。


 さて、次にXTC。このところ個人的に『イングリッシュ・セツルメント』の一貫性ある完成度の高さに魅了されっぱなしで。その中で評価が高い『スカイラーキング』を一応飛ばし、次の『オレンジ&レモンズ』をこれも中古で再購入したんですが、う〜ん、ファンの方には大変申し訳ないけれど、僕にはハートに迫るというよりも、ちょっと「ヘッド・ミュージック」というか、頭で作られたような人工的なポップソング集という感じがしていま一つ乗れなかった。改めて聴きなおしても。もちろん、何曲か礼賛できる曲もあるのですが、、、。これは元々僕がパンク好きから始まり、その流れでバンドサウンドやもっと奥底にはプリミティヴな音楽に感情が揺さぶられる傾向が強いというのがあるせいかもしれない。『イングリッシュ〜』辺りのXTCにはその有機的な力を感じるんですね。
 その意味でも、次作の『ノンサッチ』がお気に入りだったので、改めてこの作品を聴いた上で『オレンジ&レモンズ』の自己評価を考えてみたかった。ですが、XTCも旧譜が特定作を除いて見付からない。特に何故こんなパワフルでエモーショナルな作品が見付からない?と思っていたが、とうとうアマゾンで安く入手しました。で、これを聴いたら良い!実にパワフルなロックでポップ。十分はじけているし、オーガニックでもある。やっぱりこの作品は「パワフルな」XTCでは『ブラック・シー』と対を自分では張るなぁ。

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 XTCは時により「箱庭ポップ」と呼ばれるときもあるみたいですけど。非常に音楽的な幅が広くて、それはメンバーの音楽マニアックのせいでもあるだろうけど、人により好きな作品はまちまちになるんじゃないかな。僕はやはり初期から『イングリッシュ・セツルメント』。そして、少し飛んでこの'92年作の『ノンサッチ』になるわけで。で、それを聴いた耳で『オレンジ&レモンズ』を聴くと納得出来るところが多いですね。でも、この後に『ノンサッチ』が来なければ相当僕にはつらかったかもしれない。「メイヤー・オブ・シンプルトン」や「キング・フォー・ア・ディ」があるから、というところで終わってしまったかも。。。

冒頭を飾る勢い満開、詩は相当デンジャラスな「ピーター・パンプキン・ヘッド」


もう一つの名曲「ディサポインテッド」。


とにかく、この作品は他にも、コリン作品も含めて名曲ぞろい。「マイ・バード・パフォーム」「ホリー・アップ・オン・ポピー」「ウォー・ダンス」「ラッピ・イン・グレイ」そしてラストのこれまた名曲「ブックス・アー・バーニング」。そして、こんなパーフェクトなポップソングもあるんですわ。
「Then She Appeaed」

2009/10/7

ケルテック系フォークの来札  music(UK)
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 ずっとあるアメリカン・ルーツ系ミュージシャンのことを思い続けて文章化できない!と苦しむ日々なのです。まぁ、とりとめもなく書き連ねて無意味に長くなるか、説明抜きに好きなので、と紹介してもいいんですが、もう少し煮つまらないと駄目みたい。音盤は持ってないけれど、幸いネットで無料で全体像が把握できる幸福があるので(ホント、ミュージシャンの方、大丈夫なのですか?という感じですね。日本で入手自体が難しい音盤も多いので非常に有難い)、そう、もっと全体を聞き込んでからにします。

 そんな中、表記タイトルがこれで正しいのか?どうか?って悩みつつも、見逃したくない二つのバンドが札幌に来ます。スコットランドで結成されたと聞く「ラウー」というバンドとアイリッシュの「マーティン・ヘイズ&デニス・カヒル」。本当はどちらも見たいのだけれど。。。見るとしたら、どちらか一つ。
 若手のラウーか、あるいはもっと自分の年齢的にはピッタリきそうなマーティン・ヘイズ&デニス・カヒルか。嗚呼!本当、どちらも見たいのだけれど!そうもいかない。。。悩むなぁ。

 まだ両者ともに詳しくはないのですが、こんな感じ。あくまで直感的に見つけた映像ですので、ごく一部だと思いますが、ハッキリ云って好みです。
・ラウー


ラウーのマイスペース

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・マーティン・ヘイズ&デニス・カヒル

2009/9/30

お疲れ様です、ストレンジ音楽です。  music(UK)
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 この9月は忙しかったのでした。また、気温のアップダウンが激しい月でした。最近は政権の動きも興味深く(笑)、なかなかこちらに新しい記事が書けなくて。。。申し訳ないです。

 実は最近日本ではまずほとんど知られていないアメリカのミュージシャンで、これは本当に才能があるぞと思うミュージシャンがいるのですが、何しろ情報収集能力がなくて(語学上の問題です)、書くのに準備段階のままです。

 今日はお疲れ様の中で、勝手に自分の中にある原始的な心象を出しちゃいたいな、という極めてプライベートな記事です(苦笑)。The FallとMekons。共に70年代末から活動している奇妙な音楽集団。前者はマーク・E・スミスという典型的な英国偏屈頑固者のリーダーシップで今も活動を続けている、英国オルタナティヴロック界の闇の帝王?(笑)、片やメイコンズは非常に匿名性が高い、一種音楽集団コミューンのイメージが強いグループです。そう、クラスというハードコアなパンクバンドがあったのですが、その人たちは本当にコミューンみたいな生活をしながら音楽活動をしていた。それに近い印象のあるグループです。リーズ出身で、初期はギャング・オブ・フォーなどと一緒のインディ・レーベルに参加しており、当時「リーズ・サウンド」とも呼ばれたハードエッジなギターを中心にしたサウンドがけたたましいノリでしたが、現在はアメリカにわたったりもして、オルタナ・カントリー路線をつきすすむ。しかも「カントリー・パンク」としか言いようの無い独自路線を開いているようです。
 まぁ、率直にいうと後者の動きは詳しくなかったんですけど。最近、にわかに興味が出てきた人たちのひとつ。

 まずはザ・フォールの初期のサウンドから。ボーカルに明らかにジョニー・ロットンの影響が。噛み付くような疾走感が個人的には心地よい。



 次はメイコンズ。今でもこの曲で彼らのファンは盛り上がる様子。彼らのアンセム・ソングになっているみたいですね。



 続けてまた。奇矯で不穏なザ・フォールの世界をどうぞ。



 メイコンズの今。パンクとカントリーの融合というか、何というか。だいぶ洗練されておりまして、女性ボーカルの曲ではかなり親しみやすいものもあります。



 メイコンズのマイ・スペース。
http://www.myspace.com/mekons

 本日は実は私のプリミティヴな音楽好みを顕にしてしまった、という感じでございます。幼児性の発露。(苦笑)

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2009/9/22

ジョー・ストラマーが地元紙の記事に。  music(UK)
 この話はもう、丁度一月前のもので記事にするのが延び延びになってしまったのですが。
 地元、北海道新聞の朝刊コラムに『朝の食卓』というものがありまして。一般市民の方が書いているのですが、とはいえ、一般市民といっても誰でも、というわけではないわけで。それなりに選択された人が書いているわけですね。職業的な部分でもユニークであったりとか。まぁ、そういう意味では一般市民オピニオンリーダーみたいな方々でしょうか。そのような人たちが毎日分担して書いています。

 それなりに読んでいるのですが、たまたま見た8月21日の記事のタイトルが「ジョー・ストラマー」と来たのには結構のけぞりましたね(笑)。ロンドンパンクの勇なれど、僕の中ではこのマジョリティ社会ではオリジナル・パンクスは完全にアウトサイダー。ロックマニア以外には無視される宿命を背負っているものだと思ってたんですけど。

 その人は8月21日日がストラマーの誕生日だという紹介から書かれていて。そうか、命日は記憶しているけど、彼の誕生日は記憶になかったなぁ。名前を知らなくても、イギリスの伝説的なロックバンド「ザ・クラッシュ」のボーカリストといえば、思い当たる人もいるかもしれない。と書かれていて。私は道新を読んでいる読者が、しかも朝刊のコラムを読んでいるような読者が「ザ・クラッシュ」さえ思い当たる人がいるのかしらん?と正直思ったな。いやそうじゃない、いるよ。分かるよ、知っているよ。とうなづく人が多数いるとしたらば、それはいや〜幸せ。感慨深い。時代は変化したんだな。(笑)

 このかたは特に彼の自伝映画の中で、ジョーが再びバンドで音楽活動に本気で向き合い始めたメスカレロスのライヴの呼び込みを自分でやっている風景を見て、「ほんの少しでも彼のことを知っている人なら、あのジョー・ストラマーがビラ配りなんて」と信じられないような光景だと書かれておられる。
 でも、メスカレロスで再活動を始めたジョーの立ち位置って、まさにそんな感じだったんだよね。クラッシュで燃え尽きた、って感じもあったしね。それだけ徹底的だったのがクラッシュの活動だったし、ザ・ジャムと好対照なほど、クラッシュにこだわり、失敗し、一番傷ついたのもジョー自身だったはずだから。それにクラッシュにおいて詩人としての力量はそれはもうロックの世界でも有数の詩人だと思うし、切迫感あるボーカリストだけれども、やはり曲作りとアレンジャーとしてのミック・ジョーンズ。そのパートナーシップがあってのジョーの本領だよなぁというのが僕自身もあったから。正直な話、メスカレロスで活動再開したジョーの動きにも鈍感な自分だったのでした。

 しかし、このコラムニストの方は続けて「彼はとても楽しそうに道行く人に声をかけ、ビラを配っていた」と書いている通りで。やはりザ・クラッシュのバンドの立場って一貫とした特攻的なスタイルと非常に高いメッセージ性があり、これ程のステージをやっていたのだから、確かに一度はジョーは燃え尽きたろうし、落ち着いてからも方向性は見出せなかったんだと思う。遅れてきたヒッピーだった人だし、あえて「パンク」になると決意して退路をたち、だからこそ「パンク」の定義にこだわった人だっただけに。背負った荷をどう降ろしたらいいかということに15年以上かかったのも分かる。それだけシリアスになってしまったバンドのリーダーだったんですよね。

 だから、この映像にあるとおり、またコラムにあるとおり、本当にリラックスしている。そして彼の地がきっとこれで、彼の気質がとてもオープンなものなんだって再認識しました。(映画では一部分しか出てこないもので。この映像のように3分弱のものは初めて見ました)音楽への強い信念を持つ中年ロックンローラーというのは、こういう姿が本物なのだろうな、素晴らしいなと思う。


 同時に、ライヴはこのように若くて熱いし、クラッシュの面影を残すカリスマ性が垣間見えます。



 偶像崇拝否定のパンクの雄が新たに偶像になるのは皮肉だけど、ジョーの場合は本当に庶民的。ジョン・レノンだってファーストアルバムの「GOD」という曲で聞き手に「幻想を捨てるべきだ、偶像崇拝はやめるべきだ」と唄いながら、やはり偶像崇拝化されてしまっている。まぁぼくらは弱いから、あれです。同行二人の弘法大師杖みたいなものかも。で、やっぱりこのレジェンド映像を見ても、格好いいという素朴な感情と、ロックにこれ程真剣さを持ち込んでいる姿を見ると「ジョーよ〜」(丹下段平風にw)と云いたくなるのよね。
 このレジェンド映像で唄っているのはボブ・マーリーの曲のカバー「リデムプション・ソング」。俺が歌ってきたのは自由の歌、救いのための歌だった、というもの。
 コラムを書いてくれた人に感謝です。登別で塾講師をされている方です。



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2009/9/16

新政権発足  society
 今日は平日休でして。
 午後の3時過ぎくらいからまたもや(苦笑)惰眠を貪っておりましたら、午後5時過ぎに下の階で何やらテレビの報道記者らしきレポーターが大騒ぎしておる。
 今日は鳩山新総理が決まったことだし、とはいえ何か慌しいフンイキで何か事件が起きたか、スワ、政治的な事件?アクシンデト?と。
 本当のところはそんなに慌てず(笑)あくびしながら下の階に下りたら、何のことはない。
 ノリピーのダンナが保釈されたという話。そのレポート。阿呆らしい。
 人には恥ずかしくて語れないんだけど、一体全体、なぜこんなにのりピーが馬鹿みたいに騒がれ続けるのかさっぱり判らない。
 誰かこのことの意味や「答え」を教えてくれませんか?

 皆さん、のりピーさんに興味ありますか?一般的にはあるんでしょうかね?全くドラマで彼女を見たことがないのでさっぱり判らない。これが実は私自身の世間的な非常識なんじゃないのか?と自分自身を疑っているので、外では口をつぐんでいるのですが。

 意外と、世の中にはそのようなことってありますね。何故こんな大騒ぎがマスコミでされているのか判らないけど、誰も「なぜ?」とはいわない。そんなようなこと。

 これが世間ぞ、と自分で自分を納得させようとするけど、同時にちっとも納得してない自分もココロの中にしっかり住んでいるんだよね。

 前置きはともかく、鳩山民主党新政権が誕生しました。統治のシステムが変わることと、生活にかかわる問題のベーシックな解決(社会保障と雇用問題)を私は注目しているけれど、まずは好感が持てるのは鳩山氏が首相に任命された後、数多くの「小沢チルドレン」たちを含め、すなわち一年生議員たちを含めて全員一人ひとり腰を低くして握手するその姿。ああ、この人はこのような態度が姿勢が身についているんだなぁと。やはりそのような姿が演技でなく内面からあるように思え、好感が持てました。

 それからその後の記者会見も、今まで記者クラブ(内閣記者会)が仕切っていた内輪の閉鎖性を要請で週刊誌記者や外人記者たちにも開放したこと。そして、初っ端の記者会見にも今までの総理に比較すると、僕の感覚ではそれなりに厳しい質問が飛んでも、誠実にそつなく答えていたこと。仕切りが「ではこれで」というのをさえぎり、もう一人の質問者にも質問させ、それが自分自身の故人献金問題の質問であっても、何とかあの場面に関しては答えていた。
 これからは記者会見も首相とはいえシビアな質問をどんどんすべきだし、またそれに応えようとする新首相の気概はいまのところ感じられました。

 このような態度を崩すことなく、裏切ることなく(小泉さんは一番最初、ハンセン病患者さんの救済で喝采を受けたところから始まって、そこから僕にいわせれば裏切られ続けた、と思っています。)清新な政治をやって欲しい。

 まぁ、政治に多大な幻想を持つほど若くもないんで(苦笑)、格別な期待感を持っているわけでもないけど、ここだけは変わって本当に良かったとか、ベストではないけど、あるいはベターともいえないけれど、とりあえず「安心な世の中に持っていくべく努力しているな」と思える政治をやってほしいです。
                               以上です(笑)。
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2009/9/10

ビル・ライダー・ジョーンズ(ex:ザ・コーラル)  music(UK)
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 僕が今世紀に入ってデビューしたバンドで最も好きだというか、応援したいバンドであるザ・コーラル。そのコーラルを抜けたリードギタリスト、ビル・ライダー・ジョーンズ。初期の無意識に抑えられていた野生を活性化するような彼らの自由なサウンドを支えた要の一人であり、最新作アルバムでアメリカン・ルーツ的な要素も含んだオーセンテックなサウンドに変化した中、より一層彼のギターの味が冴えを見せていただけに、彼の抜けた穴は大変に大きいと思っています。

 いまザ・コーラルは目立った活動の声が聞こえてきませんが、もちろんリーダーでコンポーザーのボーカリスト(ごめんなさい、今、名前を失念)の役割が最重要なのだけど、やはりビル・ライダー・ジョーンズの抜けた穴は大きく、バンドとしての音をいま模索している状態なのかな?と憶測しています。コーラル、頑張って欲しいし、ビルも頑張れ、ということで実は忘れていたのだけど、マイスペにフレリクを出していて。フレンド仲間も共通項が多いのですが、これがどえらく内省的なサウンドでして。。。
http://www.myspace.com/billryderjones

 何だろうね?
 思い切り古い例を挙げて申し訳ないけれど、ジョン・ライドンの初期PILの音楽ディレクションを手がけていたギタリスト、キース・レヴィンのソロ(というか、脱退前にジョンとの作業の途中で首になった時のデモテープを海賊盤にして出したもの)、あるいはザ・ヴァーヴの特徴を作り出すリードギタリスト(ごめん、こちらも名前を失念です)。みんなバンドではそのセンスによって才気あるボーカリストを盛り上げる役目を果たしているキーマンなんだけど、不思議とソロになると地味目だったり、前衛的だったり、内省的だったりするようですね。

 彼らの「これがしたい!」という音楽愛の成果を考えるならば、良し悪しの評価は出来る話ではないのですが、バンドにおけるギタリストの資質とか、バンドを離れたギタリストがソロやフロントマンになる時って、かなり人気バンドの存在イメージと違ってきたりするのかもしれないですね。特に音楽的志向に関しては、フロントマンになりやすいボーカリストや他のバンドマンたちと違ってくる傾向があるのかも?
 やはり聞き手としては、一番幸せな瞬間は才気あるボーカリスト&コンポーザーと、同じく才気あるギタリスト(場合により作曲兼ねる)がともにずっと仕事を続けていく。それなんでしょうね。

 例えばU2。ボノとエッジの関係が理想的なんだろうな。エッジという人は抑制的というか、いい意味でエゴが少なそうな感じの人だし。(最後は蛇足気味になってしまいました。)

 ビル・ライダー・ジョーンズのコーラルでの最後のお仕事作品でのPV&ラジオスタジオライヴです。


2009/9/6

民主党を巡る批評家たちの戸惑い  society
 政権を握った民主党に対し、それほどには熱狂的な喜びが一般レベルにはない。

 かといって、テレビ言説等々からわかりやすく伝えられる「自民党へのおしおき」程度のものだとはとてもとても、思えない。なぜなら、自民党にはすでに来年の参議院で復活できるほどの自力が残っていないからだ。

 もし、おしおき気分で投票した人たちがいたら、この現実を知り、おおいな戸惑いを感じることとなる。

 実はそれ以上に戸惑っているのはマスメディアレベルにおける政治批評家、政治観察者、学者、もっとレベルがさがって政治部記者なのだ。

 彼らは、彼らがイメージするそのレベルにおいて、おのおの自分が考える(もしかしたら幻影の)民主党のイメージを抱いて自分の懸念を伝えている。

 僕はもはや民放テレビは見放している。ゆえに週末からCSのジャーナル番組を見ているのだが、彼らの多くは民主党に心底では勝ってもらいたいと思いながら、イザ政権を握ると自らの考える民主党のイメージから不安を感じている。あるものは有権者の意識のレベルから。あるものは民主党の政策イメージから。あるものは民主党の統治システムに対して。

 当の民主党の主体者たち(政権運営者たち)にとっては、そのような声に逆に、戸惑いを感じているだろうか。あるいは彼らが相当な構想力があり、絵図が描けているならば「こいつら何を言っているのか。実は何も分かってなかったのだな」と苦笑しているだろうか。

 後者である、というのはほぼ想像しにくいことだけれども。(笑)。

 また後者であるならば、それはドラマとしては大変に面白いけれど。

 なにしろ、「識者」と云われる人たちの一斉の懸念、その懸念のバラバラぶりは彼らの期待と民主党という政党への思い込みの違いがあらわになっていている。それが変な話、面白い。個々個別の民主党期待イメージの違い、そこからくる期待と不安。

 投票した国民も妙に醒めている部分があるわけで、それらを考えるとオバマを熱狂的に迎えた米国と違い、醒めて政治を眺める日本人の慎重さと政治人への疑いの深さは、もはや政治に対してもろ手上げをしなくなったという意味で、健全なのかもしれない。それでも変化は確実に起きるだろう。そしてその変化がAという人とBという人の利益相反になるかもしれないけれど。

 まぁ、結局は過剰な期待を寄せながら一番とまどっているのは、政治関心が強い連中だったということがバレたということなのかもしれない。(そこにはおそらく自分も含まれるのだろうw)。

2009/8/31

Swing  society
 選挙から一日。昨夜から議論されていることだが、生活不安を軸とする政党が勝ったと言えるが、それを第一義に掲げた少数政党は議席を伸ばせずに沈没したままだ。
 同時に、政治学的にというか、「選挙学」なんて言葉は無いけれど、小選挙区制下の日本のあり方は百花繚乱のままだ。つまり、2度目の巨大な票のスウィング。
 これを、つまり民意の行き着く先・政党選択に関するものをどう捕らえるかということでは、百花繚乱のまま。どうやらきちんとした分析ができないままにある。

2009/8/29

明日は投票日  society
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 政治にとって歴史的な一日になるのかどうかはわかりませんが、09年の衆議院選挙の投票日が明日となりました。印象としては非常に長かった、という感じです。

 今はそんなに自分の中で盛り上がってるわけじゃないですが、結構長期に渡って政治に関心を持ってきた、人生で一番考えてきたんじゃないのかな、というのが正直な気持ちです。マニフェストは自民、民主、共産、社民のを読みました(公明のは70数ページもプリントアウトが必要なので挫折。民主はマニフェストは工程表などがあって政策実現がより深刻に問われる作りになっていますが、むしろ理念、政策の詳細が弱く、かの党の政策集、「INDEX2009」もプリントアウト。こちらも目次・索引含めて60ページはあるという目まいがおきそうな(苦笑)のものですが、いまやっと、厚生、労働の政策を読み終えたところ。まだ一次産業、経済政策、環境政策、国土交通政策は読めていません。選挙が終わってから少しずつじっくり読むことになるでしょう。

 ことほどさようにほとんどストレンジな「政治マニア」化しており、こちらのブログではその興味は書けませんでした。その代わりもう一つのブログはかなり長文のものを頻繁にアップしています。やはり社会や政治的なものがメインになってしまっています。

 実は、前回の衆議院選挙のときから関心は客観的に見て高いほうだったのだろうと思います。そのときもいろいろ小泉政権批判は書いていましたし、一番僕が危機感を持って批判的に書いていたのが安倍政権の頃。丁度教育基本法や憲法改正が声高に語られていました。今考えてみるとあれもどういう熱狂だ?というようなムードでした。覚えている人はいるかどうか。。。

 ただ、こちらのブログはあくまでも洋楽中心の音楽ファンとして思うことを書く場と思っていたので。とはいえ、ときどきこちらにも社会的なことは書いていたかと思います。「嫌われるために!」なんてタイトルをつけたときもありましたっけ。

 ですが、その「社会的なこと・政治的なこと」はブログとしては公表するのをためらいました。当時OCNで簡易ホームページというシステムがあり、そこに『200CDブリテッシュロック』の著者、イアン・サウスワースさんと中山義雄さん(実質的には中山さん)経由で得た情報を元に作ったホームページを埋め込み、それを主として日記や趣味のレビューを書けるというまさに簡易なもの。
 そちらに本当にモノローグのように社会とか、政治とか、自分が思う不安な未来をモノローグとして書き込んでいました。本当にモノローグとして。

 というのは、正直言って、やはり怖かったのです。当時の雰囲気は自分が思うことを書くことが「名無し」のような人たちによって荒らされることが。そこに注ぐ、対応するエネルギーが削がれるのが嫌だった。一番のホームグラウンドであったこのブログに対するエネルギーも失われるかもしれない。そうなることを懸念しました。自分が好きな音楽のこと、もっともっと、書きたかったし。当時はまだブログはブログ主に優しくないつくりでしたからね。だから、簡易ホームページのいわば「ふろく」にぶつぶつモノローグで社会の不安を綴っていたわけです。当然、このブログとは余りそりがあわないものです。

 いま、いろんな僕の懸念が明らかになりました。
 オバマ大統領がアメリカで誕生し、日本では若い世代が「反貧困」「自殺防止」で活動している素晴らしい人が生まれている。いや、必要な思いに駆られて動いている人たちが居るということかもしれません。本当に頭が下がる。
 そのような人たちの本を昨年の注目というか、自分にとって意味ある二冊(オバマの「合衆国再生」湯浅誠氏の「反貧困」)が今年のいま現在に自分にとって、そして世の中的にも意味あるものであった。それがどうした?って問い返されるかもしれませんが、何というのでしょうか。自分の思いはそんなにずれているものでもなかったかな、という気がする。そんな自己満足がある、ということでしょうか。

 それで私が、ではそのような人たちの触発を受けて何らかの形で活動的になるかといえば、今はそんなことはない。いわば相変わらず社会的傍観者で居る。そのことで忸怩たる思いがないとはいえませんが、まだ今のところ性急にどうこうということもありません。。。
 何にせよ、まずは明日の一票です。そして同時に、今回は最高裁の国民審査も重要視しています。私は何人かバツをつけるでしょう。

 音楽の話題が最近サッパリ、というのはもうすでに別に期待もされていないかもしれませんが(苦笑)、申し訳ないことで。一つ実は僕のCDディスクの頭が読み取り飛びをしてしまい、それが酷くてどうしてもきちんとCDを聞けない状態にあります。新しいCDソフトを買えない経済状況もありますが、それよりも今まで購入してきたディスクさえ安定して聞けないということがあり、いまもっぱらマイ・スペース中心になっているというのもあります。マイスペでかなり興味深い新しい音楽との出会いもありますが、いかんせん情報が分からなくて書けない。本当に英語をやってこなかったツケはでかいですね。

 来月には早急にCDは修理してもらうつもりです。新しいCDは旧作・新作含め興味深いのは沢山あるのですが、やはり家はもう80越える両親と同居。父は肺ガンと心臓病を抱えてますので、いまや昔風に言えば初任給ボーナスなし的生活をしている僕は収入はまずほとんど家に入れなければ成り立ちません。過去の経緯のふがいなさは自分の責任。我が家の血筋は兄がちゃんと継いだので、僕は両親を看取ることが仕事となるでしょう。
 その覚悟は決めた上で、時折新しい「一枚の作品」との感動的な出会いを待ちたいものです。

 そのような理由で、こちらのブログはまだ少々間隔が空いてしまうかもしれませんが、もう一つのブログはまだ結構書き散らすと思います。おそらく明日の祭りが終わっても、しばらく祭りの後の語り合いが世間で続きましょうから。もし良かったら、もうひとつのブログ、「夢のでこぼこブログ」もよろしくです。(やたら長文で堅苦しく、いやになるでしょうけど)。

 何にせよ、政権が変わって、今まで描いていた夢(経済的あるいは精神的な)を砕かれつつあった人たちにも少しでも明るい光を見せてくれるといいですね。僕もそれほど幻想的な夢は見ることが出来ない年齢ですが、淡い夢程度は望める政治にして欲しいと。その程度の政治への期待は持ちたいと思っています。

 今回は黙っていても投票率はあがりましょう。みなさんが何に期待して、どういう投票行動するかは知りません。そしてそれでいいでしょう。まさにそれが自由な国のベストではないが、ベターな政治選択のシステムです。
 今回ばかりは、「政治というものははっきりと、自分の生活に介入するものだ」と否応なく理解できたでしょうから。

2009/8/22

古い音楽雑誌のこととか。  music(日本、World、その他)
 いや〜、今週は珍しく(笑)チト忙しかったです。忙しいのはキライ。そう、私は生活ルーザー(苦笑)。そんなことはいいんだけど。今日、久しぶりに仕事帰りに学生時代から通ったことのある中心部から離れた古本屋さんに入った。昼で仕事が終わった後に。この中心から離れた古本店は半分は中古レコード屋兼用になっていたけど、雑然とした古書店的様相は変わらない。むしろ、そのような形態になったおかげでより雑然となっているみたい(笑)。

 そして、やはりいまの書店の並びでは考えられない雑多な本の並び、あるいは見かけない見る人によってはジャンクにしかみえないような本が並んでいるのが面白い。この粗雑な並びが、これ、宝物探しみたいで面白いのです。子どもの頃の(子供だましの)雑貨屋に入っているような感覚を思い出す。まぁ、雑貨屋といってもイメージが湧きにくいかもしれないですが。こういう感じの昭和のフンイキが本当に好きだな。しかも昭和も日陰なのよね(笑)。割と安全な日陰感覚。とにかくこの様子の店内はいまの若い女性はおそらく「汚い」とすぐ思うに違いない。

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 で、これはまだ私がロック雑誌といってもグラビア系の雑誌しか読めないような頃の1977年の6月号。その当時の「ニュー・ミュージック・マガジン」(現在の「ミュージック・マガジン」誌の前身。いか『NMM』)を購入しました。お得な200円。表紙はボブ・マーリーとピーター・トッシュの二人が並んだ顔のイラスト。何となく未来を向いております。で、特集は『都市の音楽VS田舎の音楽』。ポップ・ミュージックは、農業社会が近代化され、共同体が崩壊した後に都市化した流れの中で成立した、という仮説から出発して、主にアメリカンミュージック、ブリッテッシュミュージックのルーツと現代性(1977年当時の)みたいな感じで論じていて。ハッキリいって、今読むと社会構造的に論じられていて結構批評のクオリティが高いです。

 この頃はぼくはもちろん、こんな専門的な洋楽音楽雑誌は読んでいないけど、これから2年後くらいでしょうか。当時「ミュージックライフ」とか「音楽選科」なるロックグラビア系雑誌がありましたが、それに飽き足らない頃にワケも分からず読み始めたのが好きなミュージシャンをわりと観念的に掘り下げてた『ロッキン・オン』誌。そちらの党派?(笑)だった私は『NMM』誌はキライだったけど、歳のせいか、いや〜、経済(値段)以上に雑誌の内容に気概と調査の深みがありますわ。いま読むと文化批評としても成立していて面白い。まぁ、その後の時代状況を考えると良かれ悪しかれ、て感じもしますが、真面目で熱い。これ、一部では有名かもしれないけど、読者欄も非常に熱いです。(中村とうようシンパさんも多くてね)。そう、僕はこの雑誌は中村とうようさんという人が代表していて、そのシンパみたいな傾向が嫌いだったのだった。その当時はだから、ワタシはパンクシンパだったもので。(笑)。意図は違うかもしれないけれど「ロッキン・オン」誌の「投稿者で雑誌を構成する」「投稿者こそがその音楽を本当に愛しているし批評眼があるはずだから、それで雑誌は売れるはず」という路線に共感していて、とうようさんサイドの今風に云えば「上から目線」というか、「教養主義」というか。それがキライで。というか、音楽的には無知なままだから(苦笑)。本当は敷居が高かったんですな。

 しかし話を戻すと、読者さんの立派な文章に載っている意識から漂うものはロック/ポップに対する愚直で、まっすぐで、かつ反体制な意識で。まさに70年代的そのもの。今の若い人が読んだら、何だか不思議に思うかも?寂しいけれど。。。
 僕は今でも、というか逆にどんどんいまこそ(笑)、こういうのが好きになっていく。やばいよね。こうやって生活破綻者になるかもねw。でも、怖がりだから、ずるく立ち回るのか??

 振り返って、今の「ミュージック・マガジン」は何か、乾燥されているというか、漂白されてすぎているというか。逆に熱が退きすぎていて、クールダウンしすぎに思える。もはや編集長自体がロックなんて特に好きでもないんじゃないの?って感じがどうしてもするねぇ。これ、そうとう暴論ですけれどね。まあ、割とワールドミュージックを評価するのは、とうようサンの音楽的出自ともリンクはするか。 
 対する「ロッキン・オン」もね。もはや批評誌ではない。ちょっとタワレコで無料で配っていた冊子に近いものがありますね。
 確かにロックと批評、「洋楽と社会の切り結び」なんて、このシャッフル時代にナンセンス(死語)かもしれないけれど、まあ時代は変わるし。仕方ないか。

 でもやばいな。俺、またあの店に通って古い雑誌、買い込みそう。するとどんどん偏屈に、親父くさく、閉じた音楽ファンになりそう。まあいいかなと思う自分もずいぶん変わったなという気がする。

 いろいろ云いたい放題のことを今日は書いたけれど、歳とともに変わってきちゃったと見放してくださいな。
 もちろん、今だって新人でハート直撃な逸材を待望してるんです。渋谷陽一風に云えば「スター・システム」は我々の不幸の反映かもしれないし、違うのかもしれないけれど。





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