日本がめざしていたのは西欧列強のアジア侵略への対抗であり、そのためにアジア各国との連携をはかろうとしたのです。富の収奪という植民地支配でないことは朝鮮での学校整備、道路建設等のために莫大な資金を日本国内より拠出していることからもわかります。
戦時下ゆえに占領という形式でもインドネシアでは西洋支配からの解放者として迎え入れています。わずかに占領統治は3年5ヶ月ですが、影響は大きなものでした。「オランダ領東インド」という国名を待望の「インドネシア」に、「バタヴィア」は「ジャカルタ」に改称し、また、オランダ人の代わりにインドネシア人を役所や企業でかなり高い地位につけ、彼らの社会進出が飛躍的に進みました。公用語をオランダ語からインドネシア語に改めたことは、インドネシアに誇りと自信を取り戻させました。その一方、「隣組」「警防団」など様々な団体が作られ、統制の訓練により、オランダの分割統治によって消えていた組織原理を習得したのです。重要なのは、オランダが決して行わなかった軍事教練も開始したことです。最初は日本軍内の補助兵力「兵補」が養成され、のちにこれは日本敗戦後のオランダとの独立戦争の時の大きな力となったのです。このように、日本軍政下のインドネシアでは、後の独立に繋がる大きな力が養われました。
以上のインドネシアの例からも日本が戦勝国となっていたならという仮定では、“中国がなくなる”はありえません。そもそもが中国、朝鮮と連携して西洋へ対抗しようというのが日本の立場であり、そのためにアジア各国の近代化に助力したのです。タイとは120年以上の友好関係ながら戦中には抗日運動もあってアメリカからの手引きにより連合国側に寝返っていますが敗戦国としての扱いではなく寛大に遇されました。ただしイギリスは一部占領という卑怯な行動をとりましたが。その後、戦後の現在まで親日国家です。
中国や韓国とは共存共益の関係を築いていくことが今後の課題で、経済、文化などで利害が一致する面が多い以上、いずれは日中韓の連合体ができるかもしれません。日中韓の未来は明るいと思います。
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