子育て中のママ達から、子どもに対してどこまで手を出して、どこまで見守っていてよいのか加減がわからないという悩みを耳にします。
その子をどう育てたいかはその人その人、その家庭その家庭の考えがあるので一概にこうとは言えませんが、その考え次第で関わり方が違ってくると思います。
私ってちょっと過保護かな?と思うときもありますが、周りでは全く手を出さず、実際に子どもが体験して学んでいくから大人は全く関わらず、死なない程度にやらせておけばいいという考えの人もいます。
もちろん、私も「子どもは体験から学ぶ」ということは必要だと思うし、そうしなければ本当には理解できないものだと思います。でもやはり、それにも加減というものがあると思います。
転んでみて痛さがわかる、たたかれてみて痛みがわかる、けんかして人とのやりとりを学んでいく・・・それは必要です。でも、転ぶのと崖から落ちるのでは全く違いませんか?
「そんなに急ぐと転んで危ないよ」というのと「そこから先は崖だから行っちゃだめよ」と教えるのは違うと思います。
転ぶ前に転ばないようにしてあげるのと、崖から落ちる前に引き止めるのは違うと思いませんか?それを同じに考えている人もいるようです。とにかく、手や口は出しちゃだめ!って・・・
必要以上の手出しや口出しはしなくていいけれど、最低限の指導をしたり、禁止をしたり、注意をするのは大人の役目ではないでしょうか?
「死ななければいい・・・」って子どもはどこでどんな突飛なことをするからわからないから監視しておく必要があるんです。黙ってみていてもいい、ただ危ないときには口だけでなく身体で止めなくては子どもの行動は止まりません。
けんかだってそうです。ただの口げんかや、叩き合い蹴り合いくらいならお互い痛い思いをしてわかっていくしある程度は様子を見ていていいでしょう。でも、例えばものを持ち出して来て、もので叩き合いや投げ合いなどをするようなときは、大人が間に入ってでもやめさせなくてはいけないと思います。
それこそ、こどもは加減がわからないし、そうしたらどうなるかを予測出来ないのだから、結果が出る前に止める必要はあります。
体験して学ばせる・・・と何もかも放っておいたら、その体験が一瞬にして死につながる場合だってあるんです。そうなれば、一生後悔するのは親自身です。
私が過保護なくらい心配してしまうのは、そういう子達を見て来たからかも知れません.
私の妹は、赤ちゃんのときにあやしてくれていた親戚の人がちょっと手を滑らせて床に落としてしまったことで、後頭部を打ち、知的障害者として一生を送ることとなりました。
また、歩き始めたころ、近所の男の子が毎日のように後ろから妹を突き飛ばし、ちょうど階段の段差にひざ下がくる高さだった妹は、ひざのお皿を支える軟骨が変形して両膝の障害を持つことになり、何度も手術を繰り返しては今も障害者として生活しています。
妹が通っていた特殊学級(現在の特別支援学級)や養護学校に通っていた他の子たちも、《食事のとき、ちょっといすを引いてやったタイミングが悪く後頭部を打って知的障害者になったという子》《熱が高かったのに風邪だろうと病院へは行かずにいたら、脳に菌がまわっていて障害者になった子》《友達と道を渡ろうとして、先に飛び出した友達をよけた大型トラックがその子に突っ込んで来て一生歩けない足になった子》・・・といろいろで、その他ちょっとした不注意で一生障害を抱えて生活しなければならなくなった子をたくさんみてきました。
どのお母さんも、ほんの一瞬気をつけてあげていれば・・・とずっと子どもに申し訳なく思ってお世話されていました。
その他にも、自転車やさんで自転車のチャイルドシートを取り付けてもらい、子どもを乗せたまま代金を払っているほんの数秒の間に、自転車が転倒。その子は頭を強く打ちなくなってしまいました。
そんなこんなまわりでのたくさんの事例を見聞きしてきた私なので、ついつい心配症になってしまうところもあるのでしょう。
でも、やはり手出し口出しをすべき場面では親として指導する義務があると思う気持ちは変わりません。

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