2018/7/22

ヒビケンサン  
今朝の沖浦氏のコメントは顕正会員の熱心さを証明する目撃談である。この猛暑の中、よく頑張っていると思う。以前の騙し討ちのような折伏に比べれば天地雲泥の差であり、少なくとも相手に不快な思いをさせない意味で立派なことである。

ところで前々回は新潟大会の会長講演を取り上げた。再掲しよう。

 さて、佐渡は全島民が念仏者であり、流されてきた大聖人を憎む心は鎌倉の人々よりも強かった。

わたくしはこのくだりに疑問符を付けたわけだが、どうやらこれは呵責謗法滅罪抄が根拠のようである。

・・・又法然が弟子充満せり。鎌倉に日蓮を悪みしより百千万億倍にて候。

こういうコメントが瞬時に返ってくるようならば大したものだと思うが、現実には誰からもコメントがない。ウソのような本当の話をすれば、たまたま今朝の拝読御書が呵責謗法滅罪抄であり、そのかなり後半のほうに当該御文が出てくるわけである。

そこで顕正会員のために少し教えて差し上げようと思う。

浅井先生は塚原三昧堂の話ばかりを強調する。ゆえに顕正会員たちは知らないかもしれないが、大聖人は途中で引っ越しされているのである。塚原にいらしたのは約半年であり、残りの期間を一ノ谷で過ごされているのだ。ここは現在の市野沢と呼ばれる地域が該当すると考えられるが、地図で確認すればわかるように佐渡のわりと中心部に位置する。

そして前々回も書いたように流罪の目的は影響力を殺ぐことである。大聖人が鎌倉に居たのでは具合の悪い連中が幕府と結託して行なわれたのが佐渡流罪なのだ。

しかし、大聖人の影響力は半端ない。次は佐渡での出来事である。

 又念仏者集まりて僉議す。かうてあらんには、我等かつえしぬべし。・・・既に国の者も大体つきぬ、いかんがせん。

阿仏房夫妻の入信は代表例に過ぎないのだ。大聖人の御徳に触れて入信する人が後を絶たなかった。ゆえに念仏の坊さんたちが危機感を覚えて謀略のための作戦会議を開いたわけである。

ここまでわかれば最初の御文もよくわかるはずだ。

・・・又法然が弟子充満せり。鎌倉に日蓮を悪みしより百千万億倍にて候。

再掲であるが、ここでの法然の弟子は主に出家者を意味するわけで、浅井先生の言う全島民は間違いである。ごく単純に考えて禅宗の人だって真言宗の人だっているだろう。しかも失礼ながら文盲率などを考慮すれば一般の大多数の人たちは教義的なことなど、ほとんど理解できなかったはずなのだ。ゆえに大聖人を憎むという感情も生まれにくい。逆に言うと、そうした純粋無垢な人たちだからこそ、当初は幕府の御勘気を蒙りし流人ということで大聖人を色眼鏡で見ていたにしても、実際に大聖人の御徳に触れれば忽ちのうちに帰依の心を生ずるわけなのだ。

 さて、佐渡は全島民が念仏者であり、流されてきた大聖人を憎む心は鎌倉の人々よりも強かった。

これまた再掲である。この前半部分はたった今、説明したごとくである。当然、後半部分も推して知るべしだろう。鎌倉の人々と書いてしまうと在家出家を問わずという意味になる。しかし、佐渡においては前述のごとく主に出家者を意味するわけだから、整合性の上からは鎌倉のほうも出家者と考えるべきだろう。

鎌倉在住の諸宗の坊さんたちは先ほども書いたように幕府と結託して大聖人を流罪に処するほどなのである。つまり、幕府の庇護があって、安泰だった。ところが佐渡の念仏者たちにはそうした庇護がなく、また大聖人の御徳に触れて島民たちが離れていくという現実に直面していたわけであるから、それはもう半端ない憎しみを懐いたとして不思議はないのである。

このように考えると、浅井先生の言っていることもずいぶんといい加減というか、もちろん全面的に間違っているわけではないのだろうけれども、誇張が過ぎるところがなきにしもあらずである。

わたくしの思うに、これは顕正会員を意図的に誘導しているわけではなく、浅井先生自身の認識そのままなのだろう。上から目線で恐縮だが、もう一度、最初から研鑽し直すくらいの覚悟で御書を拝読しなければダメだと思う。ある程度のレベルまで行くと、それぞれ自分なりの仏法観・大聖人観が出来てくる。しかし、それが本当に正しいのかどうかは誰にもわからない。だからこそ謙虚になって、初心に戻るくらいのつもりで研鑽していかないとダメなのである。

もちろん、これは自戒のつもりで書いたことである。

2018/7/21

ソレガサイゴ  
新潟大会の各種登壇を見ていこう。まずは中国人の明組長である。

 平成十四年には、先生のご配慮で、勿体なくも我が家を自宅拠点とさせて頂き、御本尊様が・・・

この人は平成九年に日本で入信している。その後、中国に戻り、今もなお信心を貫いている立派な人物である。
組長で自宅拠点は特例なのだろう。もしそうでなければ顕正会のレベルも下がったものである。かつては副長以上が条件だったはずなのだ。
しかし、そもそもなぜにいつまでも組長なのかが問題である。彼はもう二十年選手なのである。大ベテランだ。それがいつまでも組長であることがおかしいわけで、モンゴルでは班長クラスがザラにいるのだから、彼が班長や副長に昇格しても誰も文句を言わないだろう。中国共産党の監視を恐れてのことだろうか?

大師子吼・・・

いやいや、なかなか消滅しないものである。彼は五万人の男子部大会にも参加しており、その時の浅井先生の発言をご覧のように表現しているわけである。

ちなみに同じページに載る第四十一女子部長の記事にも大師子吼がある。困ったものだ。

男子部第百三十八隊長の活動報告は勇ましい。

柏崎市・一道寺、石川県白山市・最教寺、上越市・専光寺

これら日蓮正宗の寺院に赴いたりして、住職と交わした会話の内容が、詳しく語られている。当然、都合よく話を切り取っているのだろうけれども、ともかく宗門側に対して積極的にアプローチしていること自体が立派なことである。

また、隣には男子部第二十五隊総支隊長補の記事があって、そこには聞正寺の僧侶を折伏した旨の記述がある。してみると顕正会は方針転換したのだろうか?

かつては、トラブルになるから宗門寺院に近づくな、というような意味の本部通達が極秘に流されていたはずである。この点、今となってはわたくしには確かめるすべがないので誰かの証言を待ちたいところだが、ともかく上掲の二本の記事は実に勇ましい。

しかし、裏を返せば、それだけ宗門の存在が脅威なのだろう。この点は婦人部妙高支区組長の記事を読んでも窺えるところであるが、ここでは省略したい。

最後に男子部総務の記事を簡単に紹介して終わろう。

一善とは、大聖人様の絶大威徳による浅井先生のご存在なのだ・・・

やや切り文ではあるものの、言っていることはご覧の通りである。なるほど、浅井先生の発言が大師子吼と呼ばれるのも無理からぬ話である。

今日も暑いなあ。

2018/7/20

ニイガタタイカイ  
今朝も沖浦氏からコメントが寄せられている。どうやら続きがあるらしいが、こちらの応答次第で終了となるらしい。結論は、勝手にすればいい、である。むしろ沖浦氏としては拙ブログを介して世の中の多くの人に伝えたいわけなのだろう。だったら、わたくしの返事を待つ必要はない。ただし、いつものことながら沖浦氏の言っていることがあまりにもデタラメであれば、わたくしは看過しない。

さて、新潟大会特集号に参ろう。顕正新聞第1441号だ。

 顕正会の地方大会で、一県だけで二万人結集というのは、この新潟だけです。

新潟は顕正会の盛んなところではある。しかし、いつも言っているように一連の地方大会には欺瞞がある。ようは他地域からの応援部隊の存在だ。ゆえに今回の新潟大会も純粋に新潟在住者のみの大会ではなかったことは確実だろう。

大聖人様は文永八年十月十日に鎌倉をあとにされた。

言い忘れたが、会長講演からの引用である。それにしてもこの部分はどうかと思った。竜の口の死罪から佐渡流罪までおよそ一ヶ月の間がある。大聖人はこの間、依知の本間邸にいらした。ゆえに鎌倉をあとにされたという表現は正確ではない。それから煩瑣になるので引用を避けたが、上掲の直前の一段も少しおかしな文章である。

 さて、佐渡は全島民が念仏者であり、流されてきた大聖人を憎む心は鎌倉の人々よりも強かった。

全島民が念仏者であるとは何を根拠に言っているのだろうか?

大聖人を憎む心は鎌倉の人々よりも強かったと。これも疑問である。

 私は不思議に思う。なぜいきなり切り付けなかったのか、なぜ一言、質問を発したのかと。

阿仏房との邂逅を言っているのだろう。しかし、この前後の説明も想像の産物に過ぎない。

そもそもいきなり斬りつけるような無礼なことはしないだろう。そんな常識もわからないのかと言いたい。もし仮に暗殺を企てるにしても、今みたいに写真だとか映像が発達していればまだしも当時はそうしたものは何もなかったのだ。ゆえに人物特定をしなければならない。少なくとも最初に、オマエが日蓮か? と問いただすはずであり、その後に斬りつけるのであればまだしもである。しかも浅井先生が当該講演で言っているように阿仏房は文武に秀でていたと考えられる。ならば何がしか問答があってしかるべきで、順番としてはその後に斬るか斬らざるかという話になるはずなのだ。

話を戻して、流罪の意味はその人物の影響力を封殺する目的だろう。いちばん手っ取り早いのが殺してしまうことだが、鎌倉幕府もいちおうは法治主義を看板に掲げていたので安易に殺すわけには行かなかった。それで流罪が相当とされたわけである。そしてこれまた今みたいに新聞だのテレビで報道されるわけではないのだから、地方の人たちには話が伝わっていないと考えるのが普通である。もちろん時間と共に徐々に伝わっていくわけで、塚原問答の頃にはわざわざ島外からも法論のために出張してくる坊さんたちがいたほどだったわけだが・・・

二人は我が家を追い出されている。

阿仏房夫妻のことである。しかし、わたくしにはこれがよくわからないのだ。何を根拠に言っているのだろうか?

 このとき日妙殿は、佐渡に渡って、もし、大聖人様の御顔を拝見し奉ったら、死んでもいいと思っていたに違いない。

死んでもいい? 何を根拠に言っているのだろうか?

帰りのことなんか考えてない。

まるで特攻隊みたいな話だが、これは少しだけ根拠のある話なのだ。というのは、日妙殿は帰りの旅費が足りなくて大聖人から借りたという話が残っている。ちなみに大聖人だって自由になるお金をそんなに持ち合わせていたわけではなく、それを土地の有力者に融通してもらったらしいのである。

この辺の話は御書にその片鱗が残っているけれども、どこまで正確な話なのかはわからない。

金正恩のしたたかなる演出で一見、融和ムードが世界に漂っているが、これは謀略です。陰で糸を引いているのは中国ですよ。

何を根拠に言っているのだろうか?

 中国・北朝鮮・韓国の最終目標は、韓国に駐留している米軍を撤退させることにある。

これまた何を根拠に言っているのだろうか?

それぞれ独立国なのだから、それぞれの思惑があるはずである。もちろん部分的には一致するだろうが、完全一致はあり得ない。北朝鮮に関して言えば、金正恩体制になってそれなりの年数が経つので、本人も自信をつけてきたわけなのだろう。それで近年は積極外交に打って出ていると見るのが常識的かと思う。

現状ではトランプ大統領のキャラクターこそが批判に晒される対象となっており、それとのコントラストで見ると他国の首脳たちが霞んでしまっているような印象すらある。ともかく国際情勢は流動的であり、浅井先生の言っていることも当てにならないし、もちろん拙ブログの見解もまったく当てにならない。

2018/7/17

アキレギミ  
先般、西日本各地において大水害が発生し、多くの人たちが亡くなった。片やわたくしの住む地方では六月中に梅雨明け宣言が出るほどで、その後は連日の猛暑に苦しめられている有り様である。そんなわけで、普段からボーッとしているわたくしの頭が、暑さにやられて今まで以上にボーッとしている状態である。

その間隙を襲うかのごとく、沖浦氏の猛攻が続いている。

わたくしの思うに、沖浦氏は曼荼羅正意論について態度を明確にすべきだろう。日眼女への御指南をそこまで重視するならば、当然の帰結として仏像肯定の立場を取らざるを得ないはずである。さすがに今の創価学会の公式見解ではそこまで踏み込んではいないと思うのだが、いかがだろうか?

そして今度は仏像開眼の問題にぶち当たることになる。

日蓮正宗では曼荼羅正意の立場から、例の木絵二像の御指南は一般的な仏像開眼の事例を取りつつも元意においては曼荼羅御本尊の開眼を御指南あそばされているのだと解釈しているが、沖浦氏の場合はそのまま仏像の開眼だと理解することになるだろう。さて、その場合、何の仏像を立てるのか、そして誰が開眼をするのか、というような問題が発生してくると思われる。

さて、どうするつもりだろうか?

 『其の上仏教已前は漢土の道士月支の外道儒教四韋陀等を以て縁と為して正見に入る者之れ有り、』
 (如来滅後五五百歳始観心本尊抄)

 外道においても南無妙法蓮華経を悟る人がいたとあるでしょう。


この点は大沢氏が触れているように、すでに数年前に決着済みである。大沢氏は半ばアキレ気味であり、マトモに相手にする気にもならないらしいが、わたくしはキッチリと破折して差し上げようと思う。

外道が南無妙法蓮華経を悟る?

ようするに正見とは南無妙法蓮華経のことであると、このように解釈しているわけなのだろう。沖浦氏らしからぬオオボケである。

しかれども外道の法九十五種、善悪につけて一人も生死をはなれず。

開目抄の御指南である。沖浦氏は本尊抄を引用して前掲のごとく言っているわけだが、開目抄にはまったく相矛盾する御指南が存在する。とは言え、佐渡期における重要法門書の二書が矛盾するわけがないのだ。つまり、沖浦氏の解釈が間違っていると考えるのが妥当である。

この明快な理由は同じく佐渡期の小乗大乗分別抄に説かれている。

 夫小大定めなし。一寸の物を一尺の物に対しては小と云ひ、五尺の男に対しては六尺・七尺の男を大の男と云ふ。外道の法に対しては一切の大小の仏教を皆大乗と云ふ。

つまり、広義・狭義、あるいは総別の二義という、こうした捉え方の違いによって意味が変わってくるわけである。ゆえに正見を究極的には南無妙法蓮華経のことであると捉えるのは間違いではないが、ここでは八正道の一つと捉えるくらいが妥当なところだろう。

一切世間の外道の経書は皆是仏説にして外道の説に非ず

涅槃経である。これも沖浦流の解釈からすれば、だから何を信仰してもいいのだ、ということになりそうである。しかし、だったら大聖人の御化導は何だったのか、ということになるだろう。諸宗を破折する必要など、まったくなかったことになるのだ。

さて、今日も暑いので簡単に終わらせたいところだが、今朝も沖浦氏からコメントが寄せられているので取り上げておこう。

 ご本尊が法華経である。

法華講員たちの発言だそうである。しかし、これはいったいどのようなシチュエーションでの発言なのかが問題だろう。沖浦氏は自分の都合に合わせて引用しているに過ぎない。ゆえに法華講員たちにしてみれば迷惑な話なのである。

大聖人の御書は権実相対が主軸となっている。基本的には当時の念仏や禅などとの比較相対を表にしているわけだ。もちろん深奥には本迹相対があり種脱相対がある。しかし、一般の信徒に対しては平易を心掛けられたという意味もあって、そこまで立ち入った法門の開示はあそばしていない場合がほとんどである。

ゆえに大聖人が、念仏や禅ではなく法華経を信仰しなさい、と御指南あそばされているのをそのまま字句どおり受け取って今も法華経を信仰しているとすれば、それは違うのではないかということなのだ。

おそらく法華講員たちの言っている意味はそういうことなのだろう。

ゆえに御書に出てくる法華経云々は元意においては御本尊のことであり、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることが正しい仏道修行なのであると、おおむねこのような意味を言っているのだと思う。

それを沖浦氏は知ってか知らずか、ともかく自分に都合よく引用して、もっともらしい説を展開する。なるほど、法華講員たちがウンザリするのも頷けるところである。

2018/7/8

ダイモウゴ  
まず、日亨上人の表記についてはわたくしのハヤトチリというか、うっかりミスであることを正直に言っておかなければならない。年々、細かい字が読めなくなってきており、また、パソコンの不具合などにより単語登録が消去されてしまったりもして、専門用語を打ち込むのがかなり難儀な仕事になってきている。いずれは入力ソフトの劇的な進歩によって専門用語も当たり前のように変換される時が来るとは思うものの、現時点ではまだそこまでの変換能力を有していないのが実情であるからして、この先、当分は苦労することになるだろう。

さて、気がつけば顕正新聞が溜まりまくっている。

まずは1440号の城衛の発言から取り上げるが、当該号は五月十五日号であることをお断わりしておこう。ボヤボヤしているうちに、早くも二ヶ月が経とうとしている。

先生の諫暁に相呼応する、厳然たる諸天の働きを実感・・・

いよいよ諸天が感応し・・・

前段は安倍政権が崩壊し始めたという意味であり、後段は安倍政権の完全崩壊を予言しているわけである。しかし、すでに七月に突入していることからして、今から急転直下で倒閣が現実化するとは考えられない。すると秋の総裁選が一つのターニングポイントとなるだろう。そこでどのような結果が出るか知らないが、もはやここまで来ると崩壊というイメージからは程遠い感じがする。前々から再三言っているように、すでに安倍政権は日本の憲政史上において有数の長期政権だったことが確定しているわけなのだ。

しかしいよいよ「大妄語の内閣」に大聖人様の鉄槌下るときが来た・・・

今度は副総合婦人部長である。通常、諸天の鉄槌と表記されることが多いが、彼女はめずらしく大聖人の鉄槌と書いている。

 正本堂崩壊、阿部日顕退座の大衝撃を思い起こしては、原理はただ一つ、大聖人様が浅井先生をして諫暁せしめ、諸天をして打ち砕き給う・・・

原理は一つとは言うものの、安倍政権の崩壊がなぜに正本堂崩壊や日顕上人の御退座と並列するのかがわからない。

いままさに浅井先生によって劈かれる!三度目の勝負は浅井先生によって決せられる!

話の流れからすると、やはり正本堂と日顕上人と安倍首相とが並列しているように読めてしまうのだが、よくわからない話である。

大師子吼

まだ言っているのか、懲りない人である。

少し前の話になる。幹部たちの浅井先生に対する讃嘆はエスカレートする一方であり、この大師子吼が連発された時期があった。それを拙ブログでは批判した。会長本仏論そのものではないかと。すると幹部たちは遠慮するようになって、今は師子吼と表記するのが一般である。師子吼もどうかと思うところだが、それを言ったらキリがない。そこでとりあえず大師子吼はダメだろうということを書いたわけである。それを昌子は未だに言い続けているわけである。

そうそう、思い出した。三度目の意味は別だった。神道と仏教との争いを言っているのである。

すなわち日本に仏教が渡来した時に、物部は神道を支持し仏教に反対した。この時、聖徳太子が出現して仏法守護の戦いをしたわけである。明治期には廃仏毀釈の嵐の中、日霑上人が戦った。そして今は三度目であると。神の国を作らんとする安倍政権に対し、浅井先生は仏法守護のために戦っているのだと。

しかし、これもハタから見てどれほどの客観性があるのかが問題である。少なくとも現時点では安倍政権がそこまであからさまに神道復活を推し進めているようには見えない。顕正会で勝手に言っているだけの話である。

平然とウソをつく体質は幼少のときからと伺っては・・・

女子部総務の一人が書いている。ようするに浅井先生がそのように言っていたわけなのだろう。安倍首相のウソツキ体質についてである。しかし、なぜに幼少の時のことまで知っているのか、そこが甚だ疑問である。結局は浅井先生も誰かの受け売りを言っているに過ぎないのだろう。女子部総務はその点をしっかりと踏まえるべきである。

第二十四男子部長は、御殿場駅を拠点にしているタクシー運転手の発言を紹介している。

「法華講員は、御殿場駅からバスで箱根や富士五湖を観光した後、御殿場駅にまた戻り、タクシーに乗り換えて大石寺に登山に行く」

この話は前にも紹介したかもしれない。わたくしの思うに、箱根はともかくも富士五湖に関してはおかしいだろう。御殿場から富士五湖方面に向うのであれば、そのまま朝霧高原経由で大石寺を目指すのが自然である。また、箱根に関してもあえて言わせてもらえば、同じ道を戻ってくるのは芸がない。つまり、御殿場から箱根に登った場合、今度は三島方面に下って富士・富士宮経由で大石寺を目指すのが合理的ではないかと思う。この点、法華講員のほうが遥かに詳しいだろうから、彼らの意見も聞きたいところである。さすがにタクシー運転手がウソを言うとは思えないものの、話としては上述のごとく甚だ不自然である。

そして以前にも言った記憶があるが、主目的さえ見失わないのであれば、御登山の前後に観光したとしてももさほど問題はないはずであり、そこまで堅苦しく考える必要もあるまいというのがわたくしの意見である。

当該号は他にも取り上げたい記事があるのだが、もう終わりにしよう。

一つ書いておくと、高校入学と同時に入信したという若者が三人登壇している。顕正会は若い人が育っていない。これがわたくしの見立てであるが、全体の比率はさておき、こうして顕正新聞に記事が載ることも事実として書いておく必要があるだろう。一人はまだ十八歳かそこらなのに母親の組織に加わっているためなのだろう、婦人部組長の肩書きになっている。うら若き乙女が婦人部員では可哀想だろう。

臨終に関する記事も多いが、ともかく今日はこれで終わりにしたい。

2018/7/7

ハヤトチリ  
なりた氏はありがたい存在である。リンク先をよく読んだ上で、わたくしと沖浦氏に対して疑問を投げ掛けているわけだ。

すでに明らかなごとく、先方のページは創価学会員のたなか12345氏が立ち上げた個人のブログであり、冒頭には創価学会の公式見解ではないとの断り書きまで掲げているくらいである。ようはいつもの沖浦氏らしい早とちりに、わたくしが同乗した格好になる。とは言え、基本的には創価学会の教学を踏襲するものであり、その御用学者的存在が宮田教授なのだろう。ゆえに彼も宮田教授の言説を多く採用しているわけであって、沖浦氏が間違えるのも頷けるところではあるのだ。

ちなみにわたくしは面倒臭がり屋なので、前回はとりあえず紹介ページの文面のみをあげつらった。ガクシャセンセイはイヤミを込めた表現だったわけだが、ようは相手が誰であれ、自分の意見は変わらないつもりである。

 御書に二箇相承が載っている件ですが、次の改定で外れると思います。

いわゆる御書全集は日享上人が編纂されたものであるから、上人の許可がなければ変えることはできない。ゆえに沖浦氏の言う通りならば、新たな御書全集を発刊することになる。そしてもしそこに二箇相承がなければ、その時こそ脱日蓮正宗の完結ということになるのだろう。

はたしてそれでいいのだろうか?

 曽存の件ですが、開目抄は書写も沢山あって、内容に異なりがありませんし、明治まで残っていました。
 具体的には、日乾が1604年(慶長9年)に書写した真跡対交本が京都の本満寺に現存しております。


主師親の三徳を高らかに謳っている結文の問題を見落としているのではあるまいか?

日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり・・・

日乾の真跡対校本がどのようになっているのか知らないが、他門では「しうし」を「したし」と表記している。これも注目だろう。はたして創価学会版の御書でこの部分をどうするかである。もし「したし」を採用すれば、これもまた脱日蓮正宗の進捗を意味することになるだろう。

 対して二箇相承は写本と言われるものがあちこちにありますが、内容に統一性がなく、真筆(私はこの呼称を用います)対交本はありません。

これはよく指摘されている問題であるが、わたくしごときが云々できることではないので、割愛させていただこう。ただ一言、対校本ではなく臨写本と言われているものがいくつか残されているようである。

 ですので、貴方のご主張はイスラム国と同じく原理主義に過ぎません。

途中を大幅に省略して結論部分だけを引用した。さすがにイスラム国と同じは言い過ぎだろう。そもそも原理主義とは何かが問題であるが、大聖人の教えに忠実であろうとする姿勢を原理主義と呼ぶならばそれは大いに結構なことである。創価学会は教義の改変を繰り返しているが、そんなことをしているうちに大聖人の仏法とはまるで別のヘンテコリンな宗教になってしまうかもしれない。むしろその心配をしたほうがいいのではないかと思う。

 御書には

 『法華宗の心は一念三千性悪性善妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり、』
 (治病大小権実違目)

 色々と読み方があると思いますが、私はこの元品無明とは、祈りが叶う事を信じることが出来ない自分自身と捉えます。


いろいろと読み方があると断わっているので問題はないだろう。ようするに原意を十分に理解した上で応用的に解釈することは悪いことではない。

 『譬えば頭をふればかみゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉ればゆるがぬ草木やあるべきさわがぬ水やあるべき。』
 (日眼女造立釈迦仏供養事)

 この教主釈尊は、自分自身の命の事。


しかし、この引用はいい度胸しているとしか言い様がない。題名が示すごとく、これは釈迦仏造立を肯定する御書なのだ。その原意を無視して、ここでの釈尊は自分の命のことである、などと解釈したところでムナシイ限りである。

そもそも沖浦氏は曼荼羅道具論者だった。ここから話を発展させれば、あるいは曼荼羅でも仏像でもどちらでもいいという考え方なのかもしれない。なぜならば道具だからである。

いちおう、それはそれで整合性があるのかもしれない。

しかし、もはやそうなると創価学会のこれまでの歴史は何だったのか、ということになるわけで、これはもう単なる脱日蓮正宗ではなく、実は脱創価学会なのではないか、ということにもなりかねないだろう。よく言えば脱皮であり、専門的には発迹顕本を意味するのだろう。しかし、ハタから見れば、変節に変節を繰り返した挙句、わけのわからない宗教になってしまった、ということになると思う。

もちろん創価学会の首脳部だって馬鹿ではないので、ガクシャセンセイのお知恵を拝借しつつ方向性を決めているのだろう。しかし、そもそも宗教はコロコロと教義が改変されること自体がおかしなことであり、必ず過去との不整合を指摘されることになる。それをその都度、釈明しないといけないわけだから、実にご苦労な話である。

思えば顕正会も過去との不整合が目立つようになってきた。一貫不変をウリにしてきた顕正会にとっては、すでにしてそれ自体が致命的であり、事実、会員の流失もなかなか歯止めが掛からないようである。

2018/7/1

ガクシャセンセイ  
本年も半分が終了した。この半年は拙ブログの存続が危ぶまれる状況にあった。しかし、直近のコメント欄を眺めると、半年前の状況に戻ってしまったかのようである。これを喜ぶべきか悲しむべきかは微妙なところだが、ともかく拙ブログはわたくしの独白を主体としているのでそうしたことに一喜一憂するのは間違いだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/sokakyougaku/diary/201602160000/
https://plaza.rakuten.co.jp/sokakyougaku/diary/201602230000/

沖浦氏が紹介してくれたページである。

教学理論は、大きく分けて「日蓮と日興が遺した理論」と「それ以降の法主たちが遺した理論」に大別することができますが、法主たちが遺した理論の中でも、第26世日寛の教学理論には、現在の教学の柱となったものが多数含まれています。

なるほど、これはうまい分類である。顕正会員と法華講員の議論においても、ようは戒壇論の議論においても、法華講員たちは〇〇上人がこう言っている△△上人がああ言っているみたいな感じで顕正会員を屈伏させようとするが、おそらくは対創価学会においても同様のことが行なわれているのだろう。

日主の時代に、武田勝頼の軍勢が大石寺や周辺地域に侵入し「二箇相承」を紛失するという事件が起こります。二箇相承とは、日蓮が日興に教団の後事を託した「身延相承書」「池上相承書」のことですが、これらの正本の紛失によって、日興門流が日蓮の正統であるという証明が失われました。

この部分はどうかと思った。何しろ御書全集にも二箇相承は掲載されているのだ。正本が失われたことはもちろん大きな痛手であるが、しかし、これによって相承の事実が失われたことになるわけではない。この点、学者先生にしては短絡的ではないかと思う。

さらに追い打ちをかけるように、日精の登座直前に大石寺で大火が発生して、ほとんどすべての堂宇を消失するという事件が起きています。この大火によって、それまでの大石寺の全貌はわからなくなってしまいました。現在の大石寺には、江戸中期以前の建造物は1棟も残っていません。

これも疑問である。大石寺には大聖人の御真蹟御書が多数存在する。堂宇は焼けたが御書は残ったのだろうか?

ちなみに前掲の事案を身延に当てはめると、明治の大火で開目抄などの重要御書が焼失してしまった。しかし、開目抄を疑う人は誰もいない。二箇相承も同じ理屈だと思うのだが、違うのだろうか?

現在では日興創建の大石寺の詳細が不明なため、ネットなどの一部の噂では、日興創建大石寺は別の場所に存在していた、とする主張も飛び出しています。

学者先生がこういう不確かな情報に飛びつく。一部のウワサとは断っているものの、どうかと思うところである。

二箇相承の抜けた穴を埋める理論の出発点がここに定まった・・・

これもどうかと思うところで、彼の言い様では日寛上人の教学理論は二箇相承抜きで組み立てられているかのように読めてしまうが、はたして事実はどうだろうか? もし上人の御筆記の中に二箇相承の引用がまったくないのであれば、ご説ごもっともとなる。さて、事実はどうかである。

さて、日寛教学の中には、上記のように存亡の危機に瀕した日蓮正宗を救うために構築した、法主絶対論のようななかば強引な理論も存在しますが、
「祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来たらざるなく、理として顕れざるなきなり」のように、格調高く「信」を鼓舞する優れた教えも多く存在します。
日寛のこのような「御本尊に題目を唱えることでどれほど幸せになれるか」を説いた文章は、教学理論として今後も採用してよい箇所だと言えるのでしょう。


ご都合主義の典型である。

格調高く「信」を鼓舞する優れた教え・・・

再掲であるが、日寛上人が仰せられているのは戒壇の大御本尊への信であり、まさに学者先生がおっしゃるごとく、格調高く信を鼓舞する御指南に他ならない。そして重要なことは、創価学会においても牧口・戸田時代から一貫して、戒壇の大御本尊への信を強調してきたわけなのだ。

それにもかかわらず都合の悪い部分を消去してイイトコドリするということなのだから、これはもう誰が見てもバレバレの悪事である。どれほどエライ学者先生が言おうが事実は変わらない。

また、日寛書写御本尊を創価学会が採用することと、日寛教学の「時代的制約を受ける箇所」を捨て去ることは全くの「別もの」であり、日寛教学の一部を捨てたからといって、日寛書写御本尊を採用することが矛盾しているわけではないことが確認できます。

正直、これがロジックとして正しいか否か、わたくしにはまったく判断できない。ただし、こういう場合は難しい理屈ではなく、一般人の平均的な感覚からしてどうかが重要だろう。何かヘン、ちょっと無理があるんじゃないの? と思う人が多ければ、先ほどのどれほどエライ学者先生云々が援用されることになるだろう。

余談ですが、日寛の存在と日寛教学は、大正〜昭和期に堀日亨上人が「富士宗学全集」で取り上げるまでは歴史に埋れて忘れ去られた存在でした。「富士宗学全集」以前の日蓮正宗では、中興の祖といえば第9世日有と17代日精のことを指したようです。
堀日亨上人が「富士宗学全集」で日寛の事績を再評価してからは(同時に日精が釈迦仏像を造立するなどの謗法法主であったことも宗学全集で再確認された)、中興の祖は日有と日寛に変わったようです。


この部分、余談とは断っているものの、どのような論拠によるのかが気になるところである。

顕正会の浅井によれば、六巻抄並びに御書文段は貫首直伝の秘書だった、在家はもちろんのこと僧侶であっても容易には閲覧の許されるものではなかった、ということらしい。これが事実であれば、学者先生の言う「歴史に埋れて忘れ去られた存在」はまったくの事実誤認となるだろう。

翻って冒頭の話に戻れば、歴代上人たちが後付け理論を構築してきたというのは頭ごなしに否定できないものの、さりとて話はそんなに単純なものではないと言っておきたい。ようするに日寛上人ほどの大学者が他宗他門との法論で通用しないような、そんなチャチな後付け理論を構築するわけがないのである。この点を軸に考える時、結局は創価学会そのものが今まさに後付け理論を構築して自己正当化を図っているという現実が浮かび上がってくるわけなのだ。

2018/6/25

ビロウ  
面白いコメントがある。それを紹介したいのだが、ビロウな意味もあるのでやめておこう。

そしてたった今、面白いことを知った。

この尾籠はもともと烏滸と同義だったらしいのだ。烏滸がましいは今でも使われる表現だが、大聖人の御書にも烏滸が出てくる。

但し印真言なくば木画の像の開眼の事此又をこの事なり。

撰時抄の一節である。原文はご覧のように「をこ」となっているが、平成新編の漢字ルビはこれに「烏滸」を当てている。この「をこの事」を今日的な「烏滸がましいこと」の意味で読むと実にピッタシである。尾籠の意味とはかなり隔たりがあることがわかるだろう。今となってはオコとビロウが同じ語源だったとはとうてい思えない。意味の変遷とはかくも凄まじいものなのである。

沖浦氏はわたくしの発言を受けて二つの概念を示した。

政治的判断、宗教的信念

その上で日寛上人を批判しているわけだが、わたくしに言わせればオコのことである。

 創価学会はこの二つの原則を正しく使い分けてきたので世界宗教にまで拡大しました。
 対して日蓮正宗この点が全くだめです。


これを逆手に取れば、創価学会はダブルスタンダードの極致ということだろう。この点、日蓮正宗がダメだとすると、それはむしろ真っ正直だということであり、宗教的な意味では尊いことのはずなのだ。

 戒壇本尊本懐論の切っ掛けは實師の政治的判断でした。

實師? 誰それ? たぶん日寛上人のことを意味するのだろうが、相変わらずの誤変換ぶりである。どうやったらそんな字が出てくるのか知りたいものである。

それはともかく沖浦氏は、日寛上人は大石寺の正統性をデッチアゲタ、その最たるものが戒壇本尊本懐論である、と言いたいらしい。
しかし、それを要法寺との関係性から云々するのはどうかと思うところで、これが身延であればまだしもの話である。身延と富士との本家争いは世間的にもわかり難い。ゆえに正統性の主張はなかなかどうして困難を極める。
ところがである。要法寺はどこまで行っても大石寺の派生であり、これをひっくり返すことは不可能である。要法寺系法主の話はまるで視点が逆であり、そもそも京都の坊さんがなぜに田舎寺に過ぎない大石寺に晋山しなきゃならないのかを考えれば、それは大石寺こそが本家であり、そこの法主になることは名誉なことだからに他ならない。

ともかく沖浦氏が日寛上人を云々するのはオコのことであり、今の若い人たちの言葉を借りれば、ゲキオコである。

さて、氏は痛風を患っているとのことだが、これは贅沢病ではなかったか? オイシイ物ばかり食べているとなり易いというイメージがあるのだが、別の要因もあるのだろうか?

 突然雲が出て日差しが陰り、諏訪湖から涼しい風がドンドン吹いて来た。

話が飛んで恐縮である。しかも前後を省略しているので、わかり難い。

わたくしが思ったのは、なんだ、創価学会でもそういうことを言うのか、ということである。なぜならば、いかにも顕正会チックに思える話だからだ。この話が事実ならば、創価学会でも諸天の働きを認めていることになるだろう。しかも創価学会員は諸天に守られていることになる。

 心から思いました。
 世界で100回勝ってもこのお方に遥かに及びません。


普通、世界で一回でも勝てばそこらの凡人にはとうてい及ばない境地に達したと勘違いするものである。その意味において沖浦氏は物凄く謙虚な人間なのかもしれないと思う。

今日はこんなところで終わりにしよう。

2018/6/22

ウンカノゴトク  
トチロ〜氏はわたくしにメールを寄こせと言っているようだが、今のところは遠慮させていただくつもりである。というよりも、氏の人脈をたどって行けばわたくしとコンタクトを取ることはそれほど難しいことではないはずである。あるいはこちら側から連絡を取ろうとする、いわば積極的な姿勢を求めているのだろうか?

ともかくトオリスガリ系を含めてそれ相応の人数がわたくしの挙動に注目しているのは事実だろう。終わったみたいな捨てゼリフ的なコメントを残している人もいるが、善きにつけ悪しきにつけコメント欄が活性化することは拙ブログの存続を意味することになるのだ。

http://white.ap.teacup.com/ganko/2077.html

リンク先はかつての拙稿である。これを現役顕正会員反主流派氏は自語相違であると責めているわけだが、ひじょうにありがたいコメントだと思った。

言い訳しても仕方がないけれども、いくつか言っておきたい。

さらに話がややこしくなることを承知で書くと、宗門も問題だらけなのである。ゆえに現状では宗門復帰は最善策ではないという考え方もできるわけで、顕正会の立ち位置もそれなりに評価できるのかもしれない。

十日前の拙稿である。ようするに現実の世界はややこしいのだ。そんなに単純ではないのである。

以上、わたくし個人が宗門に復帰しようがしまいがどうでもいいことだが、以前に御遺命守護完結を宣言してしまった顕正会としては、この件に関してアイマイな態度は許されないはずなのである。

これも十日前の拙稿だが、すでに空氏に対して説明した通りであって、それで納得を得られないのであれば、もはや致し方のないところである。

平成十年以前の顕正会版の経本をご存知だろうか?

そこには御遺命守護の完結を祈念するくだりが存在するのだ。翌年、新たな経本が出来したが、そこには御遺命守護云々の文言は存在しない。
今でも顕正会では「勤行を申し上げる」というような表現を使っている。つまり、勤行とはそれほど尊く厳粛な行為なのである。顕正会員たちは毎日、それを行なっているのだ。
しかし、新たな経本では御遺命守護の完結を祈念しなくなった。これはもう最大の矛盾である。これに比べれば会長講演の自語相違などは大したことではない。

かなり強引なロジックとは承知するものの、会長講演の自語相違が大したことでないのであれば、独白ブログの自語相違など取るに足らない問題だろう。

繰り返しになるが、顕正会は正式に御遺命守護の完結を宣言してしまった。そして経本からもその祈念を削除してしまった。その状態で日々、勤行を申し上げているのである。

つまり、こうしたややこしい状態を作り出しているのは、ひとえに浅井先生の責任なのである。

そして八つ当たり気味に言えば、宗門の責任でもある。デタラメな教義を是正しないからだ。

以上、わたくしの自語相違について言い訳をすればこのようになる。ようするに現実はかくもややこしいわけだから、その状況に応じて発言すればさまざまの齟齬が生じても致し方がないのである。

さて、沖浦氏であるが、三十五億云々の話は控えたほうがいいだろう。

これはもう、普通の人たちの感覚からしてベラボウな金額であり、一見するとホラを吹いているように思えてしまう話なのである。そこを考慮しないといけないだろう。本当の話だとしてもなかなか信じてもらえない。そういう話は最初から出さないほうが得策である。

前にも書いたが、沖浦氏には敵が多い。ゆえに今の沖浦氏に対して、隙を窺っている者が無数にいるかもしれない。だとすれば用心するに越したことはないだろう。

今日はこんなところで終わりにしようかと思ったが、もう一つだけ書いておこう。

ここ数回の間にトオリスガリ系の人たちがウンカのごとく湧いてきた。その中には久しぶりに丁々発止のやり取りが見られて面白かったという意味のコメントもあった。

だったら自分がやればいいのだ。

ますます炎上することになるかもしれないが、まあ、それはそれでいいだろう。

おそらくインターネットの世界も日々に進化しているというか、むしろ流動的でありハヤリスタリがあるのだろう。掲示板全盛の時代は終わったのだ。特に日蓮正宗系の人たちはその多くが掲示板でのやり取りに限界を感じているか、もしくは徒労感を感じているのだろう。時間のムダであると。
わたくしの観察する範囲においては、往年の論客たちがほとんど消え失せてしまった。彼らは今、いったいどこで何をしているのだろうかと思うのだが、そうした消息もよくはわからない。
一つ言えることは、カネにならない。ゆえに時間を費やすだけムダであると思っているのだろう。書き込みそのものが楽しくて充実感を味わっていた時には、カネのことだとか時間のことなどは気にならなかった。しかし、飽きてきてしまえば、いったい何のためにやっているのだろうか、という自問自答に陥り、そこでようやくムダだったことに気づくわけだ。

では、わたくし自身はどうかであるが、とっくの昔に限界を迎えており、今は惰性で続けているだけなのである。ゆえに、これよりももっと価値的なものがあれば、そちらに移動することになるかもしれないとは思うものの、現実にはそうしたものは見つからず、結局はダラダラといつまでも続けているに過ぎないのだ。

ゆえに、オマエはもう終わっているのだ、という意味のコメントは案外に的を射ているのかもしれない。もっとも、そのコメントを書いている本人はどうなのか、という問題があるわけだが・・・

2018/6/21

ヘイソクカンダハ  
沖浦氏が復活するとの話である。これについてはご自由にと申し上げる以外にないが、当然、今まで以上に注目される存在のはずなので、発言の一つひとつに気を付けないといけないだろう。

その後、氏からのコメントはないが、代わりに別の人たちで賑わっているようである。さて、どうしたものか・・・

失礼ながら正体不明の人たちなので、その一々には応じないことにしよう。印象としてはわたくし寄りの人もいればその逆もいる。あるいはヤジウマ的な存在もいる。また、井の中の蛙云々の、いわば正宗系にとっての強敵もいる。

結局、それぞれが自分の意見がいちばんだと思い込んでいるだけの話であって、あくまでそれはその立場における最善なのだろう。ゆえに井の中の蛙であると言われてしまうと元も子もないのだ。

そこでわたくしの立場を明確にしておくと、しょせんは日蓮正宗系の小さな器の中で泳いでいるに過ぎない、そんなチッポケな存在である。

ゆえに井の中云々については除外させていただくことになる。

さて、そこで今度は宗門を取るのか顕正会を取るのかという二者択一の問題である。これについてはすでに明確であって、日蓮正宗系無所属信徒というのがわたくしの立場である。もちろん、現時点における立場だ。

いわば空氏が責めているのはこの点だろう。

しかし、簡単な話なのである。ようは個人の自由なのだ。わたくしが正宗に帰伏しないというか所属しないのは、あくまでわたくしの自由なのである。さりとて顕正会にも所属していない。名簿上は残っているものの、すでに十年以上、組織から離れているという事実がすべてを物語るはずである。そしてこのようなどっちつかずの態度がケシカランと指摘されれば、これについては積極的に反論するだけの用意は何もなくて、先ほども言ったように、わたくしの自由である、というような子供じみた返事をする以外にないのが正直なところである。

とは言え、自由なのは事実だろう。強制される筋合いの話ではないのだ。

ちなみに付言しておくと、この無所属信仰は物凄く困難である。たぶん誰もがマネのできることではない。ある意味、ヘソマガリであり、カワリモノだからこそ、可能なのだ。ゆえに普通の人はマネしないほうがいいだろうし、もともとマネをする人もそう多くはおるまいと思う。

顕正会の未活動者の復活がわかりやすい例である。

彼らにはさまざまの事情があるにせよ、多くは顕正会の実態を知り、いわば絶望したわけなのだろう。それで組織活動から離れたわけである。そういう人たちがなぜに復活するのだろうか? ようは孤独に耐えられなかったのだ。ちょうど孤独に苛まれている時、タイミングよく顕正会の人から声を掛けられれば、自ずとそこにすがってしまうという、単純明快な図式である。

人間は贅沢なもので、賑やかなところに居続けるとそれが時には鬱陶しくなり孤独を求めたりもする、ところが孤独になってみると今度はその逆を求めるのだ。

これはあくまで一例であって、ともかく無所属信仰は孤独の問題もさることながら、どうやって研鑽するのかを考えただけでも、普通の人には困難なことである。かく言うわたくし自身、近年は御書の拝読もかなり億劫になってきて、なかなかペースが上がらない状況である。

さて、ここでヤジウマ根性の人たちに朗報(?)である。

先ほどは、正宗に帰伏するかしないかはわたくしの自由である、と書いた。しかし、受け入れてくれるかどうかという問題がある。何しろ、わたくしは長年にわたって正宗を批判し続けてきたからである。宗門の戒壇論はデタラメであると。

ようするに、デタラメな教義を弘めている宗門にどうして帰伏しなければいけないのか、逆に言うと、宗門の教義はデタラメであると言い続けている人をそのままの状態で受け入れられるのか、ということなのである。

つまり、わたくしが日蓮正宗に帰伏するためには、もしくは、わたくしを日蓮正宗に帰伏させるためには、その前にやるべきことがあるのだ。

ここまで書けば十分だろう。

ヤジウマの皆さんが拙稿を拡散させることは自由である。はたして法華講員たちがどのような反応を示すか、静かに見守りたいと思う。


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