2012/2/10

会員数の推定方法  
今日は前回の反省を踏まえて、話題をガラリと変えることにしよう。

結論として、顕正会の実働会員は四万人、甘く見積もっても六万人弱となろうか?

これは五年前の拙稿である。顕正会の会員数をどのように割り出すか、一つの考え方を示したものだった。簡略に述べれば、九州における活動会員の実数がわかっているとすれば、そのデータを元に全顕正会の活動会員数を推定できるのではないか、ということで計算をしたら上掲の結果が得られたわけである。この数字はまず結論ありきではなく、純粋に計算して導き出した数字なので、わりと説得力があるのではないかと思う。

さて、あれから五年、顕正会は百五十万を達成した。もちろん、これは名目上の会員数であって、実際の会員数ではない。当然、顕正会の内部の人間、とりわけ最高幹部クラスであれば正確な数字を把握していることであろうが、しかし、それはなかなか外部には漏れてこない。何しろ浅井先生が各種講演で百五十万を力説するものだから、たとえ実数を知っていても幹部たちはそれを口に出来ないのだ。

そこで今回のテーマだが、新たな計算式を用いて顕正会の実数に迫る、というものだ。

なお、わたくしは小学生レベルの計算能力しかないので、計算間違いがあるかもしれないし、そもそも計算方法そのものが間違っているかもしれないので、その点をお断りしておきたい。

登用+五級+四級=三万人

顕正新聞第1230号には今回の教学試験の受験者数が空前だったと書かれている。細かい数字を省くと三万人だ。そこで、もし仮に一級まで試験を行なっていたらどうなるかを考えてみると、ぜんぶで六万人になるのではないかという単純計算が成り立つ。

上掲のデータを元に考えると、一種目あたり平均一万人の受験者だ。もし六種目やれば六万人だ。

登用+五級+四級+三級+二級+一級=六万人?

しかし、これは誰も納得しないだろう。

昨年の三級受験者は約二千人だった。二級と一級はデータがないけれども、常識的に考えれば三級と同程度かそれよりも少ないはずなのだ。ゆえに、この三種目がそれぞれ二千人ずつの受験者だったとしても六千人が上乗せされるだけになる。

よって、全種目が行なわれた場合の想定受験者数は、次のごとくなる。

六万人

三万六千人

エライ違いだ。

たぶん顕正会批判のプロたち(?)も、この数字ならば納得するだろう。しかし、せっかくだから、もう少し厳密に計算してみたい。

一級試験の受験者は百人くらい。

これはもちろん当てずっぽうである。過去の新聞を引っ張り出せば、その時の受験者数がわかるだろうけれども、それはあまり参考にならないだろう。何しろ一級は二十年以上も実施されていないのだ。すでに退転している人もいるだろうから、過去のデータから人数を割り出しても当てにならない。厳しく見れば、受験有資格者はほぼ皆無に等しい。しかし、ここでは思いっきり甘くして百人としておこう。

二級は千人くらい。

これも二十年近く試験が行なわれていないはずだ。ゆえに数字は当てずっぽうであるが、昨年の三級の受験者が約二千人で、そのうち合格者は二百五十九人だった。よって受験資格があるのは二百五十九人+アルファである。これも甘めに見積もって千人がいいところではないかと思う。

三級は三千八百八十七人+二千九十七人−二百五十九人

いきなり数字が細かくなった。理由は簡単だ。昨年三級試験が行なわれた。二百五十九人が合格したので、それが二級試験へ行く。残りは三級を再受験する。そして昨年の四級合格者が加わるわけだ。退転して減ることはあってもこれ以上は増えない。

清書しよう。

三級=昨年の四級合格者+昨年の三級受験者−同合格者

3,887+2,097−259=5,725

これで全種目を合計しよう。顕正新聞には三種目で三万四二一名と書かれているので、その数字を使うことにする。

30,421+5,725+1,000+100=37,246

全種目が実施された場合の想定受験者数は三万七千二百四十六人だ。

これが顕正会の実数だとすると、大したことねえなあ、というのがわたくしの感想である。

ただし、先の二級を千人としたのはやや自信がない。もう少し多いかもしれないのだ。末端は入れ替わりが激しいけれども、このクラスになると半ば化石化しながらも留まっている場合が多いからだ。

以上、教学試験の受験者数から活動会員数を推定すると、いちおう四万弱という結果になる。

話を進めよう。

次もまた会員数の推定であるが、今度は別の計算方法である。

 この日、過去最高の七百余名の男女青年部員が全国から続々と青年会館に参集・・・

顕正新聞第1230号の一面上段は教学試験の記事だった。そして下段には成人式の記事がある。上掲には男女青年部員とあって、これだと曖昧だが、参集したのはいちおう新成人たちである。得意の過去最高の文字が躍っている。それはともかく、七百余名が今度の計算の基礎データとなる。

700×(65−15)=35,000

これだけでわかる人がいたら、その人はたぶん頭のいい人なのだろう。まあ、しかし、ひじょうに簡単な計算だ。

わたくしが考えたのは年齢別の会員数である。各年齢に七百人ずつの会員が分布していると考える。いちおう過去最高を謳っているので、これを平均値とするのは甘めの計算となるはずだ。会員資格を十五歳から六十五歳とすれば、三万五千人が活動会員となる。

なんだ大したことねえなあ、というのがわたくしの感想である。

もっとも六十五歳になると、資格がなくなるわけではないし、死んじゃうわけでもない。ゆえに、七十五歳に引き上げて計算すると、四万二千人になる。八十五歳であれば、四万九千人だ。

九十五歳ならば・・・

失礼ながら亡くなる人が多くなるので、そのまま平均値を使うわけには行かない。もし七十五から九十五まで各年齢に七百人ずついれば、それだけで一万四千人になる。後期高齢部だけで大会が開けることになってしまうのだ。

さて、上述の応用として、次の計算を示しておきたい。

700×(45−15)=21,000

ここまで順番に読み進めてきた人ならば、おおよそ察しがつくだろう。

男子部女子部の上限をいちおう四十五歳とした。すると二万一千人なのである。男女合わせての数字だ。これで来年は三万人の女子部大会、再来年は五万人の男子部大会をやるつもりなのだ。

しかし、この計算はあまり信用できない。なぜならば新成人は顕正会歴五年である。これからたくさん折伏して同年代の人たちを糾合していくので、さらに五年加算して二十五歳の頃には倍の数字になっているかもしれないのだ。もっとも、一方で退転してしまう人も多いので、そこを勘案すると何とも言えないところではあるが・・・

以上、今回は二つの計算を試みたが、いずれの計算においても顕正会の実数は四万前後であり、五万を超えることはなかった。


2012/2/7

自分にダメ出しするブログ  
葬儀に関して、いくつかのコメントを頂戴しているので、まずはそれについて書こう。

一般的には、未だに在家葬儀は受け入れられていません。良くも悪くも、日本の伝統文化が、これを忌避するのでしょう。私も創価学会の友人葬に参列した事がありますが、参列者からは陰口で、やはり新興宗教だね、等とささやかれていました。
まだまだ、絶対多数は、僧侶の葬儀のようです。


在家葬儀というのは創価学会ないし顕正会の葬儀を意味するのだろう。この文脈で言えば、おっしゃるごとく、まだまだ絶対多数は僧侶の葬儀なのだろう。しかし、前回も触れたように火葬場直送のケースも増えつつある。その理由はさまざま考えられるが、一つには無神論というか無宗教の人たちなのだろう。彼らは坊さんにお経を上げてもらう必要性を認めないのだ。直送は極端にしても、葬儀そのものを無宗教の形で行なうケースも増えつつあるのではないかと思う。よって、上掲の論理は創価学会ないし顕正会に対する破折の意味では通用しても、無宗教者には通用しない論理なのだ。

ところで創価学会と顕正会の葬儀は近似の関係にあるわけだが、おそらくは一つだけ異なる点がある。創価学会の場合、いわゆる導師を地域の幹部がやる。顕正会は本部職員がやる。組織の大きさが違うので無理な話なのかもしれないが、創価学会の導師はクオリティにバラツキがある。ゆえに一般の会葬者が陰口を言うのだろう。手前味噌ながら顕正会の導師はそれなりにクオリティが高いのだと思う。

まあ、しかし、いずれにしても五十歩百歩であって、法華講員に言わせればどっちもダメなのだろう。

 釈迦は弟子の出家に葬儀への参加を禁止しています。

これがよくわからなかった。釈迦はともかく大聖人はどうなのか、そちらのほうが優先されるはずである。まさか上掲のような御書が存在するとは思えないのだが、どうだろうか?

忌日より前に必ず法要を行うのが常識である。
分かりやすく言えば忌日は裁判当日であるから、遅れてはならないのである。
亡くなった日から起算すれば、荼毘の時点で初七日が二日後、翌日ということも珍しくない。
よって繰り上げ初七日を行い、追善するのである。
未入信の参列者には仏縁を結ぶ上からも大事なことである。
新興宗教にはわかるまい。
以後、四十九日までは七日ごとの塔婆をお寺様にお願いしておくこともできるので心配はなくなる。
納骨は五七日忌または七七日忌に行うのが一般的である。
法要にはそれぞれ意味があるが、観念的にしかわからぬのが顕正会の愚かさであろう。
儀式法要を形骸化させ、浅井を神格化し、浅井のための人集め宗教と成り果てた陳腐さに気付けぬ木偶の坊の集団である。


顕正会に対する批判はどうでもいいことだ。

亡くなった日から起算すれば・・・

これはウッカリしていた。しかし、忌日前云々がよくわからないことだ。わたくしの感覚では、別に遅れたっていいじゃないか、と思うのだが、それではダメなのだろうか?

たとえば急に誰かが亡くなって、まだお墓の用意が出来ていないとする。仮に四十九日が納骨の期限だとしよう。お墓が間に合わない。わたくしだったら、まあ、いいや、業者に急がせて手抜き工事をされても困るから、納骨はヒャッカンチにしよう、シジュウクンチは面倒臭いから省略しちゃおう、と考えるところだが、これではダメなのだろうか?

ちなみに、現在のわたくしは顕正会の組織からも遠ざかっているので、葬儀はともかくとして、その後の忌日法要をどのようにしているか、よく知らないのだ。せっかくなのでご存知の人がいれば、コメントをお願いしたいと思う。

以上で葬儀の話を終わるが、これでわたくしの考え方がよくわかったと思う。早い話が無信心なのだ。わたくし個人は葬儀をしなくていいし、墓もいらない。文字通り、土に還してもらえれば、それでいいのだ。

さて、話は変わる。

威勢の良いことを書いてますが、反論出来ないからと思ってしまいますよ。^^

これはわたくしに言っているのだろうか?

もしそうだとすると、筋違いもいいところだ。

前回、邪魔をしてはいけないと思って、内容には深く立ち入らなかった。ようするに、これはバーズ博士と山門入り口氏の戦いなのだ。正確には山門入り口氏の外部スタッフ(?)だが、ともかくわたくしは観客に過ぎない。ゆえに反論する立場にはないし、そもそもなぜ反論しなければいけないのか、その必然性がまったく見出せない。よって筋違いと言わざるを得ないのだ。

今回の内容に鑑みて言わせてもらえば、わたくしは国立戒壇の呼称に拘泥しないという立場なのだ。これは拙ブログの記録を丹念に調べていけばわかることで、何も今になって急に言い出したことではないのだ。ゆえに反論する必要はないわけである。
また、これはごく最近のことだが、バーズ博士とも一線を画す立場であることを表明している。つまり、博士は顕正会を絶対に正しいと主張する立場だが、わたくしは必ずしもそうではない。それにもかかわらず、わたくしを顕正会側にハメ込んで、対立の構図を作ろうとしている。ここが大間違いの出発点なのだ。
ご存知のごとく、わたくしは拙ブログにタブーを設けず、いろいろなことを書いてきた。宗門批判も少なからず書いているし、戒壇論についてもわたくしなりの意見を書いてきた。よって、まずは拙ブログに対する反論なり何なりをコメント欄に書き込めばいいことで、それに対してわたくしがどのように応じるかが問われるわけである。そこでわたくしが黙り込めば、まさに反論不能を意味することになるのだろう。

なお、バーズ博士について、わたくしから弁護をしておくと、博士はいわゆる遅筆である。実際にはいろいろと忙しくて更新する時間が取れないのだろう。ゆえに頻度としては週一くらいの更新となっている。しかし、時間を掛けただけのことはあって、文章はきわめて完成度が高い。

よって博士の更新頻度を斟酌すべきである。

コメント欄を設けない理由は不明だが、博士が従来のヘナチョコ会員とは訳が違うのは確実だろう。わたくしが言うヘナチョコとは、ブログを開設したと思いきや瞬く間に閉鎖してしまうケースだ。だったら最初からやらなきゃいいのだ。
ともかく博士のブログは今のところ閉鎖しそうもない。ここがバロメータだ。博士がブログを閉鎖すれば、ああ、やっぱりヘナチョコだった、善戦はしたものの法華講員の攻撃に耐えられなかった、ということになるだろう。
しかし、今の調子では大丈夫だ。むしろ法華講員のほうがタジタジになっている。そんな印象が拭えないのだ。

繰り返しになるが、わたくしをやっつけたいのであれば、それをコメント欄に書き込めばいい。博士をやっつけたいのであれば、博士がコメント欄を設けていない以上は、間接的に書くしかない。しかし、必ずしも博士とわたくしは連動しているわけではない。よって、博士の言動にわたくしが責任を持つものでもなければ、その逆でもない。当然のことだ。

最後に言っておこう。

実はわたくしがいちばんズルイのだ。組織を背負っているわけではないので、気が楽なのだ。言いたいことが言える。ほとんどテカセアシカセがない。

一方、バーズ博士は組織を背負っている。この点において、わたくしは博士に敵わない。博士はわたくしよりも遥かに高い境地にいるのだ。法華講の諸氏も同様である。

よって、結論的にはわたくしがいちばんダメなのだ。

2012/2/6

葬儀雑感  
未明に山門入り口氏よりコメントを頂戴した。

ブリトー石橋さんのガツンの反論に対して、反論文を書いたので閲覧していただけたら幸いです。

『「顕正会をガツンと破す」をガツンと破すに反論!』

http://sanmoniriguti.web.fc2.com/index.htm
http://plaza.rakuten.co.jp/sanmon77


リンクの貼り方がやや不親切で、反論文を見つけるのに苦労した。それはともかく感想を申し上げると、これは山門入り口氏の文章ではない、ということだ。いわゆるスタッフ(?)が書いたものなのだろう。氏のサイトにはいったい何人のスタッフがいるのか、その辺が興味深いところだ。反論文の評価についてはとりあえず差し控えたい。たぶんバーズ博士が何か書くだろう。わたくしが邪魔をしてはいけないと思う。

んっ?氏からは資料の紹介をたまわった。

平成十二年の資料ですが御覧下さい。

http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/pdf/syoho34.pdf

まあ,どんな宗派の坊さんもそうでしょうが,
おまんまの食いあげになりそうになると勉強し始めるものですww

現在も此の危機感があるかというと疑問ですがww(失敬)



ああ、そうか、平成十二年だったのか・・・

日蓮宗現代宗教研究所のサイトは以前より利用させていただいており、顕正会に関わる当該論文もすでに読んでいる。今回はそれとわかったので改めて読み直すことをしなかったが、せっかく開いたので巻頭言を読んでみた。原発に関する記事だったからだ。結論的には反原発なのだろう。それを少しオブラートに包むような感じの、弱めのトーンで書いているのが印象的だった。いずれにしても平成十二年の執筆であることが光っている。今日のように深刻な原発事故が起こってから書いても、それはあと出しジャンケンに過ぎないからだ。

まあ、しかし、このように書くと、今の顕正会を批判しているように読めるかもしれないが、そのつもりはない。顕正会の原発反対表明は立派なものだ。ただ、昨年の福島事故の起こる以前より反原発を訴えている人がいれば、そちらのほうが立派であるという比較相対を言いたいわけである。もちろん、教義上の正邪とは別の意味だが、原発に関する日蓮宗の態度は評価できる。

現在も危機感があるか・・・

失敬とは断っているものの、これは半ば核心を突いている部分かもしれない。何しろ十二年も前のことなのだ。もしかしたら今の顕正会は、当時の勢いが失われているかもしれない、すでにピークを過ぎているかもしれない、という評価があっても不思議はないのだ。

しかし、顕正会が一時期の勢いを失っていたとしても、必ずしも日蓮宗などの伝統宗派が盛り返すことにはつながらないはずなのだ。

さて、そこで顕正新聞第1230号の記事を紹介しよう。

「こんな崇高な葬儀は初めて」と参列者

女子部組長の体験発表である。この人は平成十五年九月に入会。かつて創価学会員だったがすでに脱会していた。また、正宗寺院への参詣も考えていたが、宗門への疑問が払拭できずにいた。そうした矢先に顕正会の折伏を受けたらしい。

この発表の主眼は母親の臨終についてである。ここでは煩瑣になるので文章を省略するが、どうやら自宅で誰も見ていない時に亡くなったらしい。これは一般的に変死と見なされることになる。すると警察による検死が行なわれることにもなりかねず、ひじょうに厄介だ。しかし、記事を読む限り、その辺のことがまったく書かれていない。よって具体的にはどうだったのか不明である。

ともかく話を進めよう。葬儀は顕正会の儀礼室で行なったわけだが、これが参列者から好評だったらしいのだ。

 会社関係者や友人・知人が百名ほど参列してくれましたが、「こんな崇高な葬儀は初めてです」と数名から声をかけられ・・・

あえてイチャモンをつけるならば、「崇高」が不自然だ。一般人はこういう表現を使わない。わたくしならば、こんな素晴らしい葬儀は、とか、こんな感動的な葬儀は、みたいに書く。

それはさておき、わたくしが注目したのはこの続きである。なんと、上掲のごとく感嘆の声を上げていた参列者の中に、後日、身内に不幸があって、「○○さんと同じ葬儀を挙げたいから、紹介してほしい」と言ってきた人がいるのだそうだ。

ここでようやく日蓮宗の話とつながった。

上掲の話が事実であれば、まさに既成仏教の坊さんたちには脅威である。オマンマの食い上げも冗談では済まなくなる。

さて、ここで唐突ながら沖浦氏のコメントを引用したい。

 ありがたげなお経をありがたげに唱えないと、民衆が尊敬してくれません。

 禅宗見ればわかるじゃないですか。
 あの宗派は、経文は月を指さすようなもので、月を見てしまえば指は要らないように、経文は要らない。

 そう言いながら、葬式では僧侶がお経を読みます。


氏の場合は五座三座批判のために禅宗の例を紹介しているわけだが、わたくしはもっと広い意味で考えたいと思う。つまり、一般人の多くは、なんで高いお布施を払ってまで坊主を呼ばなきゃならんのかという、葬儀そのものに対する疑問を内心に懐いている。こうなると、日蓮宗だろうが日蓮正宗だろうが関係ないことになる。一般人にしてみれば宗教の正邪などはまったく眼中にないからだ。

初七日

ご存知のごとく、今は葬式の日にそのまま初七日法要をやってしまうケースが多い。もし本当に意味のあることならば、初七日は七日目にやるべきが筋である。これはたぶん妥協の産物なのだろう。坊さんとしては初七日を七日目にやりたい。しかし、呼んでもらえない可能性がある。今の檀家は信心がないからだ。ゆえに葬儀の後、すぐに初七日をやるという方式が生まれたのだ。これなら檀家も断りづらい。

サンジュウゴンチ

たぶん、わからない人もいると思うが、三十五日法要のことである。たまたま地方の葬儀に行く機会があって、そこでの経験談だ。

その地域では本葬の後、初七日ではなくて三十五日法要をやる。これはどういうことか、わたくしもよくは知らないが、どうやら昔は初七日から始まって二七日・三七日・四七日・五七日(三十五日)・六七日という具合に、七日毎に法要をやっていたらしいのだ。あるいは二・四・六はないのかもしれないが、いずれにしても四十九日法要までにも法要が何回もあったわけである。さすがにこれは現代にはそぐわないので、本葬の後に三十五日をやる。つまり、これで四十九日までは何もしなくていい、という意味らしいのだ。

火葬場直送

これはネットで検索すれば一目瞭然だ。葬式代も高い、坊主への布施もバカらしい、だったら何もしないでそのまま焼き場に行っちゃうのがいちばん安いし、時間も取られなくていい。こういう人がいても不思議はない。実際、増えているのだと思う。ゆえに、そうしたニーズに応じて、葬儀屋も火葬場直送プランを用意しているわけである。

話がエスカレートしてしまったが、言わんとしていることはわかると思う。

もはや時代の流れは止められない。ここ十年から二十年くらいの間で、町の様子が変わった。超高齢化社会を見越してのことだろう、いわゆる葬祭ビジネスが儲かるということで葬祭場の建築ラッシュがあった。わたくしの住む地域は葬祭場が乱立している。しかし、一方で核家族化の進行とか隣近所との付き合いをしない人が多くなってきたりとかで、そんなに立派な葬儀を必要としなくなったのも事実だろう。その極端なケースが火葬場直送ということだ。

顕正会の葬儀が一般人にどのような印象を与えているのか、わたくしには皆目見当がつかないが、あるいは既成仏教の葬儀よりは好印象、いや、控えめに言ってマシということなのかもしれない。

今回の拙稿は大局的な意味で日蓮正宗にも当てはまるだろう。正宗の御僧侶方にも真剣に考えていただきたい事案である。

2012/2/5

やっぱり空前  
乱闘騒ぎが沈静化したところで、顕正新聞の話題に移りたい。第1229号は特に目を惹く記事が見当たらなかった。そうした中で強いて挙げるならば、次の見出しが興味深い。

身延派僧侶はみな浅井先生を知っていた

これは婦人部班長の体験発表だが、まず、彼女は五十年もの長きにわたって身延派日蓮宗を信仰していた。そして平成十七年二月一日に諫暁書に出会った。入会は十九年一月二日だそうだ。
誰の紹介であるとか、十七年から十九年までの約二年間のことなど、その辺がどうもハッキリしないのだが、ともかく顕正会に入ったわけだ。
すると今度は、これまで熱心に通っていた身延山がいわゆる折伏の対象になるわけで、この体験発表には折伏のために身延に乗り込んだ時の顚末が綴られているわけだ。

 現在「日総」と名乗る者が久遠寺九十二代を継いでいると聞いて面会を申し入れましたが、「忙しい」と会うことはできませんでした。

ずいぶん勇ましいではないか。まあ、しかし、アポなしで会おうとするのも無礼な話だろう。曲がりなりにも一宗の貫首であるからして、それなりの手続きを取るのが礼儀というものだ。顕正会の会長だって、いきなり訪問しても会ってくれないだろう。もちろん、マレには気さくな人もいて、けっこうな身分にもかかわらず気軽に会ってくれるようなケースもあるだろうが・・・

それはさておき、わたくしは次のくだりが気になった。

今回、久遠寺で話すことができたすべての僧侶に、浅井先生のことを知らない者は一人もいなかったことに、成仏を教えて下さる先生のご存在がいかに凄いのかと、言葉に尽くせぬほどの畏敬の念でいっぱいになりました。

失礼ながら、短絡思考の見本である。たとえ身延の坊さんたち全員が先生を知っていたとしても、それが必ずしも成仏を教えて下さる存在とはならない。
いわば先生は業界的には有名人なのだ。日蓮宗にとって、顕正会はいちおう研究対象なのだろう。ようは日蓮系の新興宗教という意味で、大なり小なり自分たちに影響を与えかねない存在なのだ。
また、逮捕事件などでマスコミを賑わしたこともある。いわば悪名高い存在が顕正会なのだ。
以上、身延の坊さんが先生を知っていたとしても、悪い意味で名前が知られているに過ぎないという可能性もなきにしもあらずなのだ。それを一方的に、成仏を教えて下さる存在と書いてしまっているところが、いかにも短絡的なのである。

四級試験 11,022名
五級試験  5,724名


さて、今度は教学試験の記事であるが、めずらしいことに、どこにも過去最高とか空前の言葉が見当たらない。

と思いきや、翌号のトップ記事を見て、ああ、やっぱり、である。

教学試験 四級、五級、登用を施行
空前 三万四二一名が真剣熱烈の受験


四級五級は記録を更新できなかったが、登用は過去最高の受験者数らしい。

13,675名

三種目ぜんぶを合わせると三万人を超えるわけだ。

そして同号には五級試験の合格者が発表されている。

2,032名

試験に関しては以上である。

・・・正師に巡り会う

正師に巡り会い・・・


二号続けて上掲のような見出しがあった。原文には、正しき団体・正しき師匠に巡り会えた、というようなことが書かれているわけだが、それを編集部では圧縮して正師と表記しているわけなのだろう。

しかし、正師はいかがなものかと思う。

これはたぶん以前にも指摘したはずだが、編集部は学習効果がないのか、あるいはほとぼりが冷めたと思っているのか、油断しているとすぐにまた始まる。同じことを何度も言わせないでほしいものだ。

2012/2/2

場外乱闘ブログ  
コメント欄が乱闘状態(?)になっているので、読み落しがあったらご勘弁願いたい。

●日蓮正宗佛乗寺の御書拝読 http://www.butujoji.jp/houwa/houwa2306.html

「方便品の長行=法華経方便品第二の長偈のこと。世雄偈ともいう。」


●「新改革通信」(青年僧侶改革同盟発行) http://www.nichiren.com/nkt/122.html

「この「十如是」とは方便品の十如是までのことである。そのあとには、長行が続いており、実は方便品は寿量品より長い。昔は、方便品の長行を読んでいたことがある。」


やはり一般的には十如是以降を長行と呼ぶらしい。

浅井先生はしばしば、本来会員に明かすべきと思われる重大なことを、明かされないままでいます。
正本堂建設の供養を突き返された時もそうです。この時の先生のご心情は「試練と忍従の歴史」58ページの下段に書いてあります。これが先生の考え方なのでしょう。


バーズ博士のこの意見はいかがなものかと思う。

確かに正本堂の御供養についてはおっしゃるとおり、わたくしも先生の心情を素直に汲み取りたいところである。早い話がイジワルというか一種のイジメを受けている状態であり、にっちもさっちも行かない状態だった。いわば中間管理職が上下から板挟みになっているようなイメージだと思う。
しかし、今回の場合は事情がまったく異なるわけで、上述のことは当てはまらない。つまり、相手がいる場合と、そうでない場合の違いである。相手がイジワルをするから困ったことになる。そうした障壁がなければ困ることは何もない。
よって、代表役員のことを全顕正会員に公表して、いったい何の差し障りがあるのか、その積極的な理由が見出せない以上、博士の説明はまったく通用しないことである。

「顕正会をガツンと破す」をガツンと破す

ところで別件ではあるが紹介したいと思う。上掲は博士の最新のブログである。欠かさず拝見しているが、いつも感心させられる。とりわけ直近の文章が凄かった。わたくし流に言わせてもらえば、ひじょうに面倒臭い文章である。しかし、そのロジックは完璧を思わせるものがあって、これに真っ向から反論を加えるのは相当の困難が伴うと思う。ようするに感情的な反論をすれば失笑を買うだけだし、ロジックで勝負するとなるとたぶん幾らかは己の非を認めないと話を進められないと思うのだ。つまり、議論の大前提はテクニックではなく、正直さだからである。巧妙なレトリックは、対面法論では役に立っても、筆戦では墓穴を掘ることになる。後からゆっくり検証すればインチキがばれてしまうからである。

しかし、わたくしは必ずしも博士に全面的に賛同するものではない。

「冨士大石寺顕正会は絶対に正しい!」と主張するブログ

これが博士の掲げる看板であるが、わたくしの仕事(?)は顕正会の間違いを指摘することである。ゆえに博士とは対立する立場なのだ。しかし、上述のごとく、わたくしは正直であることがいちばん大切なことだと思っている。よって、この部分は顕正会の言っていることのほうが正しいのでは、一方、こちらの問題は宗門のほうが正しいのでは、といった具合に、自分が素直に感じたことをありのままに綴っているわけである。

投稿者:事情通

>顕正新聞の正確な引用が求められるところだ。

それでは、顕正新聞平成2年3月25日号一面より

日曜勤行4月から常盤会館でも
本部会館は一時間間隔で

これまで本部会館における日曜勤行は午前7時から50分間隔で7回にわたって行われてきたが、参詣者が増えてきたため、4月からは常盤会館でも行われることになった。この措置により、本部会館での日曜勤行は一時間間隔6回になり、従来省略されていた寿量品の長行も読誦されるようになる。(中略)なお、常盤会館での勤行には特別に日胤上人御書写の大幅ご本尊が奉掲されるが、同会館の勤行には男子部のみが参加する。(後略)


ということで、平成2年3月までは少なくても日曜勤行では寿量品の長行読誦は省略されていて、「方便品・自我偈・唱題」となっていたのでしょう。ほかの会合がどうだったのかは知る由もありませんが。まぁ、50分サイクルで参加者入替の時間も含めると朝の五座はおろか、長行読誦も時間的にキビシかったのでしょうな。浅井会長の説法の時間も必要だったでしょうし。

ところで、厳虎さんとこからなら国立国会図書館はそう遠くないでしょう。あそこは資料の宝庫ですよ。


なるほど、これはわたくしの記憶違いだったようだ。

ようするに、日曜勤行では俗に言うタンゴン(?)、どうだろう・・・これは顕正会でも言っていないかな、わたくしの所属する組織では先輩が短い勤行のことをそう表現していたわけだが、ともかく事情通氏は前々回、顕正会の日曜勤行はかつて方便自我偈だったと書いた。それに対して、わたくしは違うはずだと書いた。たぶん氏は顕正新聞を読み間違えたのだろう、わたくしはそのように踏んでいたのだ。

ところがどっこい、上掲が結論である。新聞の現物を確認したわけではないが、わざわざ疑う必要もないだろう。わたくしの記憶違いだったのだ。

そこでアヤフヤながらも再び当時の記憶をたぐり寄せてみたい。

今のように通信手段が発達する以前のことである。当時、地方の拠点では一週間遅れで日曜勤行を実施していた。一週間遅れ? たぶん、事情を知らない人にはわからないだろう。ようするに今のように同時中継がなくて、浅井先生の指導は一週間前の録音テープだったのだ。それが今のように同時中継になったのがいつであるか、残念ながらわたくしの記憶の中ではきわめてアイマイだ。

いずれにしても地方拠点では長行も読んでいた。だからわたくしは錯覚していたのだ。本部もそうであると。

ここで素朴な疑問が生まれる。当時の本部参詣者はどのように思っていたのだろうか?

ようするに日曜の朝の勤行はタンゴンでもオッケーだったのか、である。本部参詣者は間違いなく顕正会の中核幹部たちである。彼らはタンゴンで終わりにしていたのか、それとも別に時間を設けて普段と同じ勤行をしていたのか、そこが知りたいところである。

投稿者:信行

むかしは板橋の本部で朝六時四十五分から五座三座をやっていた。初信者もみな五座三座をするようにしていた。いまの会長になり初心者は方便・自我偈に変わった。元妙信講員の証言より。


初心者のことはともかくとして、解散処分以前であれば、五座三座が当然であろう。問題は解散処分以後、具体的にはどのタイミングで五座三座が消滅したかである。この辺はそれこそ国会図書館にでも行って調べないとわからないことだが、わたくしは面倒臭いのでパスさせていただくことにする。元妙信講員の証言が得られれば幸いなのだが・・・

今日はコメント対応だけで終わってしまった。

2012/1/29

週一ブログ  
前々回のコメント欄に、田舎の男子部長という不思議な名前の人が興味深いことを書いている。顕正会には男子部長が十数人いるので、もしかしたらそのうちの誰かなのかもしれない。

昨年秋に顕正会の代表役員に就任した城衛さん

ようするに今現在、宗教法人顕正会の代表役員は城衛らしいのだ。すでにネット上には同様の情報が流出(?)していて、それには確か昨年ではなく一昨年と書かれていたような気がする。いずれにしても、わたくしには裏を取る術がないので、正確な時期は何とも言えないが、ともかくも上掲のことはそれなりに信憑性のある話なのだろう。

この問題のポイントは、一般会員に何の報告もないことである。それ以前に総幹部会で賛否を問うことが、たとえそれが形式的なものであったとしても民主的には正解のはずである。つまり、この件は顕正会の独裁体制を物語っているわけだ。

わたくしの思うに、こうした秘密主義的な手法をマスコミに叩かれたらどうするのか、である。あるいはズバリ、克衛のことを問われたらどうするのか、これも問題である。以前は名実共に顕正会随一の実力者だった。それがいったい何の理由で失脚したのか、まったく明らかにされていない。これは誰もが知りたい事柄だろう。

私は城衛さんを先生とは、呼べないでしょう。

田舎の男子部長氏の本音である。本部首脳は心して読むべきだ。

確かに若い会員たちは克衛を知らない。ゆえにさしたる動揺はない。しかし、古い会員たちは克衛を知っているのだ。

浅井先生も年齢的に限界を感じているのだろう。ゆえに城衛への禅譲を着々と進めているわけである。しかし、克衛の問題を消し去ることは出来ない。どれほど冷却期間を置こうが城衛へのバトンタッチの時には再燃することである。いや、もちろん、今の顕正会の中で内紛が起こるとは思えない。しかしながら見えない形で何かワダカマリのようなものが残るのではないか、それが組織全体の士気に影響を及ぼすのではないか、という想像は決して荒唐無稽ではないだろう。

さらに想像を逞しくすれば、そもそも浅井先生はなぜこのタイミングで代表役員をやめたのか、という疑問が浮かんでくる。

健康上、重大な問題が発生したのではないか、という疑いである。

それぞれの立場で考えればいい。自分自身の余命が幾許もないとわかれば、後始末のことをいろいろと考えるはずである。社長であれば次期社長を決めて後事を託すだろうし、家においても遺産のことなどいろいろと決めておくことがあるはずだ。同様の意味で浅井先生も健康上、何か重大な問題が起きて、これは早いうちに手を打っておかねば・・・と思ったのではないか、という可能性も考えられるわけだ。

あるいは池田氏の病状を伝え聞いて他人事だとは思えなかった。自分もいつナンドキどうなるかわかったものではない。だったら元気なうちに手を打っておこう。これも一つの可能性として考えられる。

いずれにしても先生ならびに城衛に、わたくしから言っておきたいことがある。

城衛に法論が出来るか、である。あるいは、城衛に法論を任せられるか、である。城衛を法論の場に送り出せるか、また、城衛本人にその自信があるのか、である。

浅井先生は自分の過去を思い出すべきだ。今はともかく少なくとも三十代四十代の頃は全能感(?)に満ち溢れていた。宗門の誰が出てきても負けない自信があった。

今の城衛にそれだけの気概があるのか、ということなのだ。

城衛を次期会長に据えるのは勝手であるが、はたして心から付いて行く人が何人いるか、それが疑問である。やはり会長になる前に一つでも多くの手柄を立てておく必要があるだろう。それを具体的に言えば、法論における勇姿を会員たちに強く印象付けることである。それが組織を統率していくための求心力となるのだ。

さて、今度は勤行雑感に寄せられたコメントである。第一発目からして驚きだった。

方便品では十如是までが長行であり、その後は世雄偈という。

不勉強のわたくしはまったく知らなかった。十如是の後に長い御経がある・・・という漠然とした知識を持っていた。ゆえに、てっきりそれが長行なのかと思っていたら、どうやら逆のようである。確かに寿量品における長行と自我偈の関係からすれば信行氏のおっしゃるとおりなのだろう。しかし、この問題は保留としたい。わたくしは一般的な定義がどうであれ、大聖人がどのような意味で仰せになっているか、そちらのほうが大事なのだ。生意気なようであるが、もう少し時間をいただきたいと思う。

一つの漢字は二音節で読む(従ってむーじょうどうとなる)とか
人名は縮めて速く発音するとかは共通だと思ってたんですが?


これは読み方の法則性をおっしゃっているのだろう。

今はどうか知らないが、以前は顕正会の中で「質問会ゴッコ」が流行っていた。当然ながらゴッコがある以上は本当の質問会もある。昔は質問会がよく行なわれていたのだ。今ではヤラセ疑惑の尽きない質問会だが、ともかく浅井先生が回答者だった。
これを末端の幹部たちがマネをするのだ。すると質問者も気が楽なのだろう、さすがに浅井先生には叱られそうで聞けないような際どい質問がたくさん出て、これがけっこう盛り上がるのだ。
結局、質問するほうも回答するほうも五十歩百歩の教学力なので、しょせんはトンチンカンな応酬になるわけだが、それが案外に楽しかったような記憶がある。

そこで勤行の話に戻るが、寿量品の最初のほうにカイイーコンシャカムニブツとある。かつて、これに疑問を感じた人がいて、なんでここだけ早く読むの? と質問会ゴッコの時に幹部に聞いたのだった。幹部いわく、しらねーよ以上、と。ここで爆笑となるわけだが、それは「以上」にも意味があってのことだ。かつての浅井先生による質問会をご記憶の人ならば、先生の口癖というか話の終わり方を思い出すに違いない、「・・・なんですね、以上」とか、「・・・なんですね、次どうぞ」みたいな感じである。一種の憑依なのだろうか、幹部たちは浅井先生が乗り移ったみたいに、そうした細かい言い回しまでもそっくりに話をするのである。

トクニュウムジョウドウ

トクニュウムージョウドウ


顕正会の勤行要典は平成十年に改定されている。それ以降に改定がなけければ上段の読みが顕正会式である。宗門とは微妙に異なるらしい。では、次のくだりはどうだろうか?

ヨクジュウセンシギ

例の法則性からすると間違いになりそうだが、わたくしは宗門の勤行を知らないので皆さんにお聞きするしかない。

平成2年4月より日曜勤行で寿量品の長行を読誦するようになったと昔の顕正新聞に書いてあったのを読んだことがありますな。

最後に、このコメントが気になった。これではあたかも以前は長行を読んでいなかったように受け取れるが、わたくしの記憶ではそんなことはなかった。以前から長行を読んでいたはずである。

顕正新聞の正確な引用が求められるところだ。

2012/1/22

勤行雑感  
勤行についての議論が続いている。そうした中で、んっ?氏のコメントがひじょうに興味深かった。ご自身のことだろう、今でも日蓮正宗の経本を使っているごとくだ。また、こう言っては甚だ失礼であるが、案外にまともな意見を書いている。

わたくしは前回、修行の観点からと断った上で、五座三座からの撤退は怠けていることになると書いた。なぜこのように書いたかといえば、それは教学的な観点から書くのが困難だからである。今の勤行の様式を考えるに、まさか大聖人の時代まで遡れるとは誰も思わないだろう。また、委細に見るならば、宗門の歴史の中においても勤行の様式に変遷があるだろうことが想像される。ゆえに今後も変化があって不思議はない。たとえば時の猊下が大英断(?)でもって、在家信徒は一座でよい、というような御指南をあそばすかもしれないのだ。

では、なぜに顕正会の勤行がいけないのか?

もちろん法華講員の模範的な答えは、何の権限もない在家信徒の浅井会長が勝手に勤行を変えてはいけない、となるだろう。いちおう顕正会では松野殿御返事を根拠に今の勤行を正当化している。これはひじょうに厄介な話で、まさに沖浦氏が御書を振りかざして自己正当化を図っているのと同じ構図である。法華講員ならば言うだろう、猊下が御決めになられることを在家のブンザイで勝手に決めちゃダメだ、と。

ひじょうに面倒臭い議論である。

わたくしはもっと単純な話だと思う。顕正会はいつ勤行を短縮したのか、それはたぶん解散処分以降だろう、では、なぜ変える必要があったのか、ということなのだ。
ようするに国立戒壇だけが争点だったはずなのである。であれば、他のことは今までと同じでなければいけない。
もし唯一の争点であるところの国立戒壇の問題が解決したならば、顕正会は宗門に復帰できる。本当に出来るかどうかは別であるが、ともかく原理的には復帰可能である。しかし、その他のあらゆる点で違ってしまえば、もはや復帰は不可能となる。いわば別宗派みたいなものだからだ。
塔婆だとか戒名の問題など、成り行きで変えざるを得なかったという止むを得ない事情があるにせよ、その方向性に踏み出してしまったということは、独立教団路線を目指していることの証左に他ならない。
たぶん顕正会の場合は勤行の短縮がその第一歩だった。結果論ではあるが、そこが異流儀の出発だったことになるだろう。

しかし、これも面倒臭い議論だ。

ゆえに手っ取り早く、修行というキーワードに集約してしまったのだ。月々日々につより給へ、これが修行の大原則なのだ。

御書根本宗

この際だから、もう少し話を続けよう。上掲は思いつきで作った言葉である。いわゆる経巻相承と同様の議論になると思うが、仮に誰かが御書根本宗を立てたとしよう。

 わが門下は五座三座の実践をせよ。

 こう言う御書探してアップなさい。
 御書全く読めない貴方、それじゃ我見ですよ。
 大聖人が仰せです。

 『只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり。』
 (一生成仏抄)

 何故御書素直に読まないのでしょうかね〜?
 大石寺派って御書要らない宗派ですか?


これは沖浦氏の文章である。まさに御書根本宗だ。御書根本宗は新興宗教にもかかわらず、大胆にも七百年の伝統を誇る日蓮正宗にイチャモンをつけている。

わたくしは言いたい。

されば常の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習ひ読ませ給ひ候へ。

月水御書である。これを出すと、今の宗門だって方便品の長行を読んでいないじゃないか、と言われそうだが、それは別の議論だ。ようするにわたくしが言いたいのは、御書根本を謳っている人はこうした御文をどのように拝するのか、ということなのだ。

顕正会員も創価学会員も、いわば一般の会員はそれぞれの教団が教えることを素直に信じていればいい。それが恣意的であれ何であれ、一般会員にはあずかり知らぬことなのだ。これは法華講員にも通じることだろう。

しかし、御書根本宗は許されない。恣意的な引用は御書根本の名に反することだ。

ウチはねえ、御書根本宗なんだけど、都合の悪い御書は読まない方針なんだよ。そうしないと教義の整合性が保てないから仕方ないんだよ。

たとえば御書根本宗では勤行の時に数珠を使うとしよう。これがまた大変だ。数珠のことが書かれた御書を提示しないといけない。わたくしの知る限りでは念仏破折の御書に数珠のことが出てくるけれども、詳しいことはまったくわからない。一事が万事がこのテイタラクだ。つまり、新興宗教として何か儀式ばったことをする場合、新たに創作をするか、もしくは既存の宗派の真似事をするしか方法がないのである。

ずるいようだが、日蓮正宗の場合はこの問題に抵触しない。それは何も血脈相承を持ち出すまでもないことで、昔からこうだった、と言えば済むことなのだ。これが伝統の強みである。

以上、五座三座が大聖人の御在世まで遡れないのは事実であるにせよ、今度は逆にどのような信行が適切であるかもわからないのだ。そこを踏まえずに議論をしても時間の無駄である。

最後に繰り返し言っておこう。

わたくしの思うに、古くからの妙信講員や創価学会員で今も五座三座を実践している人がいれば、大変に立派なことである。難しい理屈はいらない。何はともあれ修行として立派なことなのだ。しかし、残念ながら顕正会の場合、そのような古参会員は少ないと思われる。どうやら浅井先生も五座三座をやっていないようなので、たとえ古参であっても熱心な活動会員であれば右に倣えであろう。

2012/1/20

勝利が確約された婦人部大会  
前回はタイトルを激動の時代とした。われながら意味不明だった。しかし、なぜかコメント欄が激動している様子である。

まず、ヤクザの件はイチロー氏のコメントがいわば結論なのだろう。よって、ここでは繰り返さないことにする。

それから公明党の得票数に関してであるが、これは事情通氏と睦月氏が懇切に書いておられる。いわく、得票数=会員数ではない、と。

それはその通りなのだろう。ただし、イコールではないにしても、やはり創価学会の組織票がかなりのウエイトを占めることは動かないわけで、組織が弱体化すれば自ずとそれが得票数にも反映されるだろうことは否めないと思う。
たぶん今の小選挙区制度は浮動票の影響が大きく、組織票が活かせないのだと思う。かつての中選挙区であれば、公明党はもっと当選者を出せるはずなのだ。おそらくは共産党なども同様だろう。そこでおっしゃるように、その時の風向きによって民主が大勝したり、みんなの党が躍進したりするわけで、まさに浮動票の行方が結果を左右することになるのだろう。
しかし、そうした短期的な意味ではなく、長期的な意味では党そのものの浮沈が明らかなケースもあるわけで、失礼ながら名前を挙げれば社民党などが好例だと思う。同党がいわゆる凋落の一途であることは否めない。個人的な感想を言えば、福島党首はキャラクター的にけっこう好感度が高いのではないかと思うのだが、しかし、それが結果に結び付かない。

創価学会の組織が磐石であり続けるとは限らない。すると、それが自ずと公明党の得票数に反映されることになる。まさか公明党が創価学会の組織票から完全に脱却して、自力で今の勢力を保持できるとは思えないし、ましてや躍進することは考えられない。国民は自民党にすら愛想を尽かしたのだ。長年にわたって協力関係にあった公明党も例外ではないだろう。

より具体的に書いておこう。

公明党は前回の総選挙で大敗を喫した。当然、次の選挙では党勢挽回のために本気で戦うはずだ。つまり、創価学会員が選挙活動に狂奔(?)するわけだ。ゆえに現有勢力を上回ることは確実だろうと思う。問題はどこまで挽回できるかなのだ。ようは大敗以前の勢力を回復できるかどうか、もしそこまで届かなければ凋落が始まったとの見方も出来るのではないか、と思うわけである。

結論として、得票数がそのままイコールで会員数とはならない、これはその通りだが、得票数が一つの指標であることは間違いないのではないか、と言っておきたい。

ちなみに国民は今の民主党にもガッカリし始めている。さりとて他に期待を持てる政党も見出せない。もはや政治そのものに対する信頼が失墜してしまっているわけだ。そこでこの先どうなるのか、まさに一寸先は闇、不透明この上ないわけだが、こうした政治状況を浅井先生は悲劇だと言っている。たぶん先生としてはこのような時こそ顕正会の出番だと言いたいわけなのだろう。はたして出る幕はあるのか、そこは甚だ疑問であるが・・・

勤行のことで大沢氏よりお叱りを頂戴した。

沖浦氏はわたくしの弁護を兼ねてだろう、五座三座に真っ向から反論を唱えている。しかし、わたくしは沖浦氏に同調するわけには行かない。この件に関しては大沢氏が正しいのだ。

理由は簡単だ。

かつての創価学会は五座三座の勤行をやっていた。たぶん歴史的に言えば、半世紀以上にわたって日蓮正宗の勤行をやっていたはずなのだ。今さら御書に書いてあるとかないとか、そんな言い訳は通用しないのだ。

いや、もちろん、今までが間違っていた、今の勤行が正しい、という主張は可能である。過ちを改めることは決して悪いことではない。

しかし、わたくしの感覚からすれば、ダメなのだ。つまり、勤行は仏道修行の基本である。修行という観点からすれば、今まで以上に厳しい修行をやっているのであれば立派だが、そうではないとすると、単に怠けていることになってしまうからだ。

以上、これは沖浦氏を批判しているのと同時に、実は自分自身を批判しているわけである。決して正当化できるものではないのだ。ちなみに、今の創価学会の勤行がダメとなると、当然ながら顕正会式の勤行もダメである。まったく合理的な理由が存在しないのだ。

おいおい、だったらオマエ、ちゃんと五座三座やれよ、と言われそうで怖いが仕方がない、わたくしはナマケモノなのだ。

婦人部大会

うっかり書き忘れていたことがある。婦人部大会のことが十二月度総幹部会で発表された。本年の九月二十三日にさいたまスーパーアリーナで開催されるという。

会場が取れたのだろう。あれほどの大会場となると、半年以上前に予約を入れないといけないものらしい。ここで余計な心配を書いておくと、開催までの間に逮捕事件などが報道されないといいのだが・・・ということだ。

ところで婦人部大会の結集目標は二万人である。これはけっこうなハードルだと思う。得意の水増し発表(?)をするにしても、大きな会場なのであまりにも少なければ誤魔化しようがないだろう。

しかし、勝算は充分過ぎるほどあるのだと思う。

わざわざ大仰に書くまでもないが、女子部の応援がデカイのだ。ご存知のごとく、壮年部と男子部は一体化してしまった。分離する必要性がなくなったのだ。実は婦人部と女子部も同様の傾向がある。もはや明確な垣根が存在しないのだ。

子育て中の女子部員がざらにいる。それどころか孫のいる女子部員もいるくらいである。ヘタすると、ひ孫がいるようなケースもあるかもしれない。仮に独身であっても、まあ、四十以上であれば参加しても不自然ではないだろう。

こうした中高齢女子部員を当て込んでいることは誰の目にも明らかだろう。

2012/1/18

激動の時代  
今日は特に書きたいこともないので、行き当たりばったりで書くことになる。そこをあらかじめご承知置き願いたい。

元より、私は大聖人様の仏法を清く正しく伝来・護持している宗派は富士大石寺、及び日蓮正宗だけだと思っております。これからももちろん、広宣流布が叶う日までその清らかな流れは断絶しないとも思っております。

前々回のコメント欄にROM氏が書き残していったものである。氏は元顕正会員だが、現在はフリーの立場らしい。それでいて上掲のごとく、純粋な信仰を維持している。これは凄いことだ。

わたくしの場合は必ずしも純粋とは言えない。なぜならば、単に惰性的に続けているだけだからだ。いわゆる顕正会式の短い勤行にもかかわらず、面倒臭いことをやっているものだと思いながらも続けているわけだ。こんな調子では宗門における五座・三座の勤行など、永遠にできないだろう。ともかく惰性でも続けているだけマシというのがわたくしの言い訳である。また、こうしてブログをやっていることが、問題意識を持ち続けることの原動力になっている面は否めない。たぶん、普通の人であれば、時間の経過とともに信仰心が薄れ、仏法のことなどまったく考えもしなくなる。つまり、フリーの信仰など普通は成り立たないはずなのだ。

しかるにROM氏はそれを持続しているという。本当に凄いことだ。

が、今の正宗の現状を考えるに、未だ様々な問題も解決していない中で、入信(ご受戒?と申すのでしょうか)するには納得ができない状態であります。

大沢氏が誠意あるコメントを残されているので恐縮しながら書かねばならないが、ROM氏の判断は一つの見識であろうと思う。

拙ブログは長寿ブログである。個人サイトとしては長いほうだ。そして自慢を言えば、すべての記録がそのままの形で残っていることだ。コメント欄も同様である。
今は記憶のままに書くが、ともかく大勢の人がコメントを残されている。そうした中で比較的に多いのは、顕正会から法華講へ移籍した人たちだ。沖浦氏のような創価学会員は例外であって、大半が顕正会と何らかの関係を有する・有した人たち、とりわけ日蓮正宗に帰伏した人たち、それが拙ブログにおけるコメント投稿者の主軸である。
では、その人たちは現在どうしているのだろうか、ということなのだ。もちろん今も活躍している人がいて当然だが、詳しく調べていくと、すでに退転してしまった人も少なからず存在するのだ。

あえて一例を挙げよう。ユタ氏が好例だ。

彼は文章家だった。換言すれば饒舌だった。別にアラサガシをしていたわけではないが、わたくしは彼のブログを更新ごとに必ず読んでいた。どうやら鉄道マニアらしく、わたくしの守備範囲外の話題も多く書かれていたわけだが、そういうものまで含めて読んでいた。つまり、隈なく読んでいたのだ。
すると、彼は顕正会から正宗へ帰伏するに当っての経緯もけっこう詳しく書いていたわけだが、そこに半ば強引に押し切られてしまったという意味のことを書いていたのだ。それからもう一つ、当初は御本尊の下付を受けなかった。確か会社の寮に入っていて、それがために下付を受けられなかったのだと思う。
ところがどうしたわけか、わたくしの見落としであろうか、彼はいつの間にか御本尊を受けていたらしいのだ。というのは最後に退転するわけだが、その時に御本尊を返却する云々の記述が残されていたからである。

以上はユタ氏のブログを閲覧していた時の記憶であって、記録ではない。つまり、わたくしには事実関係を証明する手立てがないことをお断りしておかねばならない。

ここで言いたいことは一つだ。

たぶん顕正会ほど深刻ではないのだろうけれども、宗門も多少は成果主義的な傾向がある。それが吉と出るか凶と出るかは微妙なところであり、何とも言えない。目標を掲げることは必ずしも悪いことではない。しかし、ユタ氏の場合は結果的によくなかったわけだ。

ここでROM氏の話に戻ると、まさに名は体をあらわすのだろう、氏は上述のようなことも含めて宗門のさまざまな問題をネットを通じて観察しているわけなのだ。まさにインターネットの発達した今の時代はゴマカシが利かない。都合の悪いことがあっても、隠し切れない。ちなみに、のび太氏のリンク貼りはたぶん婉曲ながらもそうした意味を込めているのだろう。

と言ったところで、今度は前回のコメント欄だ。

顕正会の肩を持つつもりはありませんが、下町ではこの手の話は良くありますよ。組長が、町内会の役職をしている地域はたくさんありますしね。

よくわからない文章だ。顕正会・・・組長と書けば、顕正会の組長が町内会の役員をやっているみたいに読めてしまう。しかし、ここでの組長はヤクザの組長なのだろう。

たぶん、この議論はヤクザの定義が問われているのだと思う。

というのは、ヤクザをいわゆる暴力団だとすると、その組長が町内会の役職を持つことは常識的に考え難いことだからである。ご存知のごとく、いわゆる芸能界では暴力団との関係が明るみに出ると謹慎させられたり、あるいは引退を余儀なくされることもあるくらいなのだ。芸能界はあくまで一例であって、他の業界においても同様のはずだ。当然、町内会にも当てはまることだと思うのだが、違うのだろうか?

よって、ここでのヤクザは暴力団ではないのだろう。では具体的に何なのか、そこが問われるところだ。

わたくしの想像では、たとえば大工の棟梁だとか鳶の親方、下町云々の記述からはそんなイメージが湧いてくる。しかし、それらはいわゆるカタギであってヤクザではない。ただ名称としてはレッキとした株式会社であっても○○組を名乗るところが今もなお存在するわけで、そのルーツをたどればヤクザとの関係性みたいなものが見えてくるのかもしれない。

ちなみに顕正会の組長が町内会の活動をすることはまったく問題ないが、それはきわめて珍しいケースのはずだ。ようするに顕正会の活動会員は、忙しくて他のことをする時間がないのだ。しかし、勇猛(?)な活動会員ならば、いわゆる対象者作りのために町内会だとかPTAだとかに参加することはあり得るだろう。もっとも、そこで顕正会流の強引な折伏をすれば、顰蹙を買うだけなのだが・・・

池田名誉会長が死去したとしても、大多数の創価学会員は葬儀が終れば粛々単単と再び信仰活動に励む事と思います。なぜか。一つは、会長を中心とした集団指導体制が確立しているから。もう一つは、「牧口・戸田・池田の三代会長は創価学会永遠の指導者」という位置づけが確立しているから。そしてもう一つは、一昨年6月の「新時代第41回本部幹部会」での会長指導が大多数の創価学会員の心に届いているからだと考えます。特に昭和60年代から「スピーチ」「人間革命」「新人間革命(継続中)」を通して創価学会の歴史と歴代会長の指導などを広く「教育」してきており、それが完結することが「池田名誉会長の最後の事業」の総仕上げなのではないかと考えます。人間はいつかは死ぬ。当たり前のこと。しかし肉体は滅しても精神・指導は永遠に残る。そういう思いが既に多くの創価学会員の心の中に芽生えているからこそ、池田名誉会長が出席しない「本部幹部会衛星中継」であっても毎回多数の会員が参加するのだと思います。逆に考えれば、池田名誉会長が死亡して一番インパクトを受けるのは「反創価学会」勢力ではないでしょうか。さて、集団指導体制も構築できていない顕正会。ワンマン世襲の浅井会長は死んで何を残すのでしょうか。

これまた名は体をあらわすだ。さすが事情通を名乗るだけのことはある。わたくしの知らないことがたくさん書かれている。

すると法華講員の願望なのだろうか、池田氏の病状が例の週刊誌に報じられた頃、嬉々として、もはや創価学会も崩壊だ、という意味の書き込みが掲示板に見られた。もちろん顕正会も同様のことを言っている。

しかし、事情通氏は真っ向から反対意見を述べている。しかも上掲のごとく理路整然と書いているので、ひじょうに説得力がある。

この際、わたくしは双方の意見を勘案して、会員を減らすことは確実だが大崩れはしない、と予想しておこう。これを逆に言うと、顕正会員や法華講員が期待するほどの劇的な大崩壊はないが、しかし、多少は会員を減らすことになる、となるに違いない。その下げ幅がどの程度かは何とも言えないところだ。たぶん、いずれ総選挙があるだろうから、その得票結果が一つの目安となるだろう。

2012/1/13

昨年末の総幹部会の記事を中心に  
新年号の六面には十二月度総幹部会での体験発表などが掲載されている。まずは下段の記事から紹介しよう。

ヤクザの世界へ

顕正会ではどういうわけか、この手の発表が多い。それはしばらく置くとして、新聞にはこの人の所属・役職が書かれていない。いわゆる平会員であるが、六月に婦人部から折伏されて入信したらしい。支区集会の記事として顕正新聞に掲載されたことがあると書かれているので、だったらもうそろそろ役職が付いてもおかしくない。読み進めていくと、途中で退転状態になっていたらしい。そのブランクが平会員の原因のようだ。

それはともかくヤクザの世界に入るキッカケが凄まじい。

 小学校でのいじめがきっかけで、中学生になってからは暴力的支配こそが自分を守る唯一の方法と考えるようになり、高校に入学してからは喧嘩・恐喝は日常茶飯事で、そんな自分を見かねた父が何とか私を更正させたいと、上下関係が厳しいヤクザに期限付きで私を預けたのでした。

おかしな話だ。

普通の感覚ならば、ヤクザに預けたらもっと悪くなると考えそうなものであるが、この父親はそうは思わなかったのだろうか?
第一、普通の人はヤクザとのコネクションを持たない。まさか見ず知らずの事務所に、いわゆる飛び込みで入ったわけではあるまい。
文面からはコネがあったのかなかったのかわからないが、いずれにしてもおかしな父親であることは間違いないだろう。

19年間反発し続けた両親が入信
 共に純粋な信心に立ち良き臨終


さて、今度は男子部の支隊長である。見出しから窺えることは、まず両親が入信したこと、そして名ばかりの入信ではなく、二人とも純粋な信心に立ったこと、それから良き臨終を迎えたこと、である。

しかし、臨終を迎えたのがどちらなのか、見出しからは判然としない。まさか、共に・・・が臨終にまで係るのだろうか?

父、六月五日臨終
母、十一月十九日臨終


ようするに見出しの文章を構造的に書けば、「共に、純粋な信心に立ち・良き臨終」となるだろう。

半年のうちに続けて両親を亡くすとは、なんと悲しいことか。母が悪性リンパ腫、父が膵臓ガンだそうだ。享年が書かれていないので、年齢的には不本意だったのだろう。

ちなみに五面には創価学会歴五十年の百歳の女性が入会した旨の活動報告がある。しかし、すでに老人施設に入っているので、実質的には何の活動もできない。たぶん集会のたびに外出許可を取ることもないだろう。失礼ながら、あとは上掲のような記事が載るのはいつか、それだけである。

六面に戻って、最後は正義にめざめての記事である。

「池田大作の大罰が事実なら入会する」
  法論の学会員が特集号で動執生疑


例の文春記事をめぐって、三月に入会した男子部の組長が創価学会員と法論をしたごとくである。

 さらに私たちが顕正新聞「学会員を救う特集号」を広げ、池田大作の「頭破七分」「口則閉塞」の罰の姿を言い切ると、はじめは「池田先生は最後の執筆作業に入っているので、そんなハズはない」と否定し、「三流週刊誌のネタなど信用できるわけがない」との一点張りでした。

法論が十一月のことで、この発表は十二月二十日の総幹部会だ。ご存知のごとく、例の記事は後に撤回されている。拙ブログのコメント欄を調べると、その情報は二十二日に寄せられている。すると総幹部会の時点では知らなかったことになるだろう。その直後に訂正記事が出されたことになる。法論の続きが見たいものだ。

池田先生は最後の執筆作業に入っている・・・

それはともかく、わたくしはこの一節に注目したいと思う。創価学会員も薄々は池田氏の病状を承知しているのだろう。最後にどのような本が出されるか、それが興味深い。ある意味、それが創価学会の将来を決定付けるかもしれないのだ。小説家にしても才能が枯渇して、晩年は駄作ばかりという人もいる。しかし、逆に成長し続ける作家もいて、遺作が物凄く脚光を浴びることもあるのだ。池田氏の場合、一般の評価はともかくとして、会員たちがどのように感じるか、最後の最後にどれだけのインパクトを与え得るか、そこがいちばんの注目点だろう。


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