2017/6/26

梅雨の鬱陶しさの中で  
めずらしい人がお出ましになった。S@法華講氏である。文中、本門戒壇建立が即ユートピアの出現とはならない旨の記述があるけれども、わたくしはほぼ真逆の意見である。三大秘法抄には諸天善神が来下すると認められている。まさにこれこそが劇的な変化をもたらすものと信ずるべきだろう。もちろん氏のおっしゃるように、それぞれ個別の因縁があるので一切合切が平等に幸福を享受できるなどという甘い考えは禁物である。当然ながら、個人の幸不幸はあくまで個人の努力に帰属する問題であることは言うまでもない。また、後半でおっしゃっていることには特に異論がなく、しょせんは国家も個人の集合体であるからして、その構成員たる一人ひとりが国の命運を握っているのである。ゆえに戒壇建立後においても、不断の努力が求められるのは当然のことだろう。

さて、話は変わる。

どういうわけか、顕正新聞が溜まっている。実はもう何年も前からそうした傾向にあるわけだが、特に最近は顕著である。たぶん、やる気の問題だろう。何となく惰性で続けてはいるものの、やる気がないのでそれが少しずつ顕在化しているのだと思う。まあ、しかし、そのわりには書き始めるとけっこう書けてしまう。惰性とは恐ろしいものである。良くも悪くも継続されるからだ。

顕正新聞第1409号は登壇特集とでも言うべきか、一面こそ立宗会の会長講演が載るものの、それ以降はすべて各地の集会における登壇記事である。いつもながらウンザリする。やる気が失せるのも道理である。

 天台・伝教が法華経を弘めても、ただ南三北七の悪口だけだったではないか。

会長講演で気になった部分を取り上げた。今は資料なしで書いているわけだが、上掲はかなり乱暴というか不正確な記述だと思う。ようするに天台と伝教を一緒にして南三北七と書いている点がおかしいのだ。おそらく天台はしかり、伝教はしからずだろう。伝教大師の場合は南都六宗から悪口を言われたのだ。

もちろん、講演全体の論旨に大きくは影響しない。とは言うものの、間違った情報を書けば全体の信頼性を損なうことになる。誤字脱字の多い文章は読むに値しないというのがわたくしの持論であるが、上掲も往いては同じことである。

さて、二面から四面にかけては「代表決意」と題する登壇記事が載っている。いつもは細かく取り上げているが、今回は大きくまとめてしまおう。

安倍一強政権 崩壊近し

大幹部たちが口々に言っていることである。そうした中で男子部第七十八隊長の記事がなかなかの説得力を感じさせた。ここでは見出しを紹介しておこう。

 謗法を責めてのご発言なれば必ず事実に

ようするに単なる政権批判ではないと言いたいわけだ。つまり、野党による政権批判だとか、市民運動レベルのそれではなく、仏法上の重大発言なのだと言っているわけである。これは原発問題の時にも通ずる話で、単なる反原発の運動とは一線を画する意味で、仏国土を汚してなるものか、というような発言を当時は盛んにしていたのだった。今回もそれとほぼ同じパターンだろう。

安倍政権に対して批判の声を上げている人は少なくない。ことに本年に入ってからはその傾向が強まっている。そりゃそうだろう。モリカケ問題はもちろんのこと、自民党議員の失言や不祥事が続出している状況である。今度の都議選で大苦戦を強いられているのもそのためである。
ある意味、顕正会はそうした世の中の動きに便乗しているようなところがなきにしもあらずであり、単に政権批判をしているだけでは差別化が図れない。それどころか存在感がまったくないのである。ゆえに差別化を図った。まさしく上掲がそれである。

しかし、難しいところだ。

この先、安倍政権が倒れたとして、その時にどのような評価を下すかが難しいのだ。市民運動家たちは自分たちの努力が報われたと思うだろう。野党も自分たちの手柄であることを強調するに違いない。いわば顕正会はそれを横取りするわけである。つまりはヒンシュクモノということだ。これは相手の立場になって考えれば容易にわかることだろう。

話は変わるが、第十八男子部長の記事から少し引用したい。

 そこに、もうひと月たりとも猶予などなく、第十八男子部は一進一退のもたついた前進を、この五月こそ断固打ち破り・・・

一進一退だとか、もたついているとか、人によっては謙遜と受け取るかもしれないが、わたくしは正直な告白だと思う。なぜならば当該組織は本年の初陣戦で二百三十一名の成果を出している。これを多いと思うか少ないと思うかは人それぞれだろうが、これはかつての隊レベルの数字なのである。ゆえに部のレベルでは少ないと考えるのが妥当だろう。ゆえに本人も切迫感丸出しで、もうひと月たりとも猶予はない、と言っているわけである。

五面には「活動報告」が載っている。

農業関係の社長たちが続々と入信

男子部第五十三隊総支隊長補の記事に付いた見出しである。前回、現世利益のことを書いたけれども、これも大いに関連する話だろう。社長が入信するということは、何かしら現世利益的なものを期待してのことだと考えられる。

それにしても次のくだりはいかがなものだろうか?

入信後は野菜たちにお題目を聞かせたいと、早朝から畠のど真ん中でお題目を唱えているそうで・・・

男子部第二隊総支隊長補の記事は次が注目だ。

小学校の着工当初は、「安倍晋三記念小学校」「名誉校長・安倍昭恵」との看板が大きく掲げられていた・・・

森友学園の話題だ。地元の壮年の目撃証言だそうである。わたくしの思うに、これこそ画像を入手して顕正新聞に掲載すべきだろう。顕正新聞社の実力が問われているのだ。現状ではただ単に登壇記事をそっくりそのまま載せるという、手抜き作業のような編集に終始しているだけと言われても仕方があるまい。

男子部第八十隊班長の記事も紹介しておこう。

 迎えた大会当日は、地元別動隊という、かつてない重要な任務に当らせて頂きましたが・・・

見出しには、中部大会で衛護隊の任務に携わる、と書かれているけれども、本文中にはご覧のように別動隊と書かれている。衛護隊に別動隊なるものが存在するとは知らなかった。いや、より正確に言うと、組織上の役職は不明ながらも浅井先生に専属で警護の任に付いている人がいるのは誰もが見知っていることである。それが今回、少しだけ明るみに出たということになるだろうか?

今日はこんなところで終わりにしたい。

2017/6/24

梅雨の中休み  
十日ばかり間が空いてしまった。その間にも種々のコメントが寄せられたが、ここでは割愛させていただくことにして、顕正新聞の続きを見て行こう。

日本最大手の保険会社の約五万人の外交員の中で、全国一位の成績となり、一ヶ月の給料が七百万円、その年の年収は二千八百万円・・・

第1408号の七面に載る、女子部第三十区班長の体験発表である。わたくしは前回、臨終に関する体験発表も大事だが、もっと現世利益的な発表があってもいいだろう、という意味を書いた。まさに上掲がそれである。実に羨ましい収入だ。

ただし、はたしてこれが現世利益なのか、いわゆる功徳なのかと問われれば、ひじょうに難しい話である。なぜならば競争原理に基づく数字だからである。
彼女は幸運にも企業の大口契約を取りまとめることができた。従業員三百五十人分の契約を一気に獲得することができたので、そのため月収ないし年収が上掲のごとく跳ね上がったわけである。逆に言うと、からきしダメな時もあるだろう。
さらに広く見れば、広宣流布の暁にはどうなるかが問題である。こうした歩合給の場合、誰かが大勝ちすれば誰かが大負けするわけであって、まさか全員が勝利することは考えられないのだ。つまり、全員が信心していて功徳を得られるはずなのに、必ず誰かが勝って誰かが負けるという現実が待っているわけである。

まあ、さしあたっては広宣流布以前の今の段階が重要ではあるのだろう。上述のような難しい議論は抜きにして、確かに顕正会員ばかりがあらゆる分野で好成績を収めていれば、それそれは物凄く魅力的な話であって、だったら自分も顕正会に入ろうかなと、多くの人が思うに違いないのだ。

癌すべて消滅!医師「あり得ない」と驚歎

男子部第四隊組長の体験発表も余命三ヶ月からの奇跡の生還という意味で、実に立派な現世利益である。ただし、これも厳密には難しいところで、顕正会員の誰もがガンを克服しているわけではないし、顕正会員以外にもガンを克服した話はたくさんあるわけだから、これが本当の功徳なのかどうかはわからないのだ。やはりいつも言っているように、専門家である医師たちがそれこそ挙って入信するようでなければ説得力に欠けるだろう。

それはさておき、この人の記事で驚いたのは次の一節である。

 そのような中、東日本大震災で崩壊した福島第一原発の片付け作業の募集がメールで届いたのです。なんと日当が二五万円だったので、当時金銭苦だった私は一抹の不安はありましたが志願し・・・

これは凄い金額である。彼は四日間従事したそうなので、一週間足らずで百万円の収入を得たことになる。これは魅力的な話だ。

わざわざウソの話を書くとは思えないので、これは本当の話なのだろうといちおうは考えたいが、その場合に言えることは、相当に危険な作業だったのだろうことだ。ようは放射能のひじょうに強い場所での作業をやらされたのだろう。それが後々、人体にどのような影響を及ぼすか、いわゆる晩発性の病気が出てくる可能性は否定できないわけで、その時にしっかりとした保障がなされるのかどうかも心配である。そのように考えると、カネはいいけどやりたくない、という人が多いのかもしれず、それがさらに金額を押し上げて行くことにつながるのかもしれない。

廃炉に要する時間も相当の長期になると考えられているが、当然ながら費用も膨大を極める。原発の不経済さがここにもよくあらわれていると言えるだろう。

一日四回も勤行をあげる日もあるほど・・・

同じ人の記事でもう一つ気になったのがこれである。顕正会員は熱しやすく冷めやすい。いわゆる火の信心だ。そしてご存知のごとく、すでに燃え尽きてしまっている人が無数にいる。これが顕正会の構造的欠陥ないし悪しき体質であり、一向に改善される様子はない。たぶん、このままダメになっていくのだろう。


六月二十六日追記:本文中に下線を入れた。当然、誤字脱字の類であるが、「それはそれは」とすべきか「それはそれで」とすべきか、あるいは他の表現に変えるべきか、各自の判断に委ねたい。ともかく集中力が散漫になっていて、つまらぬミスを繰り返している昨今だ。

2017/6/14

梅雨寒の一日  
一大秘法に関してはマイケル氏が一本取った格好である。狭い日本の中で地域によって教えている内容が異なるとしたら、これほど面倒臭い話もないだろう。ましてや関西だけに真実を教えた、それ以外には教えなかった、などという話が本当ならば、関西以外の創価学会員はバカにされているようなものである。そんなわけがあるまい、というのが常識的な答えのはずだ。

さて、顕正新聞の話題に移ろう。第1408号だ。

 葬儀は林婦人部長の導師のもと・・・

婦人部千葉支区総班長の記事に出てくる一節である。従来、葬儀は儀礼室委員の仕事だったはずだが、今はそれが崩れつつあるのかもしれない。これがどんどん拡大していけば、創価学会の葬儀とまったく同じになってしまうだろう。もっともくだんの記事を読むと、同婦人部長の導師のもと、母と伯母と自分の四人で見送ったと書かれているので、そうした限定的なケースにのみ適用される話かもしれない。

下段には婦人部坂戸支区組長の記事があって、こちらにも葬儀のことが書かれている。

父の葬儀に
 13人の坊主


この小見出しから容易に想像がつくだろう、ようは入信前の出来事を綴っているわけだ。

近所に禪宗の曹洞宗寺院があり・・・

神主が泊りがけでお祓いに来たり・・・


なるほど、山梨県で生まれ育ったそうなので、そうした地方の旧家においては上掲のような宗教行事が当たり前のように行なわれていたわけなのだろう。それにしても葬儀の時に十三人もの僧侶が来るとは驚きである。よほどの名家なのだろう。

創価学会や顕正会をやめて宗門に移籍する人たちの理由の一つに葬儀の問題がある。そんな話をどこかで聞いたような気がするが、確かに有力な理由かもしれないと思う。他宗では十三人もの僧侶が来て盛大に葬儀を行なうのである。それと創価学会における同志葬や顕正会の儀礼室葬を比べたならば、結局は宗門に移籍して御僧侶を呼んだほうが世間的にも格好がつくと思う人がいて不思議はないわけである。

もっとも今は葬儀も相当に簡略化されてきて、むしろ上述のような意識を持っている人は古い人なのかもしれない。さりとて創価学会や顕正会の葬儀が新しいわけではなく、宗教色のない葬儀こそが今の最新のトレンドなのだろう。

どうでもよいことを書くと、禪宗の表記が気になった。しかも禪宗の曹洞宗寺院が重複的でどうかと思うのだが、いかがだろうか?

左側の記事も臨終ないし葬儀のことが書かれている。

登壇者は女子部第九十区の平会員で、班長をやっている娘さんの折伏で創価学会から入会してきたそうである。登壇者の母親も創価学会員である。

母は話は聞くものの、地域中が学会員ということもあり、「今さら変えられないよ」としがらみから抜け出せず、弟の反対もあって入会は叶いませんでした。

ところがである。

母はついに「信心は変えられないけど、自分が亡くなった時には顕正会で…」と言い始めたのです。

これは凄い話である。そして実際に顕正会儀礼室で葬儀を行なったそうなのだ。

今までのケースだと亡くなった人が名ばかりの入信で、家族親戚が大反対して儀礼室での葬儀ができず、いわゆる邪宗での葬儀を余儀なくされることがあった。そしてその娘さんないし息子さんが立場的には喪主に相当するにもかかわらず、謗法与同になるから葬儀には参列しないというような、何とも忸怩たる登壇記事が散見された。その意味からすると上掲の話はコペルニクス的な大転換である。

おそらくはパワーバランスの問題なのだろう。

ようするに顕正会員の一人ひとりが世間的な意味においても実力をつけて行けば、こうした場面場面においても有利になるわけだ。また、ごく単純に、数の論理が当てはまる話でもある。ようは顕正会の熱心な活動会員が多数を占めれば、あらゆる場面において自分たちの意見が通る。国立戒壇の建立もこの理屈だろう。当たり前過ぎる話だ。

それにしても最近の顕正新聞は臨終ないし葬儀の話が目立つ。もちろん大事な話ではあるのだが、わたくしはもっと現世利益的な体験発表がなされるべきだと思う。そのほうが入信者が増えるに違いない。

もっとも現世利益なるものが、あまりにもコドモダマシの内容であれば、返って墓穴を掘ることになるわけだが・・・

2017/6/13

梅雨冷えの一日  
電力需給にギャップがあるとか再生可能エネルギーだけじゃ無理との意見は、おおむね原発推進派の言いそうなセリフである。もちろん専門的な議論をしたら大変なことになるわけだが、わたくしなりの見解を書いておこうと思う。

再生可能エネルギーはいわゆる自然エネルギーのことだろう。これは蓄電技術の飛躍的進歩で相当の活用が見込まれる。例えば太陽光は天気が悪ければオシマイだった。けれども天気の良い時にたくさん発電してそれを貯めておくことができれば、ほぼ問題はクリアしたことになるはずである。そもそも携帯電話にしてもあるいは電気自動車にしても、蓄電技術の進歩が実用化に拍車を掛けたのだ。同様の意味で、自然エネルギーも蓄電池の問題がクリアできれば、今すぐにでも主力の電源になり得る存在なのである。

それから昨年だったろうか、電力の自由化が実現した。今までは地域独占だったので、我々は電力会社を選べなかった。けれども今は好きなところから電気の供給を受けることができるのだ。

そして本年四月からはガスも自由化された。

そこで興味深いことは、なんと電力会社がガス業界に新規参入してきたのである。電力会社は電気を売っているわけだが、同時にガスも売るようになった。実に不思議な話である。

けれども話はわりと単純なのである。

電力会社は電気を売っているわけだが、その主力の発電方法こそがガス発電なのである。ゆえにガスは売るほどあるのだ。逆にガス会社が電力供給事業に新規参入してきたのもまったく同じ理屈で、もともとガスをたくさん持っているわけだから、発電機さえ設置すればいつでも発電が可能なのである。

つまり、日本の電力供給の主役は天然ガスによる火力発電であって、原子力発電などはまったく太刀打ちできないレベルなのである。しかも事故のリスクが甚大と来れば、メリットはないに等しいだろう。実に単純明快な理屈だ。

さて、今度は沖浦氏であるが、これはもう終わっている話である。

昨年の春頃、一大秘法の議論があった。そこで沖浦氏の敗北が確定した。もちろん負け嫌いの沖浦氏はそれを認めないわけだが、まあ、客観的には終わっていると考えて差し支えないだろう。
それがなぜか今頃になって再戦を挑んできた。まあ、それはそれで構わない。一年間の研鑽の成果を出せばいいわけで、こちらを唸らせるような内容ならば再戦に応じてもいいだろう。
ところがである。内容的にはまったく進歩がなくて、ただひたすら自説に執着しているだけに見える。これでは話にならないだろう。

強いて言えば、今回は関西の古参幹部たちの証言(?)を持ち出してきた。

しかし、いかがなものだろうかと思う。関西はもともと創価学会員の多い地域であり、おそらくは沖浦氏にとって甚だ不利な証言も出ないとは限らないのである。それが出てきたらどうするのかと思う。

いずれにしてもである。古参幹部たちの証言などはまったく当てにならない話であって、大袈裟な言い方をすれば証拠能力ゼロと言ってもいいくらいである。

この場合、もっとも証拠能力の高いものは、文献上の証拠だろう。

沖浦氏は原田会長の発言を引用しているわけだが、いわばそれが今現在の創価学会の公式見解に相当することなる。そして過去の創価学会の書籍に載る教義上の見解が今のそれと異なるのであれば、これは創価学会そのものが変節したことの証拠であり、逆に一致しているのであれば一貫不変であることの証拠となるわけだ。沖浦氏はこうした文献上の証拠ではなく、古参幹部たちの証言なるものを持ち出して自説の正当性を主張している。すでにこの時点で終わっていることに気がつかねばなるまいと思う。

さて、顕正新聞第1408号から少し話題を拾ってみたい。

 先日も「北朝鮮のミサイルについての注意喚起」なるものが政府から出されましたが、このようなことは戦後七〇年なかったことであり・・・

わたくしはこれを知らなかった。そのような話があったことは少し遅れて知ったけれども、具体的にどのような媒体を通して注意喚起がなされたものか、今もよくわかっていない。ということは次にそのような広報があっても知らずに過ごすことになるかもしれない。

しかもである。もしそれを知ったところでどうなるものでもあるまいというのが本音である。まさかかつての空襲警報発令の時のように、そのたびに防空壕に入るわけにも行かないだろう。

そうそう、登壇者は副総男子部長であるが、彼の言いたいことは、いよいよ他国来難が事実となりつつある、というような感じである。もちろん北朝鮮問題を軽視してはいけない。けれども顕正会がそれを言ったところで、どれほどの影響力があるだろうか、というのがわたくしの正直な感想である。

中部大会後、先生は直ちに国家諫暁

これは婦人部富士宮支区部長の記事に付けられた見出しであるが、本文を読んでも何のことだかさっぱりわからない。たぶん四月度総幹部会において安倍首相に辞任を迫ったことを言っているのだろう。さらにそれを特集号として国会議員など全国三万箇所に発送することを国家諫暁だと言いたいのかもしれないが、はたしてそれが本当の国家諫暁なのだろうかと疑問に思うところである。もしそうならば、数年後に開始されるであろう本格的な一国諫暁においては、いったい何をどのように行なうつもりなのかが気になるところである。正直なところ、浅井先生にその秘策があるとは思えないのだが、いかがだろうか?

当日も貸し切ったバスの運転手にも声をかけて結集を叶える等・・・

結集の戦いがいかに熾烈かを物語る話だと思う。もし中部大会の結集が大結集で超満員の状態ならば、運転手には声を掛けないだろう。おそらく貸切バスの運転手は乗客が戻ってくるまでヒマだし、しかも顕正会の大会は時間がベラボウに長いので、そうやって誘えばヒマつぶしになるので参加する人が多いに違いない。

もちろんそれがダメだとは言わないが、ともかく結集が大変だったことは事実なのだろう。その証拠となる記述が婦人部兵庫支区総班長の記事に出てくるのだ。

一万人中部大会には鳥取から総勢三一名が参加・・・

これは婦人部の兵庫支区が把握している人数であって、総勢とはその意味だと思われる。ゆえに他の組織の人数は不明であるが、ともかく中部大会という名目にもかかわらず、こうして遠隔地からもたくさんの人が参加したことが窺えるわけである。

以上、二百万達成の暁に行なわれる一国諫暁において、はたして秘策があるのかどうかという心配と同時に、地方大会という名の全国大会による活動会員たちの疲弊が相俟って、惨憺たる結果が待っているのではないかという危惧が、わたくしの脳裏に去来してやまないのである。

2017/6/12

微々たる影響力  
沖浦氏の一大秘法論は一年前に破折済みである。その一例を紹介しておこう。

http://white.ap.teacup.com/ganko/2215.html

もっともこれは沖浦氏一人の責任ではなく、創価学会首脳部の責任だろう。ようするに近年の教義改変によって、あちこちに矛盾が生じて来ているのだ。迷走しているとも言えるかもしれない。思えば公明党もしかりである。いわば内側から安倍政権の暴走に歯止めを掛ける、それが公明党の役割のはずだろう。しかし、現実にはほとんど何もしていないに等しい。創価学会にしても公明党にしても、いったいどこに向かって進んでいるのか、それが実に不明瞭である。

安倍政権崩壊をこれほど前面に押し出すのは、地震などの自然災害よりも「的中率の高い予言」だからではないでしょうか?

あべしん氏のコメントであるが、的中率の意味ではすでに外してしまっているとわたくしは思う。先日も書いたように、浅井先生は三年前に安倍政権の崩壊を予言していた。三年未満で崩壊すると言っていたのだ。ゆえに予言は外れたのだ。

ただし、多少のズレはあっても本年中くらいに現政権が終われば、当たらずとも遠からずとは言えるのかもしれない。実際、森友問題以降は次々に問題が発覚して、ここに来てようやく国民も安倍政権に対して愛想を尽かし始めたような流れになりつつある。

けれども以前にも書いたように、安倍政権は今の段階でも十分に長期政権なので、仮に今すぐに辞めたとしても別におかしくはないだろう。もちろん、その辞め方が問題になるわけで、本当ならばさまざまの疑惑を完全に払拭し、かつまたアベノミクスの成果などを強調した上で、次の人に禅譲するような格好を取れば、いちおうパフォーマンス的には見事な退き際と言えるだろう。いわば、その辺の着地の仕方が問われているのだと思う。

自然災害よりも的中率が高い・・・

実はこれ、物凄く大事な視点であり、大聖人の御予言にも当てはまる議論なのだと思う。いわゆる三災七難の内の自他の二難は他の五難と大きく性格が異なる。まさに五難は自然災害などにカテゴライズされるものであり、残るところの二難はいわば政治的な問題である。自界叛逆難は国内政治であり、他国侵逼難は国際政治の問題である。

しかし、わたくしの思うに、むしろ的中率の意味では五難よりも二難のほうが遥かに当たらない。それは科学が発達すればするほど、顕著のように思えるところである。

今の気象情報は相当に正確である。科学の進歩によるのだろう。自然科学はもちろん未知の部分もあるけれども、相当の部分が解明されてきて、まさに気象情報などは相当の的中率を誇っているのではないかと思われる。では逆に、人文科学的な範疇に属するであろう政治経済はどうかと考えるに、実はこちらのほうが複雑怪奇であって、誰にもわからない。ゆえに当てるのが難しいのだ。

そんなわけで浅井先生の予言は当たらない。政権崩壊もしかり国家破産もしかりである。ましてや外国が攻めてくることなど、国際情勢に詳しい人でもわからない。最終的にはその国の指導者がゴーサインを出すか否かなのだから、そんなことがわかる人はおるまい。他人の心の中までわかる人はいないのである。

逆に言うと、大聖人の御予言的中の価値はそこにあるわけだ。仮に五難を当てたとしても、自然科学の発達した今日から見れば、甚だ幼稚な当て事のように思えてしまうわけで、大聖人の御予言がそのレベルに過ぎないのであれば、もはや信ずるに値しないだろう。実際はそうではなく、先難たる五難ではなく、後災たる二難を御予言せられ、かつまた的中せられたわけだから、これがどれほど凄いことなのかと改めて思いを深くするところである。

当然ながら、御本仏たる大聖人と、凡夫に過ぎない浅井先生との、歴然たる差である。

確かに安倍首相はどうなるかわかりませんが、浅井会長が自然災害の予言をやめたら、今度は何らかの大災害が起きるかもしれませんね。

イヤミな発言であるが、3.11の例があるので要注意だ。

浅井先生はあの大地震を予言し損なってしまったのである。何度も書いていることだが、当時はネット上で浅井先生の予言癖を批判する人がたくさんいた。大地震の予言を繰り返しているが、まったく当たらないと。それを気にしたものか、浅井先生は一頃、地震に関する予言めいた発言を控えていたフシがあるのだ。幸か不幸か、そのタイミングであの大地震が起きたのだった。実に皮肉な話である。

ところで大沢氏は国立戒壇についての戸田城聖氏の文章を紹介して下さった。

顕正会員は顕正会の書籍に載るその手の文証はよく知っているが、逆に言うと、それ以外の文証は知らない。わたくしもわりと不勉強なほうなので、ご紹介の文証は初めて拝見した。ここでは詳述しないが、もちろん顕正会でもそうした批判は百も承知していて、だからこそ近年は盛んに六千万を云々しているわけである。しかしながら現実が伴っていない。近く達成されるであろう二百万にしても、しょせんは名目上の数字に過ぎないわけだから、まったく話にならないレベルなのである。

ひるがえって、近く安倍政権が崩壊したとしても、だからどうなるわけでもあるまいというのが現実だろう。つまり、顕正会が存在しようがしまいが、いずれは安倍政権も終わるのである。残念ながら影響力の意味では、それ程度の存在でしかないのが顕正会なのだ。

自然災害が起きるか否かを予言するのではなく、如何にして犠牲者の数を極力少なくするかという視点が、何より大切なのではないでしょうか。

もちろんマイケル氏のおっしゃる通りである。顕正会でも災害に備えて、いろいろとやっている。備えあれば憂いなし、ということだ。

当然、政府のやっていることも同じであり、反対の声が多かったのも事実であるが、安保法制なども理念としては国民の生命と財産を守るという大義名分で強行されたわけなのだろう。何事も賛否両論があるのは当然だが、では原発の再稼働はどうかという問題があって、わたくし的には反対を唱えざるを得ないところである。それこそ大事故が起これば取り返しがつかないことになる。これはもう予言とかの問題ではなく、事故は必ず起こるわけであり、その時の被害を考えたら原発はやらないに越したことはないのである。こんな簡単な理屈がなぜわからないのか不思議に思うのだが、いかがだろうか?

今日はこんなところで終わりにしたい。

2017/6/8

影響力の有無  
沖浦氏のコメントに聞き慣れない言葉が出てきた。

連持色心

何だこりゃと思った。氏のことだから、またしても誤変換をやらかしたのか思った。しかし、正解がまったくわからなかった。それでそのまま検索してみると、どうやら御義口伝に出てくる言葉のようだった。大聖人の御書では唯一のワードである。しかも平成新編では「連持する色心」と表記しているので、四字熟語として考えた場合、御書には存在しないことになるのだ。いずれにしても難しい言葉であり、わたくしには意味がわからなかった。

さて、本題に入ろう。

セロリ氏のブログを拝見するまでまったく気にも留めなかったことがある。それは折伏法戦の成果のことである。本年の初陣は三万有余の大折伏がなされたと報じられている。

ところがどうしたことか、その内訳がどこにも記されていないのだ。

これは顕正会始まって以来、初めてのことではあるまいか?

善意に解釈すれば、当該号はいわゆる特集号として大量配布を前提に組まれているので、一般人にそうした数字の詳細を見せても意味がないから省略した、とも考えられる。しかし、その場合には翌号あたりに掲載するべきだが、それもないのである。実におかしな話だ。

もはやこうなると、粉飾のやりたい放題である。三万人が入信した。五万人が入信した。十万人が入信した。いくらでも言えてしまうのだ。

いや、もちろん、顕正会の内情は活動会員たちがいちばんよくわかっているので、あまりにも数字がデカ過ぎると、不審に思うはずである。つまり、インチキはできない。そんなマヤカシは通用しないし、たとえ一時的に通用しても、いずれはバレるだろう。

そういうわけで次の法戦が注目である。七月度総幹部会を報ずる新聞で、折伏成果の詳細をどのように書くか、今から注目しておきたいと思う。

前回の拙稿で、幹部たちが口々に安倍政権の崩壊を云々していると書いた。顕正新聞第1408号はまさにそのオンパレードである。

「安倍首相の辞任のときも近い」

謗法の安倍政権が近く崩壊すること・・・

大謗法内閣「安倍一強政権」が、一気に辞任・崩壊へと追い込まれる展開・・・

「安倍一強内閣」はここに音を立てて崩壊・・・

大謗法・安倍独裁政権がいよいよ亡びの時を迎えた


前回の繰り返しになって恐縮だが、顕正会の場合はその後のシナリオが不明なのである。安倍さんが辞めても次の人が顕正会のメガネに適うわけではない。しょせん誰がなっても同じことなのだ。

先生の卓抜のご見識・・・

出た。幹部たちの得意のセリフである。しかも誰が言っているのかと思えば、これは総男子部長の発言なのである。もちろん浅井先生の言っていることも、なかなかどうして中身の濃い話が多くて、決して無意味ではない。しかし、前述の話に戻って言えば、しょせんはダメ出しをしているに過ぎないのである。誰が首相になってもダメ出しをする、それが浅井先生なのである。

さて、第二十婦人部長の記事は前回紹介した折込広告のアイデアである。

組長は地元・山陽新聞の販売店にカラー広告の趣旨を伝えた上で、折り込み広告として挿入してもらう交渉をしました。

前回は男子部の隊長だった。今回は婦人部の組長が行なったことである。顕正会の中でこうしたアイデアが共有されているのか、それとも別々のところで自然発生的に同じアイデアが出てきたのか、その辺が気になるところではある。

 第二十婦人部が直接先生にお応えできる「今生最後の大会」・・・

近年、似たような発言を繰り返し引用してきた。ようするに、彼女のつもりとしては広宣流布が眼前であって、広宣流布の御奉公としてはこれが最後の大会になる、という意味なのだろう。しかし、甚だ不謹慎ながらも浅井先生の年齢的な意味からして、先生を中国・四国地方にお迎えするのはこれが最後になる、という意味に解するのが一般である。おそらくは幹部たちも内心ではそのようなことを思っているのだろう。

次は女子部総務の発言である。

仏法上の大悪から御遺命を死守せられた先生が、いま一国の大悪をも見抜かれ、連々と諫暁に立たれるご雄姿を拝見しては・・・

ひじょうに見栄えのいい文章である。しかし、実際はどうか、そこが疑問である。

御遺命守護の戦いは確かに意味のあることだった。強大なる創価学会を相手に弱小の妙信講が戦いを挑んだ。普通なら歯牙にも掛けない、ようは黙殺されてもおかしくなかった。けれども実際は創価学会の大幹部と浅井先生の間で何度も話し合いが持たれたのである。

では、今の一国を相手にした戦いはどうか、である。

残念ながら相手にされていない。黙殺どころの話ではなく、最初から眼中にない。これが実際ではないだろうか?
公安が調べていたのは事実だろう。しかし、それにしても顕正会だけを調べていたわけではなく、ありとあらゆる団体を調べている中での一つに過ぎないというのが実際のはずだ。
つまり、御遺命守護の戦いに比して、今の戦いは自分たちが思っているほど大仰なものではなく、実際には大した影響力を持っていないのである。

実は幹部たちもそのことは承知しているわけなのだろう。ゆえに二百万を早める戦いをしているわけだ。人数が物を言うわけである。

しかし、これまた何度も言っていることだが、顕正会の公称会員数はまったく信用できない。いわば粉飾の数字に他ならないのである。そのような数字を積み上げても意味はない。幹部たちもそれはわかっているはずである。

そこで冒頭の話に戻るのである。

折伏成果の内訳を公表できないようではオシマイだ。一つひとつの折伏は真面目なものであり、活動会員たちには何の罪もない。マレにはインチキをする人もいるのかもしれないが、それはまた別の議論である。問題はなぜに内訳を公表できないのかである。ようするにこれは本部首脳がインチキをしているか、もしくはインチキを認めてしまっているからだろう。それが成果に如実にあらわれてしまっていて誤魔化しようがない。だから公表できないのだ。

もちろん上述はわたくしの勝手な想像である。本当の理由はわからない。その意味で次の法戦の成果が注目されるわけである。

2017/6/7

ダメ出し最前線  
沖浦氏の縦線・横線のご教示はさておき、近況を伝えるコメントには驚いた。昨日は関東、今日は北陸と。文字通りの東奔西走だ。しかも電話が一日五十本と。これまた驚異的である。くれぐれも健康には留意して、かつまた交通事故などにも気をつけて、ご活躍を続けられることを念願するものである。

 諸天が動いている以上、安倍政権の崩壊は時間の問題・・・

先生のご一念に呼応した諸天の鉄槌・・・


新任の男子部総務の発言である。彼だけが突出して凄いことを言っているわけではなく、顕正会の幹部たちの大半が同じようなことを言っている。そこでわたくしが思ったことは、ポスト安倍政権である。

野党が安倍政権を攻撃するのは、最終的には政権交代を目論んでのことである。多くの市民運動家たちも考え方は一緒で、単に安倍首相が退陣すればそれでいいわけではなく、新たな政権の枠組みのようなものを模索するというか、それぞれがそうした青写真を持っているわけである。

では顕正会の場合はどうかであるが、どうもそうした具体的なシナリオは何もなく、ただ単に安倍政権の打倒を叫んでいるような感じが否めない。最終的には国立戒壇の建立を目指している。そんなことはわかり切っている。しかし、今の段階ではあまりにも飛躍が過ぎることであって、そこに至るためのシナリオがどうなっているのか、そこがまるで不明なのである。

結局、誰が首相になっても浅井先生から見れば不満なのである。ゆえに必ずイチャモンを付ける。しょせんはこの繰り返しなのだ。

現状、安倍政権がいつまで続くかわからないが、もし仮に安倍首相が退陣したとしても今のままでは自民党の誰かが次の首相をやるわけだろう。それでは何も変わらないのである。
さりとて政権交代が実現して、今の野党の人たちの中から誰かが首相になったとしても、浅井先生はそれを是とはしないだろう。
だったらどうしたいのか、である。その具体的な青写真がまるで見えて来ない。しょせんは行き当たりばったり、これが浅井先生の正体ではあるまいかと思う。

「大聖人様が戒壇の大御本尊様を御建立あそばした身延が、清浄なお山に戻るのも眼前」

女子部総務はたくさんいるので誰が誰だかわからない。いちおう上掲の発言者は山梨・静岡方面を担当している女子部総務である。

しかし、上掲にしても具体的な青写真が不明である。日蓮正宗の立場から言うならば、日興上人が身延を離れられてから今日までの七百有余年は、身延はいわば不浄の地になるわけだろう。これがもし清浄化されるとすれば、これはもう宗門七百有余年の歴史の中で空前の偉業となるはずだ。では、具体的に何がどのようになれば清浄と言えるのか、それがまったく見えて来ないのである。

 その中、以前は、けんもほろろな対応ばかりだったのが、昨今は「こんな暗い所までよく来てくれた」とカラー広告を快く受け取ったり・・・

なるほど、訪問折伏ないし配布活動における人々の反応が変ってきたことを彼女は実感しているわけだ。しかし、それはあくまで清浄化の第一歩であって、まだまだ眼前とは言い難いだろう。

暗い所・・・

再掲であるが、この表現が興味深かった。この地域での方言のようなものなのだろうか?

「中部大会が終われば、先生が次に静岡に来られるのは、国立戒壇建立のその日なのだ」

本気でそう思っているのか、単なるハッタリなのか、そこがよくわからないところである。

男子部第三十七隊長の記事には次のごとく書かれている。

もう間もなく国民の総意で仏法を根底に憲法が改正されること、また本化国主が皇室に御出現されること、何より二〇二〇年代には明治維新とは比較にならない信仰革命が起きること・・・

確かに希望的観測だけで言えば、ギリギリ間に合うのかもしれない。しかし、それは物凄く楽観主義というか、都合よく考え過ぎであることは否めないだろう。
筋論からすれば、浅井先生が次に静岡を訪れるのは宗門との和解の時だろう。順番的にもそうでなければおかしい。しかし、和解は絶望的である。
つまり、顕正会の幹部たちはそうした現実を無視して、ただひたすら夢想にふけっているだけなのだ。

具体性の意味では男子部第十七隊長の記事が興味深かった。彼は新聞の折込広告に目をつけたのだ。

もしこれが実現できれば、日本国中にカラー広告を配達できると思い、さっそく販売店に打診いたしました。

ようするに販売店に頼んで例のカラー広告を新聞に折り込んでもらうわけである。地方紙は広告を掲載してくれたものの、なぜか全国紙は広告の掲載を拒否しているらしい。しかし、新聞の折込広告は販売店の裁量に任せられているらしく、そこに折り込んでもらえれば全国紙の紙面には広告が載らないにしても、全国紙と一緒に配達してもらえるわけである。

なかなか考えたものだ。

ただし、当然ながら費用が発生するはずである。その費用を誰が持つかが問題だ。顕正会本部が持つのであれば問題はない。しかし、そうではなくて、活動会員たちが自腹を切るということであれば、それは問題だろう。

わたくしの思うに、新聞広告にしても折込広告にしても、その効果はきわめて小さい。新聞を一字一句隈なく読む人は少ない。ましてや広告をやである。また、折込広告にしても、主婦感覚で言えばスーパーの安売りの広告には目が釘付けになるけれども、その他の種々雑多の広告にはほとんど目もくれないのが普通だろう。失礼ながら例のカラー広告はそうした種々雑多な広告の一つに過ぎないのだ。

今日も嫌われるようなことを書いてしまったようだ。

2017/6/6

謀略活動最前線?  
大沢氏のコメントはさすがに妄想が過ぎるだろう。小峰氏の前例を思えば、あり得ないと考えるのが普通である。むしろごく単純に、城衛があまりにも頼りなく、かつまた人望がなさ過ぎるので、後継者を別に求めたと考えたほうが自然である。しかもそのほうが、マトモだろう。浅井先生もマトモになったのだと。

まあ、しかし、これもしょせんは下衆の勘繰り過ぎないのだろう。何しろ文字サイズだけを根拠にあれこれと想像してしまっているのだから、内部の事情に詳しい人からすれば滑稽な話に聞こえるに違いない。

それからもう一人、コメントを下さった。オマエは何もわかっとらん、ということらしい。

しかし、貴辺の立場も実にアイマイである。前半は折伏の被害者側の目線で書いている。後半は男子部の隊長の証言を元に書いている。それぞれ言っていることは一理も二理もある話だが、立場的な意味では前半後半が整合しない。そこが不可解なのである。

まず前半についてわたくしなりの見解を書いておくと、折伏であることを隠して相手に会うことがダマシ討ちとの認識につながるわけで、すでに折伏がなされた後においてはダマシ討ちにはならない。ゆえに相手も覚悟を決めて相対することができる。もしくは二度と会わないという選択肢も取れる。ゆえに学校側がそこまで口出しする必要はないのだ。

そして後半の隊長の証言であるが、これはおおむね同意見であり、真っ向から反論を構えるつもりはない。早い話が女子部・婦人部のほうが有利なのである。男子部側からすれば、ズルイと感じるのも事実だろう。

男子部に引き継ぎされた途端に連絡が取れなくなるパターン・・・

これもまったくおっしゃる通りであり、男子部側の不利をよくあらわしている事例だと思う。

拙ブログでは男性女子部員とか男性婦人部員という名称をしばしば使っている。ようするに性別は男性であるにもかかわらず、いつまでも女子部や婦人部に所属している人を意味するわけである。もちろん批判的な意味で使っているわけであり、ある程度の期間を経たら男子部に所属替えするのが筋だろうとも繰り返し言ってきたことだ。しかし、今回のコメントを拝見して、逆の意味で首肯すべき点があることに気がついた。

今までは女子部婦人部をズルイと思っていた。しかし、実はそうではないのかもしれないのだ。彼女たちとしてはその男性を男子部に編入させるとすぐにでも退転してしまうだろうと慮って、それでいつまでも自分のところに引き留めているのかもしれないのだ。

まだまだ議論の余地はあるだろう。しかし、キリがないので、この件はこれで終わりにしたい。

学会謀略部隊3人、中部大会に侵入・盗撮!!
 衛護隊が発見 警察へ、ついに「誓約書」を


男子部第七十八隊総支隊長の活動報告である。彼は衛護隊の責任者として中部大会に臨んだ。そこで創価学会の謀略部隊を発見して、云々かんぬんと。

興味深い点がいくつかある。

まず、アヤシゲな人物に所属を問うた。すると八十隊の佐藤支隊の長谷川と答えたそうである。ところが八十隊に佐藤支隊は存在しなかった。それでバレちゃったという話なのだ。

なるほど、である。

佐藤はいちばん多い姓であり、長谷川もわりとポピュラーだ。ゆえに一万人もの大集会であれば、そうしたハッタリが通用しても不思議はないだろう。実際、フェイクという創価学会系の謀略情報紙にはしばしば顕正会の大会のことが報じられているが、今回の三人はいわばその諜報員を担っているのだと考えられる。

誓約書が三通掲載されている。三人の手書きの誓約書だ。

肩書きは偽証

リーダー格と思しき人の誓約書には上掲のキャプションが付けられている。よく読むと誓約書には組長の肩書きが謳われているのだ。なるほど、創価学会にはそのような肩書きは存在しないわけなのだろう。この期に及んでもウソを書くとはケシカラン話である。

では、他の二人の肩書きはどうか?

◯◯支部リーダー

以前、何かで地区リーダーという肩書きを目にしたことがある。すると支部リーダーはその上位の役職なのだろう。顕正会男子部に当てはめると、地区リーダーが班長で支部リーダーが支隊長くらいに相当するだろうか?

そして次の事実がけっこう重要かもしれない。

所沢市、焼津市、町田市

三人の住所である。ようするにバラバラなのだ。

沖浦氏のコメントを読んでいると、ごくたまにタテ線だとかヨコ線という表現を見ることがある。かつての創価学会はタテ線の組織だった。それが今はヨコ線に変った。ゆえに沖浦氏のコメントにはタテ線時代はどうだったこうだったという思い出話が出てきたりもするわけである。

しかし、そうすると彼ら三人の組織上の関係がよくわからなくなる。今はヨコ線すなわち地域別の組織編成になっているはずなのに、なぜに彼ら三人は別々の地域にもかかわらず一緒になって謀略活動をしていたのかである。

一つの有力な答えは、謀略活動を行なう特殊組織だから、であろう。いわば彼らは選りすぐりのスパイなのだ。創価学会における裏のエリート集団みたいな感じだろうか?

しかし、はたして本当だろうか?

なぜならば、もし上述のことが事実ならば、創価学会は今もなお顕正会の動きに相当の関心を寄せていることになるわけで、顕正会的に言えば、創価学会は顕正会の前進を恐れている、ということになるのだ。

まあ、しかし、顕正会側もけっこう神経質になっている。一万人も集まればスパイの一人や二人紛れ込んでいても不思議はないだろう。それを放置するのも一つの手である。まさか毒ガスを撒くとか、自爆テロみたいなことをするつもりで潜入するわけではないだろうから、放って置いてもさしたる問題はないはずなのだ。それこそ顕正会の大前進を見せつけてあげればいい。

これまた逆に言うと、顕正会の前進もアヤシイということなのだろう。それがバレると困るので、謀略部隊には遠慮していただきたいわけである。

わたくしも嫌われるようなことばっかり書いているなあ・・・

2017/6/5

第1407号の各種記事を読んで  
今日も顕正新聞の続きであるが、理事の登壇記事に注目した。内容ではなく、フォントサイズに大注目なのである。ご存知の人も多いだろう。浅井先生の記事は文字のサイズが大きい。いわば先生だけが別格なのだ。ところがである。今回の理事のそれは浅井先生のそれとまったく同じサイズが使われているのだ。すると彼は次期会長候補なのだろうか?

女子部総務の記事では次のくだりが気になった。

 長野の第三十五女子部は、これまで二度も組織を襲った魔障を先生に粉砕して頂いた・・・

具体的な内容は不明である。ただ長野はあの樋田昌志氏の地元であるからして、その辺に魔障の正体が潜んでいるのかもしれないと、勝手ながらも想像した。いずれにしても上掲は氷山の一角であって、おそらくは日本全国でさまざまの魔障が巻き起こっているのだろうと思う。

第二十五・第二十六男子部長の記事は次のくだりが悩ましい。

 小学校の修学旅行では、東京浅草・浅草寺周辺で校外活動を行うことが恒例になっており、私は校長に対して息子を神社・仏閣に行かせないよう、配慮を求める手紙を書きました。

公立の小学校であれば特定の宗教に肩入れするようなことはない。神社仏閣に行くことも、それは信仰の強要ではなく、あくまで歴史教育の一環として見学するだけの話なのだ。ゆえにそこまで神経質になる必要はないと思うのだが、いかがだろうか?

ちなみに、遥か大昔(?)の話、わたくしも修学旅行を経験したことがある。京都・奈良だった。彼の地は神社仏閣がそれこそ軒を並べるほどであり、ぜんぶを見て回ることはスケジュール的に無理だった。それでバスガイドさんが車中から説明するだけで済ませる場合がいくつもあった。右手に見えますのは◯◯寺でございます、みたいな感じである。そうした中でわたくしが物凄く不思議に思ったことが一つあった。ベラボウに立派な寺院が車窓から見えたのだ。けれどもバスガイドさんはその寺院についてはまったく説明しなかった。今になってみれば、その理由がよくわかる。どうやらそれは新興宗教の施設だったらしいのだ。由緒ある神社仏閣に紛れて、新興宗教の施設が建っている。しかもベラボウに立派であり、見栄えがするのである。けれどもそれは学校教育の上からは説明の能わざるものなのだろう。ゆえにバスガイドさんは無視したのだ。

以上のような経験から、公立の小中学校ではたとえ修学旅行で神社仏閣を訪れることがあっても、それはあくまで歴史教育の一環であり信仰の強要ではない、ゆえにそこまで神経質になる必要はない、というのがわたくし意見である。

まあ、しかし、実際問題としては神社仏閣に行けば、儀礼的な意味に過ぎないにしても、そこに安置されている仏像などに手を合わせたりすることにもなりかねないわけで、それがイヤならば最初からそうした場所には近づかないというのも賢明な考え方ではあるだろう。

けれども、そこまで言うのならば、まさに今は広宣流布前夜なのだろう、だったら自分の息子だけではなく、全学校的に謗法を回避させるべく奔走するのが筋ではないかと言いたいところである。

いや、彼ならば当然、そうしているはずであるし、彼の奥さんもまた校長先生に顕正新聞や基礎教学書の広告文を渡しているくらいだから、わたくしに言われるまでもないことなのかもしれない。その上で学校側として恒例行事をそう簡単に変えるわけには行かないと言うのであれば、せめて自分の息子だけは謗法を回避させたいと、申し入れたのだろうと想像する。

 「皆さんには夢を持ってもらいたい。夢を持たない人生は、行き先のわからないバスに乗っているのと同じです」(笑)と話し始めたのでした(大笑)。

そんなわけで校長先生は基礎教学書の広告文が命に焼き付いてしまったものか、卒業式の時に上掲のようなことを話したそうである。顕正会に疎い人にはピンと来ないだろうけれども、行き先のわからないバス云々は浅井先生の著書に出てくる言葉なのだ。それが(笑)(大笑)の意味である。

同記事には中国で孤軍奮闘している明組長のことも書かれている。

大会当日、中国共産党をも恐れぬ絶対信で、有難くも一名の入信を叶えたのでした。

昨年八月には一家広布も叶えたという。素朴な疑問は、どうやって入信勤行を行なうのか、である。その辺が不明である。

婦人部横浜支区総班長は昭和六十年の入信だそうなので、今の顕正会の中では古株である。長い間、両親の猛反対を受けていた。

 また御奉公をして帰宅すると、玄関にチェーンがかけられ、夜中の二時まで家に入れなかった・・・

逆に言うと、夜中の二時には家に入れた。

猛反対の両親もやがて入信する。わたくしの思うに、たいていの人間は年老いれば子供を頼りにするものである。ゆえにこの人の母親も臨終の二週間前に入信したそうだ。八年前のことである。そして三年前、総班長宅には御本尊が安置されたそうで、その折に父親も入信した。

 その父が、本年二月にインフルエンザに罹り、私が日曜勤行に出かけている間に、自宅で静かに臨終を迎えておりました。

八十六歳なので、いつどうなっても不思議ではない。ただし、どうも最近の顕正新聞を読んでいると、この手の話が多いように感じられるのだ。失礼な言い方をすれば、変死である。基本、今の時代は病院で亡くなるか自宅で亡くなるにしても往診の医師がいないと変死の扱いになって、けっこう面倒臭いことになるらしいのだ。

顕正新聞は臨終の話題に事欠かないので、今後も注目して行きたいと思う。

急性リンパ性白血病!脳にも癌細胞
 恋慕渇仰の勤行で癌細胞激減、完治!

有名進学校に合格、広宣流布に立つ


男子部第五十四隊組長の体験発表は実に立派である。本年四月、父親である支隊長の縁で入信したという高校一年生だ。病気が完治した話は見出しだけでいいだろう。問題は学校での軋轢である。

 その内容は「橋本に宗教の勧誘をされた。脅されて恐怖を覚えた」という事実無根のものでした。

事実無根? それは違うだろう。宗教の勧誘は顕正会的には不本意の表現だが、一般的にはそのように認識されているわけだから仕方がないことである。脅されて恐怖を覚えたのは相手側である。ゆえに顕正会側が脅したつもりはなくとも、相手がそのように感じてしまっているのだから、これまた仕方がないことなのだ。

 元担任は私に対し、「折伏した人には今後近づかないように」とか「今後、折伏するときは、前以てその旨を伝えてからやるように」と執拗に求めてきましたが・・・

四月度総幹部会での登壇である。すなわち四月末である。おわかりだろうか、彼は高校入学と同時に猛烈な折伏を開始したわけである。当然、その反動があってしかるべきだろう。学校側が対処に乗り出したのは必然的な流れである。

それにしても上掲の二つのセリフが興味深い。

一つ目はいかにも理不尽である。まるでストーカー規制のような話だ。なぜに近づいちゃいけないのかがわからない。

しかし、二つ目の言わんとしていることは、顕正会の悪しき体質を図らずもよくあらわしていると思う。ようはダマシ討ちである。正々堂々と、顕正会の話をしたい、ぜひとも聞いてほしい、と断わってから会えばいいのだ。それならば文句はないだろう。

顕正会の悪しき体質と書いた。より正確に言えば、男子部の特に若年層の悪しき体質、ということになるかもしれない。

というのは女子部や婦人部はわりと真っ正直に折伏を実践しているからであって、相手もダマシ討ちを食らったという意識を持たない場合が多いのだ。ところが男子青年部の場合、相手に悪い印象を与えてしまっている場合が少なくない。その典型がダマシ討ちということである。

平成十六年の諫暁書以降は地道な配布活動が定着し、今現在も顕正新聞の特集号だとか基礎教学書の広告文を片手に訪問折伏が行なわれている。それを真面目に実践しているのは圧倒的に女子部ないし婦人部である。

これはもう目的がハッキリしているので、ダマシ討ちという概念はまったく当てはまらない。この点、男子部の首脳たちこそ真面目に考えるべきだろう。

2017/6/4

「安倍首相辞任要求」特集号の会長講演を中心に  
沖浦氏は六十年以上前のクリスチャンだった頃の記憶を鮮明に残しており、当時の説教が今も人生のよき教訓となっているそうである。これは一見すると謗法のようにも思えるところだが、いわゆる仏法の初門と位置づけるならば、さほど問題はないのだろう。確かに小さな袋と大きな袋の譬喩は絶妙である。わたくし自身、他人の小さな欠点をあげつらうことがあるけれども、よくよく考えれば自分の欠点も相当なのだろう。むしろ公平な視点からすると、自分のほうが遥かにダメにもかかわららず、自分ではそれが見えないものだから、相手の欠点ばかりをあげつらって勝手に優越感に浸っている、というようなことがあるのかもしれない。実に滑稽だ。

さて、今日は四月度総幹部会の模様を伝える顕正新聞第1407号を取り上げよう。

「安倍首相辞任要求」特集号

実にセンセーショナルなタイトルだ。そして一面と二面にまったく同じ見出しが躍っている。

安倍首相は速やかに辞任すべし!!

浅井先生の主張はけっこう単純明快である。二月十七日に遡る話らしいが、安倍首相は国会の答弁で次のように発言しているそうだ。

 「私や妻が、もし認可や国有地払い下げに関係していたら、私は間違いなく、総理大臣も国会議員も辞める」

いわゆる森友問題についてである。浅井先生は安倍首相ないし首相夫人の関与について、種々の証拠を挙げている。もちろん、その証拠能力だとか信憑性については議論の余地があるのだろうけれども、先生は首相ないし夫人の関与は明白であるとして、綸言汗の如し、武士に二言はない、よって安倍首相は即刻辞任すべきである、と迫っているのだ。実に単純明快である。

ゆえに顕正会の活動会員たちはそうだそうだと喝采し、当該特集号の配布活動に精を出す。そして特集号を受け取った一般人たちも、なるほど、確かにそうだ、と頷くことになる。ましてやこの後、加計学園の問題も大きくクローズアップされるに至っては、誰もが安倍政権に不信感を懐いたとして不思議はないだろう。

安倍政権 六つのペテンを見よ

森友問題以前の問題として、上掲のことがある。これまた一般読者にとっても心当たりのある内容ばかりなので、相当の説得力を持つものだろう。

アベノミクス、原発の再稼働、年金の株式投資、安保関連法、カジノ法案、共謀罪

さらには、

最悪の「緊急事態条項」

という一段があって、けっこう衝撃的な内容が書かれている。

アベノミクスについて言わせてもらうと、先週、株価が二万円を回復した。これだけを見ると景気は上向きのようにも思えるところだが、おそらく庶民感覚としてはけっこう生活が苦しいのではないかと思う。収入が飛躍的に増えることは期待できない。それにもかかわらず、税金や公共料金は上がる一方であり、物価にしてもデフレ脱却を目指しているわけだから、上昇傾向にあるわけだろう。ようは出て行く一方なのだ。庶民感覚としてはアベノミクスの恩恵をまったく感じられない。これが大多数の意見だと思う。

原発再稼働はモッテノホカである。もし再びフクシマ級の大事故が起こったらどうするのかである。それを考えたら原発は止めるべきが筋だろう。

年金の株式投資についてはそれほど詳しくないので大したことは書けないが、ごく単純に年金の支給年齢がどんどんと後退していること自体がケシカラン話だろう。

安保関連法は国民の大多数が反対していた。けれども強行採決されてしまった。そして日本国民は忘れっぽい。ついでに言えば創価学会員たちもしかりである。これまた単純な話だが、かつての創価学会の絶対平和主義と今の与党の方向性とは大きな隔たりがある。けれども創価学会員たちはそのことをあまり深刻には考えていないようだ。

カジノ法案はやりたきゃやればいい。その結果がどうなるかはわからないが、そこで再考するのも一つの方法論だと思う。政策には後戻りのできるものとそうでないものとがある。カジノ法案は比較的に後戻りがしやすいのではないかと思うので、そこまで深刻に考える必要はないだろう。

共謀罪は「平成の治安維持法」とも言われている。これまた創価学会員に問うべき事案だろう。創価学会の初代会長は治安維持法違反で逮捕され、獄中死を遂げている。そうした歴史的事実を踏まえるならば、断固として共謀罪に反対を唱えるのが筋だろう。しかるに公明党は自民党に擦り寄り、先の安保関連法と同様に今回も賛成に回るわけなのだろう。なぜに創価学会員はそれを咎めないのかである。

以上、安倍政権の数々のペテンについて、わたくしなりの切り口で書かせてもらった。浅井先生の講演内容とは必ずしも一致していないので、そこは誤解なきようにお願いしたい。

憲法を停止させ
  安倍独裁体制へ


緊急事態条項についてである。不勉強なのでよくわかっていないが、どうやら憲法に緊急事態に関する条文を書き加えることで、イザという時には憲法を停止させて首相が独断専行的に権力を行使できるようになるという話らしい。浅井先生はこれを安倍独裁体制の確立を目指すものと言っている。確かに恐ろしい話だ。

しかし、わたくしにはじゃっかんの疑問がある。もちろん浅井先生の言っていることにである。

ようするに安倍政権が永遠に続くわけではないのだ。ゆえに安倍独裁体制云々はきわめて短期的な視野で言っていることになるわけで、実際には安倍政権云々ではなく今日の民主主義の仕組みの中で整合するのかどうかが最重要の論点のはずである。

確かに安倍首相の独裁色が強まっているのは事実だろう。つい先日も在任期間としては小泉元首相を抜いて単独三位に躍り出た。いわゆる超長期政権も夢ではなくなりつつあるのだ。

まあ、しかし、そうは言っても安倍政権が永遠に続くわけではない。その意味で浅井先生の言う安倍独裁体制の確立は近視眼過ぎるのではないかと思う。

「Xデー」は
 オリンピック前後か


話を戻そう。アベノミクスの失敗について、難しい議論はともかくとして庶民感覚としてはまさに失敗というのがわたくしの実感である。しかし、庶民感覚は文字通り感覚的な話なので、説得力に欠けると言われればそれまでなのかもしれない。

そこで浅井先生によるアベノミクス批判に話を転ずるわけだが、先生は今回も得意の予言を書いている。つまり、国家破産のXデーはオリンピック前後であると。

しかし、浅井先生の予言は当たったタメシがない。

http://white.ap.teacup.com/ganko/2047.html

 さまざまな状況から見て、私は、今後五年以内、二〇一九年までに、国債暴落・国家破産は起こると思っております。

以前は上掲のように言っていたのだ。もちろん、まだ二年ほどの猶予があるので当たる可能性も否定はできないが、しかし、時期的には少しずつ後退していることがわかるだろう。別の時には二千十七年に日銀が破綻するとも言っていた。つまり、本年である。もちろん、これとてまだ半年余りの猶予があるので当たる可能性を完全には排除できないが、しかし、すでに浅井先生自身がこの予言をなかったことにしているフシがあるわけで、事実上、ハズレを認めたに等しいだろう。

そんな打出の小槌のようなことができるわけがないのです。

これは正論である。わたくしの記憶が正しければ壮年部大会の時から一貫して言っていることであり、その時期が延び延びになっているのは事実にしても、いずれは破綻すると考えるのは決しておかしなことではないだろう。

これは広宣流布の話においても同様である。大聖人が大地を的とすると仰せになっているのだから、それを確信するのはいい。しかし、凡夫のアサジエであと◯◯年などと期限を切るのはいかがなものか、ということなのである。

以上、今回の会長講演はなかなか充実した内容であり、一般の読者にとっても有益な情報がふんだんに盛り込まれていて、読み応えがある。しかし、上述のごとく、問題がないわけではない。

そして一般人に対する意味においては、最後の一段が大きな壁なのだろう。

仏は主君、神は所従

これは前にも書いた。森友問題に対する一般人の感覚は、かなり偏った思想の持ち主たちが跋扈跳梁している、ということだろう。残念ながら顕正会に対する一般人の見方も結局は同じなのである。

 仏法を無視して神を重んずること、聖徳太子のときの物部を思わせる。

このくだりは熱心な活動会員たちが説明することで、一般人にも意味は理解できるだろう。問題はこうした過去の事例が、現代においてどのように再現されるかである。皇室に聖徳太子のような人物が登場するのか、かつまたそれを支える蘇我氏のような有力者が出てくるのか、である。

わたくしにはまったく見えて来ない話だ。もちろん凡夫だから当然なのだが・・・


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