2017/12/17

チョウナンカイ  
マイケル氏の質問は超難解の部類に入ることで、わたくしのような未熟者が答えられるわけがないのは、氏も承知のはずである。いわゆる、試している、のかもしれない。

少し話がズレるかもしれないが、治病大小権実違目の冒頭には身の病と心の病についての御指南がある。身の病は仏でなくても治せる。しかし、心の病は仏しか治せない。これが弘安元年六月二十六日の御書だ。

実は同日付で別の御書がある。中務左衛門尉殿御返事、すなわち四条金吾殿への御書と考えられる。そこには大聖人が下痢を患っておられ、四条殿の薬を服した結果、回復した旨の記述がある。

ところがである。直後の御文がひじょうに悩ましいのだ。

しらず、教主釈尊の入りかわりまいらせて日蓮を扶け給ふか、地涌の菩薩の妙法蓮華経の良薬をさづけ給へるかと疑ひ候なり。

身の病と心の病を別のものとして考えれば、四条殿の医療行為も是認できる。というか整合性があるだろう。何しろ心の病は仏にしか治せないからだ。ところが上掲の御文は身の病と心の病を混同するような記述であり、わけがわからない。もちろん四条殿を励ます意味だとか感謝の意味を込めての譬喩表現と解釈することも可能だろう。

とは言え、治病大小権実違目を委細に読めば、もはや身の病と心の病の話がゴチャマゼになっていて、整理整頓がつかないような気がしてならないのだ。
そこはたぶん大聖人の御思考では十分に整合性があるものの、愚鈍のわたくしにはその複雑なロジックを読み解けないだけなのだろうとは思う。
ちなみに、ここでの心の病はいわゆる精神科だとか心療内科の領域を意味するわけではなく、純粋に仏法上の意味に他ならない。具体的には謗法の念慮とでも表現すべきだろうか?

その意味から類推すると、謗法の念慮(心の病)に起因する身の病は難病であるという理屈になるだろう。そこで新たな問いが発せられるのだ。

何ぞ汝が弟子等又やみ死ぬるや。

ようするに謗法者だけでなく大聖人の門下にも病気に罹る人もいれば死ぬ人もいるわけで、その合理的な理由が求められているわけである。回答部分はあえて掲げないが、あるいはマイケル氏の求めている答えがこれなのかもしれないと思う。

さて、一神教の問題である。

外道仏を難じて云はく、汝は成劫の末、住劫の始めの愚人なり。我等が本師は先代の智者、二天三仙是なり・・・

いわゆる内外相対は五重相対の最初に出てくるわけで、種脱相対の立場から見るといちばん初歩的な比較相対のように思える。しかし、現実的にはかなり難解だ。
善無畏三蔵抄の当該御文にはこの外道の論難に対して直接的な回答は示されていない。御書全編を拝してもなかなか見えてこない。それがわたくしの正直な感想である。
汝は成劫の末、住劫の始めの愚人・・・はひじょうにわかりやすい御文であって、釈尊は人類史上ではわりと初期の人物、実在の人物として一般的にも認識されている。しかし、今書いたように、あくまで人類史上なのである。ゆえに地球創世だとか宇宙の始まりというレベルから見ればヒヨッコである、というのが外道の言い分なのだろう。

ここで法華経における久遠思想が登場する。

わたくしの念頭にあるのは今此三界合文である。ここでは具体的御文を挙げないが、そこには懐中と呼ばれる謎の文証が引用されていて、久遠思想には多重性があることがわかる。

平たく言うと、五百塵点は始成の説に順じた一応の説であって本当は無始無終なのだ、というような意味に読める。これは一種のバージョンアップであって、なぜにその必要性に迫られたのかを考えると、あるいは真言の我一切本初を意識してのことかもしれない。

仏教内においてもこうした競争原理が働いている。いわんや他教をやであろう。

時間的にはどちらが古いか、ようは先輩であるかを競って、空間的にはどちらが広いか大きいかを競っている。早い話、同じ土俵で競えばそういうことになるのだろう。

さて、偉そうなことを書いているが、わたくしとてしょせんは凡夫である。答えがわかっているわけではない。しかし、生意気ながらも独学で勉強してきて、わたくしなりの発見もあった。すると、教団の言っていることが百パーセント正しいとは思えなくなってきて、実際のところ、間違っているのではないかという部分がいくつも存在するわけである。

具体例を挙げよう。御講聞書の一節だ。

一 妙楽大師の釈に末法之初冥利不無の釈の事

いわゆる顕益と冥益の説明であるが、煩瑣になるので結論部分だけ引用しよう。

仍って本化の菩薩は顕の利益、迹化は冥の利益なるべし云云。

いかがだろうか? 宗門でも創価学会でも顕益・冥益の説明をしており、それはネットで検索しても出てくるが、しかし、当該御文を拝するとかなり違った印象を受けるはずである。この点、明快な答えを出せる人がいれば、ぜひともご教示願いたいと思う。たぶん大半の人が解説書を読んでそれを鵜呑みにしているだけなのだろう。わたくしはそうではないということだ。

2017/12/16

イゴコチ  
マイケル氏のおっしゃることはまったくその通りであり、たとえ顕正会員であっても冷静な判断力を持っている人ならば、誰もが首肯せざるを得ないところである。浅井先生は前々から、顕正会は政界に進出しない、と言ってきた。ゆえに今後もそれは貫くのだろうけれども、ご存知のごとくに直近の総選挙では民意を動かす戦いを起こしたわけである。逆に言うと、まさにここが中途半端なところであって、だったら自ら政党を起こして民意を問うほうが単純明快だった。しかし、現実問題としては今の顕正会の実力でそれをやったところで、恥をかくだけの話である。これは例を出して恐縮だが、幸福の科学を見ればよくわかるだろう。

さて、顕正新聞第1423号の続きである。

私は昭和五三年より約三〇年間、神道系の邪教「神霊界」で熱心に活動してきました。

婦人部川崎支区組長の記事である。平成二四年一二月に職場で知り合った顕正会の班長から折伏され入信したという。

 入信勤行で神奈川会館の御本尊様を拝した瞬間、それまでに体験したことのない力が体中にみなぎり・・・

わたくしは神道系の宗教に疎く、神霊界なる教団もまったく知らなかったが、御本尊を拝した瞬間に身体中に力が漲ったという点が、いかにも神霊界チックに感じられるところである。

今、顕正会は二百万人近くの会員を擁している。もちろん名目数に過ぎないが、いちおうはその全員が一度は御本尊の前に額づいたわけだろう。もし上掲のような体験を誰もが味わっているのであれば、もう少し定着率が上がってもおかしくないだろう。事実は即日退転というパターンがけっこう多いのである。

私は六九歳という年齢にもかかわらず、現役の看護師として働いておりますが・・・

これは立派なことである。なかなか大変な仕事だとは思うが、世の中から必要とされている限りは頑張るべきだろう。

 そして有難くも、いままで折伏してきた方は全員、入信が叶っております。

これはまた羨ましい話である。先ほど、即日退転の多さを云々したが、もちろん入信して熱心な活動家になる人もいる。しかし、そうした人たちの中からも脱落者が出てくる。その一つのパターンが入信がなかなか決まらず、ようは成果がなかなか上がらず、そこで行き詰ってしまって退転していくパターンなのである。その意味からすると、折伏した人の全員が入信するなんてことは驚天動地の出来事であり、羨まし過ぎる話なのである。

さて、本年八月二八日、婦人部の紹介で入信した男性は、子供の頃に父親から次のように言われて育ったそうである。

「これからは学歴社会だからしっかりと勉強しなさい。宗教に頼らないで自分の力を信じなさい」

何かヘンな感じがする文章である。次は本部会館に初めて訪れた時の様子である。

 当日、本部会館に到着した瞬間、会館の壮大さと庭園の素晴らしさに思わず足が止まり・・・

そんなことで入信するのならば、苦労はしない。それこそ一般人に開放すればいいだろう。実際にはもっと壮大な建築物や素晴らしい庭園のある宗教団体は他にもたくさんあるだろうから、しょせん、こんなことはどうでもいいことなのである。

・・・さらに御本尊様を初めて拝見させて頂いた瞬間は息もできないほどで、金色に光り輝く御本尊様に吸い込まれていくような感激の中、入信勤行を執り行って頂きました。

前掲の記事とまったく同じことが言えるだろう。誰もが同じような感激を味わっていれば、もっと定着率が上がるはずなのだ。

ともかく彼の場合は御本尊の功徳を感じているわけなのだろう。次の記述もその延長線上の話である。

清掃の仕事も初めて「綺麗にできているよ」と褒められたり・・・

しかし、これはどうかと思う。何年やっているのか知らないが、今まで一度も褒められたことがないとすれば、これはこれで大問題だろう。

 また顕正会の組織は、何を考えているのかわからない世間の繋がりとは全く違い、垣根が低く・・・

ほほう、よほど居心地がいいらしい。たぶん幹部もいろいろなタイプがいるのだろうけれども、平均すると婦人部の幹部は腰の低い偉ぶらない人が多いのだと思われる。では、男子部あたりはどうか、である。彼もやがては男子部へ移籍することになるかもしれない。そこでも同じような居心地のよさを感じられるといいのだが・・・

さらに彼は九月度総幹部会の会長講演を聞いて大衝撃を受けたという。

 それは今まで私は、歴史は人が作ってきたと思っていましたが、実は宇宙を司る仏様がレールを引いて下さっているのだと感じたのです。

こういう部分は逆に勉強になる。イヤミを言っているわけではない。ようするに今まで仏法に無縁の人生を送ってきた人が、大聖人の仏法を学んでどのように感じるかという点において、わたくしに新たな知見を与えてくれているのである。

いわゆる日蓮本仏論は限りなく一神教に近い。もしくは一神教そのものであると。

日蓮本仏論は日蓮正宗系の共通認識と考えられるが、しかし、委細に見れば組織ごとに捉え方が微妙に異なる。そしてこれは『迷走する顕正会を斬る』においても指摘されるごとく、特に浅井先生の仏法観は突出しており、ひときわ一神教色が強いように感じられるところである。

2017/12/15

コワイコワイ  
佐渡の雪山童子氏は過去の拙稿を同時並行でお読みになっているという。それによればコメント欄の様子があまりにも違うらしい。まあ、しかし、どうやら沖浦氏もそろそろ掲示板関係から引退するらしいので、当然そうなれば拙ブログからも撤退することになるだろう。その後はコメント欄も静かになるだろうから、ゆっくりとお読みいただけるはずである。

「南無妙法蓮華経如来」とは日蓮大聖人

顕正新聞第1423号の五面にはご覧のような見出しが躍っている。女子部第百二十六区総班長の記事は御大会式の会長講演を受けて書かれたものなので、その意味で上掲は顕正会の教義上の公式見解ということになるだろう。一切衆生を南無妙法蓮華経如来だとする沖浦説とは異なる。ゆえに、掲示板での議論を不毛と考えるのならば、顕正会本部に法論を申し込んだらどうかと沖浦氏に提案しておきたい。

日目上人に源を発して集い来った地涌の菩薩として・・・

これは婦人部津軽支区部長の記事であるが、地涌の菩薩は釈尊久遠の弟子であるから、この記述はおかしい。下種仏法の立場から言えば、ここでの釈尊は日蓮大聖人であり、ようは大聖人を源としなければいけないはずなのだ。もっともこれはややアゲアシ取りの気味がなくもないところで、肩書きを見ればわかるように彼女は東北の人間である。ゆえに東北弘通の先駆けたる日目上人に源を発する云々も、それほど不自然ではないことになるだろう。

拙ブログで心掛けていることは、こうした表面上のアゲアシ取りと、真面目な批判との峻別である。

先生の最後の御奉公の御供が叶う喜びいっぱいに駆け抜ける弟子として・・・

同じ記事中の文章であるが、このややこしい言い回しについてはアゲアシ取りの意味で引用した。しかし、同時に真面目な批判の意味としては、先生の最後の御奉公とは何か、である。結局、これまで何度も指摘してきたように、これは広宣流布のゴールが近いという意味と同時に浅井先生の年齢的限界を意味しているわけであり、我々のような外部の人間から見れば後者の意味にしか受け取れないのである。実は顕正会の活動会員たちも同じなのではないかとわたくしは思っているのであるが、いかがだろうか?

さて、男子部第百七隊幹事の登壇は、何月何日の集会でのものだろうか?

一刻も早い安倍政権崩壊・・・

安倍ペテン政権崩壊をかけた歴史に残る大法戦に・・・

 されば、本特集号を十月二二日の衆院総選挙までに広く配布し、安倍晋三の正体を白日の下に晒し、安倍ペテン政権の崩壊を一刻も早くと決意するものであります。


当然、選挙前の話である。そして選挙結果は周知のごとくである。それで顕正会は意気消沈しているのかと思えばそうではない。負け嫌いの浅井先生は直後の総幹部会で安倍批判の継続を宣言した格好である。それは次号で取り上げることになるだろう。

安倍首相の姿は池田大作に酷似・・・

同じく隊幹事の記事から、要約した形で引用させていただいた。ここでイヤミを言えば、ああ、なるほど、そうすると顕正会は安倍首相を倒せないな、ということになる。結局、顕正会は池田大作氏を倒せなかった。
池田氏が今どのような状況にあるのか知らないが、いわば人生の終わりを迎えようとしているわけなのだろう。棺桶に片足を突っ込むみたいな俗な表現があるけれども、わたくしに言わせればどうやら無事にゴールを迎えようとしているわけである。
仏法上のことはわからない。あるいは無間地獄が決定しているのかもしれないわけで、その場合はゴールどころかスタートを迎えることになる。いつ終わるとも知れない地獄のスタートである。
しかし、世間一般の評価としては地獄云々の話は出てこないわけで、いわば一人の傑出した人物の人生の幕が閉じられる。対顕正会の意味では一種の逃げ切り勝ちみたいなものだろう。それが客観的な評価だと思う。

実は安倍首相のことに関しては、すでに何度も書いていてわたくし的には結論が出ているのだ。つまり、このまま引退すれば歴代総理の中でもかなりの長期政権として名を残すことが確定するのだ。ただし、凡夫には未来のことはわからない。ゆえに安倍首相がこのまま幸せでいられるかどうか、そこは何とも言えないところである。

もう一つ、隊幹事の文章を紹介しておこう。

 安倍首相は、先の衆議院解散を「国難突破解散」などと称しておりますが、次々に送付される顕正新聞を手にして、「国難」の二文字が彼の目に留まったこと、疑いなきところであり・・・

これは興味深い話である。さらに続きを紹介しておこう。

・・・疑いなきところであり
 「誰が原因でこの『国難』を招いているのか、分かっているのか」との激しい憤りが込み上げてまいります。


怖い怖い、怖すぎる。

しかし、現状でどのくらいの影響力があるのだろうか、そこが問題である。ヘンな話、もし創価学会・公明党が顕正会くらいの迫力で安倍首相を弾劾する側に回れば、これは確実に脅威だろうと思う。しかし、現実問題として、それはなかなか実現しそうにない話であり、実現したらしたで、これはまた別の意味で怖い話になるだろう。

2017/12/10

ブロックチョウ  
顕正新聞第1423号の続きを見ていこう。まずは男子部第十六隊長の活動報告からである。

この亡国迫る大事なときに、一体何をやっているのかと、呆れるばかりでありました。

記事によれば、大石寺では先日、五重塔の工事が終わり、今は三門と総門の全面改修をやっているという。彼はこれに対して上掲のように言っているわけである。

しかし、隊長レベルであれば日興跡条々事くらい知っているだろう。浅井先生が何度となく引用してきた御文である。

一、大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して広宣流布を待つべきなり。

浅井先生によれば、日興上人・日目上人は広宣流布朝夕近しの大情熱で戦っていた、とのことだ。そのような気概・決意を持つことは当然のことながら、客観的な状況判断も必要だろう。わたくしの拝する限りでは、まさに上掲の御指南こそがそれだと思う。もし広宣流布が明日にも実現するのであれば、このような御指南にはならないだろう。つまり、日興上人の御認識として、広宣流布はまだ先のことである、ゆえに長い年月の間には御堂も墓所も修理が必要となる、ということを御示しになられているのだ。

ところでこの記事は、冒頭こそ大石寺関連の話題に触れているものの、主には日本会議関連の話題で占められている。

・・・日本会議の異常性、徹底した秘密主義には驚きました。

隊長以下、第十六隊の有志で日本会議の講演会に、いわば潜入したわけなのだろう。そこでの顛末が書かれているわけだが、ここでは次のくだりを紹介しておきたい。

 また講演の最後に「伴」と名乗る、日本会議本部・事務総局の者が、「憲法改正」について講演を始めた瞬間、スーツを着た取り巻きの者たちが一斉に、会場の窓やカーテン、扉を閉め始めたのです。

なるほど、情景を思い浮かべると、ちょっとヘンな感じかもしれない。ゆえに彼も続きの文章で次のごとく書いている。

 その光景はまさに「異常」の一言でありました。

これは顕正会にも幾分言えることであって、内部にいると感覚がマヒしてしまって感じないことでも、外部の人から見れば異常にしか思えないようなことがたくさんあるのだと思う。その典型的な例がいわゆる伏せ拝もどきの拍手だろう。これはもう、わたくし自身がずっと異様に思っていたことで、おそらく顕正会員の中でも比較的に常識的な人であればおかしな風習だと感じていることだろう。これを是正しない、もしくは是正できないことが、顕正会のもっとも根源的な問題なのかもしれない。その光景はまさに「異常」の一言なのである。

望月衣塑子記者「顕正会 知ってますよ」
 先生の指導が浸透 二百万の力実感


女子部第百二十七区総班長の記事に付けられた見出しである。前々回の拙稿でも言及したが、顕正会の存在が知られるようになってきたのは事実だろう。まあ、そのこと自体は一歩前進と言えるのかもしれない。しかし、現時点ではただそれだけの話である。ようは影響力をどれだけ発揮できるかなのである。その点ではまだまだお話にならないレベルだろう。

ちなみに当該記事には知的障害を持つ組長の話が出てくる。

 その後、組長は、怨嫉によりグループホームを退所することになり・・・

それで実家に戻ることになって十五年ぶりに家族と暮らせるようになったと。

これを大功徳だと書いているわけだが、わたくしにはよくわからない話である。そもそもなぜにその施設に入所していたのかを考えれば、それは老人の介護施設とほぼ変わらない事情からなのだろうと想像されるところである。ぶっちゃけ言えば、面倒見切れない、ということだろう。ゆえに理想的な話の展開としては、信心の功徳によって健常者と遜色のないレベルに戻れた、よって施設にいる必要がなくなった、ということで退所するのが理想なのだ。

また、喉元過ぎれば云々ということでもある。拙ブログでもずいぶん前に話題にしたことだが、わたくし自身もすでに記憶がアイマイになっていることがある。今は過去の拙稿を読み返さずに記憶だけで書こう。つまり、知的障害者への折伏・入信に関するトラブルのことである。確か城衛もこの問題に触れており、活動会員たちに対して自粛を促すような指導をしていたはずである。

一年三ヶ月ぶりに入信が叶った・・・

これは婦人部四日市支区班長の記事で、彼女は平成四年入信という二十五年選手である。この手の話題も繰り返し取り上げてきた。ようするに入信が長くなると、折伏の対象者が尽きてしまい、なかなか成果が出なくなるのである。もしかしたら一年三ヶ月ぶりはマシなほうなのかもしれない。わたくしの勝手な基準で言わせてもらうと、一年に一名を入信させれば二十五年で二十五名である。もしこの人たちが全員真面目に信心していれば、もうこれは大変な大組織である。いわゆるネズミ算ではどういう結果が出るか、もし計算が得意の人がいれば教えていただきたいものである。よって一年三ヶ月ぶりはマシどころか、優秀と言ってもいいかもしれないと思う次第である。

男子部第二十五隊総支隊長補の記事はやや話が複雑で説明するのが面倒である。そこで登場人物を簡略化してしまおう。創価学会歴六十年の壮年、創価学会男子部ブロック長、この二人である。

 しかし、空気の読めない壮年は、私たちに対してこんどは「学会幹部の中で、大聖人様が見える人がいる」等と見当違いな発言をし、するととうとうブロック長は「俺はそんなこと知らないな」「お前はもうしゃべるな」と壮年の話を遮り、仲たがいを始めたのでした。

いわば顕正会員と創価学会員の法論で、創価学会側が途中で仲間割れを起こした場面である。わたくしが不審に感じたのは、「お前はもうしゃべるな」である。創価学会歴六十年の壮年に対して、男子部のブロック長がお前呼ばわりしているのである。これが本当だとしたら、創価学会もダメな組織である。たぶん六十年選手のほうは事実上の現役引退であり、今は無役なのだろう。男子部のブロック長はもしかしたら年齢的には半分にも満たない若輩なのかもしれないが、ブロック長という役職者なのだ。ようは役職者が偉いという組織なのだろう。わたくしに言わせれば、それはそれでいいとしても人生の先輩に対する敬意は必要である。もし創価学会でそうした教育を疎かにしているのだとしたら、つくづくダメな組織である。

ちなみに今日は冒頭で日興上人の御指南を引用したが、同じく日興上人の二十六箇条の御遺誡には若輩者であっても能力のある人物を重んずるべき旨の御指南がある。しかし、これとそれとは矛盾しないだろう。もしその若輩者が慢心を起こして驕り高ぶるようなことがあれば、これはまたこれで厳格なる日興上人の御叱りを蒙ることになるのだ。ブロック長殿に日興門流の自覚があるならば、この点をよく反省すべきだろう。

2017/12/8

ミンイ  
今日は顕正新聞第1423号である。一面のトップ記事は御大会式の報道であるが、会長講演の詳細は翌々号に掲載される旨、書かれている。下段には北関東大会が明年の三月二十一日に「ぐんまアリーナ」で開催される旨の発表がある。そして二面以降はいつものごとく、各種集会での登壇記事の羅列である。

もはや取り上げる気力も失せつつあるが、いちおう順番に気になったところを拾っていこうかと思う。

第十・第二十五・第二十六男子部長

面倒臭い表記である。どうも近年はポストの乱立によって組織が複雑化しているような印象がある。しかし、人材そのものは大したことがないらしく、ご覧のように一人の人物がいくつもの組織を兼任しているケースがめずらしくなくなっている。この際、リストラしたらどうかと提案したいところである。この場合のリストラは組織の再編の意味である。例えば上掲の三つの男子部を一つにまとめてしまえば、シンプルでわかりやすいだろう。けれども、それは組織の縮小・後退を印象付けるので、やりたくないのだと思う。つまりは粉飾である。こんなテイタラクでは遅かれ早かれ破綻をきたすだろう。本部首脳はこんな簡単なこともわからないのだろうか?

広布の前段階

本文からの引用である。この表現はめずらしい。最終段階と前段階、たぶん同じ意味なのだろうけども、印象的にはかなり異なる。

 されば、新体制を整えて頂いた新潟男子部こそ、どんなに遅れていようとも・・・

これはわりと正直な発言かもしれない。彼がいくつもの男子部を兼任しているのは、裏を返せば前任者がどうかしてしまったからなのだろう。おそらくそのような組織は自ずと停滞せざるを得ないわけで、いわばその組織の再生を彼は課せられたわけなのだ。

日本の歴史始まって以来、最悪の国家の仏法上の失・・・

これは第二十四婦人部長の発言である。これが何を意味するのか、正解を書ける人がいたら大したものである。わたくしは竜の口のことだと思った。しかし、彼女の言っている意味は違うのだ。ようは安倍政権が神の国を作らんとしていることと、そこにコバンザメのごとく創価学会・公明党が加わっていることを言っているわけである。それもこれも顕正会の重大使命を際立たせるための過剰表現なのだろう。先ほども書いたように、竜の口はどうなるのか、である。

さて、全体的な印象を書くと、相変わらず、民意を動かす大折伏、みたいな表現が目立つ。しかし、これは前にもけっこう取り上げたので、省略しよう。

関連する話題として、第三婦人部長の記事の次のくだりを取り上げたい。

 「ここに大聖人様は八幡大菩薩を対告衆として、仏法守護の諸天善神すべてに対し、『守護の責務』を果すべきを、その道理を示し、つよづよと申し付け給うたのである」と。

この部分は浅井先生の発言そのものであるが、ようは竜の口における一シーンを解説しているわけである。そして以下が彼女の所感である。

 いま時に当り、浅井先生によって、総理大臣・安倍晋三を対告衆として、全国民に対し
 「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
 と諫暁しておられるのだと思い、先生のお立場の重さに畏敬の念で一杯になりました。


これじゃ民意は動かんだろうが、と言いたいところだ。

そもそも大聖人の御振る舞いと浅井先生のそれとを重ね合わせるような表現方法がケシカランところで、文中「日蓮によりて」云々とあるのが救いではあるものの、それでもかなり会長本仏論的な雰囲気が漂っていてよろしくないというのがわたくしの意見である。

民意に関して、当たり前過ぎることを書いておくと、この時点での顕正会員たちの目論見は総選挙で自公を敗北に追い込むことだった。しかし、それは顕正会の仕事ではないだろう。民意をもっと広義に解釈するならば、顕正会が支持を得られるかどうかなのである。顕正会員たちが功徳に満ち溢れ、誰が見ても幸せそうに見えるならば、ボクもやりたい、ワタシもやりたい、ということでやがては入信勤行の行列ができるようになる。実際、内部では幹部たちがそのような発言をしていたし、あるいは今もしているかもしれない。では、現実はどうか、ということなのだ。

沖浦氏じゃないが、やはり功徳の体験が大事なのだろう。しかし、それが浅薄な功徳論・御利益論であれば、かえって墓穴を掘ることになる。なかなか難しいところである。

2017/12/6

ゲンパツカンレン  
今日もまた第1422号の続きを取り上げよう。

先生の巌のごとき大忠誠心が一国を動かし、すでに顕正会の存在を無視できなくなったことを目の当りにし・・・

婦人部郡山支区部長の発言であるが、これは事実誤認も甚だしいだろう。顕正会の存在が広く知られるようになってきたのは事実であるものの、無視できなくなったは言い過ぎである。無視云々を別の言葉で表現すれば、影響力ということになると思う。では、今現在どれだけの影響力があるかが問題であるが、それは残念ながら微々たるものと言わざるを得ないだろう。

さて、この記事の後半が悩ましい。前回紹介したように、当該号の六・七面は医療関係の記事が多く、当該記事もその一つである。見出しを紹介しておこう。

 顕正会員の功徳、医師が学会で発表

県立医大の医師が顕正会員の功徳を学会で発表したそうである。ここでの学会は創価学会のことではない。当たり前だ。顕正会員の功徳を創価学会で発表するわけがない。医学会である。さらに言えば、功徳を発表したわけではない。これは顕正会目線で功徳と書いているだけの話である。

しかし、余命宣告を受けていた顕正会員のガンが、なんと消滅してしまったそうである。ゆえに、このことに驚いた医師は学会で発表したという。また、この医師は別の医師が顕正会員のガン消滅を発表しているのを聞いたことがあるとも言っているそうだ。

ひじょうに悩ましい話である。

前回の終わりのほうで、医師の敗北、ということを書いた。これは医者が患者を救うに当たって、医療行為ではなく信仰の力に頼るとしたら、それは信仰者としては正しいにしても医者としては間違っているのではないか、これは医者の敗北を意味するのではないか、という問題提起のつもりで書いたわけである。これについて顕正会ではどのように考えているのか、現時点では不明瞭のような気がする。

御書には大聖人御自身が晩年は御病気を患われ、四条金吾から貰った薬が効いて快方に向かった意味のことが認められている。その意味からすると、今の顕正会の考え方は少し間違っているのではないかということになるだろう。四条金吾の立場にしてみれば、御本仏に対して医療行為を行なうことは恐れ多いことであり、やや婉曲的にはなるものの医療行為=信仰の否定にもなりかねないことになるのだ。もちろん顕正会的思考に基づけばである。しかし、事実として大聖人御自身は医療行為に肯定的であり、もし仮に今の時代にいらっしゃれば必要に応じて薬も服用するだろうし、手術を受けるようなこともあり得るだろう。であれば大聖人も医学の進歩を歓迎するはずなのである。

ではその医者たちが、医療技術の向上ではなくて、信仰の力に頼るとすれば、大聖人はそれをどのように御考えになるのだろうか?

わたくしにはよくわからない話である。

 「自分は福島に赴任して一〇年になる。原発災害までは、癌が発症するのは主に四〇代、五〇代だった。それが現在、二〇代、三〇代が急激に増えている。放射能の影響はとてつもない」

くだんの医師の発言である。そして登壇者も次のごとく書いている。

3.11より丸六年を経て、いよいよ放射能による甚大な被害が現われてきたことが肌身に迫ってまいりました。

久しぶりに原発関連の話題が出た。

これについてはわたくしも最新事情に精通しているわけではないが、ともかく問題意識を持ち続けることが大事だと思う。なぜならば、いわゆる疫学は十年二十年という長いスパンで見ないとわからないものなので、現時点ではまだ何とも言えない段階なのである。しかも病気は人々の身体の中で起こっていることなので、容易にはわからない。気がついた時には甚大な被害になっているかもしれないし、杞憂で終わるのかもしれない。わからないのだ。

それから現政権は原発再稼働の方向性を示している。これがさまざまのところに忖度を働かせることになる。結論を言ってしまえば、再稼働の妨げになるような情報はなかなか出てこない状況にあるのだ。

その意味で顕正新聞掲載の原発関連記事は、やや誇張が過ぎるような印象が拭えないものの、それなりに貴重な情報と言えるだろう。

2017/12/3

クゴハン?  
顕正新聞第1422号の六・七面は医療関係の登壇記事が目立つ。

救護班―42人明るく団結
 集会を陰で守る看護師グループ


七面左下には登壇記事とは別に、ご覧のような囲み記事があって、その記事だけがカラー刷りになっていることもあってか、目を惹いた。

臨床経験が五年以上の正看護師で、信心堅固な人材が揃っている。

本文からの引用であるが、なんと救護班の結成は平成二年に遡るとのことで、最初は二名からの出発だったそうである。すると、およそ二十倍の陣容に成長したことになる。

では顕正会全体の伸びはどうか、それが気になるところである。

当時は二十万顕正会を謳っていた。ゆえにそこから二十倍すると、今は四百万の陣容になっていないといけない。たとえ名目会員数であってもそれを達成していれば大したものだが、どうやらその半分が限界のようである。しかもそれはあくまで名目数であって実数ではないのだから、もはやどうしようもない状況である。

女子部第二百二区長は重度心筋症の組長が集会中に心停止になってしまった顛末を登壇している。

 当日、集会の勤行が開始されて間もなく人が倒れた気配を感じ・・・

 さらに、組長が倒れたのが勤行中だったので、全員が御宝前を向き、ほとんどの人が気づかなかった・・・

凄い話である。顕正会の勤行はそんなに長くないと思うが、それにしてもその間に倒れてそのまま帰らぬ人になってしまったら大事件だった。その意味でこの登壇者は大手柄だろう。彼女がどうして気がつくことができたのか、不思議の一語に尽きるところである。

 すると、事態に気づいた部内の看護師六名が瞬く間に集まり、みな心肺蘇生の経験は豊富ではありませんでしたが・・・

ちなみに登壇者も看護師である。ゆえに当該組織は看護師つながりで入信してきた人が多い組織なのだろう。かつて男子部の第二隊だったろうか、自衛隊員ばかりで構成されていたということがあったけれども、それに近い感じなのかもしれない。

心肺蘇生の経験は豊富ではない・・・

なるほど、臨床経験五年以上の人材集団とは言うものの、心肺蘇生はなかなか経験できないことらしい。そう言えば少し前に男性看護師の記事を紹介したが、彼は救急救命を担当しているようである。この際、救護班に加わるべきだろう。

さて、記事の続きというか、ここからはツッコミである。

 救急車が到着するまでの約二十分は心停止していたと思われ・・・

脳の後遺症は避けられないだろう。ところが大丈夫だったそうである。さすがにこれはウソだろうと思わざるを得ないところだが、いかがだろうか?

 また入信以来、山本組長を見てきた杉山・第百八十区長がこの日は登壇ではなかったので、救急車に同乗し・・・

これはおかしいだろう。登壇があろうがなかろうが関係ない。人命救助が最優先である。そういう物の道理がわからないようではオシマイである。

 綾部女子部長から聞いた話によれば・・・

登場人物の多い記事である。重度心筋症の組長は夫の暴力が原因で離婚となり、その時に三歳の長男を夫に取られてしまったという。しかもである。その夫による虐待で、子供は死んでしまったそうである。実に不幸な話だ。

ともかく彼女が生き長らえるには心臓移植しかないとの話である。

 このことが総合女子部長から先生に報告され、その際、先生より
 「良い治療があれば、受けたらよろしい」
 とのたいへん勿体ないまでのご指導を頂いたことを伺いました。


良い治療があれば、受けたらよろしい・・・

当たり前だろうが、と言いたい。彼女は今現在七歳になる娘を育てているそうである。顕正新聞を読むと延命治療を拒否するような記事が散見されるけれども、それらは高齢者の話である。どう考えても彼女はまだ高齢者ではないだろう。ならば生きるための方法を模索するのが当然である。

最後に書いておきたいことは、看護師の多い組織は患者も多い、ということだ。しかもくだんの話みたいに、重度の病気を抱えている人が多いとも想像されるところである。つまり、医療で捗々しい効果を得られない人にとっては、藁をもすがる思いで入信してくるわけである。拙ブログでは宗教オワコンの時代などと書いたりもしているわけだが、実際には万策尽きてもはや神仏にすがるしかないという人が今もなお無数にいるわけなのだろう。

ではこの先、顕正会に医師がたくさん入信してきて、医師ばかりの組織が結成されたとしよう。そこには自ずと患者も集うのだろうか?

わたくしの偏見に過ぎないが、看護師は情緒的であり、医師は理知的である。ゆえに看護師は患者を折伏するけれども、医師は患者を折伏しないのではないかという気がするのだ。医者が患者を折伏するのは、宗教者としては正しい行為なのだろうけれども、医者としては間違った行為なのではないか、ようは医師としての敗北を意味するのではないか、というふうに思うわけである。

ひじょうに悩ましい話である。

2017/11/29

カケモチ  
顕正新聞第1422号の五面を見ていこう。

立正安国論に御予言の的中・・・

女子部第百二十九区長の記事から引用した。文法的に正しいのかどうかわからないが、難しい言い回しであることは間違いなかろう。

次の男子部第十三隊支隊長は若手の成長株である。拙ブログではこれまで何度も取り上げている。

 思うに、人間がいかに核ミサイルを打ち合い、地球や他の天体を破壊しようとも、宇宙全体を破壊することは不可能であります。

この部分だけでは何を言わんとしているのか理解不能であるが、前後の文脈がわかるとこの人の壮大なるロジックが見えてくる。ようは教学をよく勉強している人なのだ。昔のように教学を重視していた時代の顕正会であれば、彼は瞬く間にトップクラスに躍り出ていたことだろう。

二十五歳の先生が・・・

ようするに教学だけでなく顕正会の歴史についてもよく勉強しているわけなのだろう。そして今の彼の年齢がおそらくは二十五前後であり、若き日の浅井先生に思いを馳せつつ自分自身を見つめ、そこに何かしらの感慨を懐いているのだろうと想像されるところである。

しかし、さすがに次の一節は今のわたくしの立場からすれば、いかにも浅井教の色が濃くてウンザリするところである。

第六天の魔王の全力をあげての妨害と戦われること、実に六十年に及びます。

これを直ちに会長本仏論と言うのは言い過ぎにしても、大聖人の御化導が三十年であり、釈尊が五十年である。それを超過する期間、第六天と戦ってきたわけであり、しかもまだ戦いは続くわけである。あと何年かは知らないが、ともかく悩ましい限りである。

第十六女子部長は二年間で五倍の陣容を構築すると言っている。五倍は大変な数字であるが、それとは別の部分で気になったのが次のくだりである。

お姿が重なり・・・

ようするに日目上人の御姿と先生のお姿が重なると言っているのだ。

隣の男子部第三十五・第百十六隊長という掛け持ち隊長は、安倍政権崩壊を事実とすべく云々と書いているが、それとは別にやはり次のような気になる記述を残している。

 この日目上人の尊き御振舞いの延長線上に、浅井先生の戦いがあり・・・

日蓮正宗の存在を無視して、顕正会こそが直系であるかのような言いっぷりである。

これに関連する意味で七面の記事を紹介しよう。

代々法華講の人が入会、功徳に感激

婦人部足立支区班長の記事の見出しである。しかし、本文を読むと少し事情が違っている。

代々法華講の家に生まれ、四年前に池袋の法道院で法華講に入信した・・・

代々法華講の人がなぜに四年前に入信するのだろうか?

確かに日蓮正宗でも古くからの檀家さんは信仰心が薄く、すでにして本人がそうなのだから子供に対しても同様なのかもしれない。けれども、そういう人が四年前に入信したということは、逆に言うと今の法華講はけっこう熱心に折伏だとか人材の掘り起こしをしていることになるだろう。その人材を顕正会は横取りしたことになる。

 そして入会勤行の前日には、自ら法道院の先輩に御本尊を返納する旨を伝え・・・

代々法華講の人ならば、歴代上人の常住御本尊を所持しているかもしれない。あるいは本人は次男三男などで、そういう家宝を受け継ぐ立場ではなかったのかもしれない。その場合は四年前に御本尊を受けたと考えられるので、現猊下の御本尊ということになる。それを返納すると言っているわけだ。

さらに看過できないのは次のくだりである。

長年、宗門に身を置いた〇〇さんにも直ちに無間地獄の道を塞いで下さり・・・

ひじょうにブレまくった記事である。代々法華講を云々しているわりには四年前に入信したという事実が書かれていたり、そうかと思えば今度は再び長年宗門に身を置いていたかのごとく書いている。

しかし、そういう些末なことが問題なのではない。

ご覧のごとく、宗門そのものを全否定するかのような書きっぷりが問題なのである。日蓮正宗で信仰すると無間地獄に行くことになると彼女は思っているわけなのだろう。わたくしに言わせれば、これこそ浅井教の教義そのものである。

もう何年も前から指摘していることだが、いよいよ顕正会は分派独立路線を明確化してきた感じである。もちろん本人たちは分派ではなく正統派すなわち直系だと言いたいわけなのだろう。困ったものである。

2017/11/26

タマサカ  
引き続き第1422号を見ていくが、まずは副総合婦人部長の発言で見過ごしていた部分があるので、それを取り上げよう。

 三大秘法護持の賢王御出現も遠からじと確信しては・・・

昨年の夏だったろうか、天皇陛下の生前退位の問題が浮上した。そして今、その具体的スケジュールが固まりつつある。このことを踏まえて上掲を読むと、あたかも新天皇に即位する人が三大秘法護持の賢王ということになりそうである。

なるほど、顕正会が言っている広宣流布の最終段階と天皇の譲位の時期が不思議にも一致するわけだが、これもしょせんは後付け理論のようなものだろう。何しろ顕正会はかれこれ二十年も最終段階を言い続けているのだ。それがたまさか今になって一致するようになっただけの話であり、いくら何でも二十年前にこのことを想定していたとは、とうてい考えられないことである。ましてや現状では天皇陛下が三大秘法を護持することは相当の困難を伴なうことであって、おそらくは顕正会の会員数が名目ではなく実質で六千万にでもならない限り、無理な話だろう。

総合女子部長の発言を見てみよう。

凡慮を絶して正本堂が崩壊したごとく、安倍政権も崩壊し・・・

すべて事実となる時はもう眼前であり・・・


正本堂崩壊と安倍政権崩壊を並べてどうするのかと思う。このことで付言するならば、正本堂は崩壊したものの日蓮正宗そのものは続いている。同様の意味で、もし安倍政権が終わってもその後も自民党政権が続く蓋然性が高い。この点をどう考えるのだろうか?

モンゴル担当の女子部総務の発言も見ておこう。

大聖人様が「隣国の賢王」を出現せしめ給うたモンゴル国に、順縁広布のいま、宿縁深き地涌の菩薩が続々と集い来たるを眼前にしては・・・

これまた都合の良過ぎる解釈である。なぜならば顕正会は中国脅威論を唱えているからだ。

つまり、今の中国は大聖人御在世当時における蒙古の役割を担っているわけである。すると習近平は現代における隣国の賢王となるわけだ。ではその隣のモンゴル国は何なのかである。たまさか顕正会員が増えてきたからと言って、都合よく解釈してはいけない。原理は同一なのだろう? だったら今こそモンゴルに隣国の賢王が出現しなければおかしいはずだ。

ちなみに浅井先生はその昔、池袋界隈には無数の中国人留学生がいるとして、これを順縁広布の予兆のごとく言っていた。まだ昭和の御代の時である。その後、平成五年くらいから盛んに中国脅威論を唱えるようになった。この二つは必ずしも矛盾するものではないが、少し発言にブレが感じられるところである。
そして今現在、政府の方針として主にはアジア系であろうか、いつの間にか周辺諸国の若い人たちがたくさん日本に来て、働いているのだ。コンビニ店員などが目立つ。名札を見るとカタカナで書かれていたりして、実際、言葉遣いもたどたどしかったりして、いかにも外国人という感じの人たちがどの店舗にもいる状況である。
顕正会がモンゴルに進出できたのも、もともとはそういうツテなのだろう。ここ最近はあまり話題に上がらないけれども、ネパールのほうにも相当数の顕正会員がいる。思えば今、ネパールだとかインド系の料理店がどこの町にも一軒や二軒はあって、店員はほぼ全員が向こうの人たちである。
そう言えば、たまさか今、大相撲のほうでも騒動が勃発しているが、そこに登場する人たちの多くがモンゴル人である。

つまり、いま日本に来ているアジア系の人たちの中でも、モンゴルだとかネパールはわりと目立つ存在なのだと思われる。実際の入国者数はどうだか知らないが、印象としてはそんな感じである。

モンゴルは大聖人御在世に重要な役割を果たした国である。ネパールは熟脱の仏が出現した国であり、歴史上、日本に仏法をもたらした国というわけだ。広布前夜において、そうした国々の人たちが日本に集まってきていることを必然と捉えるか偶然と捉えるかであるが、顕正会では必然と考えているわけなのだろう。

しかし、はたしてそうなのだろうか?

例えばアメリカの存在がある。これが仏法上、ひじょうに説明し難いのだ。何しろ大聖人の時代には存在しなかった国、もしくはまるで無関係の国だからである。しかし、今の日本にとって、良くも悪くもアメリカは密接不可分の関係にある。この説明ができずに中国脅威論を述べたところで、理論としては不完全だろう。結局は今の国際情勢を都合よく仏法上の視点から説明しているだけであって、説明がつかない部分については無視を決め込んでいる。これでは説得力に欠けるだろう。

それにしても、今日の拙稿はやや迷走気味であり、話のまとまりがあまりよくないようだ。しかし、結論は簡単である。

浅井先生の仕事はたまさか起こった世間の事象をどう解釈するかなのである。それをあたかも仏法上の必然であるかのように会員に思わせるのが先生の仕事であり、いちおう組織内ではそこそこの成功を収めていると言えるだろう。

問題は、傍目にはどうか、ということである。

2017/11/21

ショセンハボンプ  
今日は顕正新聞第1422号、すなわち九月度班長会の各種登壇が掲載された新聞を取り上げる。一面下段には顕正新聞社第二別館の建設中の写真が掲載されているが、十一月末に竣工すると書かれているので、今頃はほぼ完成に近い状態なのだろう。撮影当時は躯体工事が終わったところであり、記事では次のように言っている。

第一別館(左)と並び立つ姿は壮観である。

確かに壮観ではあるのだろう。しかも新興宗教にありがちな奇をてらう建物ではなく、地味なところがいい。

ここで、たぶん誰も言っていないことを書いておくと、建物が地味なのは顕正会が解散することを前提に建設しているからなのかもしれない、と思うところだ。キミョウキテレツな建物では再利用しづらい。つまりは転売しようにも買い手がつかない。オーソドックスな建物であれば、どこかの企業が買い取ってくれるだろう。

さて、本題である。

民進党の議員秘書が「安倍政権が揺らいできたことには顕正会の力がある」と語ったり、医師が顕正会員の功徳を医学会で発表したり・・・

これは六面に本文が掲載されているものだが、すでに一面にあらましが紹介されていて、確かに目を惹く内容である。しかし、マヌケな話だ。ご存知のごとく、民進党は分裂してしまい、結果として野党共闘の足を引っ張ることになってしまったからである。医師の話はここでは省略したい。

マヌケは総男子部長以下、錚々たる大幹部たちも同じである。

十月二二日の衆院選を前に、安倍晋三の正体を先生が白日の下に晒されたことは重大であります。

城衛の発言であるが、これにはまだ続きがある。

近く発刊される総幹部会特集号を全日本人に知らしめるとき、民意が大きく動き、安倍政権に鉄槌が下ることを大確信いたします。

そしてややアゲアシ取りながらも、副総男子部長二人の発言と城衛のそれを比べると、齟齬ないし矛盾のようなものが感じられるところである。

ぎりぎりの逆算に・・・

副総の一人だ。そして次は城衛である。

それを一年も前倒しで実現され・・・

前倒しの意味は二百万達成の時期についてである。しかし、以前から繰り返し言っているように、過去の一千万の誓いなどを思えば、まったくお話にならないだろう。

もう一人の副総は次のごとく言っている。

 そこに、この決戦場を見つめ、五年前から逆算の戦いを開始され・・・

そして城衛だが、本文よりも見出しのほうがわかりやすい。

先生は八年かけて広布決戦場へ準備

もちろん、アゲアシ取りである。ただ、アゲアシを取りたくなるような、そういうズサンさを感じさせるのが今の大幹部たちの発言なのである。

さて、次は総合婦人部長であるが、この人はもともと頭の切れる人で、だからこそ長いこと総合部長をやってこれたのだろうと思う。

解散の報道から急転、刻々と変化する政界の姿には、先生の諫暁に呼応する諸天の働きを痛感いたします。

刻々と変化する政界の姿・・・

なるほど、十月一日時点での発言であることを思えば、なかなか的確である。彼女も諸天の働きを確信したことだろう。

安倍首相の「今なら勝てる」との判断が裏目に出るを痛感し・・・

しかし、結果はご存知の通りである。これでも彼女は諸天の働きを疑わないのだろうか?

ところで前後して恐縮だが、総合婦人部長の記事には次のようなくだりがある。

御姿が重なり・・・

煩瑣になるので前後を端折ったものの、いつものパターンである。ここで言わんとしていることは、浅井先生のお姿と日目上人の御姿が重なって見える、というような意味である。

副総合の発言も拾っておこう。

安倍政権崩壊もいよいよ眼前・・・

「今なら勝てる」との判断が裏目に出ること・・・


特に言うことはない。

さて、次の第二十五婦人部長の発言がけっこう悩ましい。

 「彼の正体は畜生界そのもの」
 「安倍晋三という男は、ウソつきで恥知らず」
 「今こそ日本全国民は、総理大臣・安倍晋三がペテン師であることを、よくよく知らねばいけない」
 と火を吐くご気魄で叱責されましたが、大聖人様の「十一通申状」における良観への
 「矯賊の聖人」
 「今生は国賊、来世は那落」
 との仰せと重なり、先生以外に誰が命かけて諫暁できようか、との思いでいっぱいになりました。


彼女は大聖人と浅井先生が重なると言っている、だから会長本仏論だ、ケシカラン、とは思わない。問題は本当に重なっているのかどうかである。大聖人の時代、権力者ないしその取り巻き連中に盾突くことは文字通りの命懸けだったわけで、現に大聖人は身命に及ぶ大難を何度も受けられている。では今の時代はどうかである。つまりはぜんぜん比較にならないのだ。

まあ、わたくし自身は浅井先生の発言をまったくの無意味とは思わないが、辛口の人であれば先生の発言をただの遠吠えに過ぎないというふうに斬って捨てるかもしれない。

二百万を背景に最後の一国諫暁に命かけて立たれる先生に・・・

いずれにしても浅井先生にとっては最後の戦いになるだろう。しかし、命を懸けるという形容に相応しい戦いがどういうものなのか、わたくしにはまったく見えてこない。失礼ながら、浅井先生も見えていないのだろう。しょせんは凡夫だからである。


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