2009/10/17
隔世の感
だいぶ時間が空いてしまったが、ダイヤモンドの記事で思い出したことがあるので書いておこう。新興宗教の信者数の実態は、おおむね公称の三分の一から十分の一くらい、という意味のことが記事に出ていた。
三分の一が実数であれば、これはマシなほうというか、ある意味では優秀と見做してもいいくらいである。
では、顕正会はどうかというと、どう見積もっても十分の一以下であるから、これは最低の部類に入るだろう。もしかしたらワースト一位かもしれない。
これが日本国を独走している顕正会の実態である。
ずいぶん前の話であるが、浅井先生は創価学会の人数を五百万だと言っていた。
ダイヤモンドには八百万世帯と書かれている。これはいわゆる世帯数での表示なので、これを人数に直すとどうなるかがよくわからないけれども、ともかく浅井先生は五百万人だと言っていたのだから、これはけっこう優秀な数字であろう。
顕正会は公称人数こそ百三十五万であるものの、現実にはどう見積もっても十万以下である。以前、顕正新聞の発行部数が二十万部であることが判明したけれども、ご存知のごとく多重購読が問題になっており、それを考慮すれば十万以下であることがよくわかるはずである。
さらに厳密に計算すれば、今夏の男子部大会で三万人ということは、ここには実質的に壮年部も含まれているので、これに女子・婦人を加えても六万人がせいぜいのところとなる。しかし、これでもまだかなり甘い見積もりであり、おそらくは五万以下なのだろうというのが衆目の一致するところだと思う。
九月度総幹部会の活動報告に次のごとくある。
入信者は十五名以上いるものの全員戦列から離れており、組員を指導しても軽んじられたり罵声をあびせられることが続き、組員に対しまったく指導ができなくなっておりました。
これは男子部組長の記事であるが、おそらくはこれが顕正会員の平均的な姿なのだろう。
文中、全員が戦列から離れている、とある。これではあたかも以前は戦列に加わっていたと読めてしまうところであるが、現実は違うだろう。ようは入信勤行後、即退転というパターンがほとんどだと思われる。
つまり、今の顕正会は入信報告書の数ばかりを積み上げているだけであって、実質的な会員数は横ばい状態なのだ。
これは熱心な活動会員がいちばんよくわかっていることだ。
顕正会には一人で百名以上の折伏成果を上げているようなツワモノがたくさんいる。いや、わたくしは現実にそういう人をたくさん知っているわけではないが、おそらくはザラにいるだろう。このことは案外に、敵対勢力であるところの創価学会員にしても、あるいは法華講員にしても、認めていることではないかと思う。ようは、それほどに顕正会の折伏はデタラメであり、中身の伴なわないものだという意味なのである。
先ほど紹介した記事では、十五名が全滅状態だった。では、百名折伏を達成したツワモノたちの場合はどうなのか、である。百名のうち、いったい何人が残っているのか、それが問題である。
ダイヤモンドの記事には三分の一ないし十分の一という話が出ていた。これを当てはめるならば、百人のうち三十数名ないし十名程度が残っていることになるが、三十人も残っていたら大したものである。おそらくは十人がいいところであり、それ以下である可能性がきわめて高いと思われる。
まさか百名を入信させて、それが全滅するとは思えないが、かなり低い数字であることは間違いないだろう。
根拠は簡単である。すでに十五名全滅の記事がそれを証明しているわけであり、さらに大きく見れば、公称百三十五万の実態が数万程度であるというのが何よりの証左であろう。
しかし、実は話が逆なのである。
そういうデタラメな折伏をやっているから、いくら数字を積み上げても中身が伴なわないのである。くだんの男子部組長は十五名以上の成果を上げている。あるいは百名以上の成果を上げている人もザラにいると書いた。しかし、いずれも折伏のテイをなしていない、単なる勧誘行為に堕してしまっている。それが今日の顕正会を形成しているのだ。
以下は『迷走する顕正会を斬る』の記述である。
かつて、妙信講の三千達成奉告の総登山には、千五百余名が渇仰の思いで参加した。当初はまっとうな法華講として、組織の隅々まで血が通っていたのである。妙信講として最後となった第二十三回総会には、五万人の講員数で、一万人が武道館に参集した。
平成七年に横浜アリーナで開催された第二十六回総会は、会員数が二十数万人で参加者は三万名であった。これを最後に顕正会の総会は途絶え、現役活動会員で総会参加の経験を持つ者は数少ないだろう。
かつての妙信講は講員の過半数を結集できる力があったのだ。これは驚異的な数字である。
それが今の顕正会と来たら・・・もはや形容の言葉もないほどだ。
三分の一が実数であれば、これはマシなほうというか、ある意味では優秀と見做してもいいくらいである。
では、顕正会はどうかというと、どう見積もっても十分の一以下であるから、これは最低の部類に入るだろう。もしかしたらワースト一位かもしれない。
これが日本国を独走している顕正会の実態である。
ずいぶん前の話であるが、浅井先生は創価学会の人数を五百万だと言っていた。
ダイヤモンドには八百万世帯と書かれている。これはいわゆる世帯数での表示なので、これを人数に直すとどうなるかがよくわからないけれども、ともかく浅井先生は五百万人だと言っていたのだから、これはけっこう優秀な数字であろう。
顕正会は公称人数こそ百三十五万であるものの、現実にはどう見積もっても十万以下である。以前、顕正新聞の発行部数が二十万部であることが判明したけれども、ご存知のごとく多重購読が問題になっており、それを考慮すれば十万以下であることがよくわかるはずである。
さらに厳密に計算すれば、今夏の男子部大会で三万人ということは、ここには実質的に壮年部も含まれているので、これに女子・婦人を加えても六万人がせいぜいのところとなる。しかし、これでもまだかなり甘い見積もりであり、おそらくは五万以下なのだろうというのが衆目の一致するところだと思う。
九月度総幹部会の活動報告に次のごとくある。
入信者は十五名以上いるものの全員戦列から離れており、組員を指導しても軽んじられたり罵声をあびせられることが続き、組員に対しまったく指導ができなくなっておりました。
これは男子部組長の記事であるが、おそらくはこれが顕正会員の平均的な姿なのだろう。
文中、全員が戦列から離れている、とある。これではあたかも以前は戦列に加わっていたと読めてしまうところであるが、現実は違うだろう。ようは入信勤行後、即退転というパターンがほとんどだと思われる。
つまり、今の顕正会は入信報告書の数ばかりを積み上げているだけであって、実質的な会員数は横ばい状態なのだ。
これは熱心な活動会員がいちばんよくわかっていることだ。
顕正会には一人で百名以上の折伏成果を上げているようなツワモノがたくさんいる。いや、わたくしは現実にそういう人をたくさん知っているわけではないが、おそらくはザラにいるだろう。このことは案外に、敵対勢力であるところの創価学会員にしても、あるいは法華講員にしても、認めていることではないかと思う。ようは、それほどに顕正会の折伏はデタラメであり、中身の伴なわないものだという意味なのである。
先ほど紹介した記事では、十五名が全滅状態だった。では、百名折伏を達成したツワモノたちの場合はどうなのか、である。百名のうち、いったい何人が残っているのか、それが問題である。
ダイヤモンドの記事には三分の一ないし十分の一という話が出ていた。これを当てはめるならば、百人のうち三十数名ないし十名程度が残っていることになるが、三十人も残っていたら大したものである。おそらくは十人がいいところであり、それ以下である可能性がきわめて高いと思われる。
まさか百名を入信させて、それが全滅するとは思えないが、かなり低い数字であることは間違いないだろう。
根拠は簡単である。すでに十五名全滅の記事がそれを証明しているわけであり、さらに大きく見れば、公称百三十五万の実態が数万程度であるというのが何よりの証左であろう。
しかし、実は話が逆なのである。
そういうデタラメな折伏をやっているから、いくら数字を積み上げても中身が伴なわないのである。くだんの男子部組長は十五名以上の成果を上げている。あるいは百名以上の成果を上げている人もザラにいると書いた。しかし、いずれも折伏のテイをなしていない、単なる勧誘行為に堕してしまっている。それが今日の顕正会を形成しているのだ。
以下は『迷走する顕正会を斬る』の記述である。
かつて、妙信講の三千達成奉告の総登山には、千五百余名が渇仰の思いで参加した。当初はまっとうな法華講として、組織の隅々まで血が通っていたのである。妙信講として最後となった第二十三回総会には、五万人の講員数で、一万人が武道館に参集した。
平成七年に横浜アリーナで開催された第二十六回総会は、会員数が二十数万人で参加者は三万名であった。これを最後に顕正会の総会は途絶え、現役活動会員で総会参加の経験を持つ者は数少ないだろう。
かつての妙信講は講員の過半数を結集できる力があったのだ。これは驚異的な数字である。
それが今の顕正会と来たら・・・もはや形容の言葉もないほどだ。
2009/10/23 23:26
投稿者:赤木
例えばホームレスの方でも何でもいいから入信させろ、と数だけの戦いをする。途中諫めた幹部は怨嫉として処分される。そして無理な戦いを進めた幹部も、発生した諸問題の責を問われ処分される。結果不純な訳の分からない会員だけ残っていく。こんなことは止めねばならない。法を落とす行為を止めさせるためには、組織のルールを文書にして徹底するしかない。これが出来ないのは幼児以下だ。進歩が全くない。
2009/10/23 3:38
投稿者:赤木
数と内容が両立していないと組織はよくならない。数だけで内容が悪い、例えば色仕掛けのような折伏ならかえって空気が悪くなる。こんなことも分からない組織に未来はない。
2009/10/17 16:03
投稿者:山門手前

