2009/10/23

秋の深まり  
赤木氏より十七日分の拙稿にコメントを頂戴した。

数と内容が両立していないと組織はよくならない。(以下省略)

おっしゃるとおりである。数と内容が両立していないことを世間では粉飾決算と呼ぶ。あるいは大本営発表とも言う。これはよくならないどころか、かえって組織の崩壊をもたらす。
しかし、顕正会の場合は、だからと言って正直に内情を打ち明ければ、ますます疲弊することになる。もう、どうしようもないのである。
よく機械類などに使われる表現として、どうも調子がよくないけど騙し騙し使っている・・・というのがある。ようは修理するには金が掛かるし、買い換えるともっと金が掛かる、だから今のまま使い続けるしかない、壊れたらそれまでだ、というような一種の開き直りである。
まさに今の顕正会がそれなのではないかという気がしてならない。

しかし、これは問題だ。

機械の場合は騙し騙しでもいいが、顕正会の場合は人間が相手なのである。会員を騙し騙し使っているとしたら大問題である。これはいわば倫理的問題であるが、宗教者に対して倫理を問うのは一種のパラドクスである。これが末法濁悪の姿なのだろう。

さて、昨夜の沖浦氏からのコメントであるが、これは氏の持ち味が十二分に発揮された文章だと思う。そこで今回は反論ではなく、補足意見のような形で書いてみたい。

 狼に育てられた子供がいて、十数歳で救出されました。
 この子は一生言葉を喋れず、直立歩行も困難でした。
 然しながらやはり人間です。


言葉も喋れず、直立歩行も困難だとしたら、人間のテイをなしていないことになる。ゆえに氏はこの後、人間が人間の環境で育つという条件を付している。わたくしはこれをひじょうに示唆的であると思う。
ようするに、仏道修行においても同様であって、ちゃんとした環境下で修行をしないことには成就しないわけだろう。また、そのタイミングみたいなものも重要になってくる。
ちゃんとした環境下というのは、何も過保護を意味するわけではない。修行なのだから厳しいのは当然である。しかし、狼の話が示すように、もし狼を師匠にしたならばとんでもないことになる。もちろん、この場合は邪師という意味に相当する。また、タイミングというのは時機のことである。くだんの話は、狼という邪師に十数年間も付き従っていたために、もはや回復不能になってしまったという事例なのだ。ゆえに、なるべく早い段階で正師に出会い、修行を開始するのが望ましいのだろう。

チンパンジーは人間の環境で飼育しても、人にはなりません。

それはそうだ。

沖浦氏はあえて煩瑣を避けて省略したのだろうが、ひじょうに重要な点が省かれている。

チンパンジーは人間にはなれない、だが、仏にはなれるのだ。

前回、平等観について少し触れたが、大聖人の仏法では一切衆生に悉く仏性があると説く。この一切衆生とは人間の意味ではない。ありとあらゆる物が含まれるのだ。通常、生きとし生けるものなどと表現するが、大聖人は次のごとく仰せられる。

一切衆生と申すは草木瓦礫も一切衆生の内なるか(有情非情)。

草木はまだしもである。瓦礫ともなれば、凡夫の思慮を超える。

あるいは二乗作仏について、十界互具であるから自分たちの己心にも二乗界が存在する、ゆえに二乗が不成仏なら自分も含めて全員が不成仏である、と大聖人は仰せである。おそらくチンパンジーは畜生界だと思われるが、やはり同じことが言えるのだ。

まあ、しかし、当然ながら人間に生まれることが仏道修行の最短コースなのだろう。さすがにチンパンジーの姿では修行がしづらいだろうし、草木ないし瓦礫ともなれば、積極的には修行できない。

ところがどっこい、人間に生まれると誰もが油断してしまって、仏道修行を怠けてしまう。この辺の事情は新池御書に詳しいが、さしあたって今は一文だけ紹介しておこう。かく言うわたくし自身が、いちばん肝に銘じなければいけない御指南である。

たまたま人間に来たる時は、名聞名利の風はげしく、仏道修行の灯火は消えやすし。

ことに顕正会の場合、熱心な活動会員ともなれば、いちおうは仏道修行の火が燃え盛っていると言えるかもしれないが、これはいわゆる火の信心であって長続きしない。一種の燃え尽き症候群みたいになってしまい、組織を去る人が後を絶たないのが現実である。


2009/10/23  16:35

投稿者:沖浦克治
 厳虎さん

 一切衆生を仏性がある。
 その通りですが、人しか仏の条件は満たせません。
 犬は次に生まれて人間になって仏になれます。
 御書に有ります。

 『一切衆生も亦復是くの如し地獄に堕ちて炎にむせぶ時は願くは今度人間に生れて諸事を閣ひて三宝を供養し後世菩提をたすからんと願へどもたまたま人間に来る時は名聞名利の風はげしく仏道修行の灯は消えやすし、無益の事には財宝をつくすにおしからず、仏法僧にすこしの供養をなすには是をものうく思ふ事これただごとにあらず、』
 (新池御書)

 一切衆生が仏になれる条件で、先ず人間界に生まれる。と書かれてあります。

 『千年に一度浮ぶをば三悪道より無量劫に一度人間に生れて釈迦仏の出世にあひがたきにたとう、』
 (松野殿後家尼御前御返事)

 ここにも同じ意味のご指南があります。
 ですので、一切衆生はそのままでは仏にはなれません。
 人と言う媒体が不可欠です。

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