2009/11/12

徹底抗戦  
山門手前氏よりコメントを頂戴しているが、どうも短絡的な印象を拭えない。以前にも種々のコメントを頂戴しており、それらの総数は膨大をきわめるけれども、概して氏の文章は短絡的な傾向にある。

ところがそれらの多くは悪意で書かれている。わたくしの思うに悪意で書かれている文章というのは、見る人が見るとわかってしまうものである。

上掲は拙稿の一部であるが、氏はこの文章を取り上げて次のごとく書いている。

顕正会に対する批判は、悪意ではありません。顕正会が「社会悪」なのですから、それを擁護する事は「悪」を広める事です。

まず、わたくしが言いたいのは、拙文を一部分だけ取り上げるのは一種の切り文であり、わたくしの本意を捻じ曲げて読んでいる可能性があるし、また、他の読者にもそうした誤解を与えることになりかねないので、その点を注意されたいと思う。もし、これを意図的に行なっているならば、それこそが悪意ということなのだ。

わたくしは昨日、次のようなことも書いている。

つまり、顕正会がロクでもない組織であるのはもちろんだが、それを批判している連中もロクでもない、ハタから見ればそのように映るのである。

おわかりだろうか、わたくしは何も顕正会を一から十まですべて擁護しようなどとは思っていないし、実際にはご覧のとおり、ロクでもないと書いているくらいなのである。また、前掲のごとく、顕正会批判の多くは悪意で書かれている、というふうに書いたわけだが、ここでの「多く」に注目すべきである。つまり、顕正会批判はすべて悪意である、などとは書いていないのだ。

ところが山門手前氏はどうかと言うと、次のごとく書いている。

顕正会批判に関して etc.

公開日:2009/11/11 11:50 .

まず、顕正会を批判するサイトは多数ある。

それらは、全て「善意」なのである。
(以下省略)

なんと昨日、拙ブログのコメント欄とは別に、ご自身のブログに上掲のごとく書いているのだ。驚くではないか、氏は顕正会批判のすべてを善意であると言い切っている。この極端さはいったい何なのか?

つまり、わたくしは顕正会批判の多くは悪意で書かれているとしたが、すべてが悪意であるとまでは断じていない。ところが、一方の山門手前氏は、顕正会批判のすべてを善意であると書いてしまっているのだ。
イヤらしい言い方をすれば、これは自ら逃げ道を塞いでいるようなものである。なぜならば、もしたった一つでも悪意で書かれている文章が存在すれば、氏の主張はそこで瓦解するからである。
すべてが善意であると言い切るだけの自信がどこから生ずるのか、わたくしはそこが知りたいところである。本当のところは、単に言い過ぎてしまっただけのことではないかと思うが、どうだろうか?

こういう時、わたくしならばすぐに己れのアヤマチを認めることができる。というか傷口が広がって痛い思いをしたくないので、早目に処置をしてしまうように心掛けているのだ。ところが人によっては、それが出来ない人もいる。もしかしたら浅井先生なども同様かもしれない。さて、山門手前氏はどうだろうか?

フェイクという謀略情報紙がある。主には宗門批判というか、ほとんど誹謗中傷と見紛うような記事を書いているわけだが、たまに顕正会のことも書く。そこで山門氏に問うてみよう。

フェイクの記事は善意であるか悪意であるか?

どういう答えが返ってくるか知らないが、わたくしの思うに、フェイクを善意であるとすると宗門誹謗をも認めることになる。逆に悪意であるとすると、ここで山門氏の主張は破綻する。
ゆえに、宗門ネタの時は悪意であって、顕正会ネタの時は善意である、というのがいちおう整合性の取れた答えではないかと思うが、どうだろうか?
しかし、この論理を第三者がどのように受け取るか、そこが問題だろう。つまり、上記はいちおう整合性があるものの、単にムリヤリ整合性を持たせているだけの話である。ハタから見れば、恣意的ないし独善的ということになるだろう。

さらに問いたい。

創価学会に対する批判は善意なのか悪意なのか、である。
これも答えを待つべきであるが、勝手にどんどん話を進めよう。今の宗門においては、あるいは創価学会批判をすべて善意であるとする見解もあり得るかもしれない。しかし、話はそんなに簡単ではない。
創価学会批判は昔からあった。詳しくは知らないが、すでに昭和三十年代あたりからあったわけだろう。しかし、当時は「日蓮正宗創価学会批判」だったのだ。
ここに、いわゆる破前・破後という視点が必要になってくる。つまり、創価学会が破門になる以前においては、創価学会批判は悪意だった。そして破門以後においては、それが善意に変わるわけである。
しかし、考えても見よ。以前の批判書が突然、悪意から善意に変異するような馬鹿げた話はあり得ない。純粋にその批判の内容が善意か悪意かなのである。ゆえに日蓮正宗創価学会時代においても、すでに創価学会の組織そのものには種々の問題があって、それらを抉り出すような批判書もあっただろう。これらはきわめて良質な批判書であり、善意の批判書と言えるはずである。逆に今の創価学会に対して、根拠のない誹謗中傷に類するような記述をすれば、それは悪意に他ならないのだ。

以上の道理に当てはめるならば、顕正会批判もまた同様であって、すべてを善意とすることも、逆にすべてを悪意とすることもできないのではないか、あくまで批判の内容を吟味して、善意であるか悪意であるか判断すべきではないのか、とわたくしは考えるのであるが、いかがだろうか?

最後に悪意の文章を一つ紹介しておこう。これを善意と言い切ることができるのか、山門手前氏にお聞きしたいところだ。

今後も顕正会が暴走を続けるなら、大塚三業地での浅井の女遊び等を暴露する用意がある。

わたくしの見るところ、これはフェイクのハッタリだろう。普通に考えて、そんな昔のことを知っている人がいるわけがないし、ましてや証拠を提示することは困難に違いない。つまりは、単なる誹謗中傷である。

普通の人の感覚では、誹謗中傷=悪意なのだが・・・



2009/11/12  21:47

投稿者:山門手前
学会に対して

あくまで個人的な観点ですが、学会は全く念頭にありません。従って学会が宗門を批判しようが何をわめこうが関係ありません。執拗に個人的な攻撃をされる場合は、対処いたしますが、それ以上でも以下でもありません。

これはあくまで個人的な考えです。短絡的であろうと思われようと何と思われようと私の中では、学会は全く関係のない事です。

http://maglog.jp/renmen/

2009/11/12  21:37

投稿者:山門手前
ご回答いたします。

顕正会を擁護する発言は、全て「悪」です。
理由は多数ありますが、割愛させていただきます。
又、それが学会によるものでも同じです。
当然ながら学会が顕正会を擁護する事はありません。

何度も書いていますが顕正会は、存在自体が悪です。

>これはフェイクのハッタリだろう。普通に考えて、そんな昔のことを知っている人がいるわけがないし、ましてや証拠を提示することは困難に違いない。

調査不足です。学会側は、証拠を入手しています。


http://maglog.jp/renmen/

2009/11/12  14:09

投稿者:山門入り口
>今後も顕正会が暴走を続けるなら、大塚三業地での浅井の女遊び等を暴露する用意がある。
>わたくしの見るところ、これはフェイクのハッタリだろう。普通に考えて、そんな昔のことを知っている人がいるわけがないし、ましてや証拠を提示することは困難に違いない。つまりは、単なる誹謗中傷である。

管理人さん。
そんな昔を知ってる人が普通いないとは、言い切れないですよ。
 山門の知り合いの方は、昭和29年頃の浅井会長を知ってる方がいるて言ってますし、探せばもっといるでしょう。
 
決定的証拠となると、無いとも言い切れないでしょう。
一つは、奥の手としての保存。
一つは、浅井さんに対しての情け。
一つは、法義的な事以外だから、出すのもねって、優しさ?
あと、一番感じたのが、浅井さんの事をあまり語りたがらない方が多い。らしいです。
昔を思い出すから話したがらないて感じみたいですね。
山門も独自の取材をしていて、思いましたよ。
 山門も、取材をするまで、妙信講員は純真で真面目って幻想を持っていましたが、表に出てないこともあるんだなって知って、幻滅しましたね。

山門が独自の調査で知った、話の中には、公になっていても良いのではと思う話もありましたね。
一部は、妙信講員なら知っていると思われる事もありますが、話が流れてこないてのも、講員の優しさなのか?恥をさらけ出すことをしたくないってだけなのか?て思ってます。

http://plaza.rakuten.co.jp/sanmon77

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