2009/12/3
話題三載
十一月度の総幹部会については、例によって顕正新聞の報道を待つことにしたい。
今さらながら十月度の班長会について書く。顕正新聞第1154号の六面に気になる記事があった。男子部支隊長と女子部総班長の活動報告である。
この広宣流布のご奉公ができるのも「あと十二年」・・・
あと十二年しかない御奉公に間に合ってよかった!
余計な解説はしないことにするが、このような形で記録に留めておくことも必要だろう。顕正会の問題を考える上で貴重な資料になるはずだ。
さて、今日はこれで終わりでもいいのだが、せっかくだから他の話題にも触れておこう。一つは、広布の剣掲示板での出来事。それから、沖浦対マグマグの果てしない戦い。この二点について書いておく。
どんぐりコロコロという名前の法華講員と日蓮宗内徳信仰者(?)の大氏の法論は、意外な幕切れだった。いわゆる曾存についての見解の相違とでも言うのだろうか、それで議論がストップしてしまったのだ。
わたくしはこれについて、どちらの側にも与しないつもりだが、ちょっとした思索の材料になったのは事実である。
平成新編の目次を読んでいて気がついた。ご存知のごとく、富木殿に与えられた御書は膨大をきわめる。そしてその大半が中山法華経寺に現存している。ところが真間釈迦仏御供養逐状・観心本尊得意抄・四菩薩造立抄は、御真蹟が存在しないのだ。
おそらく真偽の研究家にとっては先刻承知のことであろうが、わたくしにとっては新発見だった。何しろ平成新編目次の対告衆の欄において、富木常忍と書かれているところには必ずと言ってよいほど御真蹟の所在が明記されている。ところが、なぜか上述の三つの御書だけは書かれていないのだ。
ようするに、これはわたくしがあえて意図的に三つをピックアップしたのではなく、平成新編の目次欄の特徴を示すものである。
以上、現時点ではここまでにしておきたい。当然ながら大石寺には御隠尊猊下を筆頭に、多くの碩学がおられるわけだから、わたくしごときが安易に論ずるべきことではないだろう。少なくとも平成新編では真書と見做しているので、今後もそのつもりで拝していきたいと思う。
沖浦氏とマグマグ氏の論争については、特に関心がない。
この際だから正直に書くと、マグマグ氏の文章は長いので、面倒臭くて読む気がしないのだ。おそらくはこれが彼の持ち味であると同時に欠点でもあるのだろう。一言で表現すれば、冗長なのだ。
一方の沖浦氏であるが、わたくしは氏の教学理論を信用していない。大げさに言えば、デタラメだと思っている。だが、しかし、物事はそうした固定観念というか先入観だけで判断すると間違うことになる。
つまり、沖浦氏もたまには(?)よいことを言うのだ。
今回、久遠実成と久遠元初のことが話題になっていた。煩瑣になるので具体的な文言を紹介しないが、わたくしの思うに沖浦氏の書いていることはけっこう平易であり、おそらく顕正会員が読んでもそれほど違和感がないのではないかという気がする。一方のマグマグ氏の書いていることは難解であり、何が言いたいのかよくわからない。
話を単純化して、久遠実成と久遠元初が同じであるかそれとも違うかと言えば、違うというのが正宗教学の基本的立場ではなかったかと思う。その意味で沖浦氏の主張は間違っていないはずである。
しかし、先ほどの御書の真偽の問題を絡めて言うと、これがひじょうにややこしくなる。
どうやら久遠元初という言葉は御真蹟の残る御書には見られないらしい。あるいは総勘文抄など、久遠元初を示唆する御書にしても御真蹟を残さない。この問題をどのようにクリアするか、そこがひじょうに悩ましいところだ。
結局、これは沖浦氏とマグマグ氏の論争ではなく、どんぐりコロコロ氏と大氏の論争の範疇である。それゆえに、わたくしはけっこう注目していた。しかし、あっけなく終了してしまったので、それが残念だった。
今さらながら十月度の班長会について書く。顕正新聞第1154号の六面に気になる記事があった。男子部支隊長と女子部総班長の活動報告である。
この広宣流布のご奉公ができるのも「あと十二年」・・・
あと十二年しかない御奉公に間に合ってよかった!
余計な解説はしないことにするが、このような形で記録に留めておくことも必要だろう。顕正会の問題を考える上で貴重な資料になるはずだ。
さて、今日はこれで終わりでもいいのだが、せっかくだから他の話題にも触れておこう。一つは、広布の剣掲示板での出来事。それから、沖浦対マグマグの果てしない戦い。この二点について書いておく。
どんぐりコロコロという名前の法華講員と日蓮宗内徳信仰者(?)の大氏の法論は、意外な幕切れだった。いわゆる曾存についての見解の相違とでも言うのだろうか、それで議論がストップしてしまったのだ。
わたくしはこれについて、どちらの側にも与しないつもりだが、ちょっとした思索の材料になったのは事実である。
平成新編の目次を読んでいて気がついた。ご存知のごとく、富木殿に与えられた御書は膨大をきわめる。そしてその大半が中山法華経寺に現存している。ところが真間釈迦仏御供養逐状・観心本尊得意抄・四菩薩造立抄は、御真蹟が存在しないのだ。
おそらく真偽の研究家にとっては先刻承知のことであろうが、わたくしにとっては新発見だった。何しろ平成新編目次の対告衆の欄において、富木常忍と書かれているところには必ずと言ってよいほど御真蹟の所在が明記されている。ところが、なぜか上述の三つの御書だけは書かれていないのだ。
ようするに、これはわたくしがあえて意図的に三つをピックアップしたのではなく、平成新編の目次欄の特徴を示すものである。
以上、現時点ではここまでにしておきたい。当然ながら大石寺には御隠尊猊下を筆頭に、多くの碩学がおられるわけだから、わたくしごときが安易に論ずるべきことではないだろう。少なくとも平成新編では真書と見做しているので、今後もそのつもりで拝していきたいと思う。
沖浦氏とマグマグ氏の論争については、特に関心がない。
この際だから正直に書くと、マグマグ氏の文章は長いので、面倒臭くて読む気がしないのだ。おそらくはこれが彼の持ち味であると同時に欠点でもあるのだろう。一言で表現すれば、冗長なのだ。
一方の沖浦氏であるが、わたくしは氏の教学理論を信用していない。大げさに言えば、デタラメだと思っている。だが、しかし、物事はそうした固定観念というか先入観だけで判断すると間違うことになる。
つまり、沖浦氏もたまには(?)よいことを言うのだ。
今回、久遠実成と久遠元初のことが話題になっていた。煩瑣になるので具体的な文言を紹介しないが、わたくしの思うに沖浦氏の書いていることはけっこう平易であり、おそらく顕正会員が読んでもそれほど違和感がないのではないかという気がする。一方のマグマグ氏の書いていることは難解であり、何が言いたいのかよくわからない。
話を単純化して、久遠実成と久遠元初が同じであるかそれとも違うかと言えば、違うというのが正宗教学の基本的立場ではなかったかと思う。その意味で沖浦氏の主張は間違っていないはずである。
しかし、先ほどの御書の真偽の問題を絡めて言うと、これがひじょうにややこしくなる。
どうやら久遠元初という言葉は御真蹟の残る御書には見られないらしい。あるいは総勘文抄など、久遠元初を示唆する御書にしても御真蹟を残さない。この問題をどのようにクリアするか、そこがひじょうに悩ましいところだ。
結局、これは沖浦氏とマグマグ氏の論争ではなく、どんぐりコロコロ氏と大氏の論争の範疇である。それゆえに、わたくしはけっこう注目していた。しかし、あっけなく終了してしまったので、それが残念だった。
2009/12/5 4:09
投稿者:山門入り口
2009/12/3 12:54
投稿者:大
大です。
お相手は、お若い方でした。私なりに、真正面から精一杯お答えしたつもりでしたがご覧のようなことになってしまいました。
誠にお恥ずかしい、結末(?)となりそうです。
巌虎さんの「文章力」爪の垢ほどで良いですから「通販」して貰いたい心境です。
奇麗事を言うつもりは無いのですが、やはり、私の「人徳」に欠けることが「このような敬礼なしの終わり方]になるのでしょうね
皆さんの、厳しいご批判を承りたいものです。
お相手は、お若い方でした。私なりに、真正面から精一杯お答えしたつもりでしたがご覧のようなことになってしまいました。
誠にお恥ずかしい、結末(?)となりそうです。
巌虎さんの「文章力」爪の垢ほどで良いですから「通販」して貰いたい心境です。
奇麗事を言うつもりは無いのですが、やはり、私の「人徳」に欠けることが「このような敬礼なしの終わり方]になるのでしょうね
皆さんの、厳しいご批判を承りたいものです。


また、顕正会側の圧力なのか?・・・
一連の閉鎖騒動に顕正会が無関係ではないので、ネット規制をしても会員がこっそり閲覧して、疑問を組織にぶつけて、脱会。除名などが多く有ることを危惧して、必死につぶしにかかってると思いますね。
実際に、ネットの記事を縁にして脱会してる方が増えてますし。
http://plaza.rakuten.co.jp/sanmon77