2011/1/16  20:54

【ホセ・ペケルマンの直言】@ 「外国で指揮を執るのに一番大事なのは優秀な通訳」  サッカー

「ペケルマンの娘バネッサがウチの会社で働いてるよ」。地元アルゼンチンの友人から聞いた話を思い出した。南アW杯後に日本代表次期監督の有力候補に挙げられた元アルゼンチン代表監督のペケルマンである。昨年10月にバネッサに電話を入れると「父は腎臓結石で入院。退院後の経過が悪くて再入院です」。退院した後に何度か連絡を入れ、昨年12月に本人と直接コンタクトを取ることに成功。「あまりインタビューには応じないんだ」と言いながら、共通の知人がいたこともあって打ち解け、面識のなかった日本人からの申し出を快諾してくれた。
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――日本代表の後任監督にアナタの名前も取り沙汰されましたが、最終的にはイタリア人指揮官ザッケローニに決まりました。決定までに時間がかかった理由として日本サッカー協会の小倉会長は「日本はファー・イースト(極東)にあるから」と発言していました。
「確かに欧米から見たら日本は《特殊な国》といえるでしょう。文化も習慣も大きく異なる日本での暮らしに不安を覚えるのも当然です。しかしながら、ワタシが日本から誘われて条件面で合意すれば、喜んで日本に行きますよ。ワタシは何度も日本を訪れており、日本のすべてが好きとは言いませんが、好きな部分もたくさんありますから」
――外国で指揮を執るのに不可欠なことは?
「ワタシにとって一番大事なことは《優秀な通訳に恵まれること》。通訳に問題があれば、ワタシの持っているサッカー哲学が、正確に伝わらないからです。サッカーに精通し、その上でワタシの考えを理解してくれる通訳がいれば、日本で仕事をすることに何の不安もためらいもありません」
――後任監督候補として日本のスポーツ紙の1面でも「ペケルマン有力」と報じられました。
「日本からの誘いは一度もありませんでした」
――7月下旬にサッカー協会の原強化委員長が南米を訪れた際にコンタクトを取った――。日本ではそういわれています。
「アルゼンチン代表監督になる時にはアルゼンチン協会のグロンドーナ会長と話し、メキシコのトルーカからオファーがあった時にはクラブの会長がやってきました。日本からはサッカー協会の会長も技術委員長も、誰一人としてワタシの元には来ていません」
――日本代表監督候補に名前が挙がっていることは知っていましたか?
「ブラジル人記者から電話がかかってきて『日本代表監督のオファーを受けるのか?』と質問されたり、『日本がペケルマンに触手を伸ばした』と書かれた(アルゼンチンの)新聞も読みました」
――アナタの名前は日本のスポーツ紙、雑誌で何度も見掛けただけに接触なしは驚きです。W杯後に代表監督としてのオファーはありましたか?
「オーストラリアとコートジボワールからオファーが届きましたが、それよりも先にポルトガルの某クラブから誘われていたので『少し待って欲しい』と言いました。しかしながら、オーストラリアもコートジボワールも次期代表監督決定を急いでおり、オファーには応えられませんでした」
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約束したインタビューの時間ピッタリにやってきたペケルマンは、気取った感じや堅苦しさはまったく感じさせず、どんな質問にも丁寧に答えてくれた。温厚な紳士。これがペケルマンの印象である。明日は「ザッケローニをどう評価すればいいか」について。 (つづく)


ホセ・ペケルマン 1949年9月3日、アルゼンチン生まれ。現役時代はMF。94年にアルゼンチンのユース(20歳以下)代表監督に就任して95、97、01年の世界ユース選手権を制覇。04年9月にアルゼンチン代表監督に就任。06年ドイツW杯では準々決勝で開催国ドイツにPK戦で敗れた。

ホルヘ・三村 1960年、東京都生まれ。91年からエクアドルと日本を往復しながら南米サッカーを精力的に取材。00年からアルゼンチン在住。07年に永住権を取得した。「ストライカーデラックス」(http://www.soccerstriker.net/)の「ワールドサッカー通信局」でコラムを連載中。


==日刊ゲンダイ 2011年1月6日付掲載記事==



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