〜 秩父の山村・番外編 A 〜
・ 日窒鉱山 (後編)
前編では主として居住・文化区エリアの廃墟を紹介したので、後編では大黒選鉱場、ならびに事業本部周辺の施設をご案内してみることにする。
「大黒選鉱場」とは、トップ写真の「素掘りトンネル」の手前にある施設で、現在も操業中であり、写真のように(株)ニッチツの社旗がはためいている。
ただ、本部前の古い地図にはたくさんの坑道が山に向かって延びているが、現在採掘はしておらず、原鉱石を製品化するだけの場所のように見えた。
「大黒社宅」というのも古い地図には記載があるが、存在を確認することはできなかった。
粉塵にまみれた施設が寄り集まっている。
鉱業については素人なので、どれが何のはたらきをする施設なのかは全くわからない。
使われていない施設も多いようだ。
「第一警備員詰所」とあるが、公道の脇に警備員詰所があるのはおかしい。
長い間使われていないように見えた。
ここはWEBでおなじみの
秩父鉱山簡易郵便局。
事業本部に隣接している。
本部裏手の石灰石選鉱場。
現在では、ここが鉱業事業の中心らしいが、使われていない施設も多く見受けられる。
写真上の右手は
廃坑道だろう。
★ター坊さん★の撮られた写真では坑口を覆う建物が存在したが、現在は取り払われてしまっている。
「小倉沢地区TV共同聴視組合」「ニッチツ秩父労働組合」の看板のある古い建物。
廃墟化している。
部落民が皆無に等しくなれば「TV共同聴視組合」は成り立たず、社員が減れば「労働組合」も成立しない。これが現実だ。
なお、(株)ニッチツという社名の由来については、公害病で有名な
「チッソ水俣」と関連がありそうな気もするが、詳しいことは関係者に聞かなければよくわからない。
社名も日窒鉱山株式会社〜日窒秩父鉱業所〜日窒工業株式会社〜(株)ニッチツと何度かの変遷を経ているようである。
鉱山開発で企業としての基礎を築き、他分野にも進出して第2次産業の総合企業となった結果、基となった鉱山部門は赤字事業として年々操業規模を縮小させられている・・・そんな図式が見えてくるような気もする。
あくまでも憶測だが。
突然の妙な写真で恐れ入るが、これは前編の廃社宅の中に貼ってあったポスターである。
ブログのページあたり容量が一杯になったので、入り切らなかったのでこちらに回した。
キャンディーズに水谷豊。1970年代のポスターだ。
こちらは鉱山最上部の硅石採掘場である。
ご覧のような露天掘りで「自然破壊にうるさくなってきた・・・。」とあれば採掘を中止も止む無しといったところであろうか。
ましてやそれが企業にとっての「お荷物部門」であれば尚更のことだろう。
索道を操作・管理する小屋の内部。
最後に可笑しな写真を2枚ご紹介して本稿を結ぶことにする。
この写真は前編でご案内した居住・文化区で撮られたものであるが、
鉱山病院の撮影中、急にシャッターが開きっぱなしになり、撮影が不能になった。
写真は、開きっぱなしになったコマから更に周囲に光線が波及したものである。
不思議なことに
シャッターは家に持って帰ると直った。
また、ほぼ同じ頃、
ebatom氏はリンホフ用の三脚が転倒、雲台を破損させ修理不能の状態になっている。
家に帰り、写真を整理しながら気付いたことは、
「この鉱山集落には墓地がどこにあるかわからない。」ということだった。
長い歴史を持つ鉱山だからこれはおかしな話で、鉱山数10年の歴史の間には病気や事故で亡くなっていった人々もおられるはずである。
そういった方々はどのように弔われ、どのように埋葬されていったのであろうか?
少なからず疑念がわいてくる。
おそらくは人知れぬ場所に、もはや誰にもお参りされることもなく、ひっそりと眠っているのではないか?
(個人的には保育園裏の山神社あたりがあやしいとおもっているのだが。)
また、仮に働き手を失ったとすると、残された家族達は一体どうなったのであろうか?
位牌を片手にひっそりと村を去っていかなければならない・・・。
そんな厳しい現実も容易に想像できる。
この2枚の写真はそういう鉱山に散った人々の
「私はここにいる!」
「誰か会いに来ておくれ!」という無言の訴えのような気がしてならない。
★ 最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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