〜 秩父の山村・番外編 A 〜
・ 日窒鉱山 (前編)
「トンネルを抜けるとそこは異次元の世界であった・・・。」
群馬・長野の県境近く、旧埼玉県大滝村(現・秩父市)の山間に寂れた鉱山街の跡がある。
ここは俗称
「日窒鉱山」といい、かつて隆盛をきわめた頃の社宅群や文化施設などが、そのまま廃墟として残存している。
実は「日窒鉱山」の存在は最近知ったものではなく、高校生の頃から
「両神山」など奥秩父の山々に親しんでいた関係上、その名称は30年ほど前から認識してはいた。
ところが、おなじ廃校・廃村など「廃れモノ」のWEB仲間である
★ター坊さん★のサイトで最近の日窒鉱山の状況を知るに至り、「これは是非とも映像に記録しておかなければ・・・。」と、JFC会友のebatom氏と連れ立って撮影におもむいてみた。
本稿はその時の映像と、前後3度に亘る下地調査の際の写真をまとめたものである。
この鉱山街は大略4つのエリアに分かれている。
下の方から順に@大黒選鉱場区エリア、A事業本部(石灰岩選鉱場)区エリア、B居住・文化区エリア、いちばん上がC硅石選鉱場区エリアとなっている。
上の2枚の写真は最上部の硅石選鉱場跡で撮影したものである。
ここを撮影中、たまたま日窒勤続50年という老従業員の方が巡回に来られ、いろいろと鉱山の昔の様子をうかがうことができた。
曰く、
「自分が入社した頃は2,000人位の従業員がいて賑やかだった。
ダンスホールや映画館、バーなどもあった。 給料が良かったので皆の生活は派手だった。
奥さん連中もツッカケで外に出ることなんかはしないで、化粧して着物に着替え、「金草履」を履いて出かけていった。(筆者考、秩父市内へのバスでの買い物などの事を言っているのだろう。)
従業員は北海道の炭坑労働者だった者が多かった。
自分が風呂(公衆浴場)に入る時は、その人たちの陰にかくれて小さくなって入っていた。
自然破壊がうるさくなってきたので(硅石の採掘は)
止めた。」等々・・・。
こんな老従業員氏の話をふまえながら、往時を偲びつつ、以下の作品群をご覧になっていただければ幸いである。
本稿・日窒鉱山(前編)では、最も被写体的興味の強い、「居住・文化区エリア」からご案内してみることにする。
集落中央を貫く「八丁林道」より望んだ居住・文化区の景観。
手前より、鉱山病院跡、赤岩文化会館跡、廃社宅群、この奥に公民館や保育園などがある。
後方の岩峰は両神山系の「赤岩尾根」といい、首都圏でも屈指のバリエイションルートとなっている。
縦走には岩登りの技術とザイルが必要だ。
人気のない
居住区エリアの中心部。
ちなみに上の写真、右上の白い建物には今でも人が住んでいる。
この鉱山は操業規模を90%以上縮小しているとはいえ、現在も稼動中の事業所である。
この場所に限らず、集落中央の公道以外は(株)ニッチツの私有地だから、立ち入りと撮影は会社の許可が必要になる。
私達の場合も最初、直接事務所には出向かず、一度市役所の観光課から電話を入れてもらい、それから現地事務所で撮影許可をもらったものである。
社員の方はとても親切で、スムーズに撮影が行なわれたのであるが、もし、これから撮影に行ってみよう、という方々も決して無断で社有地や社宅内に立ち入らぬよう、遵守をお願いしたい。
不心得者が増えて警戒が厳重になったり、しまいには立ち入りと撮影は全面的にお断り、などという事態にならぬよう、皆で協力したいものです。
文化地区南端の
「鉱山病院」跡。
白い窓枠が印象的であるが、この建物は岩盤の水路の上にあり、足元がグチャグチャで床などの腐食が進んでいる。
窓が変な具合に折れ曲がっているのにお気付きのことだろう。
荒れた内部が窓から見える。
「けい肺心臓機能検査具入」などというものが放置されているのも鉱山らしい。
実はこの鉱山病院の周囲を撮影中、私とebatom氏両名に
摩訶不思議な出来事がほぼ同時に起こっている。
このことについては
日窒鉱山(下)の方でお話ししようと思う。
「赤岩文化会館」跡の建物。
瀟洒な洋風木造建築で、これに十字架でもあれば軽井沢の教会のようだ。
こちらも残念ながら腐食が進んでいる。
「赤岩文化会館」の内部。
舞台のタレ幕の
「小倉沢地区納税完納者一同」という文字が恐ろしい。
天井が抜けて日が差し込んでいた。
さきの老従業員氏のいう、
ダンスホールや
映画館というのはここで行なわれたイベントを指すのかも知れない。
「文化会館」の屋根。
この鉱山の建物はどれもしっかりした木造建築だが、なぜか屋根だけは社宅の一部を除くと、すべてがトタン張りである。
瓦よりトタンの方が何か都合が良かったのか、(塵灰が流れ落ちやすいとか)、理由は不明だが、そのトタンも年月を経て赤サビを生じ、無残な姿になりつつある。
事業所の地図(「下」に掲載)に
「供給所」とある建物。
食料や日用品などの販売をしていたものと思われる。
建物の左半分は食堂のような作りで、これまた老従業員氏のいう
バーとは、ここのところを指すものなのか?
同じく「供給所」の近撮。
明かり採り窓に錆びた屋根、年月を重ねた木目模様などが、虚しい情緒を醸し出している。
道端に咲くスズランに「供給所」を組み合わせてみた。。
殺伐とした鉱山街の風景に一服のなぐさみを与えてくれるように感じる。
「公衆浴場」跡。
「従業員並びにその家族の浴場に付き、部外者の入浴はご遠慮下さい。」とか、「社宅内での物品販売は会社の許可がないと出来ません。」とかいろいろと細かい注意書きがある。
使われなくなった
「掲示板」。
手前のは「労働組合専用掲示板」とあった。
廃墟となった
社宅群。
ここでどんな家族のドラマがあったのか、今となっては知る由もない。
鉱山を去った人達は今何をしているのだろう。
閉鎖された
鉱山保育園跡。
ブランコはたぐられ、もう子供の姿はない。
この保育園横の吊り橋の奥には
山神社があるというのだが、そこまでは行ってみなかった。
どうもそこに墓地があるような気がする。
閉ざされたままの
消防小屋。
「地域」が消失すれば「消防団」も存在できなくなる。
この学校風の建築は
「丹岫寮」という。
「丹岫」の意味は不明だが、いわゆる公民館、現在でいうコミュニティーセンターのようなはたらきをしていたようだ。
ここで鉱山職員の囲碁将棋対決とか、奥様方の茶道、華道、着付け教室などが行なわれていたのかも知れない。
社宅脇に古いポストがあった。
「消費税が導入されます。」などという張り紙が今だにしてある。
果たして今でも集配に来るものなのか?どうなのか。
今度自分宛の手紙をだしてみようか・・・と思う。

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