民俗学的に考えてみると、古墳時代の大王クラスの葬礼は、相当数の地方豪族が参列することは想像に難くない。
その黒山の人だかりの中を、赤い石棺はしずしずと運び込まれたのであろう。
となるとこれは壮大な赤のセレモニーである。
石室内に使われた場合とはここがまったく違う。
群衆のすべてが固唾を飲んで、はるばると海を越えてやってきた呪の棺を食い入るように見つめたことだろう。
そしてその強烈な印象は地方豪族たちの脳裏にインプットされ、故郷へ喧伝されたことだろう。
「美しき、この世のものとも思われぬ、実に不思議な桃色の石」
「朱を塗らずともじねんと赤き魔力の石」
「魔の石に先王は封じ込められた」
「時代は変わったのだ」
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特に、推古女帝時代には石切技術は格段に進化し、植山の石棺はきれいに直線的に作られていたのだから、ちょうど今、私たちが御影石=大理石のきれいに磨き上げられた墓石を見るのと同様、当初、鏡のように光り輝いて見えたことだろう。
好日の青き空を映して、呪はいっそう深く、被葬者を結界で封じ込めたことだろう。
蘇我馬子の墓もそうだった。灰色石だっただろうと言われている彼の石棺も、美しく鋭利な切り口を磨き上げられ、あの石舞台の巨大な穴蔵に、壮麗なセレモニーで見送られ納められた。
蘇我氏も継体大王のように繁栄を極め、やがて短命で抹殺されてゆく。