「石棺分析、もうひとつの方向性・前方後円墳の起源」
考古学・考古理化学
もうひとつ大切なことがある。
凝灰岩に限ったことではないが、石棺の石材とその産地が確定されていけば、今度はその石材が使われた古墳そのもののできあがって行く課程が見えてくるはずだと言うこと。今年初頭で分析してきた前方後円墳の成立と中央集権国家成立はリンクしているということから、さらに遡れば、弥生時代の九州、東瀬戸内、東海からの集散の段階、あるいはさらに3世紀の実態など、日本史の上で多くの謎とされてきた大和朝廷成立までの道筋がきっとつながってくるはずなのではないだろうか。
そのすべてが結局は3世紀の謎へ収束し、最大の謎である邪馬台国への近道となってゆくだろうと想像している。
また、もう一つは細分化して、ゆく方向もある。より詳細に岩石分析をすすめて、例えば阿武隈山地の石材とか、阿蘇ピンクの他地域での探索とか、それはもうやることは山ほど出てくるだろう。
とりあえずかわかつは先日、宇土以外の九州における阿蘇ピンク石分布地帯である大分県臼杵市へ行ってきた。まずはこの報告から民族学ブログへアップしていこうと思う。
そのあと、飛鳥時代の竹田皇子の石棺と大阪四天王寺礼拝石と蘇我・葛城・物部・中富などの大和氏族の関わり合いかたを考証して行こうと思っている。
長い読み物になりそうだ。最後は記事を編集してHPにアップし、できれば著作にしあげられればとも思っているが、それは私自身の希望的観測に過ぎない。
こうご期待。