昨日は梅雨の晴れ間で気分も新たにできたから、さっそく「火の中の君」の本拠地に仮想しておいた熊本県玉名市(菊池川沿線)を探訪してみた。
郡司日置氏の本拠地である。
「ひきのじんじゃ」
玉名市で靫負の痕跡を残す遺跡としてはたくさんの装飾横穴墓と有名な大坊古墳だろう。疋野のすぐ近くにこれらの装飾古墳群が散在している。
「ひき」と「へき」「へぎ」「ひおき」は地域的な音韻変化であると言える。いずれも継体あるいは欽明時代の管理職名である。
最も世に知られた古墳は玉名市と山鹿市の境にある江田船山古墳である。
阿蘇凝灰岩製家型石棺とワカタケル銘入りの鉄剣が出ているが、筑紫君領地に隣接するにもかかわらず石人を持たず、装飾も持たない。この権威表現はあきらかに周辺の古墳群とは質が違うものだ。これはどう見ても6世紀中盤以降の中央と密接に関わる氏族のものと言えるだろう。
つまり磐井の乱敗北で地に落ちた筑紫三家連のあとを管理した火の国造以降の人物に関与する者だったと言える。
銘文から察するに、大王の送った国衙の下にいたこの人物には、玉名の郡司日置氏が最もふさわしい。

火の中の君にせよ日置氏にせよチブサン古墳に代表される菊池、山鹿、玉名周辺の古墳には絵画はあっても靫装飾はなく、また阿蘇ピンク石石室もないから、菊池川凝灰岩を使う氏族である。葦北とも筑紫ともつながりを持ってはいたが、6世紀には筑紫君磐井の三家連合のひとつとして筑紫よりになっていたであろう。
ここの横穴古墳は黒と赤を用いた円文を多用する。
石室内に死智床を複数持つ。しかし外側に弓矢靫が彫られていないようだ。詳しくはわからないから、専門家に聞いてみようと思うが、ほぼ推測はあっているのではなかろうか。
玉名はもう一度行かねばならないと感じる。
それと菊池市の袈裟尾古墳が重要だろう。
玉名から海岸沿いの県道1号線で宇土に行ける。熊本市は混雑するからこのほうが至便である。この海岸通りこそは宇土と菊池川をつなぐ古代の海のルートを眺望できる交通路だろう。そこへもう一度行こうと思う。福岡の専門家は今田植えの忙しい時期なので、落ち着いた頃連絡してみたい。迷惑でなければだが。
