
壬申の乱おすすめ詳細サイト
http://www.asuka-tobira.com/jinshin/jinshintop.htm
民族学伝承ひろいあげ辞典のこの部分記事へリンク
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/44745022.html
●息長横河を通過しながら、息長氏が出てこないのはおかしい。
●神功皇后のモデルと考えられる太田皇女の船上出産。
●息長氏は和邇氏と並んで陰の氏族だったことは確か。
●継体天皇の直系を自認する必要が天武にはあったのだろう。そこで古事記は継体を息長の媛である神功皇后の末裔とした。その神功皇后もまた河内王朝の母とすることで結果的に天武朝の正統を謳い上げたのであろう。
息長と和邇は当時まで天皇家のステータス氏族=つまり前の王朝だったと言えまいか?
ということは天武は兄・天智とは出自を別にすると言いたかったのでは?
天武は実は近江のふたつの巨頭氏族の末裔を臭わせることで、もっと昔の邪馬台国からの正統さえも言いたかったのではなかろうか?ということは和邇と息長が同時存在した近江こそが・・・???
ルート上にある「安河」地名。ここは今の野洲市である。
野洲と言えば継体大王の父親、母親、およびその枝族に大いに関わる場所である。
ゆえに三上山山麓の伊勢遺跡が特級邪馬台国比定地だと考えるのである。
いずれにせよ記紀は天武から遡って考察すべきだ。
天武以前はすべて創作だと考えて見るのが正しい学習態度だと思い始めている。古事記はすべてが天武のために。そして日本書紀は持統のために作られた。天武の正統を越えるには次の天皇は卑弥呼=女帝である必要が不比等にはあった。

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