以下はかわかつ辞書ブログ「民族学伝承ひろいあげ辞典」に今年10月にアップしておいた、阿蘇ピンク石石棺についての考察のひとつである。
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/46297479.html
「阿蘇ピンク石は『大王のひつぎ』か?
「8月20日、古田史学の会関西例会が行われました。今回も研究報告が目白押しで、来月回しになったものもありました。珍しく考古学関連の報告が三つもありましたが、中でも伊東義彰さん(本会会計監査・生駒市)の『「大王のひつぎ」に一言 ─読売新聞七月二五日・八月三日の記事について─』はタイムリーでもあり面白い内容でした。
熊本県宇土市から産出する阿蘇ピンク石が近畿などの古墳の石棺に使用されていることは有名ですが、読売新聞社などが主催して、そのピンク石を古代船で大阪府高槻市の今城塚古墳まで運搬するという試みが行われています。伊東さんはこのプロジェクトには大賛成だが、阿蘇ピンク石が近畿の大王(天皇)の石棺に使用されているかの様な新聞記事の取り扱いは、誤解をまねくとして、苦言を呈されました。
伊東さんの調査によれば、5世紀後半から6世紀前半の古墳ではピンク石使用石棺の古墳は12例確認されています。ところがそのほとんどが比較的小規模な古墳であり、大王級の古墳は今城塚古墳だけなのです。従って、阿蘇ピンク石を「大王のひつぎ」とする表現は不適当ということになります。この事実には、わたしも少し驚きましたが、更に驚いたのが、九州の古墳では阿蘇ピンク石が石棺に使われた例はないということです(現時点では未発見)。
考古学に疎いわたしは、九州王朝で使用されていたピンク石石棺の伝統が近畿にも伝播したものと、今まで何となく思っていたのですが、それが間違っていたことを伊東さんの報告で知ったのでした。こうした意味でも関西例会は貴重な場です。関西例会には参加費500円で、どなたでも聴講できます(今回も一名初参加の方がおられました)。たくさんの資料ももらえて有意義な一日が過ごせます。皆さんも是非一度のぞいてみてください。」
出典
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nikki/nikki025.html
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以下私のコメント
これもまたひとつの貴重な意見だとしておきたい。
確かに今城塚や造山古墳以外の阿蘇ピンク石石棺出土古墳は、地方小豪族のものだ。
しかし竹田皇子の植山古墳や継体大王一族の古墳に使われた段階で「大王族の柩」であると言ってもいいとかわかつは感じている。「今城塚だけなのです」と簡単におっしゃるが、それだけでも、たとえ今城塚一基だけの発見だったとしても「大王の柩」だと言っていいほどのすごいことなのではなかろうか?
考古発掘を星の数ほど手がけた方々には、確かに「わずか一基」かも知れないが、それは少し意識として数の論理的すぎる解釈だ。
古墳に埋葬された人間はみなおしなべて貴重なヒトだったのであり、それだけでも大変な事業ができた人ということ。ほかの星の数ほどの平民、臣下のすべてはただの墓か遺棄なのである。
それを忘れてもらっては困るし、それでは研究者としてはやや数に押し流された、おごりだといわねばなるまい。
勘違いしてもらっては困る。
目先の遺物を掘り返していて、たぶん突然目を上げたらピンク色の巨大な石棺が突然出現し、この方はとまどってしまったのだろう。いわゆる幻惑。幻惑に惑わされまい、自らの地をはうような血の努力が走馬燈のように経巡ったに相違ない。「なにが大王だ」とにくさが思わずこういうことを言わせてしまったのだ、一時の気の迷いだと思ってあげたい。
阿蘇ピンクの貴重さをあわせて考えたとき、あの石棺は「大王の柩」だと言いたかった九州考古学の昔年の思いがそこにあることを思い知らねばなるまい。ヤマトのおごりよいつまで続く?」
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やや力が入りすぎの逆襲^^である。
どうやらこの記事のおかげでかわかつは九州愛に燃えているのだと思われたようだ。そんなのは当たり前である。地元を愛してなにが悪い。
第一、阿蘇ピンク石棺が大王の石棺であるなどとかわかつは最初から申していない。大王の棺をタイトルにしているのは板橋氏をはじめとする九州の研究家たちであって、かわかつはそれを取り上げはしたが、結論として阿蘇ピンク石は「呪の石棺」であり、「百済王家の印」だと書いている。
そもそもピンクに限らずだが、阿蘇凝灰岩石棺を使用した石棺が中央まで運ばれた事実が最重要なのであり、そこから地方と中央の氏族関係が見え、ほぼ決定できるという素材が出てきたことこそが大事なのだ。大王の石棺かそうでないかはこの重要性をかき回すだけの端論なのである。
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中央にはすでに竜山石や二上山ピンクなどの地元産石棺素材がある。にも関わらずなぜ4世紀〜6世紀の倭五王〜継体時代に阿蘇の石が使われたか。そこには岡山の造山が実は大王墓ではないのか・・・言い換えれば吉備王が大和よりも古い大王家だったのでhないのか?という瀬戸内各県考古学の待望論さえ含蓄している。
考古学者の多くは本当に視野が狭い考え方で歴史を見る者がいる。
ためがない意見を口にする者が多いのだと感じる。
悠久の時間枠という重箱の隅をつつき、狭小な理屈にこだわろうとする。
大王かどうかなどはどうでもよいのだということに気が付かない。
今城塚のピンクがたとえ妃のものだったとしても、それが大王の古墳である今城塚からなぜ出たのか?という本論に向かわず、端論に向かう。だからだめなのだ。
ひとつの地方からの発信をまともに向かわず、端っこにこだわる。
発信の重要性を雲散させ、発信そのものを軽んずる。
では、なぜ「いきつくし」「さいはての」「辺境の」「九州くんだりから」わざわざ石が来たのかという疑問に答えることができるのか。九州が勝手に貢いできたとでも言いたいのか?
本論をなぜうやむやにするのか。
ふざけないでもらいたい。
間違っていてもいいから、百済の印、呪の石棺論くらいの気の利いた仮説を立ててからものを言ってもらいたいものである。
日本人はまったく変わっている。
賞賛を惜しみ、小論にこだわる。
大河ドラマの西郷どんが呻吟していた。
「遠いのは江戸・・・東京のほうじゃ」
狭いなあ学問は。
悠然と受け流さない世界が拡大し、ちまちました理屈が、はるかなる時間を鬼にする時代になりつつある。まるで女の子のおままごとだ。
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世界中から日本の四畳半的、少女趣味を求めて「逃げ込んでくる」時代である。「おたく」文化は日本にしかない独特のものだ。世界がそれに感染し、四畳半が満杯になる。このままではそろそろ世界が暴発する。男の世界はどこに行った。
ああ、ちくしょう、またタバコが増えやがる。ー0ー;

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