「ピッポ・デルボノ・カンパニー『戦争−GUERRA−』」
構成・演出:ピッポ・デルボノ 出演(カンパニー):ジャンルーカ・バッラレー、ボボー、マルゲリータ・クロメンテ、ピエーロ・コルソ、アルマンド・コッツート、ピッポ・デルボノ、ルチーア・デッラ・フェラーラ、ファウスト・フェッライオーロ、グルタヴォ・ジャコーザ、シモーネ、ゴッジャーノ、イラーリア・ディスタンテ、マーリオ・イントルーリオ、ミスター・プーマ、アンドレア・ブルガレド、ペーペ・ロブレード
---------------------------------------------
舞台・照明:セルジオ・タッデイ 音響:ペーペ・ロブレード 制作:ピッポ・デルボノ・カンパニー、エミーリア・ロマーニャ演劇財団 ツアー・マネージメント:アルド・ミゲル・グロンポーネ 日本語字幕・通訳:古賀浩 チケット(日時座席指定):4,000円/同伴チケット(2枚):7,000円/学生対象券やセット券の各種割引有り イタリア語上演/日本語字幕 「Shizuoka春の芸術祭」参加作品
---------------------------------------------
2007年6月9日(土)〜10日(日)/静岡・静岡芸術劇場/http://www.spac.or.jp/
開幕初日から出来る限り追いかけてきた、「Shizuoka春の芸術祭2007」もいよいよ終盤。この芸術祭の最大と言ってもいいほどの話題を集める、イタリアの「ピッポ・デルボノ・カンパニー」が初来日を果たしました。新旧作品である「戦争」と「沈黙」を短期間に連続上演するという企画です。

≪作品紹介−当日配布のパンフレットより引用−≫
「戦争−GUERRA−」は疫病や周囲の人々の差異に苦しみ、社会の周縁に追いやれた性を表現する切実な必然性から生まれた作品です。ここでは、さまざまな物語が叫びやダンス、演技といった形で表現されています。「アブノーマル」な世界、狂気の世界、ハンディキャップの世界といったさまざまな世界から来た人々がそれぞれ移動式の見世物小屋を出して、その全体が「演劇」の魔術的な世界を作り上げていくのです。『オデュッセイア』の主人公オデュッセウスのように、この舞台の登場人物たちは自らの生の中心を見出す道程の内に、あるいは愛や恐怖の内んい自らを見失ってしまいます――――彼らは戦争の直中にいるのです。彼らはやがて、デルボノの時として強烈な言葉、さらにはコレヘトや仏陀、あるいはチェ・ゲバラの聖なるテクストを見いだし、聖人や革命家、英雄や殉教者たちの世界へと導かれていきます。 「破壊、怒り、暴力、揺さぶれ、魂! 我を忘れ、存在の中心を失う、現代を生きる神話」 叫び、踊り、そして演ずる。すべての人が戦争のただ中にいる状態。今、世界各地の演劇祭で注目を集めるピッポ・デルボノが狂気や身体障害、社会の辺境の人々の「生」を探求した演劇的パフォーマンス。人生とアートの間を生きるピッポ・デルボノ・カンパニーの「生命」に巻き込まれる。
ピッポ・デルボノさんはイタリア演劇を代表する人物であり、俳優やダンサーの育成に努めてきた演出家でもあります。そんな彼は精神病院でワークショップを行うことをキッカケにして、障害者やホームレスの人々と共に「浮浪者たち」という舞台芸術を制作公演。この作品は多くの賞と各地での公演を行い話題を集めることになり、「ピッポ・デルボノ・カンパニー」は大きな飛躍を遂げました。団員の方々も老若男女とバックボーンも大きく異なり、例えば看板俳優であるボボーさんは71歳という高年齢。聴覚に障害があるため言葉が不自由で、精神病院への入院暦が長いとのことでした。そんなカンパニーの初期に創作された作品「戦争−GUERRA−」が、今回の連続上演企画の第一作目に上演されたプロダクションでした。さて、劇場内には演劇関係者も多く詰め掛けていたので、劇場のサロンや客席はいつもに増して活気付いていたのが印象的。劇場のステージには雑然とした空間が広がっていて、黒幕に覆われた素舞台という雰囲気が立ち込めます。舞台の左右にはテーブルや椅子などをはじめとする小道具、そしてスタッフが音響や照明を操作するブース、3人の音楽家による生演奏のコーナーが設置されていました。舞台にスタッフが登場してマイクの調整をし出しかと思うと、とぼとぼと客席から登場したのはピッポ・デルボノさん。調整の終わったマイクを手にとって語り始めたのは、「ボスニア・ヘルフェゴヴィナ紛争」の記憶。今作は92年から95年まで続いたこの紛争についてを、今も生々しく切迫するような感覚で刻み描いていきます。もはやストーリーはありませんでした。舞台を縦横無尽に走り回って小言だったり大声で叫んだりしながら、舞台を力強く引っ張っていく存在であるピッポさんを先頭に、次々と舞台に役者さんが登場します。

ピッポさんの語りを中心に台詞や対話は無いに等しい作品に仕上がり、ダンス的な身体表現を駆使したりしながら、独特の演劇パフォーマンスを創造していきました。音楽隊が奏でるジャズのようなノリの良い音楽をはじめとして、既成のロックやクラシックの音楽が大音響で流れます。スタンドマイクに向かって語り、俳優たちは皆歌い踊りながら騒ぎまわる。なのに涙が止まることなくて、上演中は本当に号泣してしまった。なぜだろう、と自分でも不思議に思いました。物語も脈略もない構成の作品で、何もかもが突然起こって消滅をして、またその連鎖が続いていきます。確かに舞台で行われていることは作られた「嘘」ですが、その進行していく過程の一瞬一瞬は確かに「本当」でした。出演者の方々は既に「演技をする」という次元を超え、舞台の上に「存在する」ということを成し遂げています。何もかもが心に体に自分自身に迫って来て、とにかく呆然と眺めるしかなかった。次第に舞台は激しさ増す一方の展開になり、全体が暴力的な祝祭性に満ちていきます。椅子やテーブルは壊れて砕け散り、ガラスのコップも砕け散り、パン粉のような粉も水も飛び散りました。激しいクラシック音楽が大音量で響くなかで、その上をダンスのような動作を連鎖する多くの出演者。そしてこの激しさの最後に待ち受けるのは静寂。人間と言う存在による「生」と「死」を応酬し、その人間が作り出す戦争という「争い」を、酷なほどに鋭く、そして暖かな優しい眼差しが全編に注がれます。1時間40分弱のステージが終わり、ブラボーや強い拍手に包まれたカーテンコール。必死に拍手をしたあと、私はまた呆然と客席に沈み込んでしまった。あまりにピッポ・デルボノ・カンパニーから得た衝撃は大きく、自分が今作に触れる前と触れた後での世界観や人生観は、きっと大きく相違しているんじゃないかと思いました。終演後は2本目「沈黙」の会場となる、舞台芸術公園の野外劇場へ向かった。激しい雷がつんざく豪雨のなかでの観劇体験となり、また「戦争」を遥かに上回るような衝撃と感動を得て、結果的に涙も枯れ果てたわけですが、その話はまた後日・・・!