今年、稚内へ3度も出かけている。
7月に、サハリンへの旅に出た。一回目はその際の出発点として、さらに帰国の際に通過点として稚内を訪れた。
その後、9月5日には、間宮林蔵展と、間宮海峡発見200年記念シンポジウムに参加するために稚内を訪れた。シンポジウムでは、サハリンのユジノサハリンスクでお会いしたサハリン歴史郷土博物館長タチアナ・ローンさんと再会した。
稚内から帰ると、同行した小熊秀雄賞事務局長のT氏より電話があり
「間宮林蔵展の樺太鳥瞰図のビデオ撮影にもう一度、稚内へ行きたい」
という連絡があった。樺太鳥瞰図は、稚内の背後の開基百年記念塔内の北方記念館内の間宮林蔵展に展示してある、戦前に書かれた大きく、実に細密な地図である。
サハリンへの旅で、詩人小熊秀雄の少年時代を過ごした泊居を訪れた我々にとっては、戦前のパルプ工場跡と神社が描かれた泊居の鳥瞰図のリアルな再現をしているこの樺太鳥瞰図の見事さにはつくづく驚嘆させられたのだった。
帰宅後、撮影した映像をチェックすると私も、その鳥瞰図で肝心の泊居を撮影していないことに気がついた。
T氏は、現在継続している小熊秀雄のサハリンに関する講座の来年度の二回分を担当することになっており、その際に是非この鳥瞰図の映像を使いたいとのことだった。
9月26日、稚内へ向かった。旭川を6時半ごろに出て、着いたのは11時頃だった。副港市場で樺太関連の展示を撮影しているとCさんから電話がある。
Cさんは、私のブログのサハリン紀行を読んで頂いている方である。このところ、お互いのブログを通して交流がある。今朝、その方のブログを読んでいると、昨日、新聞の朝刊で訃報を知ったばかりのロシア文学者水野忠夫さんとは師弟関係にあるらしい。
私は、水野忠夫さんの厚い「マヤコフスキー・ノート」を持っていて、水野さんの顔写真入りの訃報をその本に昨日挟み込んだばかりだった。
Cさんは、水野忠夫さんを知っていた。私は詩人小熊秀雄の「マヤコフスキーの舌にかわって」という詩を長い間、彼の大切な詩のひとつとして読み続けてきた。
Cさんのブログを読んで、これは、今日、稚内でCさんと会えということだなと私は思った。
それで、Cさんのブログの掲示板を通して今日稚内を訪れることをお知らせしたのである。
午後1時、稚内駅近くの喫茶店へ行った。Cさんは既に我々を待っていて下さった。
こうしてCさんとお会いすることができた。彼は、シンポジウムで重要な役割を果てしており、初対面と思っていたが、実はお互いに二度目の出会いだった。もちろん、親しくお話しするのは初めてである。
興味深いロシアの話を中心に、様々な話をして1時間半が過ぎた。まさに、人は一期一会・・・。またいつか、Cさんとは、ここ稚内か旭川の居酒屋でじっくりと話ことになるという予感がある。
その後、北方記念館で、T氏と私は、取り残していた樺太鳥瞰図を中心とした撮影をじっくりと時間をかけて行った。
午後4時、外は雨になっている。しかし、時折、陽も射すという不思議な天候の中を海沿いに宗谷岬へ向かった。
宗谷岬では、一時的に雨が上がり、サハリンの島影を厚い雲の彼方に臨むことができた。「日本最北端の地の碑」と「間宮林蔵」の立像を撮影すると、オホーツク海を南下、我々の今晩の宿をとった浜頓別へと向かった。

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