作家井上靖は平成2年(1990年)9月に故郷旭川を妻ふみと共に訪れた。旭川市開基百年式典と市内中央に設置された井上靖文学碑の除幕式に出席のためだった。
彼は、明治40年(1907年)に旭川第七師団官舎で生まれている。しかし、翌年の明治41年(1908年)、父の従軍に伴い父の故郷伊豆湯ヶ島へ移る。おそらく、彼にとって、旭川の記憶は全くないと言っていい。
(余談だが、井上靖が旭川で生まれた翌年の明治41年1月19日に、石川啄木が釧路へ行く途中、旭川宮越屋で一泊している。つまり、生後半年の井上靖と23歳の石川啄木は、厳寒の冬の旭川で、師団官舎と駅前の旅館という数キロの距離で一晩だけ近接して存在していたことになる。井上靖が旭川を離れたのは同年の春である。)
つまり、井上靖にとっては旭川は故郷とは言っても、出生地であるにすぎない。
しかし、旭川に井上靖文学館が作られたり、続いて文学碑が作られるなど浅からぬ縁があり、その年、高齢にも関わらず、妻とともに旭川を訪れたのだった。
文学碑には次の詩が、自筆で刻まれている。
「私は十七歳の、この町で生まれ
いま、百歳の、この町を歩く。
すべては、大きく変わったが
ただひとつ、変わらぬものありとすれば
それは、雪をかぶったナナカマドの
あの赤い実の洋灯(ランプ)。
一歩、一歩、その汚れなき光に
足元を照らされていく
現実と夢幻が
このように、ぴったりと
調和した例を知らない
ああ、北の王都、旭川の
常に天を望む、凛乎たる詩精神
それを縁どる
雪をかぶったナナカマドの
あの赤い実の洋灯」
明治23年(1890年)上川郡に正式に旭川村が設置され、今日の旭川が開基された。そして井上靖は1907年、旭川が十七歳の時にこの町で生まれた。そして、1990年、旭川は開基百年を迎え、83歳の井上靖は生まれた町を歩いている。
なんという詩精神に充ち溢れた表現だろう。
井上靖は前年の昭和64年(1989年)に最後の長編「孔子」を刊行している。私は、井上靖が旭川出身ということとは関係なく彼の小説や詩を好んで読んでいた。
私は、長編「孔子」を読む前から、原典である「孔子」の次の部分が好きだった。
「子、川の上(ほとり)に在(い)まして曰く、逝くものは斯くの如きか、昼夜を舎(す)てず」(第九 子罕 十七)
-川岸に立った先生が言われた。過ぎ去ってゆくものはみなこのとおりなのだな。 昼も夜も少しも休まない-
人は自分の意思にかかわらず、どんどんと年老いてゆく。
その過ぎ去って帰らぬ時の流れを嘆いた孔子の心を、やはり、井上靖は最後の作品「孔子」で取り上げていた。
井上靖は、こうして、旭川に詩「赤い実の洋灯」を残した。そして、彼は、翌年の平成三年(1991年)1月に亡くなった。前年秋に旭川を訪れてから、たった四ヶ月後のことである。
なお、1990年に旭川へ共に訪れた妻の井上ふみさんは、今年10月13日に98歳で亡くなっている。

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