数年前の作品を整理していると俳句が見つかった。
「鈍色(にびいろ)に旅立つ時の冬深し」
というものだった。ふと心ひかれた。俳人名と署名と落款を見ると「玄柊」とあり、肝心の作者名がない。おかしいと思った。自分の作品ではない場合は必ず作者を書いておくはずである。
しばらく、「冬深し」「鈍色」などのキーワードで歳時記、辞書でなどで調べた。このような俳句は見つからない。
もう一度、自分の作品を調べていると、そっくりな
「鈍色の別れの時の冬深し」
というものが見つかる。作者はやはり「玄柊」である。違いは二句の
「旅立つ時の」が「別れの時の」になっていることだった。
つまり、数年前に私が自分の句を作った時に二句目をどちらにするか迷ったということだということに気がついた。「別れの時の」はドラマチックだが「鈍色」に加えて暗さが倍加される。
最近、詩や短歌に傾き、俳句を作っていない。特に大きな理由はない。芭蕉を深く敬愛する私は、俳句が好きなのだが、短歌の表現の豊かさに現在は惹かれているのだろう。
それにしても、自分がそう遠くはない過去に作った俳句を、なぜ作ったかいう動機はもちろん、作ったという事実さえ忘れていた。さらに、自分の過去の句を自分のものだと思わずに心ひかれるというのもおかしな話である。
樺太の大泊港の古い写真をもとに描いたペン画が数枚たまっている。それと、このようにして発見した自分の句を組み合わせた。
大泊-稚内航路は冬の間は凍りつき、半年ほど閉ざされる。それは今も変わらない。間もなく10月末にはこの航路は今年も閉ざされる。

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