札幌の北海道文学館で「サハリンを読む-遥か樺太の記憶」と、題された企画展が11月21日に始まった。私は、今年7月に詩人小熊秀雄とチェーホフ、そして宮沢賢治の足跡を訪ねてサハリンへ行ったばかりということもある。「サハリンを読む」という時宜を得た企画に心惹かれて、札幌へ出かけた。久しぶりの札幌は、旭川に比べると雪がほとんどなく、樹木の葉はほとんど落ちているが、初冬というよりは晩秋の色濃い街のイメージだった。
北海道文学館の特別展は、樺太と日本文学の歴史を網羅し概観を掴むにはふさわしいものだった。しかし、私が夏の旅で調査した小熊秀雄と樺太に関しては、詩集「飛ぶ橇」を展示していたにとどまっている。また、日本人ではないにしても、サハリンとかかわりの深いチェーホフに至っては、1890年にどのような経緯で「サハリン島」を訪ねたかはわからない。宮沢賢治も、「春と修羅」に書かれた詩が、大正12年の樺太への妹を追悼する心の旅なくしては生まれなかった痛切な想いから生まれたものであることは、展示から感じ取ることはできない。
午後2時からの「樺太文学の現在」と、題された川村湊さんの講演会を聞いた。川村さんは、南洋へ旅した文学者中島敦の調査を行い素晴らしい本を出している。彼は私と同年生まれで北海道出身である。何か彼のお話から得るものがあろそうだと思った。
聴衆は、百名に満たない。札幌という大都市ではあるが、サハリンというマイナーなイメージに興味を持つ人は多くはない。
川村さんは、樺太文学の概観から、チェーホフ、そして現代の、島田雅彦、村上春樹へ至る現在の文学とサハリンとの関係に至るまでの考察を一時間半にわたって話した。
率直に言って、川村さんは結局は大学の教授であり、文芸評論家でしかないと思った。樺太、そしてサハリンと関わる
「文学者たちの心の軌跡」
が、お話の中に見えてこない。現に、百名近い参加者の中で居眠りしている人がたくさんいた。
お話が終わると、私は、後列に座っていたロシア人女性に話しかけた。
7月にサハリンのユジノサハリンスクでお会いし、恵庭の大学へ留学すると聞いていた
「エレーナ・イコンニコーワ」さんである。彼女がこの講演会へ参加することを知っていたわけではない。偶然に、聴衆の中に彼女がいるのを発見したのである。彼女は、非常に元気そうだった。作家寒川光太郎に興味のあるという彼女は、研究も進んでいることだろう。
私は、たまたま持っていた、来年一月の「サハリン島-詩人への旅」という自分の写真展の案内はがきをイコンニコーワさんに手渡して、北海道文学館を去った。
ところで、私が札幌を訪れた目的は、もう一つあった。詩人小熊秀雄が、昭和13年に東京から旭川を訪れ、帰途、札幌へ立ち寄り、友人で当時の北海タイムス記者中家金太郎宅に4泊した。その際、札幌で北大、植物園、大通り公園、博物館などで31首の歌を詠み、デッサンを描いた。そして、それらの短歌を
「札幌詠草」
と題し、「北海タイムス」に6月26日から30日にかけて連載した。昭和3年に旭川から上京した小熊秀雄は、詩を書き続け、旭川時代に詠んでいた歌をぷっつりと止めていた。それが、10年ぶりの北海道への帰郷に促されたのか、旭川でも、この札幌でも歌を随分たくさん詠んでいる。そのひとつに
「こあたり眼に美し控訴院罪あるものは寂しからまし」
というものがある。私は、控訴院とはなんだろうと思った。小熊は、第二回の連載の挿絵として、大通り公園を描いた際にこの控訴院を左端に描いている。調べてみると、大通り公園の西の端の刑務所や裁判所に隣り合った場所にある石造りの建物である。大正15年に作られ、現在も、札幌資料館として残っているという。
私は、こうして、北海道文学館を訪れる前に、地下鉄西11丁目で降り、昭和13年、今から71年前に小熊によって歌に詠まれ、デッサンにも描かれた「控訴院」を訪ねた。通りを隔てた噴水のある場所には佐藤忠良の「若い女の像」というブロンズ像が置かれ、あの歌に詠まれた「控訴院」は今もその姿を、札幌の街に止めていた。歳月は、さまざまなものを風化していくものである。しかし、こうして札幌の古き建築物と知られざる小熊秀雄の歌が私の中で結び付いた。つい前日の11月20日は、札幌を訪れた二年後の昭和15年に小熊秀雄が亡くなった命日である。

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