但馬国府・国分寺館職員が、日々の出来事や館の裏話などを書き綴ります。
2012/1/21
今日は、現在開催中の企画展「但馬国府と深田遺跡−国府の景観を探る−」に
関連した、学芸員講座を開催しました。
タイトルは、「但馬国府の景観」。曖昧なタイトルですが、これまでの調査
成果から、大胆に但馬国府の様相を復元(空想?)してみました。
近年まで、国府は「平城京や平安京のミニチュア版」と考えられていました。
つまり、塀などで囲まれた正方形の大きな区画の中に、碁盤目状の地割があり、
そこに国司が政務を司る「国庁(政庁)」や官衙(曹司)、倉などが建ち並ん
でいたという景観です。
しかし、近年の発掘の進展で、国府内にきっちりとした碁盤目の区画はなく、
「都城のミニチュア版」とする国府の景観論はほぼ否定されています。
現在の一般的な国府の景観とは、国庁を中心に、それから延びる官道沿いに
散在的に曹司などが建ち並んでいた、というもの。
つまり、国府とは「ここからここまで、東西●m、南北●mありました」とい
うような規定をし難い、やや観念的な言葉なのです。
さて、但馬国府も、以前は「方八町」という8町四方(1町=約109m)の広
さがあるものとして、位置の検討がなされてきました。
しかし、発掘調査の進展とともに、国庁は祢布ヶ森遺跡にある可能性が高まっ
たほか、深田遺跡などの曹司や、川岸遺跡などの祭祀場(祓所)も見つかり、
国府の景観を想定できる環境が整ってきました。少なくとも、方八町という
国府域を想定することはできなくなりました。
そして…私の話はここから、大胆に但馬国府の景観を復元する!という核心部
に入っていくのですが…。ここでは紹介できません。講座では図を交えてあれ
これお話しましたが、空想・妄想にすぎない点も多いため、詳細については、
今しばらく再検討の時間をいただきたいと思います。
但馬国府研究の新しい視角を開くべく、調査を進めてまいります。
ご来館いただいた皆様、ありがとうございました。


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2012/1/7

今更、明けましておめでようございますとも言えませんが…皆様、本年も
何卒よろしくお願い申し上げます。
今年は辰年。というわけで、龍にゆかりのある収蔵品をご紹介します。
写真は、平城宮跡で出土した木簡(のレプリカ)です。
(原品:奈良文化財研究所所蔵)
「但馬国城埼郡那佐郷官府腊雲龍 神護景雲三年十一月二方部豊嶋 六斤」
神護景雲3年(769)11月に、但馬国城埼郡那佐郷(現在の豊岡市奈佐地区)
の二方部豊嶋さんが、「腊雲龍」を6斤運びます、という荷札木簡。
税として但馬から平城宮へ運ばれたものです。
では、「腊雲龍」とは何なのでしょうか。
「腊(きたい)」とは、干し肉のこと。つまり、「雲龍」の干し肉です。
ところが…「雲龍」がよく分かりません。
平安時代の百科事典である『和名抄』をはじめ、古代の文献には「雲龍」
という語句は出てきません。「雲龍」で干し肉を作るわけですから、動物
の一種なのでしょう(ただし、「腊大豆」という食品名も見られるので、必
ずしも動物には限らないのでしょうが)。
「雲」が付く動物には「ウニ(雲丹)」が代表的ですが、「ウニの干し肉」
とは…違和感がありますよね。美味しくなさそう。
とは言え、代わりの候補があるわけではなく、未だに「雲龍」の正体は不明
です。
辰年の今年中には、候補を見つけることにします。
皆様も良案があればご教示くださいませ。

2
2011/11/27
11月26日(土)にTBS系列で放送された「世界ふしぎ発見!」。
ご覧になった方はいらっしゃいますか?
実は、但馬国府・国分寺館でも収録が行われていたのです。
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■日立世界ふしぎ発見!
第1209回「秋の京都で読み解く!源氏物語に隠された紫式部
の野望」
・11月26日(土) 午後9時〜
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放送が終わってからお知らせしても意味がありませんが、事後報告になった
のは理由がありまして…。
実は、当館で収録を行ったのは、クイズの正解発表の場面だったのです。
そのため、放送まで公開を控えておりました。
本当は皆さまにも告知をしたかったのですが、先方との約束事でしたので
ご了承下さい。
ちなみに、収録の際に来られたミステリーハンターは中島亜梨沙さん。
何と、元宝塚月組の娘役スターなんです(当時の芸名は「羽桜しずく」)。

お綺麗な方でしょ。

私も収録に参加させていただきましたが、終始デレデレ。
鼻の下が伸びきっていました。
お陰で、セリフを思いっきり噛んでしまいましたが、どうやらカットして
いただいた模様。ありがとうございます。
さて、肝心のクイズはというと、
「平安時代の役人が木簡に書いて練習したものは?」という問題。
しかも「漢字以外で、当時は特権階級の男子のみが許されたもの」だそうです。
正解は「九九」。
(実際は特権階級の男子に許されたものではなく「読み・書き・そろばん」と
いうように、基礎学力として、下級役人も習っていたものですが)
当館には、平成20年(2008)に祢布ヶ森遺跡で出土した「九九木簡」を収蔵し
ています。木簡に墨で九九を書いているのですが、「三九 廿四(24)」と間
違った記されているのが大きな特徴。
1200年後に誤りを指摘されることになる、当時の役人さんには申し訳ないので
すが、九九を覚えるのに苦労していた姿が想像できますよね。
無機質なものが多い考古資料の中で、当時の人々の気持ちにまで思いを馳せる
ことができる資料は、とても貴重です。
平安時代=貴族の時代と思いがちですが、貴族の数は当時の人口の0.1%にも
満たないほど少数派。
庶民や下級役人など、貴族を支える多くの人たちの暮らしにも目を向けていた
だければ幸いです。

5
2011/10/30
今日は、日高地区公民館との共催で、「伊能忠敬ウォーク」を開催しました。
当館の周辺には、文化11年(1814)に伊能忠敬の測量隊が訪れています。
伊能忠敬の足跡をたどりながら、江戸時代に思いを馳せていただこうと考え
ていました。
が…朝から雨。
時折強くなる雨脚に、残念ながらウォークは中止とし、当館館長の講座のみ
とさせていただきました。
歩く準備をされておられた方々、申し訳ありませんでした。

伊能忠敬は、測量中に毎日欠かさず記録をとっていました(『測量日記』)。
そこには、測量に訪れた地名だけではなく、神社の名前、昼食や宿泊した場
所など、多くの情報が詰まっています。
幸いなことに、『測量日記』に登場するさまざまな情報の多くは、現代にも
受け継がれています。
講座の後、「あんな小さな道を、伊能忠敬が通ったんですね」と話された方
もいらっしゃっいました。
意外と身近に、伊能忠敬の足跡は残っているのです。
さらに、今は失われてしまった情報も重要です。
当館の周辺では、「石立村」など、今は使われない地名も出てくるのです。
伊能忠敬は、教科書にも登場する有名な人物ですが、私たちのごく身近なと
ころにも測量に訪れていることは、意外にも知られていません。
ちなみに、当館の周辺には、伊能忠敬率いる本隊と、彼の部下が率いる支隊
の2組が訪れています。
残念ながら今回は雨でウォークは中止となりましたが、また別ルートで企画
できれば、と考えています。
お越しになられた皆さま、ありがとうございました。

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2011/10/29
今日は、企画展「戦い−古代の武器・武具−」にちなんだ体験教室を開催。
「鏑矢(かぶらや)を作ろう!」というものです。
鏑矢は、飛ばすと「ピュー」と音がなります。
古代(平安時代)の鏑矢は金属製ですが、子どもたちに作ってもらうには
危険+困難。
そのため、ずーっと簡単にしてペットボトルを使った鏑矢を作りました。
ペットボトルに小さな穴をあけるだけの、お手軽工作なのですが…。
ペットボトルの大きさや、穴の数・大きさなどは、実験をして試行錯誤。
わずか1ミリの穴の大きさの違いで、音が出たり出なかったり。
結局、200mlの小さなペットボトルを使い、「1センチ×4ミリ」の長方形
の穴を4箇所あけることにしました。
ちなみに、500mlや350mlのペットボトルでは、音は出ませんでした。
弓よりももっと大きな空気の流れが必要なのでしょうね。

ペットボトルに穴を開けています。ペットボトルは意外に丈夫。
これだけでも重労働です。
はい、これで完成です。

音を出すためには、より速く矢を射る必要があります。
空気の流れが強いほど、大きな音が出ます(たぶん)。
低学年の子どもには、ちょっと難しいかな…と思っていたのですが、
「ヒューン」と鋭い音を出して飛ばす子も。
でも、速く飛ばしているにもかかわらず、音が出ない子もいました。
穴の大きさの微妙な違いによるのでしょうか。
皆が音を出せるよう、もう少し改良すべき点がありそうです。
私自身、楽しめた体験教室でした。
ご参加の皆さま、ありがとうございました。

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