前回につづき、戦後史本を読む中で気づいた印象的なパーツ。
「国民」という言葉は、どこから出てきたのか?
もちろん、言葉としては戦前からあったが、戦後体制の中で、どう位置付けられたのか、ということに関する見方。
憲法から入ると、それは第一条にすぐ現れる。
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
いきなり「国民」より先に「天皇」が出てくるのが気に食わないという人もいるが、安定統治を優先したGHQとしても、この規定を急いだという理由が想像される。
かなり遅れて第十条で「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」とあって、そんなことは特に論じなくても、分かるだろうが、という判断だったのかもしれない。
しかし、日本の保守的官僚たちの多くは、そんなことが分かっていなかったのか、分からないふりをしたのか、言葉の差が、実はその後の「国民意識」をけっこう左右する効果をもたらした。
どう違うか?英語にしてみると分かる。
GHQの英文では、特殊な場合を除き「people」が使われている。
通常我々は、peopleを国民とは訳さない。
People's Republic of China が、中華人民共和国であって、中華国民共和国ではないように、人々、民衆、人民というあたりが適当な範囲だろう。
しかし、「人民」は左翼が使っていたので、保守的官僚が嫌ったという説が強い。
反対に「国民」を英訳するとどうなるか?
この言葉と100%対応の英語はないようで、nationとpeopleが前後関係で使い分けられている。
・国民主権→sovereignty of the people
・国民生活→life of the people
・国民所得→national income
・国民体育大会→national athletic meet
・国民健康保険→national health insurance
国家あるいは政府の意味まで、国民の名が背負っている。
国家という言葉への反発を恐れた官僚たちが、国民という言葉に殺到した結果かもしれないが、おかげで「日本国民」は、国家と民衆の二重人格を、知らずしらず背負うことになる。
もうひとつ、極めて印象的な場で「国民」という言葉が発せられた出来事がある。
憲法制定に先立つ、1946年の天皇年頭詔書。マスコミが「人間宣言」と名付けたものである。
この中で天皇は、人々のことを「国民」とよんだ。
それまでは「汝ら臣民」だったから、格段の変化ではある。
宮廷官僚たちが、ああでもないこうでもないと頭をひねった結果と想像される。
しかしここでも、人民とか民衆まで降りることはなかった。
天皇家や宮廷官僚たちにとって、日本国は皇祖皇宗がはじめた国で、民衆が手をつないで作り上げたものでは、決してなかったのだろう。
敗戦を経ても、「はじめに国ありき」の思考から抜け出すことはできなかった。
「人民の、人民による、人民のための政治」とは大違いである。
そんなわけで、人間宣言をした(とマスコミが誘導をはかった)天皇は、天上界から人間界に降りてくる途中、二階のベランダに立って、親しく国民に手をふるという絶妙な位置づけを確保した。
ついでに言うなら、戦前〜戦中の矛盾に満ちた重い役割から解放されることを、昭和天皇は喜び、この際、長く苦労をかけた国民のために、なにかできることはなかろうか、と心を砕いたらしい。
その結果が、全国巡行の形であらわれたといわれる。
それは一面で美談であるが、「天皇陛下の赤子」として育ってきた国民には、別の効果をもたらした。
結果としてこの巡行が、上述のような国民意識の二面性を、大きく後押ししたとする見方がある。
昭和天皇も、人間としての個人と、政治ツールとしての天皇の二面性から脱出することは、根底においてできなかったのである。
そして今も、大日本帝国民とあまり意識の変わらない日本国民もいて、日本が誇る「世界に希有な歴史と高い精神性」を、喧伝し続けたりしている。
意識が言葉を生み出し、言葉が意識を規定する循環は、まだまだ続いて行くのかもしれない。

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