こむつかしい話の続き。
我々はあの戦争を、なんと呼ぶべきなのか?
「太平洋戦争」と教えられたような記憶があるし「第二次大戦」とも言われる。
「日米戦争」と呼ぶ人もいるし「大東亜戦争」の人もいる。
それこそ「先の大戦」と宮様風の人もいるし、単に「戦争」で表現する場合もある。
戦前、戦中、戦後というのは、その後戦争の主体となっていない日本ならではの、長もち言葉である。
アメリカやロシアなら、ベトナム、アフガニスタンなどなど、固有名詞的に呼ばないと話が通じないだろう。
それらの呼称のうち「太平洋戦争」が、実はGHQ制定の呼び方ということに、いろんな本を読んでいて、いまさらながら気がついた。
考えてみればたしかにそうで、アメリカから見た第二次世界大戦は、ヨーロッパにおける戦争+太平洋における戦争である。
しかし、大日本帝国は、太平洋での戦争だけを戦っていたわけではない。
そういう意味では、東条内閣制定の「大東亜戦争」の方が、思想的な正否は別として、言葉としては日本の戦った戦争の実態を反映している。
ところがGHQは「大東亜戦争」の使用を、「八紘一宇」などとともに禁止し、検閲対象とした。
大日本帝国の国家神道、軍国主義との関係が理由、とされているが、一方には、迫り来る冷戦構造への配慮があったとする見方もある。
この戦争を担った主役はアメリカ合衆国である、と自己主張し、日本を社会主義国化しないため、アメリカ主体の占領政策を正当化した、という見方である。
しかし、言葉の効果というのはおそろしいもので、日本は太平洋においてアメリカと戦いそして負けた、というGHQ主導の概念が常識化するにつれ、アジア各地における戦争や占領のことは、日本人の頭からどんどん遠ざかって行った。
当時の日本国民、特に保守系政治家の多くは、アメリカ制定の「太平洋戦争」概念にほっとしたようなのだ。
例えば、旧満州や朝鮮半島での出来事も、「終戦後も苦難の道を歩んだ日本人」の被害談として語り継がれることが当たり前になってしまった。
なぜ日本人は植民地経営に乗り出したのか、などなどの問題は、冷静に論じられることなく、今に至っている。
「自衛のためのアジア進出だった」と、いまだ尊王攘夷の右翼が騒げば、「帝国主義・軍国主義の大いなる過ち」と左翼が罵って、大きな川の対岸から、互いにハンドマイクの音量を競いあっているだけ。
それではその点について議論を深め、国民の多くが認める共通認識を形成しましょう、と言い出す行司役が出てこないのは、うっかりそんなことを言うと、両岸から一斉射撃されそうで、怖いのかもしれない。
なにしろ、なにか言ったら暗殺されたような時代の遺物が、対戦相手だからなぁ。
そしていまや、戦後生まれも三世代目になって、そんなことを話題にすること自体が時代錯誤のように言われている。
しかし、三世代どころか、一世代のうちに再び、片手に「正義」を、片手に武器をかざして戦う国があるのも事実。
人間って、それほど忘れっぽくて身勝手なのだ。
忘れることが国民運動みたいになった戦後体制のまま、ずっと進んでしまわないよう、民主主義ってなんだ?とか、どうして「大東亜戦争」に突き進んだのか?など、時々考えてみないといけないのではなかろうか。
てなことを考えながら、まだ少し、戦中戦後史を読み進めてみようと思っている。

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