葉桜や少し邪慳にしたき夜 小野富美子
晩春のどこかなま暖かい夜の心理を、巧みに語っていま
す。
日々の生活の中での一瞬の揺らぎが、人間的な思いとし
て伝わってくるのは何故なのでしょうか。「少し邪慳に」
と言う裏の愛情を、そして甘えを、読者がなんとなく探し
当てているからなのでしょうか。
句集『ぷりっ子』での田中朋子さんの
めちゃくちゃにされたき夜の花吹雪
を、対の句のように思い出しながら、私は、晩春の夜の怪
しさを、句を通して味わったことでした。
あれこれを立ったまま食べ野にあそぷ 伴場とく子
解放感というのは恐ろしいもので、広い野原でのお弁当
時など、つい立ったままお結びを食べたりお茶を飲んだり
してしまうことがあります。この句、報告のような面があ
るのですが、その裏での自由さ、のびのびとした雰囲気の
楽しさを示していて、春の野での豊な時間を持っている人
の姿を良くだしていて、楽しい句です。特に「あれこれ」
の措辞は、全くそうなのでしょうが、野遊びの様子を増幅
させて、色々の美味しさに出会う嬉しさを、やや行儀悪い
のを恥ずかしがりながら詠っているところに繋がって興味
深い。
目刺一連横向きビンタ喰いしか 久保田凉衣
兵隊時代の思い出の籠った句は、今の時代には納得でき
ない部分の多いものです。ビンタというものが日常の懲罰
としてあったというのは理解しにくいのですが、軍隊の経
験者には身に染みて恐ろしいものとして心の中に残ってい
るのでしょう。
並んでビンタを受けたことと、目刺しの並んで串に刺さ
れている様子に、恐怖が蘇るのです。目刺しに対する愛情
と、過去の理不尽な行為への反発に満ちた思いとの交錯に、
この句の成立があり、今の時代の幸せを思うのです。
春昼のうたたねのような死がよろし 田中正恵
死を語るのは難しい。私などそれが身近になったなと感
じられるようになった今、作者の心持ちに惹かれるところ
があります。死を深く意識しなくて、自然の成り行きに任
せた日常こそ望ましいのでしょう。ゆったりした春の真昼
に、うたたねが死を誘うのでしたらそれはそれは安寧とい
うものでしょう。死が怖いのではない、長く病むのが恐ろ
しいのだ、との意見もあります。しかし死は突然の時もあ
りますし、長い病床での生活が待っている時もあります。
仮り寝がそのまま死へ繋がるというのは、望ましい姿なの
かも知れませんが、どこか哀しい気持ちが先立ちます。
持ち時間使い果して桐の花 山崎せつ子
陽炎になるまで歩く持ち時間 伴場とく子
「持ち時間」という言葉の句が二句ありました。一生の
時間を言うのだという見方もありましょうし、私もそのよ
うに理解していたのですが、いま一つの見方は、一日と限っ
て「持ち時間」とする考えです。更にもう一つの考えは、
一つのテーマをやり終えるまでの予定の時間ということで
す。ともに人生の時間としてある覚悟で何ごとかをする時
間と見てよいでしょう。せつ子さんの句は果敢無さをずぱ
り言い切って哀しい。(ただ内容が明確でなく、少し曖昧で
ある点はマイナスか)。とく子さんの句は、先に記した後半
の説明に当たるのですが、「陽炎になる」という措辞に夢が
あって、心惹かれる句になっていて、「持ち時間」が能動的
に扱われているところが面白い。
さくら咲き人はゆっくり歩きだす 成清正之
すみれ摘み別々の方へ歩き出す 越川ミトミ
「歩き出す」のありようは色々ですが、正之さんの句で
は、忙し気でなく、季節に踊らされぬ一人の人物が描かれ
ています。桜に浮かれることもない堅実な人柄の人物像が、
「ゆっくり」の言葉を生かしています。特徴ある人間を、
どこか普遍にもっていくところの面白さ、そこに惹かれま
した。
ミトミさんの句は、一つの行為のあと、思い思いに動き
出した人の姿を描いて、そこに醸し出される自由な空気が、
個人個人の生き方を見せているようで興味深いし、どこか
はかない思いと繋がるところに、集団の中の人間のありよ
うを見せているのが良い。
護憲改憲盛り土にして苗木植う 森田千技子
論議の今や焦点ともなる「憲法論」を中心に置いて、日
常の生活の動きをもって語りかける句として注目しました。
苗木をしっかりと植え付けることで、国の基礎もしっか
りあって欲しいとの願いを詠っているわけで、国民の底な
る思いと繋がる、次代の繁栄の基礎ともなる「苗木を植え
る」ことを契機として、訴えるところの多い作品です。
若葉の寺ひとは願いが多過ぎて 福田眞澄
どこか呆れたような、また反省のような、不思議な感覚
を味わっての作品です。生命力溢れる若葉の濃いお寺に何
を祈るのでしょうか。作者は仏様に頼ることの多い人間の
我儘とでも言えるものに、仏様側に立って、困ったなと思っ
ているのでしょうか。
花大根揺れて埴輸はみな跣足 大石壽美
埴輪の展示場でしょうか、並べられた埴輪の足元に眼が
いって、あ、みんな足袋や靴を履いていない、と驚くので
す。窓の外の自然は、花大根に彩られています。素朴な土
色の埴輪と自然の美しさと、感動の一時だったのでしょう。
四月一日禁煙飴を鷲掴み 三国谷美津代
禁煙を誓っている人への懐疑心が、この日であるが故に
余計に高まるのでしょうか。飴を鷲掴みにする人の姿が、
滑稽にも見え、また哀れにも見えてきます。四月一日と言
う特徴のある日を取り上げたところがいい。
雪吊りの縄ゆるみたる脳病棟 加門サダ子
日常の雪吊りの景が、ここでの「ゆるみ」「脳病棟」とい
う言葉でやや特異な風景として、読者を引きつけます。そ
こに眼をやる作者の哀しみの心の深さを味わうのです。雪
吊りをした後の時間、病院生活を余儀なくされた人の経過
した時間、どれもが意思とは別のものとして存在していて、
見る者の胸を打つのです。
藤回廊巡る善き人ぱかりなる 早川きく
美しさを愛でるひとはみんな善人だというのです。この
断定が力になっていて、句が整ったといってよい。藤の花
の垂れている下をぞろぞろとめぐり歩む人の姿を跳めて、
心の平安を得ている作者もまた「善き人」なのです。
無心にはなかなかなれず瓜を食む 浅井沙衣子
心理を詠って味のある句。無口にもぐもぐと瓜を食べて
いる作者が哀しい。人生こんなものと割り切ればとも思い
ますが、子供のような無邪気な心になるには、少し世智に
長けすぎているのです。
水田に鱗波立つ焦躁感 大橋弘子
目に留めたものと気持ちとの交錯が、巧みに表現されて
いて、「焦躁感」という硬い言葉も、余り違和感なく受取れ
ます。それも目にした実体が底の部分にしっかり詠われて
いるからで、風に波立つ水田の姿の把握の賜物か。
多くの注目句に出会うことができて幸せです。全部に筆
が及ばず残念に思います。
片側に春愁を置き木のシーソー 小野富美子
新聞のかぷとふかぷか三鬼の忌 松岡耕作
春昼の吐息をピンク色に変え 田中朋子
目くばせの目はいつも右麦は穂に 城石美津子
割ばしのはかなく割れてなお桜 笠井亞子
春の宵誰にも言わぬ鍵を持つ 望月哲土
とんとなき男の冥利桐の花 佐藤 賢
鳥眠る森を船とし春の月 小野ヒロ
自転車の巡査でてくるつつじかな 大口元通
すみれ摘む六十路になって見えるもの 佐藤七重
花屑の吹き溜まりとして一人座す 河村義郎
囀りはなかなかのもの遠眼鏡 上田昭子
藤の風零になるまで眠りたし 佐藤登季
蛇を見て蛇の行方は追わざりき 山越喜美子
春泥を跨ぎ防犯呼びかける 斉藤冨美子
夏期講座うしろより席込み合ぞる 潮 仲人
嬰が崩す積木また積み春を待つ 舘川京二
妬心から崩れる会話青葉冷え 涼木 鞠
若葉風ゴシック体の大見出し 松本滋子
またというあやふや言葉花大根 森しず子
尻敷きし野花じわりと立ち上る 土肥敬一
髭面の大言壮語目刺食う 田辺さち子
走り根に斧置いてある花盛り 窪田俊作
春の雨棘あるものを濡らしゆく 芦塚美穂

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