薔薇を切る誰のためでもなく生きて 佐々木洋子
誰のためでもない、ただただ自分のためだけに生きて
きたのでしょうか。いや愛しい人のために、生涯をかけ
て生きてきたのです。
薔薇を切る、そしてそれを飾る、その行為の一瞬に蘇
る人生。喜び悲しみを綯い交ぜにした歳月を振り返ると
き、この安寧とでも言える時間の貴さを思うのです。
かけがえのない、ただ一人の人への深い情が、この真
紅(であろう)の薔薇に集約されていて、詠嘆に流れない
心情の豊かさとともに、隠されているカ強さに共感する
のです。
菜の花に陽があり老いに椅子がある 藤嶋まさと
外景のどこまでも明るいところと、自分自身の置かれて
いる位置との対比のなか、言外の哀しさを滲ませていて心
うつものがあります。
春の陽射しの中の輝くような菜の花に味わう生命力、経
てきた人生そのもののような光に対して、ゆったりとしな
さいよ、と置かれた椅子に、暖かさと一面の淋しさを感じ
ているのです。「椅子がある」ということの落着きの前の言
葉が、「老いに」であるのが哀しい。とはいっても落着く場
所があることもまた良しとしなければならない、そんな人
生を考えさせられる一句ではある。
ぞんざいにえごの散りだす真昼かな 越川ミトミ
真昼の静寂の中に散るえごの花、散り敷いた様子は乱雑
と言っていい。散り初めを捉えての状況を「ぞんざい」と
言ったところが見事で、えごの花の生態を個性的に引き出
しています。
物憂い真昼であるが故に、ぞんざいという言葉が生きて
使われているように思います。このような、一点集中的な
句では、独特の発見、表現の確かさが大切で、この句はそ
の点で優れていると思います。
雑巾の厚さほどよき五月かな 伴場とく子
「ほどよい厚さ」とは何粍なのでしょうか。少し立ち止っ
て考えてしまいます。生活の一瞬一瞬に味わう便利さにつ
いて、その行為に最も相応しいものを得たことでの安心の
ようなものは、言ってしまえぽ下らないと言う印象は拭え
ませんが、日毎のことであればこそ大切なのではないでしょ
うか。「五月」という清々しい時候での、使いやすい雑巾は、
ほっとするものでもあり、清拭する手先に馴染む貴重な感
じのものなのでしょう。
「厚さほどよい」という措辞にある生活感に密着した日
ごとの手触りに、この句は見事に支えられています。
軍籍の男の戦後昼寝覚め 大口 元通
戦後六十余年、もう軍人であったことをとやかく思うこ
ともないと思うのだが、個人としては、多くの思いもあっ
て、その時々に振返るものなのでしょう。このことは、運
命と言ってしまうには余りにも重いことなのです。軍籍に
あった歳月がいかに輝かしいものであっても、裏がわでは
踊らされたとの悔恨が、深く根づいているのです。戦後の
長い月日、夜毎に結ぷ夢にも戦中の色々が蘇るのですが、
この男性ならではの過去への深い思いは、昼寝の中にも現
れて、戦場での悲惨を深く心に刻みつつ、悔しさと嘆きの
交錯を、覚めた後のうつつにも味わっているのです。
黐の花こぼれ日照雨の二度三度 森田 操
ある日の窓外の風景を美しく集約して描いています。ど
こか作者の技を感じさせる、俳句ならではの落着いた情感
に共感しました。やや淡彩な、日本画の印象が好もしい。
としよりの群れを外れてサングラス 福島 民
ご自身も「としより」なんではありますが、傍観者的な
発想と、どこか集まった人達の様子や会話から、一歩距離
を置いて冷静に見ている、少し気恥ずかしくしている作者
の姿に無力を感じました。「としより」にはならない覚悟の
ようなものが見えて、微笑ましく楽しい。
普段着で生きて薫風ほしいまま 尾原 葛
一般の人の生活を・・・それが作者の姿なのですが・・・けれん
味なく詠いあげて佳品に思います。この生き方にある素朴
ともみえる日常の中の、心の豊かさを引出してくれる俳句
の働きを考えてみたいと思います。
天井に風船疲れメーデー終ゆ 久保田凉衣
戦うメーデーから家族も参加してのややお祭り気分を見
せるメーデーになって、メーデーの退廃を嘆く思いがあり
ます。風船の萎えた姿を疲れたものとして受取るのは、行
動した作者の過去と照らして、淋しく辛いことなのです。
この句、天井に張付いた風船を通して、時代を嘆き、年
齢を嘆いている姿が、終了したメーデーのあとのほっとし
た気分と重ね合っていで興味深い。
血が重くなりぬ立夏のまだ寒し 舘川京二
血が重くなるという数値上のものもありましょうが、気
分的なものもあるのでしょう。それは、その数値のつくる
魔術といっていいが、病気にかかわることですから、呑気
にしてはいられません。時は丁度立夏、普段より寒い日に
あたって、いよいよ慄くのです。どうにもならないことの
訴えを通して、少しでも救われることを期待したい。
歓喜死というものあらば雨蚯蚓 土肥敬一
願望というものは適えられないもので、だからこそその
望みに思いを深めるのですが、甘ちゃんとも思えるその願
いが、「歓喜死」であるということに、欲とともに哀しみを
感じるのは何故でしょうか。雨の中の蚯蚓の姿に悲しみの
極を見たとしたら、これもまた佳しとせねばならないでしょ
う。不思議な魅力を湛えた一句です。
棕梠の花いずれはみんな認知症 森沢詩子
恐ろしいといえば、この句などその最たるものではない
か。棕梠の花の奇態な姿から連想される人間の末路、誰も
が皆認知症になるという断定は、読者に恐怖を与えるとと
もに、多くの対応への思いに駆り立てられるものになって
います。
完熟のトマト普通がむずかしい 岡崎久子
ここで言う「普通」は何の普通かと考えてしまいますが、
普通の暮らしということでしょう。今の世の中色々の暮ら
しぷりがあって、格差などと声高に叫ばれていて、むしろ
普通であることが困難という時世です。この句、あくせく
と正しく働きながら、なかなか自分で描いている普通の暮
しにならないことへの嘆きが身にしみて、熟れた真っ赤な
トマトを見ることで、その輝きを通して嘆きを増幅してい
るのです。
川遊ぴの手らにふつうの日曜日 幸村睦子
こちらの「ふつう」も面白い。ディズニーランドヘ行く
でもなく、シーパラダイスヘ行くでもなく、近所の川で遊
ぷしかない子供達の姿に、不憫とは言わないが、これこそ
普通の姿なのだということを、休日を通して語っているこ
とで、この句が生き生きと輝くものとなっています。
ソーダ水飲んで星屑散らしおり 浅井沙衣子
夏の夜の大空を詠って味があり、ロマンチックな雰囲気
に引き込まれてゆきます。ごくごくと飲むソーダ水、その
泡が星屑と照応して、輝きながら散るのです。
芥子咲くや魔女も不安なことのあリ 柴崎英子
芥子と魔女、取合わせとして面白いのに加えて、魔女に
も不安があるというのです。あの赤さを見て魔女も人並に
心配事を思うのでしょうか。この心配事に悩む魔女の極め
て人間的なところがいい。
雲の峰主のごとく牛の貌 中村欽一
美ケ原などが想像されます。背後の山々の先の夏の雲を
統べるがごとき牛の巨体、そしてその顔。我こそはこの地
の主人公だとの顔付きでいる牛に焦点を絞った詠いかたが
いい。景を素朴に詠いながら、雰囲気のよい一句です。
今月、鑑賞を書きたかったその他の句。
リラ冷えや修正液の下の文字 佐藤七重
蝌蚪騒ぐ噂話がふくらんで 島田正子
考えはまとまらぬまま桃を剥く 山本友章
竹の秋何かが去って行く気配 いそひろこ
円空佛しみじみ睡い山つつじ 藤谷敦子
身を縛るもの欲し初夏の沖みつめ 涼木 鞠
豊満も細身も外湯緑映え 鈴木 優
蕨の香放心はまだ続いている 曽根原和代
メロン一個頭の重さかも知れぬ 石井誠子
抜け殻のウェットスーツ浜大根 田辺さち子

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