
今年の目玉になりそうな猪神様の雄姿
毎年秋に行われる
「さとみ案山子祭り」が近づいた。11月3日〜12月3日まで会場と沿道には案山子が並び、可愛いのから時代を風刺した面白いものが人々の目を楽しませてくれる。見ても腹一杯にならないからやっぱり・・・。昨年は猟友会が自分達でシトメタ猪を料理して「しし鍋」を来場者に振舞った。灰汁が強く、取らないと臭みが残るからとエライ時間がかかって昨年は食いそびれたから今年は何倍も期待しているのだがなあ。川魚のから揚げや串焼きもおすすめで、地元の業者がヤマメや岩魚の型を揃えて出店を賑わす。
最ものお薦めは、川の汚れに棲めなくなって絶滅したと思われていた「かじか」だが、近年放流に成功して里川に見られるようになったらしい。その身は余りに少なく腹の足しにはならないが、こんがり焼いたのをカジル食感は他では味わいようがないのではないだろうか。こどもの頃に川遊びをしながら石を引っくり返すとその下から卵がぎっしり現れ、持って帰り味噌汁に入れて食べた懐かしい思い出になっているのだが、川を見るたびに、川の水の少なさが人々の寿命も訴えているように思えてならない。
ブナやカエデ、ツタ、サクラと秋には人の目を楽しませ、冬には葉を落として足元に水分を蓄える利口さも雑木と一括りにされるが、かつて持て囃された杉やヒノキの葉緑樹は水分を堪えず空中に飛ばし近頃は大きくなり過ぎて花粉までもが犠牲者をつくっている。川の水が少なくなったのもこいつらの成長の仕業ではないだろうか?根っ子に溜めずに空中に散布するなら、根っ子に水分は少なく、ねばりもなくがさがさであろう。急斜面に育ち過ぎた大木の重みに耐えられずに何時か山は崩れる。山が独りでに動き出す日が遠くない気がしているのはオレだけだろうか・・・・・。
笑い話がある。何年か前までアホな環境行政が部落を総動員させて、手袋やご褒美まで用意して「川掃除」なるものをやらせていた。両岸の草を刈り、川の中に入って石に留まる材木やビニールなどのゴミをキレイに取り除かせた。「川をキレイにしよう」「魚を里川に戻そう」と(笑)・・・・。
文化の発展が畑の作物に糞尿を嫌い、不届き者が川に捨て、目の無い魚や尻尾のない魚が出現して慌てて処理場を作った敬意じゃなく経緯もあるが、問題は別である。川をキレイにする事とは大きな石まで取り除き川を平らにしてしまう事ではない。川には川の浄化能力があり、流れの速さや流れを遮る物を利用しながら水を浄化している。川に入って石に足を滑らせた経験はないだろうか?空き缶や鉄分を含むもの、鉛などの金属類は別にして、川は身の回りに有るものを利用して水をキレイしようとしているのだ。根こそぎ破壊しようとする人間を見ながら川は何を考えただろうか?オレは1人で群れを離れて石の中に手を入れて晩飯のおかずと格闘していた。子どもの頃からこれが得意で針も糸も竿もヤスもなく手に掴んだものは滅多に逃がした事が無い。文句言われたら教えてやろうと考えていたが、うらやむばかりであったから教えられなかった(^^。
水の量が少なくなってからでないと川の大事さが分からないのでは情けない。山が崩れなければ山の重さが分からないでは知恵が無い。良質の酸素を噴出する葉緑樹はアフリカでバンバン倒され無くなっている。今に、切り倒したくても切れなくなる日がやって来る。切って、雑木を植えて川の水を増やすか?僅かばかりの酸素で山の悲鳴に耳を閉ざすか?戦争になるからどっちでもいいと考えてるのかなあ・・・・・。
猪神様を見ながら考えた。
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