こんなの作ってもなあ・・・・
これと
茨城新聞のこれ関東運輸局に送ってみたけど分かるかなあ・・・・・
と言う訳で・・・・・・
国も県も市も税金の一部を補助する公共輸送だが、国鉄の民営化を境にその責任はうやむやにされ続けてきた。「駅まで行かなければ」「バス停まで歩かなければ」・・・たどり着けない欠陥制度に付け込んだのが自動車産業であり、マイカーの普及こそが当に衰退させた最大の原因でもある。自動車産業に頼りすぎたばかりに、これ程の環境の悪化、低賃金・長時間労働までも常態化させることにつながり、悪政までもつくり続けて来た事の説明は次回にするが、100年も200年もかかる道を僅か30年そこそこで走らされた息切れが酸素不足を顕にしていると思えてならない。
移動の権利は生活の権利である。
<生存権・国の社会的使命>を定めた憲法第25条には、全て国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。とあり、国は、全ての生活部面において、社会福祉・社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならないとある。
切るに切れない言葉は耳に痛いことだろう。国民の鉄道がJRのものになっても国民から切り離す事は出来ず、自給自足の健康を奪ってまでも輸出したい欲望が伝染病までも輸入させられる現実をつくりつづけ、殺される為に払わされる税金の何と多い事かと考えるが、どうしても奪えないものは残り、半額になっても残さなければならないものは残っている。
故に、県と同額の補助金を国にも補助されながら茨城の公共輸送がある。2002年には2億5千万円だったものが、何時から減らされたのか今は、1億一千万円に半分以下になってる。ニーズも探さず発展も忘れさせたあぶく銭であっても、半分以下にされたら旨味も美味しさも失せてへそ曲げるしかないのがやんちゃ坊主の「撤退」「廃止」なのだ。温室育ちが冷たい風を知ったのか、父ちゃんの傲慢さを真似できぬお坊ちゃまの世間知らずか知らぬが、「やめたいのならさっさとやめろ」と言っている。
バス停まで歩ける年寄りもなく、高い定期代払える高校生もなくて52人中たった2人の高校生。「朝晩は砂利積んで走って、昼間は空気積んで走る」と豪語するボンクラに「公共輸送の活性化」とか「発展策は?」と聞いたって、「なにそれ」だろね。バスに乗れない年寄りは近くの誰かを頼んでバスより高いお・れ・い(笑)、高校生を送り迎えする親も「ガソリン代が上がってバスの定期代より高くつく」とぼやく・・ん?
アレーッ??
公共輸送が個人の責任にされてるじゃん!!!!
国と県が税金で補助しながら、乗れないものを走らせるって犯罪のニオイがしない?やめたいっていってるのに辞めさせないんだよ。税金で・・・・・。個人の責任にしようとしてるのに乗合タクシーに補助したら計画、水の泡だよなあ・・・・・公無員だねやっぱり・・・・・・。税金返してもらわくなくちゃ・・・
ね
市が7,500万円も茨城交通に補助しながら、乗れない人向けの
「無料バス」の怖さは次回。
と言う訳で3分遅れのアップ(笑)
↓チョンは1日1善だ^-^
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