2008/5/6
私がどんどん少年のような生活になっていったことに焦りを覚えたのか、あるいは反面教師にしたのか。2人の妹は母によって厳格に育てられ、軍事貴族の淑女としての素養をどんどん叩き込まれていった。母は私に対しても同じように礼儀作法を叩きこもうとしたが、そうした家庭教師が来る時間、私は屋敷内のどこかに逃げだし、授業をサボタージュするようになっていった。
表向き、いつも、あなたは教え方が下手だ、あなたからは学ぶことはもうないから、という理由で。今となっては、それがどれだけ傲慢であるか、私にもよく解る。
だが、妹たちと一緒に教えてもらった場合、私はすぐに覚えてしまい、退屈してしまったのだ。たぶん、私の方が妹たちよりも年齢がいっている分、学習能力が高かったのだろう。一緒に講義を受けても、1つ教えて貰えれば、1つを覚えるのがやっとだった2人に比べ、1つを聞いてすぐさま応用できることが可能な私は、あっという間に妹たちを引き離し、覚え終えてしまったのだ。
実は、こうした講義を受けるには、私がこれまで学んでいた剣術の心得が大いに役立っていた。剣術は、集中力を高める等の心身鍛練も目指していたため、剣以外のありとあらゆる方面で役に立ったし、礼儀作法ごとに必要な立居振舞も、妹たちよりそつなくこなすことが出来たのだ。
2人の妹は少しだけコンプレックスを感じたのかもしれない。後、年頃になった彼女らは、2人とも競うように身だしなみやお洒落に憂き身をやつすようになった。やれ宝石だ、服だ、靴だ、化粧品だと探し求めるようになり、その辺の軍事貴族の少女らが好む、いかにも娘らしい生活をしたがるようになっていった。
前の執事が亡くなった時、アームストロング家からは当然のように、彼の葬儀を執り行うことにした。長くこの家に仕えた者なのだから、家族同然なのだからと。そのことについては、両親はもちろんのこと、召使の者も誰一人、異議を申し立てなかった。葬儀の場での母は、ひどくやつれて見えたものの、アームストロング家の正室として全てを恙無く仕切っていた。普段はあまり家に居つかなくなっていた父も、ことがことだけに、娼館通いを止め、ずっと自宅に留まっていた。
執事の葬儀が終わってからしばらくし、母から、また妊娠したと聞かされた。私とは10歳ほど、上から3番目の妹とは、年が6,7歳離れていることになる。悪阻であまり物を食べられないにも係わらず、母は一層美しくなり、輝くようなオーラを放つようになっていった。だが、月が進むにつれ、顔つきがどことなく険しい感じに見えるように、私には思えた。召使の中で、産婆の資格を持った女は、ひょっとしたら奥方様が身ごもられているお子様は、今度は男のお子様かもしれません、今度こそはと、何度も口にしていた。
父もそのことを耳にしていたのだろう。あるいは、娼館にいる馴染みの女や、その女を買って働かせている者らが、生まれた女の赤子をこっそり始末したことに不信感を持ったのかもしれない。いずれにせよ、父は自宅に早くに帰るようになってきたし、母や私たち3人の娘と過ごす時間も長くなった。だが、父が私にべたべた触りたがるのは、どうしても疎ましかったので、私は距離をおくようにし、代わりに2人の妹に、父の膝の中という、特等席を謹んで譲ることにした。
季節の移り変わりに伴い、母のお腹はどんどん大きくなり、まるで中に風船でも入っているような錯覚すら覚えた。服の上から触ると、大きく丸くせり出したお腹の中で、時々、中から何かがボン、と蹴とばすのを掌に感じた。2人の妹たちも、母のおなかが大きくなって、中で何かが動いているのが不思議で面白かったらしく、日に何度もおなかを触ろうとしていた。
「お腹の周りの皮膚が伸びているから、中から赤ちゃんが動いているのが解るのですよ、オリヴィエ様。」
そう、召使に聞かされたので、私はひょっとしたら、風船のように半透明な皮膚になって、中の子どもが見えるのではないか、と期待した。
ある晩、こっそり母が着替えているところを覗いたが、別にお腹の中が透けて見えるようになったわけではなく、もちろん、中にいる赤ん坊が見えることはなかった。そのことを、召使らに話したら、当たり前だと笑われた。
月満ちて、赤ん坊は無事、生まれた。皆が期待していた通り、男の子だった。
私は、弟が生まれてから、父や妹たちと一緒に、産屋を訪ねた。母は、長く苦しい産みの時を経て、ほっとした顔をしていたが、赤ん坊が乳を飲み終えてすやすや眠っているのを見ながら、少しうとうとまどろんでいた。産婆からは、奥方さまは、ご出産でお疲れになったのです、命を生み出すことは、母親にとっても命がけなのです、と教えられた。
アレックスと名付けられた弟が生まれたことを誰よりも喜んでいたのは、父だった。これで、アームストロング家も安泰だ、良かった、良かったと。
私は、予てから思っていたことを父に伝えた。『アレックスが大きくなったら、私が剣術を教えたい。』と。ところが、父は急に険しい顔になり、やがて少し哀しげで複雑な顔をすると、私に伝えた。
「オリヴィエ。お前はもう、男の真似ごとはしなくてもいいのだ。弟が生まれたのだから。」
「でも、赤ちゃんが無事大きくなるまでは、誰がこの家を護るの?お父さまがお仕事で留守になったら、誰も助けてもらえないのよ。」
「そんなことは、子どもが心配しなくていいんだ、オリヴィエ。後はこの子が無事大きくなれば、全ては安泰だ。お前ももう、剣術は止めろ。妹たち2人と一緒に、淑女としてのお作法を身につけなさい。
そうだ、お前にも、許婚がいないといけないのに、私としたことが、うっかりしていたものだ。
軍事貴族か、大商人の息子で、適当な者を見つくろってやるから、安心しなさい。早くこの家から佳きところに嫁ぎ、私やお母さまを安心させておくれ。」
これまでの人生が否定されたように思え、私は自室に戻って、声をあげて泣いた。それから、ずっと私はもやもやした気持ちで、過ごすようになった。生まれたての赤ん坊は、この国ではしばしば流行病を得て、命を落とすことがあることも、家の中での不幸な事故により、体にハンディを負ったり、時には命が潰えることもあると、多くの大人たちから聞かされていたからだ――いや、そんなことはどうでも良いことなのかもしれない。ただ、心の中に澱として沈んでいったのは、『弟が、私の人生を曲げた』という事実だった。この家を継ぎ守るための長子として、それまで人一倍努力し、様々な素養を身につけるように生きてきた全てが、否定されたのだ。『男が生まれたのだから、もうそんなことは要らないのだ。』という、簡単かつ残酷な理由で。
本来なら、私が12歳になったら父が教えてくれる筈であった、一子相伝である、アームストロング家の錬金術も、私が学ぶことはできなかった。錬金術はあまり好きではなかったのだと思うし、素養もさほどなかったのかもしれないが、それだけはあまり未練が残らなかった。
ただ、大好きな剣術をもう、屋敷内で習うことができないのが、ひどく私には寂しく辛かった。何より、男であるからと優遇されるのであれば、私より、全ての点ですぐれていなければ、絶対に許せないと、私は思うようになっていった。
後に、アレックスを見にきた軍事貴族夫妻――父の仕事仲間の1人だと聞かされた――の一人息子と、顔も見ずに許婚だと決められたとき、私はすぐさま、その相手に会わせろ、と父に頼みこんだ。父は、娘が縁談に乗り気なのだと勘違いしていたが、私としての理由は簡単だった。私と剣で手合わせさせ、私に負けたらそんな弱っちい男は私に相応しくないからと、破談に持ち込むためだった。
ローランドと名乗る、一回り以上年の離れた青年――その頃の私にとってみれば、彼は十分すぎるほどおじさんに見えた――の屋敷に招かれたとき、私は彼に告げた。『私は、今まで自分の身は、自分で守るように生きてきた。貴方がもしも、私よりも剣の腕が弱ければ、貴方は私を守るに値する男ではない。』と。ローランドは笑顔で受けてたってくれた。
双方の屋敷内ではいろいろと面倒があるだろうから、ということで、ローランドは数日経った後、セントラル郊外にある、とある屋敷――ローランドの家の別荘だった――に私を招き、剣の手合わせをしてくれた。1本目は簡単に勝たせてくれたが、2本目、3本目は私が負けた。体力の差があるのみならず、男は剣の腕も悪くなかったのだ。
だが、勝負を終えたところで、男の方が跪き、私の手を取って告げた。『貴女のように、剣術に心得がある人に、私は初めて出会った。』と。
「もっといろいろなことを貴女には教えてあげたいし、そのための手助けもしたい。オリヴィエ、先の私は、貴女に負けまいと必死でした。体力に差があったから、私は貴女との手合わせで辛勝しました。」
「では、私が男と同じように生きられるために、貴方は手助けしてくれるの?」
「それは、貴女次第です、オリヴィエ。」
「どこに行けば、習うことができるの?軍人になればいいの?」
「その前に士官学校に行くといいでしょう。剣術のみならず、おそらく、貴女が望むような形でいろいろなことを学べるようになるでしょう。ただ、今のままの貴女では、士官学校に入学することは難しいと私は思います。もっと、いろいろ学ばないと、男と同じところで、同じように学ぶことも、働くことも叶わないでしょう。」
――あれから、もう20年以上の時が経った。許婚のローランドは早逝し、私は残された。
弟・アレックスは、体格だけは私よりもどんどん大きくなっていったものの、もともとの心根が優しいを通り越し、弱々しい方だったのだろう。人間兵器という名の国家錬金術師として、活躍を期待されたにもかかわらず、イシュヴァール戦では、戦意喪失し、戦線離脱という軍人としてあるまじき行為をした。責任を感じた父の引責、つまりは退役と、私に対するとばっちり――戦力にならない者は軍にはいらないから、一族の者として、ブリッグズでもっと軍功を上げなければセントラル帰還はまかりならぬという手痛い負債を負わされ、弟は軍法会議での裁断を免れた。アレックスは、アームストロング家という軍事貴族の名門であるがゆえに、軍法会議を免れたと思っているだろうが、それは違う。軍というのは、そんなに甘ったるい組織ではないし、ブラッドレイ大総統閣下も、そのようなうつけ者ではないと聞き及んでいる。弟は、父が自らの首を差し出すことで、その首を購っただけなのだ。
多くの犠牲――主に父と私に対しての――を払ってもらえたという自覚のないままに、のほほんと軍に居続ける弟に私はいつもいらついている。恐らく、この気持ちは弟が軍人として退役するまで続くことだろう。
私には、なぜアレックスが敢えて汚泥に身を浸してまで、アメストリス軍人で居続けようとするのかが分からない――いや、解ってはいるが、それでも認めたくない。まだ幼かったころ、私から全ての希望を奪い去った弟が、私よりも精神が弱い男であることに。そして、父祖から受け継いだ遺伝子により、その気になれば誰にも負けないだけの錬金術の腕前と、強靭な肉体を受け継いでいながら、愚かにも、それを活用せずにいるということに。 (FIN)
投稿者: miyanomiki
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