2008/7/20
オリヴィエ・ミラ・アームストロングが、彼の司令部を統轄するグラマン中将に呼ばれたのは、東方との軍事合同演習が始まって、4日目のことだった。
合同演習のために作られた、いかにも仮ごしらえ感が否めない兵営は、白茶けたパイプテントに囲まれている。グラマンは、その中で退屈気にぱたぱた扇子で風を起こしつつ、ついでにオリヴィエに対しても風を少しばかり送ってやった後、さて、の掛け声で立ち上がり、すぐ真後ろに置かれていたトランクから、何か取り出した。
オリヴィエが覗き込むと、グラマンはいそいそそれを広げ、くいくいとオリヴィエを手招きした。
「演習は明日までだからな、アームストロング少将。今日あたりは体力消耗をいかに防ぐかに双方ともかかっている訳だから・・・まあ、お互い明日のために、今日はのんびりしよう。」
グラマンは手慣れた様子でそれ――チェスの駒を並べる。ただし、盤の外に。
チェスの駒は、変わった造りだった。ごく普通のチェスの趣向と異なり、形は達磨そっくり、いや、チョコボールを2つ、重ねてくっつけたような形である。もちろん、色も白黒ではない。駒の底は白と濃い藍色。いわゆる、ネイヴィー・ブルーで、下のチョコボールには、簡略化したアメストリス軍服が描かれている。そして、チョコボールの上に描かれた顔には見覚えがあった。それは――
「ほら、君の顔を模したのは、こっちじゃよ、アームストロング少将。で、これが、ワシの顔。2つともそれぞれ北方と東方を代表する顔じゃ。見てみぃ。」
自分の顔だと差し出されたオリヴィエ駒の底は、白色。ただし、描かれた絵自体は、はっきり言って不細工だった。唇を尖がらせて、倒した3の字になった自分の顔、しかも異様に目つきが悪い。思春期の少女が、気に入らぬことを親に言われて、拗ねているみたいだ。
「こっちは、ワシじゃ。裏の色は、濃いブルーにした。」
「黒じゃなくて?」
手渡されたグラマンの駒は、よく特徴を捉えて作られている。自分の駒だけは気に入らないが、他の駒だけは見ているだけで楽しい。
「面白い細工ものですね。ああ、バランスがとれるよう、下の駒が重くなっている。」
「安定性以外にもちょっとした秘密がある。シン国の細工物だよ、アームストロング少将。何でもあの国は東西南北それぞれに色と守護獣を持っているそうだ。四神五獣とかいったな。ええと、東が青龍、西が白虎、南が朱雀、北が玄武、中央が黄麟だ。」
「それでは、これはシン国の細工師の手によるものですか?」
「ああ。東西相対する方向を司る色という意味で、白と青で作ったらしい。製作者には、前にやった合同演習時終了時の集合写真を渡した。確か、それを模した筈だ。」
あの時の合同演習は、確か北軍がボロ負けした。オリヴィエは機嫌が悪かったのを思い出し、口をへの字に曲げる。
「まあ、今回はそちらが優勢なのだから、そんな顔をするな。」
グラマンになだめられながらも、オリヴィエは幾つかの駒を手にし――オリヴィエの補佐官2名の駒や、東方のマスタング組御一行駒まであった――オリヴィエはふと、ロイ駒の首をねじる。するとそれはたやすく外れた。外がネジになり、頭の部分が空洞になっている。
「この細工師に言わせると、『人心は、たやすく遷るから、どの駒にするか選べるようにした』そうだ。」
「私の部下が、あっさりマスタング組になど寝返った日には、私はたとえ補佐官であろうと、その場で裁断しますよ、閣下。」
グラマンは何も言わず、駒の裏色を確かめながら、自分の陣営を作る。
「普通のチェスと違い、駒の最初の配置で、どの駒がキング・クイーンの役を果たすかが決まる。だから、しっかり覚えておかないと難しいぞ。」
「――それは、難しいな。」
それぞれが定位置に駒を配し、チェスを始めた。オリヴィエはそのまま普段の職位と直結した形で並べることにした。
「思ったよりも、混乱しなさそうだな。顔で敵味方がすぐ分かるし。」
「はは。昨日誘ったマイルズ少佐も、同じことを言っていた。」
「しかし、閣下はお強いから・・・どっちが勝ちました?」
「ワシじゃ。」
にこにこしながら、グラマンはオリヴィエの陣地駒を1つ貰った。
「ずっと彼の方が優勢だったが、私が下らぬ昔話をしてな。」
「どのような?」
「マスタングくんとは、よく――普通のチェス駒で打つんだが、ワシに勝てた試しがない。途中でぐずぐず敗退することが多い、ということを言ったら。」
「アレも右に倣ったわけですか?」
「顔駒の役目が判らなくなったといって、途中で降りた。2,3打って、間違って自分の味方駒を取って動揺したのが原因だ。」
「情けないことだ。――チェック。」
グラマン駒を囲む形で、北方駒が取り囲んでいる。これでもう終わりだ。
「やれやれ。負けてしもうたか。――持ってけ。」
グラマンは、この風変わりなチェス・キットを盤ケースに仕舞うと、オリヴィエに手渡す。
「今のブリッグズ国境は、ドラクマとの緊張が高まっています。普段はなかなか、チェスを打つ機会はないかもしれませんが・・・。」
「そのような時が来ることを祈って、渡しておく。」
グラマンは、腕時計で時間を確認し、あと少しお喋りする時間をこの年寄りにくれないか、とオリヴィエに頼んだ。
「司令部に戻ったら、ワシのコレクションを見せてやるよ、アームストロング少将。前回、君がくれた木彫り熊が気に入ったので、少し集めることにした。」
何でも、将官室の隣の一部屋が、丸ごとグラマン・コレクションの置き場になっているらしい。しかもその一角が木彫り熊コーナーになっているそうだ。いくつも集められた、黒檀製の勇ましい熊たちの中に、真っ白で見事な彫りのものがあるという。
「少し小柄だが、丁寧な細工もので、他の熊たちと明らかに格が違うのが素人目にも分かる。獰猛な熊たちの中で、君にそっくりな白いのが1頭いるのが、ワシとしてはなかなか気に入っている。――よかったら、その白い熊、持って帰るか?」
「…いえ、遠慮しておきます、閣下。」
ブリッグズに戻った演習部隊一行は、しばらく留守中に起きたあれやこれやに対応するため、深夜まで駆けまわる日が続いた。ボス不在という絶好のチャンスを狙って、手薄の隙を突いた密偵が数名、捕まっていたからだ。
ただし、密偵として捕まった者の中には、純粋に亡命希望で国境越えした民間人も含まれていることが少なからずある。その見極めをかけ、戻すべき人は戻し、裁断すべき者は処刑しなければならない。
ところで、捕虜尋問に関してだが、実はブリッグズ要塞の中、一番手慣れているのがマイルズ少佐だった。
色隠しの雪眼鏡をしていると、一見優男に見えるが、マイルズの尋問は手厳しい。暴力・暴言を伴わないやり口だが、齟齬が少しでも見つかれば、徹底的にそこを突いて相手を追い詰める。泣こうが喚こうが、一向に動じず、ついに相手が真相を全て白状するまで、徹底的に詰問し続けるのだ。
もちろん、こうした尋問には、バッカニアなどガタイの大きな兵士も付き添う。相手が暴れた時を考えての対応策だ。また、錬金術師が含まれていることもあるので、手錠は欠かせない。
結局、2組ほどの密偵が裏庭で裁断され、残りはドラクマ本国に強制送還となった。国家賠償条約に基づく、多額の違約金が後に支払われる形になるのだ。
その――全ての手続きが終わった夜、オリヴィエはマイルズを私室に招いた。
「密偵の尋問の件、今回もよくやってくれた。礼を言う。」
ごく上質の酒を振舞われながら、マイルズは片頬でうっすら笑い、当然のことをしただけです、と頭を下げた。
「一息ついたので、グラマン中将との約束を果たさなければならなくなった。」
付き合え、と目の前に出されたのは、贈り物の二頭身チェス。
「東方に、先だっての合同演習のお礼を言ったら、例のチェスはどうだったか、使った感想を聞かせろ、とせっつかれた。――どっちの側がいい?」
「ブリッグズあっての閣下ですから、私は東軍側でしょう。」
底裏を見もせず、マイルズはチェスの駒を並べていく。
「よく間違えないな。」
「一度、見せていただきましたから。」
表情を見せず、チェスの駒を進めるマイルズは、ゲーム開始してすぐに、オリヴィエに勝った。首をすげ替え、インスタント東軍と北軍混合編成のチェスでも、またマイルズが圧勝した。
「ずいぶん強いが、チェスをやったことがあるのか?」
「学生時代、少し嗜みました。1ゲームごとのレートは安かったですが。」
賭けチェスは、軍隊では禁止されている。多額の借金を抱えることで、目の前の小金欲しさに、軍事機密を漏えいする例が後を絶たないからだ。だが、士官学校時代からの悪癖――いわゆる、賭けチェス――を引きずったまま、ゲームの世界から足を洗えない者も多い。皮肉にも、軍事貴族にその多くが偏っているが。
3ゲームやって、オリヴィエが全部負けた。最後だけは、僅差だったが、長引くゲームの中で1か所、駒進めを過ったところをマイルズに取られた。
「完敗だな。なのに、グラマン閣下との試合では負けたようだが――?」
「マスタング大佐がずっと負けっぱなしを演じられているのに、私が勝つわけにはいかないでしょう。そうだ、ご褒美を頂きたいな。」
マイルズは、チェス盤の上で、今の当の本人とほとんど同じ表情のオリヴィエ駒を手にする。
「これ、頂かせてください。私が、貴女と楽しいゲームのひと時を過ごした証に。」
「クイーンが欠けたらゲームが成り立たないぞ。」
「ええ、ですから部屋に取りにきていただければ――。」
駒を手にしたマイルズの手が、ソファに押し付けられる。オリヴィエが褐色の指に白い指を絡め、身体を擦り寄せた。雪眼鏡が取り外され、耳元につややかな赤い唇を近付けてくる。
「――褒美としてほしいのは、どっちだ?その木の駒と…私と。」
「できれば、身代わりが必要でない方を、私は選びたいです。」
「――ならば、欲しがれ。今さら、部屋を変えるだけの時間が惜しい。」
緩んだ男の掌から、木製の駒が落ちる。オリヴィエは身代りに成りそびれた駒を横に倒すと、マイルズ駒を近くに置いた。
「部屋に駒を連れていくのなら、貴様の駒も持っていけ。補佐官あっての私だ。」
「御心のままに。」
褐色の指が、オリヴィエの軍服のボタンを1つずつ丁寧に外す。軍ズボンを脱がした後、マイルズは手早く着衣を脱ぎ棄て、引き締まった逞しい上半身を見せつけながら、オリヴィエを胸の中に引き寄せる。
「やっといつもの貴女に戻った、オリヴィエ。今夜は離しませんからね。」
「だがここでは恥ずかしい。秘め事は二人きりで楽しむものだ。」
オリヴィエは胸に顔をうずめたまま、褐色の背中に両手を回すと、寝室に連れていけ、と命じた。
唇同士を深く重ねながら、マイルズは、オリヴィエ、と呼びかける。
「誰もいませんよ、私以外には。」
「そこの盤面に、たくさんいる。要塞の連中も、東軍の兵士たちも。あいつらに見られたくない。聞かれたくない。」
「大丈夫ですよ、オリヴィエ。瞳を閉じてください。今、貴女がいる世界にいる人は、私だけです。」
寝室のドアの閉まる音がする。チェス盤の駒たちは、行儀よく扉から背中を向けて縦列している。
二人だけの夜はまだ、始ったばかりだ。 (FIN)
投稿者: miyanomiki
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