−デイヴィ・バーンズの夜−
東京の師走、クリスマス・イブの寒い夜だった。
神田神保町の「ミロンガ」で、大学時代の友人吉村と会った。卒業して以来、1年も会っていなかった。
「弓削(ゆげ)には、新聞記者はピッタリみたいだな。俺、今の会社止めてアイルランドへ行くことにしたんだ」
吉村は、関西方面の大手の車の会社へ入ったのだが、どうやら仕事がきつかったらしい。
「アイルランドなんて行って何やるんだ?」
「俺、カトリックの神父になることにした。アイルランドには、神父になる修行をする施設があるんだ」
以前から、そんな話は聞いていたが、本当にそんなことになるとは思ってもいなかった。
「イブというのに、東京は雪が降らない。雪のないクリスマスなんて、クリスマスじゃないよ」
吉村は、そんなことも言った。彼の両親の家は北海道小樽にある。自分のように、東京育ちの人間にとっては、雪のないクリスマスは当たり前だから、雪国育ちの人間はそんなふうに思うのかと思った。
吉村がアイルランドへ行ってから3年が経過した。
弓削は新聞社の仕事で、ロンドンへ行くことはあった。しかし、吉村のいるアイルランドへ出かける機会はなかった。しかし、来年、或る高名な作家のアイルランド紀行を連載する企画があり、その事前の調査のために、一人でダブリンを訪れることになった。
クリスマス・イブにダブリンに着いた。数日滞在したロンドンと同じように、まったく雪は積もっていない。リフィー河沿いのウェリントン・キー通りのシンプルなホテル・クラレンスに宿を取った。吉村に連絡を取ると、すぐにこちらに向かうという。
吉村が指定した場所は、デューク通りの「デイヴィー・バーンズ」というパブだった。そこは、1961年に作家伊藤整が訪れた場所だった。アイルランドの作家ジェームズ・ジョイスの翻訳家でもある伊藤整が好きだった吉村は、学生時代からこのパブのことを弓削に告げ
「いつかデイヴィー・バーンズへ行ってみたいんだ」
と、言っていた。このパブは、ジョイスの代表作「ユリシ−ズ」に実名で登場し、主人公ブルームが立ち寄る場所だった。伊藤は、旅の途中で此処へ妻と立ち寄り、ビールを飲む。そして、何枚かの写真を撮り、店名の入った灰皿と、何枚かの絵はがきをパブのボーイに貰う。ジョイスと伊藤に関心のある人なら、一度は行ってみたいと思う場所だった。
そのデイヴィー・バーンズで吉村と会うことになった。
デイヴィー・バーンズは、クリスマス・イヴを祝う人々で盛り上がっていた。もともと、椅子席は殆どないのだが、座って飲んでいる人など殆どいない。老いも若きも全員がパブの通路に立って、ギネス(黒ビール)を飲みながら話に夢中になっている。
弓削も一杯のギネスを注文する。柔らかい味のギネスを一口飲む。この柔らかい泡、独特の苦みが素晴らしいと思った。
背後から吉村が弓削のに声をかけた。
3年ぶりだった。口ひげを蓄え、神父らしい落ち着きを感じさせる風貌になっている。お互い既に二十代も後半へ差し掛かっているのだ。
「今晩は、クリスマス・イブなんだから、お前の仕事上忙しいんじゃないか」
「いや、遙々日本から親友が来たんだから、その辺は神も許してくれるさ」
「雪が降っていないじゃないか。雪のないイブは、クリスマスじゃないと言っていたのに」
「アイルランドは、雪が降ると思って来たんだけどなあ。雪が、全然降らない国だった」
「伊藤整の来たパブ、ここでお前と会うとは思わなかった」
「俺もさ。ジョイスもいいけれど、伊藤整の詩が好きなんだ。特に小樽郊外の塩谷の詩碑にかかれている−海の捨児−という詩がいい。そろそろ、小樽へ帰ってみたいよ」
弓削は、取材で札幌へたびたび行くことがある。そのついでに車で、吉村の故郷小樽、それに郊外の塩谷の海辺の伊藤整の詩碑を見に行ったことがあった。
「海の捨児」・・
確かにそのゴロダの丘には、海を背にした大きな詩碑があり、独特の魅力を湛えた詩が彫り込まれていた。広大な海に揺られながら、何処かに孤独感を秘めた北海道人らしい詩。しかし、冷静に自分を見詰める醒めた伊藤という知識人の感覚を感じさせる詩だった。
そんな話を、吉村に告げた。
「よく行ってくれたなあ。俺もそろそろ、日本が懐かしくなってきた」
しかし、吉村は、当分日本へ帰る気持ちはないようだった。3年を過ごしたアイルランドの生活が、彼には合っているらしい。
英文学を専攻した学生の頃の話、今のお互いの生活と仕事の話。昔と同じなのはいまだに二人とも独身であることだったが、吉村は、カトリックの神父になっていたから一生を一人で過ごすという。
話は尽きない。夜が次第に更けていく。
午後10時になった。大勢の話し声が急に途切れ、静かになったと思うと、賛美歌のような静謐な曲が流れた。
英語ではない。弓削には全く分からない言葉で女性が歌う美しい「きよしこの夜」の旋律だった。
「アイルランドの女性歌手、エンヤが歌っている。日本でも良く知られている歌手だ。この歌で使われている言葉は、もともとアイルランドの言葉だったゲール語だ。この国は余りにも長い間、イギリスの支配を受けて、国民の殆どは今、英語を使っているけれど、エンヤは、英語は勿論、死語になりつつあるゲール語が出来る歌手なんだ」
「イーハ・ヒューイン」
これがゲール語の「きよしこの夜」だった。
年末には日本中で流れる聞き慣れた旋律だ。しかし、エンヤが歌うと、全く違った曲に聞こえる。
初めて訪れた国アイルランドで、しかも初めて耳にする言葉で歌われる透明感溢れる曲。この曲を、此処まで崇高に歌い上げることを可能にするアイルランド。そして、静かに聞き入る人々の姿に、この国の宗教的な精神性の高さを感じた。
さらに長い時間が過ぎた。お互いが、神田神保町の「ミロンガ」で会って以来3年という時を経たが、心の奥底は変わらずにいることを確認できた。いや、吉村の信仰は、この国へ来て修行を経て確信に満ちたものになりつつある。彼が、日本で会社員として忙殺される日常より、カトリック神父としての人生を選んだことを祝福したいと思った。
「いつか帰国することがあったら、冬のクリスマスの頃、雪の小樽で会おう」
そう言って、弓削はデイヴィ・バーンズの前で握手をして吉村と別れた。
イブの夜、リフィー河周辺の首都ダブリンは、まだまだ人通りが多かった。
弓削は、明日、アイルランドの西の果てに浮かぶアラン島へ向かう予定になっている。樹木も生えず、岩に囲まれた孤島・・・風の吹き荒ぶ島には何が待っているのだろうか。空を見上げると、無数の冬の星の光りが瞬いている。

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