アラブ演劇祭での、里見さんのパフォーマンスの劇評です。
アラブの演劇祭は普段は客席がとっても
賑やか。
そんな中、里見さんの本番の日に
ドイツ人の記者
レナーテ クレット(Renate Klett)が見たものは・・・。
以下新聞に掲載された記事の翻訳です。()内はサイト注です
世界文化
総じて見るに、(この演劇祭の)公演プログラムはある一つのコンセプトに従って決定した、というよりは様々な国から偶発的に選ばれた感があるが、いずれにせよ演劇養成の教育システムがまったくないこの国(アラブ首長国連邦)にとって、国際交流はとても重要なことであろう。
観客の公演に対する態度は、旺盛な好奇心にもかかわらず、ややまだ「前近代的」なところがある。上演の間も席を自由に出入りするし、携帯電話の音が鳴り止むことはなく、時にはどうどうと話してさえいる。公演中に大声での私語も当たり前である。劇場に赴くのは、人に会うためであり、社交のためであって、舞台を鑑賞することはたまにしかなく、明らかに社交のため人に「観られる」ことが「観る」ことよりも重要なのだ。
しかし、ここで奇跡が起こった。
日本から来た、今回のフェスティバルで最上のモノドラマ、まったくテキストのないモノドラマが確かに「演劇の魔術」に観客を引き込むことに成功したのだ。
里見のぞみは、”Who am I?” で、能と狂言、パントマイムやモダンダンスによりまったく独創的な舞台言語の発明を成し遂げた。
言葉で表現するのではなく、彼女は音、身体、声を駆使することで表現することに
成功している。彼女の身体、声のコントロールはまさに圧倒的で、長い非常に集中度の高い儀礼的表現で、彼女は厚い紙を使ってまるで卵から鳥が生まれるように、様々な奇妙な生き物を現出したのだ。そして文字通りに観客の目を、息と意識と変容に満ちた秘密の世界に引き込むのである。
その「もの」が魂と意志を授かり、つまりは人間となると、自分の島、自分の巣を離れて世界を探求しようとし始める。その道はロールペーパーによって記されている。
それぞれの道をたどり、そのゴールに達すると買い物袋から赤い糸を引っ張り出し、あたかも永遠の「空気の家」を創り始める。
最後にその生き物は、観客から何人かの遊び相手を選び出した。
しかし、それでも孤独に打ち勝つことはできない。そして結局、大きな袋の中に隠れようとする。背中だけ見えるその姿は、まるでカフカの「変身」の昆虫のようだ。
ここで劇はおわる。ただフルートだけが響き続け、突然、男が現れ、袋を中身ごと舞台上から運び出すまで続く。
ドラマは、それぞれ
”Who am l”
“lsland my Land”
“Looking For”
と名づけられた三部に分かれており、すべての演劇の根源的テーマ、「アイデンティティの探求」をすばらしく詩的な場面によって表現している。それは、謎と哀しみに満ちていて、それでいながら軽く、もったいぶっていない。 どこでも、そして誰もが理解できる「スピリチュアリティ」と「癒し」に満ちた一篇なのである。
もし「世界文化」なるものが可能かどうかその証明が必要なら、それはここにある。
レナーテ クレット(Renate Klett)