「君の名は。」を観て思ったこと  新作レビュー

評判のアニメ映画「君の名は。」を観ました。

これまでもアニメーションで男女の「出会い」「すれ違い」を繊細に描いてきた新海誠監督が、東宝配給の300スクリーン以上拡大公開という、メジャーの中のメジャーとも言える大舞台で、それに相応しいスケールの大きな、それでいて持ち前の繊細さや物語表現力を十分に活かした作品を創ったな、というのが正直な感想です。

「シン・ゴジラ」もそうでしたが、この映画も監督のオリジナルな感性にあふれながらも、様々なこれまでの名作・傑作の香りが漂っていて(実際に監督が影響を受けたかどうかはわかりませんが)様々な「映画的記憶」を呼び覚ましてくれます。

男女の「出会い」「すれ違い」を描いた映画には洋画・邦画問わず傑作が多いのですが、「君の名は。」と同様、そこにファンタジーを融合させた作品としてまず思い出すのは、クリストファー・リーブ主演「ある日どこかで」(1980年公開)です。

脚本家志望の大学生リチャードは自身の脚本が認められたパーティーの席で、見知らぬ老女から「帰って来て」と告げられます。数年後、脚本家となり、仕事に行き詰ったリチャードは立ち寄ったホテルの壁にかけられた美しい女性の写真に目を留めます。彼女は1912年にそのホテルに滞在していた女優ということでした。そのまなざしと美しさに魅せられたリチャードは彼女に会いたいと熱望し、やがて時間の「壁」を超えるのでした…。

これは、僕も学生時代に観て熱狂した一本です。「スーパーマン」とは全然違うクリストファー・リープの繊細な演技が印象的で、切ない展開、そして音楽の美しさも印象的でした。

悲しき浪人生だった時、角川書店の映画雑誌「バラエティ」で、大林宣彦監督が「時をかける少女」(1983年公開)は「ある日どこかで」に「オマージュ」を捧げた作品であり、音楽や雰囲気など、作品づくりで意識したことを発言していて、当時「時かけ」に狂っていた僕は「ある日どこかで」が観たくて観たくて、大学生になってようやくレンタルビデオで観た記憶があります。

その、「時をかける少女」も少年少女の「出会い」「すれ違い」そして「別れ」を切なく描いた傑作でした。筒井康隆氏の原作小説は短編で、どちらかと言うとSF小説の入門編的な感じで、描かれている「出会い」と「別れ」に正直切なさは感じません。

しかし、大林監督はそこに、「出会うはずのない、出会ってはいけない少年少女が出会ってしまう切なさ」の物語に仕上げ、そこに主演の原田知世さんの可憐さ(大林監督は当時、ジュディ・ガーランドをイメージして演出したらしい)とロケ地である広島県尾道市の何とも言えない風情と情緒が加わり、唯一無二の傑作になりました。

そういう意味ではこの作品はその後の「時かけ」映像作品のベースにもなりました(今年制作の連ドラも含む)。この「切なさテイスト」を受け継ぎながらも、続編的な味わいも付け加え、少しポップにして、これはこれで大傑作になっていた細田守監督の「時をかける少女」がアニメーション作品だったことを考えると、「時かけ」と「君の名は。」との接点も無いことも無いな、と思います。、

大林作品で「君の名は。」との共通点で言うと、少年少女の「入れ替わり」を描いた大傑作「転校生」(1982年公開)があることも忘れてはいけないでしょう。

あと、少年少女の「出会い」「すれ違い」ファンタジーの傑作で思い出すのは小中和哉監督作品「星空のむこうの国」(1986年公開)です。残念ながらこの作品のDVDはAmazonでもプレミアが付いていて今ではなかなか観られません。

https://www.amazon.co.jp/%E6%98%9F%E7%A9%BA%E3%81%AE%E3%82%80%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%AE%E5%9B%BD-%E5%A4%A2%E3%82%92%E8%BF%BD%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%91%E3%81%A6-DVD-%E6%9C%89%E6%A3%AE%E4%B9%9F%E5%AE%9F/dp/B000063L23

平行世界(パラレルワールド)をテーマにした作品でした。主人公の高校生、アキオは交通事故でケガをして以来、毎晩同じ少女の夢を見てしまいます。ある日自宅に帰ると、そこには自分の遺影が!驚愕していると、窓の外にはあの「少女」の姿が。「アキオ君」と呼ぶ少女に声をかけようとしたその時、少女は無理矢理男たちに車に乗せられます。追いかけるも見失ったアキオはその少女に会おうと決心しますが…。

この映画は公開当時「少年ドラマ・ザ・ムービー」という副題が付いていました。NHKの少年ドラマシリーズは昭和40年代から50年代にかけ、毎日夕方に放送していて、主に中高生向けの学園SF小説をよくドラマ化していたシリーズで、「時をかける少女」も大林監督が薬師丸ひろ子主演で映画化した「ねらわれた学園」もこのシリーズで最初に映像化されています。

少年ドラマシリーズは小学生を含む少年少女向けでしたから「切なさ」テイストは少なかったのですが、その中でも突出して「切なかった」ドラマは、「なぞの転校生」でした。平行世界を扱っている点では「星空のろこうの国」の原点は間違いなくこの作品でしょう。

「なぞの転校生」については、2014年、思いもしなかった形で再びテレビドラマ化され、これこそ少年少女の「出会い」「すれ違い」「別れ」を描いた作品では近年ダントツの作品だと思いますし、冒頭の彗星の描き方など、「君の名は。」との共通点を見ることもできます。

3014年版「なぞの転校生」については、また別回で詳しく論じたいと思いますが、「君の名は。」を観られて感動された方は、今回あげた作品群も是非観てほしいと思います。
7

「シン・ゴジラ」と山口県  新作レビュー

「シン・ゴジラ」については最早語りつくされている感があるし、ネットに優れたレビューがあふれかえっているので、僕がわざわざレビューする必要もないかな、と思います。

書き出すと、キリが無くなります。恐らく原稿用紙100枚ぐらいでも書けると思いますので、ここでの作品論は他に譲って、私らしく、山口県とシン・ゴジラの関係について記します。

庵野秀明総監督は、山口県宇部市の御出身です。以前、インタビューさせて頂いたこともありますが、山口県への強い「愛」を持っていらっしゃる、という印象を受けました。

庵野総監督は映画「式日」を、故郷である宇部市を舞台に撮影されましたが、他の作品でも「宇部」や「山口」に関するものを登場させています。

エヴァンゲリオンではかのヤシマ作戦で日本中を大停電させるとき「山口県宇部市」が登場するほか、山口でおなじみのお店や牛乳の名前も出てきますし、新劇場版で葛城ミサトが愛飲する日本酒は「獺祭」だし、「獺祭」はキューティーハニーにも市川実日子さん(尾頭ヒロミ課長補佐!)扮する刑事の愛するお酒として登場します。

今回も、主人公である内閣官房副長官・矢口蘭堂の執務室に、山口県内の工芸品がさり気なく置いてあり、その中に、光栄にも私がアドバイザーを務めさせて頂いています、下松フィルム・コミッション提供のものもあります。

私が見る限りでは、執務室には下松FC提供のものの他に、岩国市のものが置いてありました。聞くと、矢口蘭堂は山口県第3区選出の国会議員という設定があり、それで山口県のものが置いてあると推察されます。

3区は庵野さんの出身地である宇部市のほかに、美祢市、萩市、山口市のうちの旧阿東町などがエリアで、庵野さんの宇部愛を感じる設定ですが、実は、岩国と下松は2区でして・・・。まあそこは、保守第一党の他選挙区の支持者から、将来の総理大臣候補である矢口先生のところに、様々な名物工芸品が贈られ、飾ってある・・・と僕は解釈しています(笑)

あと、この映画には複数の映画監督さんが役者さん(なぜか全員生物学者役!)として登場しますが、御用生物学者の1人を演じているのが「ゆきゆきて、神軍」など、強烈なドキュメンタリー映画で一世を風靡した原一男監督!原監督もまた、宇部市の御出身で、主に山口市で育った山口御出身の方なのです!

ちなみに、1999年公開「ゴジラ2000」以降、2001年公開の「ゴジラ モスラ キングギドラ大怪獣総攻撃」を除き、2004年の「ゴジラFINALWARS」までの5作品でゴジラを演じられた喜多川務さんは下松市出身ですので、2000年代製作の和製ゴジラ映画ほとんどに「山口県下松市」は関係しているのです!という、下松市民である僕の独り言なのでした。




クリックすると元のサイズで表示します

1

ブログ開設10周年!  映画つれづれ

今日気づいたのですが・・・・。

このブログを開設して、今月で何と!10周年!パチパチ。

最近、すっかり更新もしていませんが・・・ですが、このブログこそが、僕の映画レビュー修行の原点であり、今でもそうである、と思っています。

この10年の間、テレビで映画の紹介・解説もするようになり、映画祭の運営や実際の映画づくりにも多少ですが関わるようになりました。

その間、自分と「映画」との関わりだけでなく、人生そのもの・・・反省や後悔、そして希望も含めて、いろいろなことがありました。

失ったものもあれば、得たものもたくさんあります。それでも「映画」は僕の「全て」であり、生きる、頑張る「源」である、と日々感じています。

この10年、何度も何度もオオカミ少年のようにこのブログでレビューを頑張る(笑)と書いてはまたまた更新が滞る、という繰り返しですが、それでもボチボチと、レビューを無理なくしていきますので、皆さんよろしくお願いいたします。

マニィ大橋 こと大橋広宣
2

思い出は映画と共に@  映画つれづれ

思い出は映画と共に…落ち込んだ時に元気になれる、あの映画のあの名セリフ1

「男たちの挽歌」
(1986年香港/製作総指揮/ツイ・ハーク、監督/ジョン・ウー、出演/ティ・ロン、チョウ・ユンファ、レスリー・チャン)

「俺は負け犬だけにはなりたくない!お前は運命と戦ったことはないだろう?一度もない!…俺は違う」/マーク(チョウ・ユンファ)が出所したホー(ティ・ロン)に言うセリフ。

「香港ノワール」という言葉を定着させた、ツイ・ハーク製作、ジョン・ウー監督による「男たちの挽歌」。1986年に登場したこの作品は、斬新でいて、どこか懐かしい感じがするアクション映画だ。

 “ノワール”はフランス語で「黒」を指す言葉。フィルム・ノワールと呼ばれるジャンルが映画にはもともとあって、「フィルム・ノワール」=「黒い映画」、すなわち犯罪を描いた映画をこう呼ぶようになった。

ノワール映画には主にハリウッドやフランスの映画が代表的だが、特にあまり女性が出てこない、男同士の友情や裏切りが描かれたフランス映画のノワール物を「フレンチ・ノワール」と呼び、ハリウッド製のギャング映画やアクション映画とはまた趣の違う陰のある作風が人気を呼んだ。

 「男たちの挽歌」が「香港ノワール」と呼ばれた理由は、これらの「フレンチ・ノワール」の作風を受け継いだ点にあると思うが、日本の映画ファンが驚いたのは、そこに明らかにサム・ペキンパー監督の影響と、60年代、70年代に作られた日本のアクション映画の臭いが存在していたからだ。

 「ワイルドバンチ」「戦争のはらわた」「ゲッタウェイ」などで有名なサム・ペキンパー監督は、容赦ない暴力描写に、スローモーションを多用することで知られる。

残酷な暴力描写なのに美しい映像美という、本来は相容れないものを融合させてしまったその手法に、映画ファンは狂喜した。特に「ワイルドバンチ」で、主人公たちがわずか数人で強大な敵組織に殴り込みをかけるシーンは、凄惨なのに何度見ても震えるほど美しい。

 ジョン・ウー監督もまた、スローモーションを効果的に使う名手だが、これは明らかにサム・ペキンパー監督の影響だろう。そして、男同士の裏切りや友情がエモーショナルに展開していく物語や、それぞれの存在感がやたら引き立つキャラクターは、「仁義なき戦い」など70年代の深作欣二監督作品や、小林旭や石原裕次郎など、男臭いキャラで物語をぐいぐい引っ張っていた60年代の日活ニューアクションの臭いがプンプンする。

まず、主人公のホー(ティ・ロン)はどう見ても若いころの石橋正次だし、マーク(チョウ・ユンファ)は往年の小林旭にしか見えない。無鉄砲なホーの弟の刑事、キット(レスリー・チャン)はデビュー当時の石原裕次郎か赤木圭一郎、渡哲也というところか。


 さて、このセリフだが、これはマーク(チョウ・ユンファ)が、出所してきたホー(ティ・ロン)に向けて放つ言葉である。

 ホーとマークはかつて、香港組織の顔役とその弟分だった。ホーには警察学校に通う弟、キットがいて、極道であることを秘密にしている。

 身体が弱い父親から、弟のために足を洗うように説得されたホーは、台湾での麻薬取引を最後に引退することを決意。しかし、取引は何者かの密告で警察に知られてしまう。ホーは部下のシンを逃がし、自分は警察に捕まり刑務所へ。しかし、これでキットは兄が極道であることを知り、父親は陰謀で殺されてしまう。マークは敵のアジトを襲撃し、皆殺しにして復讐するが、足に致命的な重傷を負う。

 それから数年…。ホーは出所し、堅気として生きることを誓うが、世間の風は冷たく、なかなか就職もままならない。マークは組織の中で雑用係にまで落ちぶれ、どん底の生活を送っていた。そして結婚もし、刑事となったキットは、極道だった兄のせいで出世もできないとホーを恨んでいた。

 香港の闇社会は、今やシンがボスとして君臨していた。シンを倒し、巻き返しをしようとマークはホーを説得する。このセリフは、その時のものだ。ホーは拒否するが、やがて、マークは1人行動し、ホーもまた、キットに組織壊滅のヒントを与え、巨大な組織に立ち向かう…。
ああ、こうしてストーリーを書いているだけで胸が熱くなる。

「バイオレンスの詩人」とも評されるジョン・ウー監督だが、本家のサム・ペキンパー監督をも凌駕する、この作品における美しいバイオレンスシーンは、マークが1人で敵組織に乗り込むシーンにあると思う。

 マークはいつくもの拳銃を植木鉢など至る所に隠す。そして、後ろ向きに進みながら、次々と敵を打ち殺し、弾が切れると銃を捨て、隠していた銃を手にしてまた敵を打ち殺していく。無表情ながら銃をぶっ放していくチョウ・ユンファの動きを、ジョン・ウー監督はたっぷりとスローモーションで情感を込めて捉えていく。迫力があって凄惨なのだけれど、チョウ・ユンファの所作はどこか優雅でいて美しさを感じる。

 のちのち、作品中に必ず「ハト」を出すことで知られるジョン・ウー監督だが、御本人は根からの平和主義者であり、暴力否定主義者であるという。暴力描写が美しいからといって、暴力を肯定しているものでは決してない。これは深作欣二監督にも通じる。僕は深作監督からお話を直接伺ったことがあるが、暴力を否定するからこそ、暴力を描いているのだ、と明確に主張されていた。

 さて、このセリフを思うとき、この映画を製作したツイ・ハーク監督とジョン・ウー監督の当時の関係性がダブる。

 ジョン・ウー監督は中国の広州で生まれ、幼い時に香港に移住。アジアのハリウッドとも評され、数々の独創的なクンフー映画や武侠映画を製作したショウ・ブラザーズでキャリアを積み、ゴールデン・ハーベスト社などでコメディ映画や武侠映画を数多く監督し、人気を博した。

80年代に入ってシネマシティ社に移籍するものの、独自の路線で映画製作を続ける姿勢が会社の反感を買ってしまったのか、台湾支社に飛ばされてしまい(いわゆる左遷と思われる)、自由に映画づくりができなくなってしまう。

 この時、失意のジョン・ウー監督を救ったのが、この映画の数年後に「香港のスピルバーグ」と評されるツイ・ハーク監督だ。ツイ・ハーク監督は「男たちの挽歌」が公開されたこの年に傑作「北京オペラブルース」を監督、90年代に入って「ワンス・アポンナ・タイム・インチャイナ」シリーズで、これまでにない娯楽性あふれるアクション映画を繰り出して話題となる。

 「男たちの挽歌」は、このツイ・ハーク監督の製作である。彼が台湾で不遇な時代を過ごしていたジョン・ウー監督に手を差し伸べ、製作したのがまさにこの作品なのだ。劇中でも、ホーが失敗する取引の舞台が台湾であるなど、製作者たちの想いを反映しているシーンが随所に見られる。

 落ちぶれながらも、熱い魂だけは捨てず、心も体も傷ついた男たちが手を携え、巨大な敵に立ち向かう姿は、正に自分たちの姿を投影したものと言えるだろう。

 「お前は運命と戦ったことはないだろう?」とは、観客に対する問いであると同時に、製作者の自分自身への問いでもあったのではないか、と思う。

 僕は20代の終わりごろ、身内の事業の失敗で一文無しとなり、住むところも追われた。給与は裁判所に差し押さえられたため、仕事を辞めるわけにもいかず、会社の倉庫にゴザを敷いて寝泊まりしながら、週に4度、泊まり込みでホテルの皿洗いとフロントのアルバイトをしながら何とか生活をしていた。

 当時、世間はバブルで、友人たちは青春を謳歌していた。そんな中、食う金もなく、みじめな気持ちを抱えながら、ギリギリの中で生活していた。そうした状況の中でも、数少ないバイト代を工面し、食べ物を我慢して映画だけは観ていた。

 ある時、40キロぐらい離れた街に住む友人が、僕が勤務するホテルを訪ねてきた。「たまたま近くに用事があったから寄った」と言い、パンと牛乳を差し入れてくれた。彼にはどうしてこんな生活になったのか、理由は言わなかったし、彼もあえて尋ねようとはしなかった。
たわいのない世間話をしたあと、彼は「負けないでね」とだけ言って立ち去った。

 正直、負けそうになっていた時だったので、この励ましは効いた。骨の髄まで沁みた。彼もお金など持っていない。現金を渡すと、僕のプライドが傷つくと思ったのだろう。レジ袋には、不必要なぐらい、たくさんのパンが入っていた。

 あとで聞いた話だが、彼は「たまたま近くに用事など」なかったらしい。雨の日の深夜、僕のことを人づてに聞いて、いてもたってもいられなくなって駆けつけてくれたのだ。

 友情ほど有難いものはない。

 僕はこのときの励ましのお陰で、腐らず、会社も辞めず、何とかこの危機を乗り越えることができた。1週間で数時間しか寝られない時もあったが、彼のあの時の友情と「こんなの俺の運命なんかじゃない。絶対に這い上がって見せる」という意地が僕をすくったのだとつくづく思う。

「お前は運命と戦ったことはないだろう?」

 マークの熱い問いかけを想うとき、僕はあの時の「負けないでね」という友人の言葉を思い出す…。

http://www.google.co.jp/url?sa=i&source=imgres&cd=&ved=0CAYQjBwwAGoVChMIkb3q-t-JyQIVxbqUCh1jzgBR&url=http%3A%2F%2Fblog-imgs-38.fc2.com%2Fc%2Fh%2Fu%2Fchuckykun%2F201012051140160d6.jpg&psig=AFQjCNGkjtk0UY6TepZaZld6xdsR-4A2sA&ust=1447378698964521
4

東條先生の思い出  映画つれづれ

東京の書店で目にして買った新書本「天才 勝新太郎」に誘発され、12年ぶりに再会した甥っ子(彼が5歳ぐらいの時、僕が映画の洗脳教育、いやいや英才教育をいたのです)とカツシンの話題で大いに盛り上がったのをきっかけに、久々「座頭市」を中心に、勝新太郎氏のDVDを見まくっている。

とりあえず観たのは、1989年公開、カツシンさん最後となった「座頭市」と、岡本喜八監督のオールスター激突「座頭市と用心棒」(1970年)、個人的にシリーズ中殺陣が最もお気に入りの「座頭市血煙街道」である。

観れば観るほど「いやあ、カツシンはやっぱり凄い!」と再発見するばかりなのだが、そこで忘れられないのが、僕の恩師と言うべき、故・東條正年先生のことである。東條先生は、下松市に住んで高校の国語教師をしていたのが、たまたま見様見真似で書いた初めてのシナリオがコンクールで入賞し、思い切って上京してプロの脚本家になられた方である。

「伝七捕物帳」など、テレビドラマの時代劇を主に執筆されておられたが、勝新太郎氏に重宝された。映画脚本は「座頭市」と並ぶ勝氏の代表シリーズである「兵隊やくざ」のうち、「兵隊やくざ 殴り込み」(1967年)「兵隊やくざ 火線」(1972年)と、北原佐和子主演のアイドル映画「夏の秘密」を手がけておられる。

これは直接、東條先生に伺った話だが、東條先生は映画「座頭市」シリーズの脚本を手がけた笠原良三氏の元で、映画「座頭市」の脚本づくりに携わっている。クレジットはないが、ハリウッドでリメイクもされた(ルトガー・ハウアー主演の『ブラインド・フューリー』ね)「座頭市 血煙街道」でも、深く関わっている。

「ブラインド・フューリー」のことを東條先生に話したら、チェックのシャツに仕込み杖を持ったルトガー・ハウアーの姿に笑っておられ、「やっぱり本家の方が出来がいいなあ」なんて仰っておられた。座頭市を通して東條先生は勝氏と親交を深め、後のテレビシリーズの「座頭市物語」「新・座頭市」に深く関わっていくようになる。

テレビシリーズ、とくに「新・座頭市」は勝氏の独壇場で、現場で演出、物語構成もどんどん勝氏がひらめきで変えていくので、多くの監督、脚本家が逃げ出した、という「伝説」のテレビシリーズ。この舞台裏を支えた1人が、東條先生だった。

2008年11月28日、このブログで、僕が東條先生の死を悼んで記事を書いているので、一部訂正して、ちょっと再録したい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


僕にとって、恩人と言える方々のお一人である、脚本家の東條正年さんが亡くなった。

80歳ということだが、まだお若く、つい先日お会いして「ゆっくり映画の話がしたいですね」と言って別れたばかり。信じられない…。

東條先生とは、僕が記者のころに知り合った。東京での脚本家暮らしにピリオドを打って、故郷の下松に帰ってこられたばかりだった。

「これから地域のために自分の経験を役立てたい」と言われ、地域の民話を題材に紙芝居を作られたり、地元の久保中学校の文化祭の演劇で脚本・演出を担当されたり、周南青年会議所が「徳山藩」の史実を題材に演劇を上演したときも、脚本・演出を担当された。

東條先生の劇場用作品で代表的なものは「兵隊やくざ・火線」「兵隊やくざ・殴り込み」だが、クレジットされているもの以外にも勝新太郎氏の座付き脚本家として、数多くのカツシン作品を手掛けている。

現場でいろいろとストーリーを変えていく勝さんのお話のつじつまを合わせていく役どころが、東條先生だったのだという。とくにテレビの「新・座頭市」シリーズは、東條先生がいなくては現場が機能しなかったらしい。

「伝七取物帳」など、テレビ時代劇の作品も多く、先日、2ちゃんねるの「時代劇脚本家を語ろう」スレで、「東條正年脚本にハズレなし」との書き込みを見つけて「早速、東條先生にお知らせしよう」と思っていたので、本当に残念だ。

あまりに身近で、今までブログで触れてこなかったことに後悔もしているが、東條先生が中学校の演劇を担当されたときは音楽を手伝ったし、周南青年会議所の演劇のときは会議所のメンバーとして、瓦版売りの役で出演もさせてもらった。

そして何より忘れられないのは、下松市音楽連盟が50周年記念で上演したオペラ「星ふるまち下松伝説」を上演したとき、東條先生が脚本・演出を、僕が舞台監督をさせてもらい、がっぷり四つでお仕事をさせて頂いたことだろう。

このオペラは、当初、オーケストラの作曲と指揮を担当された先生と、お話づくりと演劇部分の演出をされた東條先生との想いに違いがあり、その違いを埋めながら、ひとつひとつの場面を作り上げていくことが僕の仕事だった。

正直、大変だったが、「いいものを作ろう」という音楽の先生、東條先生のご協力があって、超満員の観客の前で素晴らしい舞台ができたときの感動は今も忘れられない。「上手に回ったコマのようだったね。色が違う模様が、まわるうちにひとつの違う、いい色になった」と言われた東條先生の言葉が、忘れられない。

このとき、僕はフリーになる直前だった。ずっとやってきた書く仕事はともかく、イベントやテレビ番組の演出には不安もあった。「いろんなプロの演出家とも仕事をしたが、それと比べても遜色ない。大丈夫、あんたなならできる」と言われたことが、どれだけ僕の「支え」になったことか。

思えば、東條先生から聞いた、昔の映画界の話は、本当に面白かった。カツシンさんの話はとくに強烈で、飲んでいても食べていても、カツシンさんは急に映画の構想の話を始めてしまい、即興で自分で演じて見せた。その演技は本当に魅力的で、いつもメチャクチャなことを言うので腹も立ったが、その演技を見せられると文句も言えなかったという。

それで、亡くなられる直前、東條先生が見舞いに行くと、ベッドの上でカツシンさんはお前が脚本を書いてくれ、と言うと、構想中の「最後の座頭市」の市の“ラストシーン”を演じて見せてくれたのだという。

興奮した僕が「先生、どんなラストなんですか、教えてください!!」と聞くと、東條先生は「だめだよ。勝さんはもう亡くなられたんだから、脚本家として、君でも教えられない。僕は墓まで持っていくよ」と言われた。

「いつか、聞き出してやろう」と思っていたのに、東條先生は本当にお墓まで持って行かれた。

ご冥福を、心よりお祈り致します。本当にお世話になりました。ありがとうございました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

東條先生から聞いた、まだまだある勝氏のエピソード。

銀座のクラブで一緒に飲んでいると、勝氏が突然「新・座頭市」のある場面を思いついた、と言い出した。絵コンテを書くから、紙とペンないか、とマネージャーに要求するが、銀座のクラブにそんなものはない。

ちょうどその横に、クラブ側が勝氏に書いてもらおうとサイン色紙をたくさん用意してあった。なのに、肝心のサインペンはなぜかそこになかった。すると勝さんは「これでいい」とテーブル上にあったペンシルチョコレートでサラサラと絵コンテを描き出したという。ちなみに、勝氏は絵コンテというか、絵の才能も凄かったらしい。

後日、勝プロで打ち合わせをしていると、勝氏が「あの時の絵コンテだけど、おい、冷蔵庫から持ってこい!」とマネージャーに命じた。東條先生が「??冷蔵庫?」と思っていると、マネージャーがその時のサイン色紙の束を持ってきた。ちょうど季節は夏で、勝氏は「チョコレートだから溶けるんだよね」と言いながら、「溶けないうちに説明するぞ」と言って、キンキンに冷えた色紙を手に演出プランの打ち合わせを始めたという…。

あと、東條先生は「新・座頭市」からかなり経ったころ、仕事が一時期なかなかない時があって、あるテレビドラマの話があって急いで面接に行って、売り込みに、と思って必死にプロデューサーに「勝さんと座頭市やってました」とアピールしたら、そのプロデューサーから「東條さん、『警視K』はやってないでしょうね!もしあれをやっていたら、絶対にあなたを起用しませんよ!」と言われて必死で「あれはやっていない!」と否定して、そのドラマの脚本をやることになった、という話もしてくれた。

東條先生のその頃の口調をできるだけ再現してみる…。

「勝さんはさあ、いきなり町娘を殺しちゃうんだよ!そのあと、出てくるのにだよ!あとのこと、なーんにも考えず、その時、それが面白いからってやっちゃうからね。それでお話の辻褄が合わない、勝先生、どうしましょうか、てスタッフが聞くと、知らねえよ、そんなこと、ここは死なないとダメなんだよ、の一点張り。それで僕に電話がかかってくるのね。で、現場でお話が合うよう考える。そんなことが毎日のように続いたなあ」「警視K、あれは僕から見てもメチャクチャだったなあ。勝さんは天才だけど、筋が書ける人が付いてないと、ああなっちゃんだよなあ。珠緒さんはテレビではチャラチャラしている人を演じているけど、本当はしっかりした人でね。あの人が付いているから何とかなっている」

ちなみに、「警視K」とは、勝氏が製作、演出、脚本を手がけた刑事ドラマで、キャンピングカーで放浪し、なぜか娘(勝氏の実娘が演じている)とそこで暮らしている刑事が主人公(勝氏演じる刑事の名前が賀津勝利・ガッツカツトシ!必殺技は縄に手錠を括り付けて投げる“投げ手錠”!)で、刑事ドラマなのに事件が何も起きなかったり、延々と長回しが続いて空が写っていたりと、セリフも即興やアドリブが中心という、正に斬新で“勝ワールド”炸裂のテレビドラマだった。

その話を聞いて、リアルタイムで「警視K」を観ていた僕は大爆笑だったのだが、東條先生は「警視Kが分かるのか!君は若いのに、いろんなことを知っているなあ」と可愛がってくれた。
先生と昔の時代劇や映画の話をさせていただくことが、本当に楽しかった。

再録した記事にははっきり書いてないが、僕は音楽連盟のオペラの舞台監督をしていた頃、かなり独立するかどうか悩んでいた。佐々部監督と出会い、「映画」に再び夢を見出した僕は、踏み出す決心は固めたものの、家族もいたし、本当に会社を辞める、という踏ん切りが最後の土壇場でつかなかったのだ。

その時、「お前なら大丈夫」と背中を押してくれたのが東條先生だった。先日携わったイベントで、下松市民合唱団が、この時初演された東條先生作詞の曲を歌ったのだが、10年ぶりに聞いて僕は目頭が熱くなった。

今年、僕は独立して10周年を迎えた。先生が背中を押してくださってから、ちょうど10年になるのだ。

東條先生を偲びながら、先生が書かれた「新・座頭市」を再見したい。
3

今年1年も終わります。  映画つれづれ

今年は、このブログを開設して以来、最小の更新数だったかもしれません。新作のレビューの腕を磨こうと始めたこのブログももう8年。来年で9年目に突入します。

今年、従来の「シネキング」に加えて、4月から夕方のニュース番組「Jチャンやまぐち」でも毎週金曜日の映画コーナーを担当することとなり、映画について紹介・解説する機会はより増えました。従って、劇場で映画を見る機会は例年より多くなりました。

なのにブログの更新がないのは申し訳ないのですが、しっかりと映画と向き合い、映画のレビューをしていきたい・・・この姿勢はこれからも持ち続けていきたい、と思います。

以前は観た映画全てのレビューを書こうと思い、なかなかそれもできずにかえって更新が滞っていましたが、更新数は少なくても、これからは気に入った映画、自分の糧となった映画について、このブログで初心に帰ってレビューしていきたいと思います。

今年、「百円の恋」「恋」という、2本の映画の製作に関わらせていただき、今までとは違う「映画」と向き合えた一方で、これから「映画」とどう向き合っていくのか、思い悩んだ1年でもありました。

この2本については、冷静にレビューなどできませんが、たくさんのお客様に喜んでいただけた、という点で良かった、と思っています。

今年は、外国映画で収穫が多い1年でした。「アクト・オブ・キリング」「ダラス・バイヤーズクラブ」「それでも夜は明ける」などが印象深かったです。特撮マニアとしては「ゴジラ」も印象的でした。

年末に観た「インターステラー」「フューリー」も良かった。日本映画は年々小粒になっている印象が強く、大手配給作品にもなかなか心惹かれる作品が少なかったのですが、佐々部監督の「東京難民」には心をえぐられました。

今年感じた迷いや想いは来年も引きずると思いますが、真摯に「映画」と向き合い、「映画」に夢や希望を託していくためのステップの時期だとも思い、来年も頑張っていこうと思います。

4

フライト  新作レビュー

★★★

名優デンゼル・ワシントン主演。

彼を最初に観たのは南北戦争を舞台にした「グローリー」だっただろうか。精悍で演技派、という印象だったが、「ジョンQ」「戦火の勇気」などの作品で重みを次第に発揮して、ハリウッドを代表する俳優さんになった。

常連だったトニー・スコット監督のアクション・サスペンス物などは、設定の荒さやストーリー展開の荒唐無稽さを、デンゼル・ワシントンの説得力ある演技で切り抜けていた、という印象さえある。でも、これは作り手も恐らく承知のうえで、だからこそ、デンゼル・ワシントンを起用したんだろうなあ、と思う。

やっぱり、キャスティングって大事だ。セリフが少なくても、余計な説明が無くても、たとえ出演シーンは少なくても、その背景さえも感じさせる俳優さんは確かに存在する。

さてさて、この映画だが、サスペンスかと思いきや、依存症をテーマにした映画だった。最近、依存症を描いた映画が多い。これも、現代を語るうえで重要なテーマだからだろう。映画と社会性の関連は重要だと思う。その時代その時代の社会性や課題を、庶民の娯楽である「映画」が切り取り、描いていくことは、大衆文化を熟成させていくうえで必要だと思う。ただし、それが、国家権力が思想を扇動するようなことには絶対になってはいけないけれど。

ロバート・ゼメキス監督は、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「ロジャー・ラビット」「フォレスト・ガンプ」「コンタクト」と代表作はどれも僕の好きな作品ばかりだが、強引とも思えるテーマやアイデアを、確かなストーリーテリング力でぐいぐい見せる力技は本当にすごい。

この映画も、飛行機事故という最大の見せ場が最初に来る。ここがまた見事なサスペンスフルで、ハラハラドキドキするのだが、この映画の物型展開は実はここから。物凄い危機を乗り切った主人公が実は…というのがドラマのキーとなる。

人は、誰でも病気や障がいであったり、経済の問題であったり、家族の問題であったり、それぞれ、自分の“ウイークポイント”というか、ともすれば生きていくうえでの「弱さ」と成り得る部分を抱えているものである。でもそんな「弱さ」も、実は向き合い、共存することで克服できなくても「強さ」と成り得ることがある、と思うのだが、この映画の主人公はなかなか自分に向き合えない。

そこがもどかしく、僕は少しイライラしたのだが、物語は後半、実に巧みな展開を迎え、主人公は自身と向き合い、ある決断をする。そこは、是非未見の方は映画を観て頂きたいと思う。

前半の飛行機事故の描写がすごいからこそ、の後半の人間ドラマなのだが、こういうエフェクトシーンとドラマを融合させる名手はハリウッドでもそういないと思う。ロバート・ゼメキス監督の手腕は健在だ。
0

東京家族  新作レビュー

★★★

小津安二郎監督の「東京物語」を、現代を舞台に、新たな味付けで、というのは、松竹の伝統である正調大船調を正統に受け継ぐ山田洋次監督だからこそ許されるのだろう。

家族構成の一部変更や東日本大震災など、山田洋次監督版は現代的なテイストを付け加えているが、両者を見たとき、どちらがいい、とか悪い、という単純な比較ではなく、オリジナルの「東京物語」の方が、実はきわめて「現代的」だというふうに思う。

山田監督の「東京家族」は、老夫婦を邪険にしながらも、出てくる人物はみんなどこか優しい。「温かみ」があるのである。実は、物質的に豊かな現代の方が、「家族」の繋がりを求めているのか、それとも山田監督自身が、その繋がりをあえて「東京物語」の舞台設定を借りて描いて見せようとしているのか。正直、「東京物語」の方が、今から60年以上も前の作品でありながら、家族故の底知れない非情さや冷徹さ、そして悲哀を描いている。

生きていくうえで不可欠な「家族」とは何なのだろう、ということを鮮やかに問いかけてくるのである。

この「東京家族」もそこは同じである。「家族」って何だろう、ということがひとつの家族のドラマを通して語りかけ、考えさせてくれる。

しかし、テーマは同じでもアプローチが違うので、だから、この作品は「東京物語」のリメイクとは言えないのだろう。リブートとも違う。「東京物語」という作品は最近も幾度となく話題にのぼっており、先述のように、今もなお、現代の僕たちに「家族とは?」と問いかけているように思う。そう考えると、単なるホームドラマのようでいて、この映画が実に社会の先端を行っていたことが伺える。

その問いかけに対して、デジタル化をはじめとする変わらざるを得ない今の映画界にあって、小津監督がいた時代から今に至るまで現役の映画監督としてあり続けている山田洋次監督は、考えてみれば一貫して「家族」を描いてきた監督である。

高度経済成長期にあって、多くの「日本人」が「家庭」に重心を置かなくなっていく中で、山田監督は社会からドロップアウトしようとしても家族の束縛から離れられず、実はそれが自らのアイデンティティーとなっている、寅さんを描いて見せた。日本中どこをほっつき歩いても、寅さんは必ず柴又に帰ってくる。どんなに傷ついても、寅さんを癒してくれるのはさくらであり、とらやの「家族」だった。

今また、日本の「家族」の在り方が問われ、揺らいでいる。その中で発生した東日本大震災。山田監督が今の時代に、あえて「東京物語」の世界観を引き継ぎながらも、自らが「東京物語」が問いかけた問題に、現代から答えをが出した、と言うより、出さざるを得なかったひとつの「回答」が、この映画なのかもしれない。松竹の日本映画の屋台骨を長年背負っている山田監督にとっては、自社の過去の名作と向き合うことは、何としても「通らなければならない」道だったのかもしれない。

しかし、それでいながら、山田監督は、若手の妻夫木聡、蒼井優に比較的のびのびと演じさせている(ように見える)のに対して、橋爪功の父親、息子の西村雅彦をはじめとする周囲の家族の演技アプローチは、明らかに「東京物語」のオリジナルキャストを意識して演出しているように見える。それぞれのカット割りやカメラポジションなども、あえて「東京物語」と同じアプローチを試みており、そこから見える「全く違う何か」を浮かび上がらせようとにも見える。

ただし、それが必ずしも、成功している、とは言えない部分もある。どうしても「東京物語」と比べてしまうから、別作品に仕上げているからこそ、余計に比べてしまい、そこに多少の違和感を感じるのは僕だけだろうか。そういう意味では必ずしも成功しているとは言えない企画ではある。

しかし、この健全な「家族」を経て、山田監督は次回作の「小さいおうち」では過去と現代を繋ぎながら、「家族」が抱えた「闇」を描いている。「小さいおうち」は「家族」映画としては最近にない傑作だと思ったが、「東京家族」から「小さいおうち」へと流れて行ったその“経過”に強い興味を覚える。

2

かぐや姫の物語  新作レビュー

★★★★★

圧倒的でした。

スクリーンから感じる、何とも言えない繊細さと気迫。物語性のある、ひとつの美術品を鑑賞した気分になりました。

日本のアニメーション技術は、作画技術だけでなく、その繊細な表現力・演出力に優れているから世界一なのだと僕は思います。

絵の積み重ねに過ぎないはずのアニメーションなのに、例えば日常描写を細かく描写することによって、登場人物たちの心情をシンプルな物語を深みのあるものにする・・・高畑勲監督は、稀代の演出力で「アルプスの少女ハイジ」や「赤毛のアン」などを作り上げてきました。

例えば、ハイジでクララが立つシーン。クララが立った瞬間、画面は次のカットでクララの目線となり、大地が上下して揺れます。客観と主観を交互に入れることによって、観客はクララの心情に寄り添うことになります。こうした演出を、丁寧に時間をかけて繊細にするのが高畑アニメの真骨頂でしょう。劇場用映画も同様で、人間の善悪を深く描いた「太陽の王子ホルスの大冒険」や、戦争における人の極限を描き切った「火垂るの墓」などはその最高峰だと思います。

その高畑監督が、人生の集大成として手がけたのがこの作品ではないのでしょうか。「まだ引退しない」と仰っているそうですが、70代後半でありながら、これほどの新しい意欲作に挑まれたことはすごい、と思います。

いわゆる、竹取物語を原作としたおとぎ話ですが、日本のおとぎ話を形にするために、墨絵をアニメーションにする、という途方もない技術に挑戦し、それを成功させ、ありえないほど高いクオリティに仕上げています。これだけでも驚嘆ですが、二時間近く見進めて行っても、その墨絵の雰囲気が、まったく飽きさせないのは、美術的にも鑑賞に堪えうる造形美を醸しているからでしょう。

物語は、よく知られているかぐや姫のお話ですが、かぐや姫がなぜ、地球にやってきたのか。なぜ、月に帰らなければならなかったのか。詳しく書くとネタバレになってしまいますので書きませんが、そこに、人の深い業と想いが込められます。

人は、人を深く想っていても、必ずしもその想いがその人のためにならないこともあります。人が人を想うことは素晴らしいことですが、ときに、その想いが深いゆえに人を苦しめ、傷つけることもあります。人間とは、憎しみ合いも愛し合いもするが、たがらこそ素晴らしい…そんな感情が、繊細に表現されていくかぐや姫の心情から痛いほど伝わってきます。

シンプルな物語だからこそ、人の想いが深く描かれる…「ハイジ」や「アン」などで高畑監督がアニメーション演出で追及してきた道の答えのひとつがここにある、と思いました。
2

きっと、うまくいく  新作レビュー

インド映画と言えば、24歳のころ、初めての海外旅行でインドに行ったことを思い出します。

新聞記者仲間の友人と一週間ほどデリーやジャイプール、タージマハールなんかを見て回ったですが、本当に面白くて、エキサイティングで、異文化が刺激的で、しっかりと腹もくだしましたが、物凄く楽しかった記憶があります。

ホテルで映画をたくさんやっていて、結構見ました。確か、ジャック・ニコルソンの「イーストウィックの魔女たち」をやっていて、「こんな映画しらん!」という友人に解説したのをよーく覚えています。

で、インド映画専門のチャンネルもあって、朝から晩までやっていて、どれもみんなひどいのだけどそのメチャクチャ感が楽しくて、友人はそのチャンネルをずーっと観ている僕を不気味がっていました。

どれもみんな基本的にアクション映画なのだけれど、2メートルほどの壁から降りるだけで何度もそのシーンが繰り返され、大げさな音楽がかかって、それでいて字幕がなくても分かるほどストーリーは単純で、ヒロインがやたら美人で、でもキスシーンなどは必ずなくて、途中で意味もなく踊りと歌が延々と出てきて、それはそれは、ビックリしました。

それからずいぶん経って「ムトゥ 踊るマハラジャ」を観て、「相変わらずだなあ」と思ったのだけれど、昨年「ロボット」を観た時は、もうビックリ。

インド映画的な歌や踊りは相変わらずだけど、「人を楽しませる」という点では徹底していて、技術的にハリウッドと同レベルの進化を遂げているのに驚愕。どの国にもない、本当に「ホリウッド」と言うか、インド映画独特の娯楽的エンターテイメントとして進化している、という感を受けました。

でも、インド映画は尺が長いのです。どの作品も3時間ぐらいある!

で、この映画です。

佐々部監督が山口に来られた折、「今年のイチオシ!笑えるんだけど、後半泣いちゃうんだよなあ」と言われて気になり気になり、東京出張時も時間が合わず断念したものの、先週、急な東京出張の折、5月公開なのにまだやっているのを発見し、平日昼間、シネマート六本木にて、ついに鑑賞!

で、この映画も長い。3時間近くあります。

午後1時15分開始で、観終わったのは4時過ぎ。僕は前夜徹夜。雑誌の原稿の締め切りに追われる中で東京出張が決まり、仕事の前日、上京したその足でホテルに行ってずーっと部屋で原稿書きで、午前8時ごろに書き終えると、その足でチェックアウトして仕事に行き、終わったその足で映画館に行ったのでした。

で、映画館から羽田空港に直行し、岩国錦帯橋空港に向かい、電車で下松に帰ったのはもう深夜零時近く。くたびれましたが、そんな疲れをふっ飛ばすほどこの映画は面白く、3時間寝るどころか、僕の眼はギンギンに冴えて笑って笑って泣いて泣いて、3時間、まったく退屈することなく、満腹感いっぱいで映画館を後にしたのでした。

エリート理工大学を舞台にした、3バカ大学生の友情物語なのだけれど、お話自体は現代から始まって、3人のうちの、主人公である1人は消息を絶っていて、その主人公を探そうとする話から、かつての大学時代の話がカットバックしていく・・・が、物語を書いていてもあまり意味はなく、インド版青春グラフティであり、相変わらずインド映画らしいおバカでベタなギャグが続き、歌も踊りもきちんとあって、もちろんヒロインは美しい。

だけど、ベタでおバカなんだけれど、どのギャグも笑えるのです・・・そして、キャラクターもしっかりオーバーでカリカチュアの固まりなんだけれど、ストーリー運び自体は実は緻密で伏線もしっかりしていて、探し当てた主人公は実は別人で・・・なんて意外性もあって、そこからの展開も予想をいい意味で裏切り、ストーリー運びも実に面白い!

背景には、工学系の高学歴を尊重する、実は日本以上の学歴偏重社会であるインド社会の問題点があって、そこから生まれる悲劇もきちんと盛り込まれています。ベタなギャグ映画の様相を見せながら、主人公3人の友情にとことん涙を絞られるのは、やっぱり「人間」がしっかり描けているから。ここはいい「映画」は本当に万国共通だなあ、と実感。

後半の泣ける展開に繋がる前半の伏線も見事で、本当に笑っているうちに泣ける・・・という展開になるのです。何より驚いたのは、平日の昼間にも関わらず、満席!!それも7割は女性!!すごいぞ東京!やっぱり、山口県とは文化度が違います。

で、会場は笑い声と涙、涙のグジュグジュ感で満載。これぞ、映画館の醍醐味。佐々部監督の「カーテンコール」ではないけれど、昭和の映画館はこうだったんだろうなあ。

やはり、この映画も映画館で観てほしい一本だけれど、地方では難しい・・・と思いつつ、広島、福岡ではすでに上映済み。下関スカラ座シアター・ゼロでやっている!と思って調べてみたら、明日(9月20日)が千秋楽のようです・・・再見は12月発売予定のDVDになりそうですが、このレビューを見て興味を持った方、是非、今からでも下関に走るか、DVDでもいいので観てください!

点数は90点。
4

風立ちぬ  新作レビュー

この映画、いろいろ言われてます。

賛否両論・・・でも、物語の説明不足を挙げて批判するのは、「映画」という媒体に対する批判としては、そもそもどうかなあ、という想いがあります。

「映画」は、アニメであろうと実写であろうと、2時間ていどの時間の中で、映像と音を組み合わせて、大きなスクリーンで有料の観客に向けた媒体であります。

有料である以上、そこに表現の規制はなく、作り手(監督)の作家性が発揮されるべき媒体であり、大スクリーンで感じてもらうための感性を観客に向けて問いかける芸術でもあるので、観客もまた、そこに込められた感性を自ら感じていくのが、映画だと僕は思うのです。

ですから、そこに込められた「間」や行間が「映画」にあるのは優れた「映画」であるなら当たり前であり、だけれどもそんな「間」があってもダメダメな映画があるのもまた事実で、そこがまた「映画」の面白いところだと思うのです。

最近、何でもセリフで説明して、やたらカット割が細かい映画(とくに日本映画)が多く、それも監督だけでなく、いろいろな人の意見が入って無難な映画づくりに終始している作品が多いので、観客もそんなのに慣れている感はあります。

もちろん、いつも言っていることですが、そういう「映画」の中にも、面白いものもいいものもありますが、正直、ダメダメなものも多くある、と思います。

で、この映画ですが、はっきり言って、この映画は宮崎監督のプライベートフィルムです。

ものづくりに没頭している人の、純粋さを描いた映画であり、その純粋さを表現するための飛行機であり、恋愛であるので、主人公の姿は、正に宮崎監督そのものだと思います。そのの分、映画自体もこだわりの固まりで、くどいぐらい出てくる飛行シーンをはじめ、絵のクオリティは物凄く、これまでのジプリ作品の中でも最高と言っていいでしょう。

冒頭の飛行シーンと、地震のシーンだけでも観る価値はあります。これは、劇場のスクリーンと音響で是非、あじわってほしいものです。

戦争メカ好きなのに戦争反対者、という宮崎監督そのものの姿、苦悩がこの映画にはちりばめられています。肝心なところが「夢」で語られているのも、アニメづくりに夢をかけてきた宮崎監督の想いが現われているようです。

時代の流れに様々なことは感じていても、その想いを、ものづくりと1人の人を愛することに費やしていく・・・そこに説明がないので、これはその「間」を感じていくしかありません。ただし、その「間」が面白いかどうか、感動できるかどうか、そこは人によって分かれるでしょう。僕は正直、好きです。


そもそも、宮崎駿監督は、「もののけ姫」の成功をもって、物語を映画で「語る」ことを辞めたように思います。もともと、ストーリーテリングには天才的な監督さんなので、最近の映画に対して批判的な声があるのも正直、分かります。「未来少年コナン」や「ルパン三世 カリオストロの城」のストーリーテリングは、正直物凄いものがありますから。

これは、晩年の黒澤監督にも言えます。黒澤監督も、製作環境は正直、大変でしたが、晩年は感性のみで作っていたように思います。いつまでも黒澤監督に「七人の侍」と同じような作品を、というのはファンのわがままのような気がしますが、それも正直な気持ちなのかもしれません。

黒澤監督とは少し違うと思いますが、宮崎監督が「物語」を語らなくなったのは、物語を描かず、自分の感性をそのまま表現しても、興行的な失敗になることはまずあり得ない状況になったこと、が大きいと思います。

宮崎監督は、物語を語らなくても自分の好きな世界を豊富な製作費を使って自由に表現できる、数少ない映像作家のひとりだと思いますが、そういう意味でも今回は文字通り「最後」の長編でもあり、そういう意味で、これまで以上に自らの気持ちを思い切り作品づくりにぶつけたのかもしれません。

そういう意味では、無心で純粋にものづくりに没頭する主人公は、宮崎監督の分身でなければなりませんから、当然、声優は「演じる」プロの俳優さんや声優さんではダメな訳で、庵野監督ということになるのでしょう。これはいろいろな意見があると思いますが、僕はよかったと思います。

観終わったあとの何とも言えない余韻とともに、点数は80点です。
3

舟を編む  新作レビュー

良作。

「川の底からこんにちは」の石井裕也監督。

ユーモアとドラマのバランスがいい監督さん。29歳というから驚く。

人情話だけど、丁寧に演出している。コミュニケーションが下手な辞書編集者と、料理人を目指して修行中のヒロイン。

2人を結びつけるのは、2人が得意とする「言葉」と「料理」。それぞれが得意なもの、好きなものを通して、お互いの足りない部分を補っていく様と、足りない「言葉」を埋めていく辞書の編集作業が重なっていく妙味。

さらに印象的なのは、映画が進み、2人に溝が生まれたときもまた、冷えていく雑煮という「料理」を効果的に使っている点。

さらにさらに、「言葉」によって2人が再生していく様がいい。

ちょっと残念なのは、アクションがある、ないということではなく、人物描写が大人しすぎて、辞書の中の小さな言葉の文字のように縮んでしまった感を受けたことだろうか。

松田龍平さんが素晴らしい。85点。

5

ムーンライズ・キングダム  新作レビュー

個性的で作家性は際立つけれど、娯楽作として成立しているから素晴らしい。

エドワード・ノートンと、ブルース・ウィルスなど、ハリウッドの豪華スターたちが、楽しそうに演じている。恐らく、こういう作家性の強い、個性豊かな役が演じられる映画に彼らは出たいのだろうなあ。

日常からエスケイプしていく少年少女の話だけど、かなり独特な寓話的でユーモラスな映像センスとテンポの中にも、独特の世界観を持つ少年と、複雑な家庭で苦しむ少女の心の内側や痛みがきちんと感じる。

こんな映画を見せられると、「映画の持つ可能性」はまだまだあるんだなあ、と素直に思う。

あと、舞台がボーイスカウトで、スカウトというある意味特殊性のある世界がこの映画にいい味を出しているポイントのひとつだろう。90点。

1

渾身  新作レビュー

島根にこだわり、地域発ながら大手配給で次々と作品を発表している、我々地方在住映画発信考え中年男にとっては、お手本のような存在の錦織良成監督作。

実際の出来事をモチーフに、島根を舞台に抒情性を醸し出す、という意味では錦織監督の代表作「白い船」と通じる。あの映画は、個人的に大好き。子役だった濱田岳さんすげえ、とあのとき思ったけど、そのあと、本当にいい味の俳優さんに成長された。

島根県の離島で神事として行われているお相撲を題材に、島で生きていく家族の喪失と再生を描いた映画。

男の妻が亡くなって、その妻の親友だったヒロインと結婚して、前妻が残した娘がいて、その男が島をあげて行われる神事の相撲の選手に選ばれて…と文字にするとなんじゃそりゃ、という感じの物語になんだけれど、錦織監督、島の美しい実景を効果的に使いながら、時系列を崩すという映画ならではの手法、そして何よりヒロイン役の伊藤歩さんの素晴らしい演技によって、ヒロインが感じる罪悪感や苦しみから希望を見出す様を丁寧に紡ぎだしている。

同じ監督さんの「RAILWAYS」では、49歳の仕事男が電車の運転手になることを決意する心変わりする様が僕は今一つ理解できなかったのだけれど、今回は大納得。

そうした人間ドラマが、最後の相撲シーンに流れ込む様は、スポーツ映画の王道であり、この手の映画に重要な要素のカタルシスもきちんと感じられる。80点。

この映画のキャンペーンでは、MOVIX周南で、「シネキング」初の公開収録を敢行し、錦織監督のインタビューをお客様の前で実施しました。錦織監督、とってもいい方でした。
3

96時間/リベンジ  新作レビュー

ハリウッド映画のようなフランス映画だけど、無駄なところは一切省いて、90分そこそこの時間でツボをしっかり押さえてグイグイ引っ張る。

最近、2時間超えの映画が多い中、1時間半という、娯楽映画本来の定番時間を守るあたりがニクイ。

ストーリー展開に無駄な情緒性を挟まないところに、ハリウッドじゃないなあ、という感じ。

60歳のリーアム・ニーソンの魅力だけで引っ張っている感もあり。

元CIAの凄腕工作員だが、今は引退して年頃の娘を溺愛している、ちょっと迷惑なニーソンパパ(語呂がムーミンパパみたいだ)が、前作で娘を誘拐してパパにやっつけられたテロリストグループのメンバーのパパが、今度はニーソンパパ本人と元奥さんを誘拐しちゃう。

残されたど素人の娘をパパが遠隔操作しながら危機をどう乗り切るか、という展開になるここからがなかなかのアイデアで、かなり強引だし、相手もそこそこ強くそこそこ弱いけど、楽しめる。

舞台のイスタカブールは「007/スカイフォール」と一緒じゃん、と思うし、同じようなシーンもあり。60点。
1




AutoPage最新お知らせ