東條先生の思い出  映画つれづれ

東京の書店で目にして買った新書本「天才 勝新太郎」に誘発され、12年ぶりに再会した甥っ子(彼が5歳ぐらいの時、僕が映画の洗脳教育、いやいや英才教育をいたのです)とカツシンの話題で大いに盛り上がったのをきっかけに、久々「座頭市」を中心に、勝新太郎氏のDVDを見まくっている。

とりあえず観たのは、1989年公開、カツシンさん最後となった「座頭市」と、岡本喜八監督のオールスター激突「座頭市と用心棒」(1970年)、個人的にシリーズ中殺陣が最もお気に入りの「座頭市血煙街道」である。

観れば観るほど「いやあ、カツシンはやっぱり凄い!」と再発見するばかりなのだが、そこで忘れられないのが、僕の恩師と言うべき、故・東條正年先生のことである。東條先生は、下松市に住んで高校の国語教師をしていたのが、たまたま見様見真似で書いた初めてのシナリオがコンクールで入賞し、思い切って上京してプロの脚本家になられた方である。

「伝七捕物帳」など、テレビドラマの時代劇を主に執筆されておられたが、勝新太郎氏に重宝された。映画脚本は「座頭市」と並ぶ勝氏の代表シリーズである「兵隊やくざ」のうち、「兵隊やくざ 殴り込み」(1967年)「兵隊やくざ 火線」(1972年)と、北原佐和子主演のアイドル映画「夏の秘密」を手がけておられる。

これは直接、東條先生に伺った話だが、東條先生は映画「座頭市」シリーズの脚本を手がけた笠原良三氏の元で、映画「座頭市」の脚本づくりに携わっている。クレジットはないが、ハリウッドでリメイクもされた(ルトガー・ハウアー主演の『ブラインド・フューリー』ね)「座頭市 血煙街道」でも、深く関わっている。

「ブラインド・フューリー」のことを東條先生に話したら、チェックのシャツに仕込み杖を持ったルトガー・ハウアーの姿に笑っておられ、「やっぱり本家の方が出来がいいなあ」なんて仰っておられた。座頭市を通して東條先生は勝氏と親交を深め、後のテレビシリーズの「座頭市物語」「新・座頭市」に深く関わっていくようになる。

テレビシリーズ、とくに「新・座頭市」は勝氏の独壇場で、現場で演出、物語構成もどんどん勝氏がひらめきで変えていくので、多くの監督、脚本家が逃げ出した、という「伝説」のテレビシリーズ。この舞台裏を支えた1人が、東條先生だった。

2008年11月28日、このブログで、僕が東條先生の死を悼んで記事を書いているので、一部訂正して、ちょっと再録したい。

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僕にとって、恩人と言える方々のお一人である、脚本家の東條正年さんが亡くなった。

80歳ということだが、まだお若く、つい先日お会いして「ゆっくり映画の話がしたいですね」と言って別れたばかり。信じられない…。

東條先生とは、僕が記者のころに知り合った。東京での脚本家暮らしにピリオドを打って、故郷の下松に帰ってこられたばかりだった。

「これから地域のために自分の経験を役立てたい」と言われ、地域の民話を題材に紙芝居を作られたり、地元の久保中学校の文化祭の演劇で脚本・演出を担当されたり、周南青年会議所が「徳山藩」の史実を題材に演劇を上演したときも、脚本・演出を担当された。

東條先生の劇場用作品で代表的なものは「兵隊やくざ・火線」「兵隊やくざ・殴り込み」だが、クレジットされているもの以外にも勝新太郎氏の座付き脚本家として、数多くのカツシン作品を手掛けている。

現場でいろいろとストーリーを変えていく勝さんのお話のつじつまを合わせていく役どころが、東條先生だったのだという。とくにテレビの「新・座頭市」シリーズは、東條先生がいなくては現場が機能しなかったらしい。

「伝七取物帳」など、テレビ時代劇の作品も多く、先日、2ちゃんねるの「時代劇脚本家を語ろう」スレで、「東條正年脚本にハズレなし」との書き込みを見つけて「早速、東條先生にお知らせしよう」と思っていたので、本当に残念だ。

あまりに身近で、今までブログで触れてこなかったことに後悔もしているが、東條先生が中学校の演劇を担当されたときは音楽を手伝ったし、周南青年会議所の演劇のときは会議所のメンバーとして、瓦版売りの役で出演もさせてもらった。

そして何より忘れられないのは、下松市音楽連盟が50周年記念で上演したオペラ「星ふるまち下松伝説」を上演したとき、東條先生が脚本・演出を、僕が舞台監督をさせてもらい、がっぷり四つでお仕事をさせて頂いたことだろう。

このオペラは、当初、オーケストラの作曲と指揮を担当された先生と、お話づくりと演劇部分の演出をされた東條先生との想いに違いがあり、その違いを埋めながら、ひとつひとつの場面を作り上げていくことが僕の仕事だった。

正直、大変だったが、「いいものを作ろう」という音楽の先生、東條先生のご協力があって、超満員の観客の前で素晴らしい舞台ができたときの感動は今も忘れられない。「上手に回ったコマのようだったね。色が違う模様が、まわるうちにひとつの違う、いい色になった」と言われた東條先生の言葉が、忘れられない。

このとき、僕はフリーになる直前だった。ずっとやってきた書く仕事はともかく、イベントやテレビ番組の演出には不安もあった。「いろんなプロの演出家とも仕事をしたが、それと比べても遜色ない。大丈夫、あんたなならできる」と言われたことが、どれだけ僕の「支え」になったことか。

思えば、東條先生から聞いた、昔の映画界の話は、本当に面白かった。カツシンさんの話はとくに強烈で、飲んでいても食べていても、カツシンさんは急に映画の構想の話を始めてしまい、即興で自分で演じて見せた。その演技は本当に魅力的で、いつもメチャクチャなことを言うので腹も立ったが、その演技を見せられると文句も言えなかったという。

それで、亡くなられる直前、東條先生が見舞いに行くと、ベッドの上でカツシンさんはお前が脚本を書いてくれ、と言うと、構想中の「最後の座頭市」の市の“ラストシーン”を演じて見せてくれたのだという。

興奮した僕が「先生、どんなラストなんですか、教えてください!!」と聞くと、東條先生は「だめだよ。勝さんはもう亡くなられたんだから、脚本家として、君でも教えられない。僕は墓まで持っていくよ」と言われた。

「いつか、聞き出してやろう」と思っていたのに、東條先生は本当にお墓まで持って行かれた。

ご冥福を、心よりお祈り致します。本当にお世話になりました。ありがとうございました。


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東條先生から聞いた、まだまだある勝氏のエピソード。

銀座のクラブで一緒に飲んでいると、勝氏が突然「新・座頭市」のある場面を思いついた、と言い出した。絵コンテを書くから、紙とペンないか、とマネージャーに要求するが、銀座のクラブにそんなものはない。

ちょうどその横に、クラブ側が勝氏に書いてもらおうとサイン色紙をたくさん用意してあった。なのに、肝心のサインペンはなぜかそこになかった。すると勝さんは「これでいい」とテーブル上にあったペンシルチョコレートでサラサラと絵コンテを描き出したという。ちなみに、勝氏は絵コンテというか、絵の才能も凄かったらしい。

後日、勝プロで打ち合わせをしていると、勝氏が「あの時の絵コンテだけど、おい、冷蔵庫から持ってこい!」とマネージャーに命じた。東條先生が「??冷蔵庫?」と思っていると、マネージャーがその時のサイン色紙の束を持ってきた。ちょうど季節は夏で、勝氏は「チョコレートだから溶けるんだよね」と言いながら、「溶けないうちに説明するぞ」と言って、キンキンに冷えた色紙を手に演出プランの打ち合わせを始めたという…。

あと、東條先生は「新・座頭市」からかなり経ったころ、仕事が一時期なかなかない時があって、あるテレビドラマの話があって急いで面接に行って、売り込みに、と思って必死にプロデューサーに「勝さんと座頭市やってました」とアピールしたら、そのプロデューサーから「東條さん、『警視K』はやってないでしょうね!もしあれをやっていたら、絶対にあなたを起用しませんよ!」と言われて必死で「あれはやっていない!」と否定して、そのドラマの脚本をやることになった、という話もしてくれた。

東條先生のその頃の口調をできるだけ再現してみる…。

「勝さんはさあ、いきなり町娘を殺しちゃうんだよ!そのあと、出てくるのにだよ!あとのこと、なーんにも考えず、その時、それが面白いからってやっちゃうからね。それでお話の辻褄が合わない、勝先生、どうしましょうか、てスタッフが聞くと、知らねえよ、そんなこと、ここは死なないとダメなんだよ、の一点張り。それで僕に電話がかかってくるのね。で、現場でお話が合うよう考える。そんなことが毎日のように続いたなあ」「警視K、あれは僕から見てもメチャクチャだったなあ。勝さんは天才だけど、筋が書ける人が付いてないと、ああなっちゃんだよなあ。珠緒さんはテレビではチャラチャラしている人を演じているけど、本当はしっかりした人でね。あの人が付いているから何とかなっている」

ちなみに、「警視K」とは、勝氏が製作、演出、脚本を手がけた刑事ドラマで、キャンピングカーで放浪し、なぜか娘(勝氏の実娘が演じている)とそこで暮らしている刑事が主人公(勝氏演じる刑事の名前が賀津勝利・ガッツカツトシ!必殺技は縄に手錠を括り付けて投げる“投げ手錠”!)で、刑事ドラマなのに事件が何も起きなかったり、延々と長回しが続いて空が写っていたりと、セリフも即興やアドリブが中心という、正に斬新で“勝ワールド”炸裂のテレビドラマだった。

その話を聞いて、リアルタイムで「警視K」を観ていた僕は大爆笑だったのだが、東條先生は「警視Kが分かるのか!君は若いのに、いろんなことを知っているなあ」と可愛がってくれた。
先生と昔の時代劇や映画の話をさせていただくことが、本当に楽しかった。

再録した記事にははっきり書いてないが、僕は音楽連盟のオペラの舞台監督をしていた頃、かなり独立するかどうか悩んでいた。佐々部監督と出会い、「映画」に再び夢を見出した僕は、踏み出す決心は固めたものの、家族もいたし、本当に会社を辞める、という踏ん切りが最後の土壇場でつかなかったのだ。

その時、「お前なら大丈夫」と背中を押してくれたのが東條先生だった。先日携わったイベントで、下松市民合唱団が、この時初演された東條先生作詞の曲を歌ったのだが、10年ぶりに聞いて僕は目頭が熱くなった。

今年、僕は独立して10周年を迎えた。先生が背中を押してくださってから、ちょうど10年になるのだ。

東條先生を偲びながら、先生が書かれた「新・座頭市」を再見したい。
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2015/4/26  17:31

投稿者:マニィ

shuwestさま、ありがとうございます!

阪本順治監督作品「座頭市 TheLast」を観て、余計に「勝さんが病床で演じたラストはどんなものだったのだろう?」と想いが強くなったものです。

是非、「座頭市」ご覧になってください。とくに1989年版は勝さんなりの「戦艦ポチョムキン」や「アンタッチャブル」を意識したのでは?というシーンや、勝さんとは因縁深い黒澤監督の「蜘蛛巣城」に対抗したかな、と思うようなアクションもあったりして、なかなか興味深い映画になってます。

2015/4/24  18:58

投稿者:shuwest

メチャクチャ素晴らしい思い出ですね!

ああ!最後の座頭市のラスト、大変気になりますね〜(≧∇≦)

あまし座頭市に縁がなかったのですが、是非観てみようと思います!

ステキなお話、本当にありがとうございました!

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