White Well Weblog

  期間限定でタイトル変更。色も変更、ガリガリ君カラーに。あちぃんだよ。

 

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©Text copyrighted by François Quevouxquien

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投稿者:bulo.com
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tramadol7.php5.cz/buy-tramadol-online.htm
投稿者:nomad
ちょ、ちょっとタンマ。
なんかねえ、今、すげえいい波動パワーがココから出てるよ。なんか降りてきたよハイヤーセルフからっ
まだちょっとまとまらないけど、近いうちになんかまとめるよ!
ちょいここに栞用にとらばっときます。

http://www.nomaddaemon.com/
投稿者:Francois Quevouxquien
■(続き)

ほりえもんの「これからのメディアはネットによる情報配信にシフトする」という考え方には賛同できます。サーチエンジンは、多分おれたちの味方です。

しかし、ある道の専門家が発信する情報以外に、職業的に雑多な新しい情報を蒐集して発信する人、つまり報道記者というのも必要だと思います。政治腐敗あるいは例えばコクド問題などのようなものは、彼らの活動によってしか伝えられ得ない質のものです。信念=イデオロギーに基づく彼らの活動に含まれる主義主張を彼らが発信する情報から切り離す手段については、第二次大戦の大本営発表時代からこちら、おれたちは既に学んでいるはずですし、ジャーナリズムのイデオロギーは自明のこととして、こちらが常に意識しておけばいい。

人間というものが、口では結構なことを言いながら旨いもん喰ってクソして異性のケツを追っかけて金欲しいなぁと考えている存在であるということをあるがままに受け容れて清濁併せ呑んでおく方が、より人間的だと考えるんですよ。

相手を否定するより、話半分でも認める方が幸せになれるんじゃないかと思います。

http://www.q-face.com/
投稿者:Francois Quevouxquien
■nomadさんがおれのところにいらしてくださったのは、「たけくまメモ」の電車男絡みのエントリに端を発しているわけで……しっかりしてください(笑)。

なんか噛み合っていないのを感じますが、おれは、新聞三面のベタ記事ならともかく、主観(勿論イデオロギーと同義で使っています)を排した情報配信は殆ど有り得ないと思っています。一次資料からの取捨選択も、主観によるわけですから。

ほりえもんの新聞構想は、おれは江川紹子によるインタヴューを通してしか知りませんが、「ライブドアのポータルに置いた記事でアクセスが多かったものを紙面に起こす」というものだと受け取っています。しかしそうした形から、何か新しいムーヴメントは生まれてくるでしょうか? ほりえもんには、nomadさんの「情報の価値は、それを見たい人の数ではない、と思うんですがねえ」という言葉を100回読ませたいです。もちろん朗読で。ライブドアポータルの動画ニュースで。

野次馬根性とジャーナリスティックな観点とは別のものだと思います。ジャーナリズムが対象を掘り下げられるのは、そこに意志があるからだと思うのです。引き替え、野次馬には意志は無い。目の前で起こっていることに「へぇ」と言うばかりです。そしてジャーナリズムの意志とは、言葉を換えれば信念というものにもなるかと思います。

おれたちがすべきは、ジャーナリズムのイデオロギー=意志=信念を頭から否定することではなく、彼らの言葉を一意見として受け止めつつ、自分の信念に則って事態を見極めることだと思うんです。

(続く)

http://www.q-face.com/
投稿者:nomad
どうもお返事ありがとうございます。
僕はなぜFrancois Quevouxquienさんのblogにたどりついたんでしたっけ?
わかんなくなっちゃいました。でもきっとこれも縁ですのでよろしく哀愁

で、ほりえもんが「いまの新聞をつぶす」という言葉はわかるんですよ。(ほりえもんのことはウソツキ呼ばわりしてはいますが)
ジャーナリズムに言論なんぞいらねえだろう。イデオロギーなんぞ百害あって一利無しだよ、って。
イデオロギーを持っているとその利益のために情報をゆがめるどころか、情報そのものを報道しないということもありますし。

ジャーナリズムが、どんなに高尚なことを言ってもやっぱり市場経済からは逃れられなくて、記事を読者が買ってくれるから産業として成り立つわけで、産業という側面から見ると読者が受け入れやすい記事を配信する必要があるんですよね。
「世界で3人のためのblog」と自称している僕のサイトでは、それなりに役に立つ情報を提供しようと努めているけれど、その情報を必要としている人の数は経済として成り立たないほど少ないです。
僕の情報がどんなに価値が高かったとしても、僕のblogは儲かりませんよね…
情報の価値は、それを見たい人の数ではない、と思うんですがねえ。

http://www.nomaddaemon.com/
投稿者:Francois Quevouxquien
■どもっす、nomadさん。

TVの演出については、『テレビの嘘を見破る』今野勉(新潮新書)という本がタメになるかも知れません。「TVは演出されるものだから心して観てくださいおながいしまつ」と、老舗番組制作会社のエライさんが読者に懇願してます。

まぁ、演出無しではあらゆる表現は成り立たないわけで、それを解ってて観たり聞いたり読んだりする分にはいいんではないかと。手に入れた素材を尺に合わせて切り取った時点で、それは既に演出。情報の取捨選択は、即ち主観の為せる業です。ノンフィクションやドキュメンタリーと言われる表現も、必ず誰かの視点を通して作られるものですから。TVのバラエティやら情報番組やらは、まぁ放っときましょう、って「トリビアの泉」はバラエティだっけ(苦笑)。

あまねくコトバには主観が伴うものだと思います。そうした表現者の主観を、鵜呑みにするかあくまで一つの意見として聞いておくかで、受け取る側の思考の有りようは変わってくるのでは無いかって思うんですよね。世論というものもつまり主観が膨れ上がったものだし、権威的なものも結局は主観。

TV番組のみならず、広辞苑のような権威ある辞書でさえ結構いい加減なこと書いてたりしますから、気を付けないと。主観が溢れる世の中では、自分が客観的になるしか正しい情報の享受法は無いような気がします。主観の上に主観を重ねるのは、ちと間抜けに思います。

とはいえ、漱石の『草枕』冒頭に想いを巡らすようになってしまうのも、我ながらどうかと思いますが。

難しいところです。

nomadさんの最後の一文、漢です。

http://www.q-face.com/
投稿者:nomad
僕は「テレビでやってるのは全部どこかにウソ・演出がある」という目で見ています。
バラエティー番組のトークは全部前もって仕込んでいることとか、いわゆる情報番組はスポンサーべったりとか。
報道番組とか、番組の中で何かを検証しているとか、あるいは偉い先生が出てきて発言するとか、それも欺瞞がどこかにあるに違いない、と見ています。
こうなってくると、テレビはフィクションの娯楽としてしか見なくなっています。
ウソツキと言われても決してひるまずにずうずうしく「そうさ、今度はどんなウソをついて欲しい?」といけしゃあしゃあとクチビルを奪います。

http://www.nomaddaemon.com/
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