高橋
Yukihiroさんとsaka
Moto龍一さんと細野haru
Omiさんが、
ソニーミュージックの商品に対して公開した
声明。
この事態、最初に目にした時には一体どういうことなのか理解できなかった。2〜3のblogサイトを回って、漸く把握した次第。
つまり、YさんとMさんとOさんは「昔のことには触れないで」と言いたいらしい。
そして、おれは良く解らないでいる。
芸術というものは、共通の財産として汎く共有されればいいのではないか、と思う。当然、制作者への還元(つまり金)がちゃんとなされることを大前提に据いて。
過去の自作品を否定するアーティストは沢山居る。しかし、そういう人の真意は、概ね「今を見ろ」というところにある。常に変化の途上にある自分の今現在を見ろ、と、例えばパブロ・ピカソなどは主張していた。
だがYMOのメンバーは、昔も今も、仕事の内容が持つカラーはそんなに変わらない(おれから見て、ね)。
Yさんは、サディスティック・ミカ・バンドのことも否定するのだろうか。Oさんは、はっぴいえんどのことも否定するのだろうか。Mさんは……考えてみれば、この人YMO以前に取り立てるべき活動って無いなぁ。キリンバンド? マイナーだよね。
YMOというユニットの特質は「ポップさ」にあったのでは無かったか。アーティフィシャルな個性を前面に打ち出すのではなく、例えば
『増殖(Multiplies)』というコトバに象徴される、ポップアート的なコマーシャリズムと没個性とに。
成る程、そういう観点に立てば、YMOというユニットの「没個性的という、個性或いは特質」が確定するより前の、ソニーミュージックが再発した音源は「YMO的ではない」のかも知れない。
でもね、アーティスト本人がそれを否定しちゃダメだって思うんですよ。
YMOというユニットが持つ(おれが考える)特質を踏まえれば、(おれが考えるに)YMOのメンバーが個性を主張しちゃいけないんじゃないかなぁ、って。
また、アーティストが自身の過去の活動を否定するのって、ズルくない? 今回再発された音源から窺えるような活動の上に、全盛期のYMOってのが成立したわけでしょ?
尊敬する三人組だからこそ、寛容であって欲しいんです。「こんな活動を積み重ねて、YMOは成長して行きました。それを知って貰うのもまた良いかも知れませんね」って言って欲しかった。
勿論、この商品を入手した人が「なんだオレがイメージしてたYMOと全然違うじゃん」と切り捨ててしまうことを牽制する
http://www.ymo.org/での声明ならば、それはそれで納得できるんですけど。
デュシャンが発明して
ウォーホールや
リキテンシュタインたちが確立した「ポップアート」っていう代物(≒コピーであっても芸術性が損なわれないアート)が持つ商業性は、アーティスト自身がコントロールできるようなものでは無いんですよ。
ジョルジュ・ルオーあたりの芸術と同列に語れるものでは無いんでね。
※いくつかこの記事からトラックバックを送りましたが、こちらからのリンクはしません。
この問題の全体像を教えて下さった某有名blogサイトは、しかしこの問題と海賊版問題とを同列に扱うという誤謬を犯してるし(誤謬は当方にこそありました。大変申し訳ありませんでした)、また、おれがこの問題を知るきっかけとなったサイトは、どこもこのことについて深くは触れてませんから。と書きつつ、
こちらが発信しているのは一次情報なのでリンク致します。

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投稿者: Francois Quevouxquien
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