2009/11/1

国宝三十三間堂  文化

第2回目の京都国立博物館の『日蓮・法華名宝展』にちなんだ講習会に、主人と出かけるついでに、私は一足早めに家を出て三十三間堂に寄りました。

次女がまだ中学生の時に、二人でこのお寺に来たことがあります。そのきらびやかな観音様が1000体も並んでいる様にびっくりして、次女などはお寺というとあるイメージを持っていやそうについてきたと思いますが、目に飛び込む数だけでなくて光り輝く観音様のお姿には感動したようでした。

クリックすると元のサイズで表示します

中央の大きな千手観音坐像を中心に、左右に各500体、合計1001体の観音様がご本尊様です。正式には十一面千手千眼観世音といい、そのお像はヒノキ財の寄木造で、頭上の11のお顔と40種の手に表現されています。中央の中尊は国宝ですが、大仏師湛慶(運慶の長男)82歳の作品と言われ、鎌倉期の名作と言われています。他の立像は124体は平安時代、800体は鎌倉期の再建の折に約16年かけて復興されたものです。

正式には蓮華王院といい、1164年後白河上皇・院政庁の一画に平清盛が造進したものです。約80年後に消失しましたが、直ぐに復興に着手され、4回の大修理をして、700余年間大事に保存されています。

正面の柱間が33あることから三十三間堂といわれています。1月中旬頃の風物詩として、頭痛封じとしての(楊枝の加持)や成人を迎えた女性達の晴れ着の(通し矢)の弓道大会は有名です。

国宝の雷神・風神像がありますが、鎌倉初期の彫刻です。躍動的な姿、風を呼び、雷を呼ぶ!と五穀豊穣をもたらす神として信仰されていたようです。他に国宝観音二十八部衆像もありますが、サンスクリット語の名前と日本名とが並べられていて、その意味することが書かれているのを読みますと、仏教の長い時空を越えた旅を感じました。さらにさらにどこまでいっても解決されない人間の様々な姿を感じながら、何ゆえ人々が信仰してきたのかと、人間本来の姿をたどる旅に自分自身が出発した気にもなりました。



1



2009/11/2  3:17

投稿者:silkcotton

KAZUKO様
お忙しい中、京都の秋の一日がKAZUKOさんに訪れるといいですね。

先日の講習会で、京都御所は戦や一揆で負けた人々が逃げ込んだら、誰でも差別なくいさせてもらえる避難場所だったと戦国時代の事を習いました。そのために常に門が開放されていたそうです。

今ではそれは夢のようになってしまいましたが。

http://white.ap.teacup.com/redrose/

2009/11/2  3:07

投稿者:silkcotton

たんと様
畏敬の念!まさにそうですね。
言葉には表せないようなものがありました。

http://white.ap.teacup.com/redrose/

2009/11/2  3:00

投稿者:silkcotton

イチロー様
足を踏み入れた途端に、その1001体の荘厳さには圧倒されますね。

http://white.ap.teacup.com/redrose/

2009/11/1  19:35

投稿者:KAZUKO

silkcotton様
こんばんは、天気予報では夕方から雨と聞いていましたが、昼過ぎに突然の大雨で、あわてました。

33間堂私も何十年か前に2度行きました。詳しい文章を読ませてもらいいろいろと思い出しています。今この年で見る33間堂はまた違うでしょうね。

今日から天皇陛下即位20年を記念して、京都御所の特別公開されますね。
こんな機会に行ってみたいと思うのですが中々思うようになりません。

2009/11/1  18:14

投稿者:たんと

私が三十三間堂に最初に入ったのは
何十年前になるのかなと昔を思い出しています。
畏敬の念を覚えたものでした。


http://www.shashin-haiku.jp/blog/211

2009/11/1  18:05

投稿者:イチロー

三十三間堂、ここは素晴らしいですね
最初に入った時は目を見張りました、多くの寺社仏閣にいきましたが印象に強く残っているところです。

http://white.ap.teacup.com/haiku51/

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




Powered by teacup.ブログ “AutoPage”