ドラフト千里眼

蔵建て男がプロ入り前に評価した選手達を、その後のプロでの活躍を検証するページ。

 
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投稿者:花京竜
ああ、そうだったか。
ありがとうございます。
その選手ですね。
阪神から来た選手でしたか。
オリックスにドラフト入団と思ってましたが、違ったんですね。
投稿者:七海
>花京竜さん

それは窪田ですね。
出身高校がその年、監督に就任した石毛氏と同じで後輩にあたるという関係もあってか、阪神から金銭トレードで獲得した投手です。

実力や投球スタイル的には、大きな欠点もなければ売りもない投手でしたね。
ストレートも球速表示としては140`代前半は出るし、制球も四球を連発するような低いレベルではない。でも、かといってそのストレートも空振りを多く取れるような球質でもなければ、制球力もアウトローなどのコーナーにビシッと決められるレベルではない。
変化球はスライダーとフォークかチェンジアップだったかな?これも一軍レベルで空振りを多く取れるようなボールではなかったですね。しっかりとした緩急をつけるようなボールもなかったですし。
さらに、フォームもオーバーじゃなくスリークオーターで、身長も低くも高くもなかった(笑)

長くなっちゃいましたが、なんというか、全ての要素で一軍レベルにちょっとだけ足りない感じの投手でした。
投稿者:花京竜
>七海さん

そうでしたか。
しっかりとみておられる方のご意見だけに、説得力もあって、私ごときとはまるで話が違う・・・・
スポーツにはメンタル面も本当に重要なんですね。
参考になりました。


そういや、このころいた、勝ち投手になった登板がプロ最後になってしまった投手(その年に解雇)は誰だったっけ?
こちらもオリックスの選手で。
その選手とちょっとごっちゃになってます。
投稿者:七海
>続き

その後は、2年目までは数字に残っているとおり、恵まれない登板機会ながらも一軍に上がれば基本は先発としてそれなりの好投を高確率で見せていました。しかし、3年目以降は変則派投手の宿命か、投げてるボール自体の悪化はあまり感じないのですが、相手に慣れられたのか一軍では成績を残せなくなり、プロで唯一の一軍白星も中継ぎで打たれた後に味方が逆転しサヨナラ勝ちで挙げたものだったと記憶しています。

結果的にはやはり1年目にイップスになったのが全てだったと思います。オリックスのホームゲームをよく解説される解説者の方も、野田浩司さんだったと思いますが、常々、彼の登板試合を解説する度に「今が悪いとは言わないが、1年目のキャンプ、オープン戦の頃のボールが忘れられない。あのボールを再び投げられれば間違いなく一軍の中継ぎとして活躍出来る」と言ってましたから。
投稿者:七海
まずは蔵さんが気にされてるような点から、
>ファームでそれなりの数字を残していたか
>らではないのだろうか。
確かに、解雇までほぼ毎年、ファームの規定投球回に達し、防御率も3点代以内の数字でした。確か解雇になった年でさえ、ファームでは主力投手で好成績だったと記憶しています。
>社会人に進んでモチベーションを維持出来
>たかは疑問の部分もあり、こういった指名
>もありなのかな?
これは本人が契約金無しでの指名を受けた理由でそう語ってましたね。「結局は社会人での2年間もプロを目指す2年間になる」と、
「それなら今入って活躍して稼げばいい」と。

で、私の彼の投球に対する評価や知ってるエピソードは、と言うと、彼は1年目のキャンプからオープン戦とかなり首脳陣の評価が高かったです。確か、そのストレートの球速表示も野球だけに専念出来る環境やプロの指導からか最速では140`を超えてたと思います。オープン戦でもリリーフとして結果を残し、その活躍は球団誌で特集記事が組まれるほどでした。しかし、最終的に開幕一軍はその年、テスト入団したベテラン山崎慎太郎との争いになり当時の仰木監督は山崎の経験を買い、北川は二軍スタートとなりました。

そしてその直後、彼は酷いイップスに陥りました。それはもう元のフォームでは捕手の捕れる範囲に投げることすらままならなかったそうです。そして、彼はイップス克服のために投球フォームを変えることを決心し、『力強いボールを投げ、力で打者を抑えることを目指したフォーム、投球』から『打者のタイミングをはずし、打ち難さを追求したフォーム、投球』を目指します。
そしてイップスを克服しシーズン終盤、一軍に上がって来た彼の投球は非常に印象的なモノでした。基本的にはサイドからのクセのあるギクシャクしたフォームから130`前後のストレートと変化球で打たせて取り、相手にファウルで粘られるようなことがあれば意表を突いてスリークォーターくらいの腕の位置からの力一杯の130`後半の真っ直ぐで打ち取ってみせたりもしました。
私、自身は当時は今以上の成績で球界を代表するスラッガーの1人だった近鉄・中村紀洋選手をファウルで粘られた最後にそのスリークォーターからの力一杯の130`後半の真っ直ぐで打ち取ったことが凄く鮮明な印象として残っています。
投稿者:花京竜
彼の2軍での成績はそこそこだったようなそうでもないような・・・・
もう一つ覚えてないなあ・・・
週刊ベースボールの全個人成績特集号は10年以上毎年買ってるんで、調べればわかるんですけどね。

寸評を見る限り、彼のようなタイプは2軍で結果を残してもあげてもらえなかった可能性があったかも。
それでもこれだけ出番をもらえたのはよかったのかな?

とにかくこのころのオリックスは投手陣の崩壊がひどく、2桁勝利投手なぞおらず、チーム防御率も2,3年続けて5点台とかだったような。
あまりにもひどいんで、2軍で少しでも結果、というかいい投球をすれば即あげてもらえるくらいの台所事情だったように記憶してます。

蔵さんの基準からすると「指名見送り」になったであろう選手。
でも2軍ではそこそこできるまとまりがあった、ということで、大化けする可能性があるかもしれない、社会人にはいかないみたいだから指名しておこう、ということになったんでしょうかね。

でも大成はさせられなかった。
素質の問題だったのか、育成の体制がだめだったのか。
このころのオリックスは大量指名で即大量解雇、ということを繰り返していただけに、どっちの可能性も十分考えられますね。
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