反原発新聞119号 1988年2月20日
窪川町長が誘致断念・辞職
崩れ去った窪川原発計画
高知県窪川町の藤戸進町長が1月28日、88年度の町当初予算案に原発誘致関連の予算を一切計上しないことを表明し、窪川原発は完全にマボロシと化した。
電力需要の低迷で過剰施設を抱える四国電力が『窪川は21世紀の電源候補地』と推進姿勢を後退させ、12月19日には地元の興津漁協が『立地の見通しも立たないのに』と立地可能調査への同意を拒否ー といった状況で、誘致の断念は当然のことと受け止められている。粘り強い反対運動の大きな成果である。原発誘致を公約にしてきた藤戸町長は翌29日,『公約を実現できなかった責任を取る』として辞任した。しかし実際のところは、町長ひとりを孤立させ、何のバックアップもしなかった四国電力や高知県当局に対する当てつけ辞職の趣が強い。
同町長は81年3月、反原発運動によってリコールされながら、立地の可否を直接住民に問う住民投票条例の制定を公約に掲げることで、4月には再び町長の座に帰り咲いた。
条例制定は82年1月の町議選では反対派が倍増、87年2月には推進・反対両派が伯仲と、仮に意欲があっても立地は難しく、推進派の中からも『原発に固執していては町づくりが出来ない』との声があがった。
『原発関連の予算を計上すれば、反対にまわる』との通告を推進派の1議員から受けての誘致断念である。
『責任をとって辞任』と言いながら、四国電力との間の立地可能性調査の協定書を破棄するなどの責任はとらない辞職で、町長がかわっても形式的には協定書は有効である。
その意味で火種を残しているとはいえ、事実上は完全に窪川原発の計画は潰えた。『原発はとめられる』という実例をまたひとつ,つけ加えて。(窪川支局)