奈留島ゴミ箱131ヶ所巡り・奈留島百人一首に続いて、天皇陵巡り掲載中。

2018/5/23

京都府立植物園  京都
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 先週土曜日、ブラブラと歩いて行ける京都府立植物園に朝の散歩。
入園料は200円、あと数カ月後には私は70歳で無料になりますので、最後の有料入園になると思うと、切符をブラブラ人に見せるかのように振りながら歩いてしまいました。
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 京都の植物園は、日本でも一番古いぐらいの植物園だと思いますが、戦後は進駐軍に接収されていて、私が中学生だったころに再開された記憶があります。
 ここでデートしたカップルは別れるという都市伝説がありますが、私の友人は無謀にもここでお見合いをしましたが、今も別れずに(我慢している?)仲良く暮らしています。
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 盆栽まであったことを初めて知りました。
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 こんなきれいなおとぎの国のような松ぼっくり?を見つけました。
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 丁度バラ園の薔薇も満開です。
若いころ、はっきり区別できた花はバラとチューリップぐらいだったと思いますが、バラも品種が多く、福江島のつばき園で咲いていたいろんな椿と、区別できないようなバラもありました。
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 これはバラではないようです。
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 土曜日の晴の朝、写生の子供たちと薔薇ほどは美しくない年寄りが目に着くバラ園です。

       返事
花水木さん:私は過ちや悪いこともする人です、
    と言いたかったのかな?
    ほんまに私は、口から出まかせを言ってる人のようですね。

2018/5/19

31-3用明天皇皇后穴穂部間人皇女  天皇陵巡り
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 前回書いたように、聖徳太子が祀られている磯長墓は、聖徳太子本人と太子の母である穴穂部間人皇女(アナホベノハシヒトノヒメミコ)と太子の妃膳部菩岐々美郎女(カシワデノホキキミノイラツメ)が埋葬され三骨一廟と呼ばれていますが、宮内庁の制札には太子の名前しかありません。
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 第29代欽明天皇と蘇我稲目の娘 小姉君(オアネノキミ)との間に産まれた6人の子供の一人穴穂部間人皇女は、同母弟に叔父の馬子に殺された第32代崇峻天皇がいます。
また、第30代敏達天皇が亡くなった時殯宮(ヒンキュウ)に押し入って、その皇后である異母妹の炊屋姫(カシキヤヒメ)を犯すことによって次の天皇を狙ったが失敗し、叔父の蘇我馬子に後日殺された穴穂部(間人)皇子(アナホベノミコ)も同母弟ですし、この時一緒に殺された宅部皇子(ヤカベノミコ)も弟とも言われています。
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 穴穂部間人皇女は異母兄の第31代用明天皇の皇后になって、聖徳太子他4人の息子を産んでますが、夫の用明天皇が亡くなった後は、夫用明の先妻であり自分の伯母でもある蘇我石木名(イシキナ)の息子、すなわち亡き夫の先妻の子(第1皇子です)田目皇子(タメノミコ)と結婚し佐富女王(サトミノヒメミコ)を産んでいます。
もっとややこしいことに、我子の聖徳太子と膳部菩岐々美郎女との子である長谷王(ハツセノオオキミ)(孫になります)が、自分の再婚して出来た娘佐富女王と結婚してるので、もうわけが判りません。
 故に、制札には単に推古天皇皇太子聖徳太子磯長墓としか書いていないこの廟には、用明天皇皇后穴穂部間人皇女磯長陵とも書かなくてはいけないはずです。
穴穂部間人皇女から見たら、自分の子(聖徳太子)と、その嫁でもあり自分の子(佐富女王)の姑でもある人(膳部菩岐々美郎女)と一緒の墓に入っているので、3人ともなかなか安らかには眠れてはいない気もします。
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 京都府の北、丹後半島に間人(タイザ)という村があって(今はブランド蟹で有名)、京都の人は海水浴に泊りがけで行くところです。
ここに一度この穴穂部間人皇女は逃れていて、再び宮に戻る時に、自分の名間人(ハシヒト)を世話になったこの地に贈ったそうですが、村人たちはそれは畏れ多いと、皇后が退座(タイザ)したということで、間人をタイザと読むことにしたと言う伝説があります。

    返事
花水木さん:ブログ上の私は、
    読者が作り上げた架空の人物にならないように、
    なるべく失敗を書くようにしていきます。
     (何を言いたいのか判らない返事になってしまいました)
タグ: 天皇陵

2018/5/13

31⁻2用明天皇皇子聖徳太子  天皇陵巡り
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 私の天皇陵巡りで一番有名と思われる、誰もが知ってる聖徳太子の順番まで来ました。
聖徳太子は皇太子止まりで天皇にもなっていず、その子供も滅ぼされた為に、今の天皇家とは繋がっていません。
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 父第31代用明天皇とその異母妹(異母妹と言っても母同士は姉妹ですのでかなり血の濃い)穴穂部間人皇女(アナホベノハシヒトノヒメミコ)との間に産まれた4人の子の一人、厩戸皇子(ウマヤドノミコ)が聖徳太子その人です。
 キリスト伝説と同じく、厩の前で産まれたのでその名があると言われていますし、10人の話をちゃんと聞き分けたということで 豊聡耳(トヨトミミ)の別名もあります。
血が濃いことが良い方に出た天才という例でしょうね。
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 第30代敏達天皇と第33代推古天皇との間に産まれた菟道貝蛸皇女(ウジノカイタコノヒメミコ)を娶りましたが、二人の間には子供はなく、蘇我馬子の娘刀自古郎女(トジコノイラツメ)との間に山背大兄王(ヤマシロノオオエノオウ)他4人を、膳部菩岐々美郎女(カシワデノホキキミノイラツメ)との間に8人の子供を、また菟道貝蛸皇女の弟である尾張皇子の娘橘大郎女(タチバナノオオイラツメ)との間には2人の子供をもうけました。
 48歳で亡くなって、叡福寺北古墳(エイフクジキタコフン)と言うこの磯長墓(シナガノハカ)(大阪府太子町)に葬られました。
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 この磯長墓は叡福寺と言うお寺の中にあって、拝所には賽銭箱もありますし、線香を立てるつぼもあったり、門には菊の御紋も付いていますし、石室入り口であるこの正面には御霊屋(オタマヤ)と言われる覆屋まで建っています。
又、制札には、推古天皇皇太子聖徳太子磯長墓としか書いてありませんが、母であり第31代用明天皇の皇后である穴穂部間人皇女と、妃であって本人の1日前に死んだ膳部菩岐々美郎女との3人で入ってる三骨一廟の可能性が高いと推定されています。
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 直径54ⅿ高さ7.2ⅿの円墳であるこの磯長墓の周りには、2重にずっと結界石と言う梵字(ボンジ)が刻まれた石柱が並べられています。
その内側の石柱は空海の寄進と伝えられてるそうです。
 ある先生の説によると、蘇我氏系の墓は方墳で、反蘇我氏系の墓は円墳と言われてますが、どう考えても蘇我氏系の聖徳太子の墓が円墳と言うのはこの説に合わず、これがこの説の欠点だそうです。
でも、山背大兄王など聖徳太子の次の世代は、その蘇我氏に滅ぼされているので、この磯長墓の形はこのことを暗示してるのかもしれません。
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 父第31代用明天皇が薨去した時はまだ14歳で若すぎましたし、蘇我馬子と共に物部氏を滅ぼし、第32代崇峻天皇が暗殺された時も20才で、叔母の第33代推古天皇(592年即位)の下で皇太子として摂政をしたのみです。
594年;仏教(三宝)興隆の詔(ミコトノリ)
603年;人材登用をはかる冠位十二階を定める
604年;有名な17条憲法制定
  太子町のマンホールの蓋にも「和を以って貴し・・・」
607年;小野妹子などを遣隋使に
 などなど、歴史で学んだり、お札でありがたがったりした聖徳太子ですが、最近はその実在さえ否定する説もあるようです。

    返事
花水木さん:真陵;本当に名前の本人が眠ってる御陵と理解してますが、
    違うかも?
タグ: 天皇陵

2018/5/9

31-1用明天皇  天皇陵巡り
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 古事記の記載最後の天皇まであと3人となってきて、この第31代用明天皇も、古事記では宮と妻子と陵を記述してるだけでした。
 でも、今までの30代の天皇の陵には、実在したかどうかも含めて、本人が入ってるかどうかさえも全て疑問が持たれているようで、ここ用明にいたって初めて、ほぼ間違いなく本人が入ってる真陵とのことらしいです。
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 第29代欽明天皇と蘇我稲目の娘 堅塩媛(キタシヒメ)との間に産まれた13人の男女のうち、最初の子 橘豊日天皇(タチバナノトヨヒノスメラミコト)は、異母兄の第30代敏達天皇が亡くなった後、磐余池辺双槻宮(イワレノイケベノナミツキノミヤ)(奈良県桜井市)で即位し第31代用明天皇(ヨウメイ)と成りました。
 ここから3代43年に及ぶ蘇我氏外戚の天皇が続き、蘇我家全盛の時代が始まります。
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 第31代用明天皇は蘇我稲目の娘 蘇我石木名(イシキナ)(すなわち実母の妹)との間に田目皇子(タメノミコ)を、葛城直磐村(カツラギノアタイイワムラ)の娘 広子(ヒロコ)との間にも1男1女をもうけますが、皇后は母 堅塩媛の妹 小姉君(オアネノキミ)の娘で異母妹にあたる穴穂部間人皇女(アナホベノハシヒトノヒメミコ)です。
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 用明天皇と異母妹の皇后 穴穂部間人皇女との間には、かの有名な聖徳太子である厩戸皇子(ウマヤドノミコ)や来目皇子(クメノミコ)・殖栗皇子(エクリノミコ)・茨田皇子(マンタノミコ)の4人の皇子が産まれています。
 この頃から皇后は天皇の娘である皇女が多く、すなわちかなり血の濃い結婚ですので、うまくいけば聖徳太子のような子供も産まれますが、病弱な子も多かったと思います。
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 用明天皇の治世の間は、蘇我馬子と物部守屋との対立が激しかった時代ですが、用明天皇は初めて仏教を受け入れる意思を示しました。
 しかしながら、即位2年目に48歳で病死(暗殺説もあるようですが)しました。587年のことです。
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 陵は最初は磐余池上陵(イワレノイケノエノミササギ)でしたが、後にここ河内磯長原陵(カワチシナガハラノミササギ)(大阪府太子町)に移されました。
ここは東西65ⅿ南北60ⅿの立派な方墳、春日向山古墳です。

    返事
花水木さん:写真隅の一輪挿しがなかなかのものらしいです。
    巣立つ前のひな鳥のまだ肢が曲がってる状態から、「すだち(巣立ち)」と言う銘。
     この子の額には3本皺があるので、まだ猿に近いですよ。
タグ: 天皇陵

2018/5/6

初節句  
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 連休ももう終わり、新緑がまぶしい季節です。
孫V⁻1の鯉のぼりも、わずかですが屋根より高く揚がっていました。
島でたくさん見ていた、大きな鯉のぼりが海からの風に乗って泳いでいた光景には負けますが、外孫ですか私の孫の鯉のぼりです。
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 近くの神社のお神輿も前の道路を巡行するので、私の孫の初節句に行きました。
まだ産まれて1ヶ月、早い初節句です。
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 お寺なので、父親の大きな全身の武具も飾ってありますし、馬や桃太郎や節句の飾りはたくさん有ります。
その中で、私の贈った兜は小さめですが、それでも飾る場所が良いせいで、立派には見えました。
内孫たちには、飾る場所もないので、小さな小さなTVの前にでも飾れる一刀彫の兜で済ませましたが、外孫には少し見栄を張ってしまいました。
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 皆で料亭料理を食べて、最後はケーキ。
料理もケーキもまだ食べられない主人公の分まで食べて、お腹いっぱいになりました。
 その日は又皆で我が家に帰ってきましたが、来週には娘も孫もお寺に帰ってしまうので、私は何にもしてませんが、少し寂しい反面肩の荷も降ります。

      返事
花水木さん:読んでないですが、
    「海辺のカフカ」とは懐かしいですね。
     私は医療関係の本は積極的に本棚から処分しつつあります。

2018/5/2

それまでの明日  趣味
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 島にいた間に本を買う習慣がなくなって、本はもっぱら島の図書館(意外と立派で選びやすい)で借りて読む習慣に変わりました。
そして、島から戻って、本屋さんがたくさん有る街へ帰ったのに、本を買う習慣は戻らず、なくなってしまっています。
 久しぶりに本屋で本を買いました。
もう本は書かないかと思っていた原さんが14年ぶりに書いた探偵沢崎シリーズの「それまでの明日
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 30年間で沢崎シリーズの長編は、わずかにこれが5作目。
30年前、私はハードボイルド小説をよく読んでいました。
外国のものばかりですが、その頃にやっと日本にも水準の高いハードボイルド作品が産まれたと、原さんのこのシリーズ読み続けてきました。
久しぶりの最新作が出たことを知ったので、おもわず買ってしまいました。
でも、時代が変わったのか、私が年をとりすぎたのか、もっと上手な作品が沢山出てきたのか、なかなか読後の評価は難しかったです。
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 ついでに、最近と言っても1ヶ月も前になりますが、「スリー・ビルボード」。
今年のアカデミー賞で主演女優賞と助演男優賞を獲った作品です。
マーティン・マクドナー監督作品は初めてですが、なかなか見ごたえありました。
自殺した警察署長の奥さんが若くて綺麗すぎるのがちょっと気になったぐらいで、解決したかと思ってドキドキしていたら、違う展開になった最後もよく出来ていて、好みにも依りますがお薦めの映画です。

    返事

花水木さん:スマホに替えた夜は、
    その使い方の不便さに後悔したのですがね。
和さん:スマホでも電話やメールは出来るようになりました。
    ラインは面倒なので、当分やらない予定ですが、どうなることやら。

2018/4/30

スマホデビュー  
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 今年の私のゴールデンウイークは、4連休・2労働・4連休です。
前半の4連休は、奈良まで天皇陵巡りや、孫たちが来てくれたり、出産お祝いの訪問者があったりで終わりそうですが、4月生まれ4人の誕生日組み合わせで買った天皇賞はもちろんダメで、阪神もしばらくは借金生活でしょうね。
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 そして、息子に付いて来てもらって、3時間かかってガラケーからスマホに交換、遅ればせながらスマホデビューしました。
2階からスマホで撮った、キャッチボールしてくれてる婿や孫のパノラマ写真です。
 まだまだ使いこなせてませんが、天皇陵を現地で見つけ易くなったら良いのですが。

   返事
花水木さん1:煩わしさから逃げ続けて70年が、
    私の人生のような気もしています。
花水木さん2:私の4人の孫のうち上2人は、出産後すぐにICUに入りました。
    今回は普通に元気に育ってるので、ありがたいことです。

2018/4/25

30−2敏達天皇皇后廣姫  天皇陵巡り
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 滋賀県の関ケ原から長浜へ向かう道、昔の北国𦚰往還(ホッコクワキオウカン)を車で走っていると、米原辺りでこの石柱が目に入りました。
 日本古代豪族の息長氏(オキナガウジ)は、この辺りを中心に栄えていたと言われる謎多き氏族らしいです。
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 第30代敏達天皇の最初の皇后が、この豪族息長氏出の息長氏真手王(オキナガノマデノミコ)の娘比呂比売命(ヒロヒメノミコト)、日本書紀では廣姫(ヒロヒメ)です。
 畑の横の陵道の向こうに、小さな円丘の陵が見えてきました。
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 第30代敏達天皇は廣姫との間に、押坂彦人大兄皇子(オシサカノヒコヒトノオオエノミコ)・逆登皇女(サカノボリノヒメミコ)・菟道磯津貝皇女(ウジノシツカイノヒメミコ)の3人をもうけています。
 ちょっとした家の庭の林、程度の陵です。
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 敏達天皇皇后廣姫息長陵(オキナガノミササギ)(滋賀県米原市)と、新しいですがワープロ文字で印刷された制札でした。
ここは村居田古墳(ムライダコフン)と言う、昔は前方後円墳であったようですが、廣姫の時代とは年代的には合わないようです。
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 裏から覗いてみると、中央が盛り土してある程度の小さな林にしか見えません。
近くにいる人に尋ねると、「横の古墳からなんか掘り出した物を、そこに埋め戻しただけの墓だよ」との答え、聞き流しましたが、そんなものなんですね。
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 陵の隣にあるお寺との境にあった小さな円墳横に、「息長陵付属地」や「息長広姫陵古墳群」の石柱も建っていましたので、ここから掘り出して陵のような形にしたのかもしれません。
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 元の道に出てみると、目の前には伊吹山がそびえていました。
 ほぼ日本列島の真ん中にある滋賀県と岐阜県の辺りに栄えていた豪族がいて、その娘が中央の大王の皇后にはなりましたが、早くに亡くなり、後妻の皇后はもっと強い豪族蘇我氏から、その後の天皇も蘇我氏系だったためか、中央の大和から離れた実家の地に、夫から離れて埋葬されたのですかね。
それでも、その孫が天皇になり(第34代舒明天皇)、今の天皇家ともつながったので、明治〜昭和になってから、新たに陵も整備された感じですかね。

    返事
花水木さん:私の母も兄弟姉妹多く、
    その兄姉のうち3組が同じ家の兄弟姉妹と結婚しています。
     丈夫な人はたくさん子を産んでいますが、
    つい最近まで、出産で親子死亡もたくさんあったようですね。
     娘も無事男の子を産んでくれてほっとはしています。
タグ: 天皇陵

2018/4/18

30−1敏達天皇  天皇陵巡り
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 桜も終わり、1ヶ月ぶりぐらいの、忘れられたかもしれない天皇陵巡りに戻ります。
 第29代欽明天皇は7人の妻に最大28人の子供を産ましていると書いて来ました。
その内皇后の石姫皇女(イシヒメノヒメミコ)は、箭田珠勝大兄皇子(ヤタノタマカツノオオエノミコ)・渟中倉太珠敷尊(ヌナクラノフトタマシキノミコト)・笠縫皇女(カサヌイノヒメミコ)の3人の子を産みました。
長男は夭折したので、第2皇子のヌナクラノフトタマシキノミコトが即位し、第30代敏達天皇(ビタツ)となりました。
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 敏達天皇は百済大井宮(奈良県桜井市・奈良県広陵町・大阪府河内長野市など諸説あり)に新しく宮を開き、在位14年48歳で亡くなり、河内磯長中尾陵(コウチノシナガノナカノオノミササギ)(大阪府太子町)に葬られました。
 陵は河内の、用明・推古・孝徳天皇や聖徳太子廟が集まっている近つ飛鳥にありましたが、判りにくい道を上って、峠にある作業所の横に、写真の参道を見つけました。
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 第30代敏達天皇の父方母方両祖父は親子である第26代継体天皇と第28代宣化天皇、両祖母は第24代仁賢天皇の娘同士の同母姉妹、故に父母はかなり血の濃い伯父と姪の関係になります。
この辺りから天皇家の血は、天皇の娘である皇女を妻にすることが多いので、濃すぎて混乱するぐらい判りにくくなっています。
 写真、丘の上の道という感じの陵道を、少し上って行きます。
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 この陵道を直角に曲がると、急に森の中の小道のようになって、鳥居が見えてきました。
 敏達天皇は最初の皇后である息長真手王(オキナガノマテノオオキミ)の娘廣姫(ヒロヒメ)との間に、押坂彦人大兄皇子(オシサカノヒコヒトノオオエノミコ)をもうけました。
皇后が薨去したため、次の皇后に後に推古天皇になる異母妹の額田部皇女(ヌカタベノヒメミコ)すなわち豊御食炊屋姫(トヨミケカシキヤヒメ)を迎え、竹田皇子他8人の子供を、又老女子(オミナゴ)に4人、菟名子(ウナコ)に2人と、計4人の妻に17人の子を産ませました。
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 この子供達のうち、廣姫との間に産まれた押坂彦人大兄皇子と菟名子との間の糠手姫皇女(アラテヒメミコ)の異母兄妹が結婚して産まれた敏達天皇の孫が、後の第34代舒明天皇(ジョメイ)になっています。
 蘇我家の血をひく蘇我稲目の娘堅塩媛が産んだ豊御食炊屋姫は、敏達天皇との間に8人の子供をもうけていますが、その子供たちの家系は誰も天皇には成りませんでした。
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 第30代敏達天皇の母親は、第28代宣化天皇の皇女で第29代欽明天皇の皇后石姫皇女ですので、その墓はもちろん御陵で、以前29−2で紹介した磯長原陵、そこに息子の敏達天皇は追葬されて河内磯長中尾陵となり、親子でここに合葬されています。
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 500年中頃の敏達の時代は、大臣蘇我馬子(オオオミソガウマコ)と大連物部守屋(オオムラジモノノベノモリヤ)が仏教の受容をめぐって対立し始めた時代ですが、敏達天皇自身は仏教に好意的ではなかったようです。

    返事 
花水木さん:金の大吉、八坂神社だけではなく、
    他の神社にも有るようですよ。
大雪男さん:セは混戦で、どこが強いのかまだわかりませんね。
タグ: 天皇陵

2018/4/13

大吉  
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 7〜8世紀の天平時代に大陸から伝わった三大染色技法
1.臘纈(ロウケチ):ロウで生地を防染する、いわゆるろうけつ染め
2.纐纈(コウケチ):生地を手で括ったり縫ったりして防染する、いわゆる絞り染め
3.夾纈(キョウケチ):板で生地を挟んで防染します。
 あまり聞きなれない3.の夾纈は、難しいので途絶えてしまった技法です。
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 この夾纈を現代に蘇らせた職人芸術家が、私の古い友人なのが、私のプチ自慢です。
彼が90歳まで生きたら、人間国宝に成れると思っています。
 そんな偉い彼ですが、私にとっては小学校からずっと遊んでいた、単なる遊び友達。
芸術家なので、なんか霊感が強い奴で、私の麻雀のあがり牌を簡単に当てたり、ロト番号もよく当ててきましたし、競馬に行く時には、最初から半数の馬がこれはこないと黒塗りした競馬新聞を持って来て、勝って帰るのはいつも彼だけ、パチンコに行くと私も出る台に座らせてくれる、貴重な友人です。
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 そんな彼も、私が島に行ってる間に病気になり、その頃から昔の感の良さもなくなってきたようで、心配してました。
  3枚とも彼の夾纈染めの作品、買いたい方は連絡いただければ嬉しいです。
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 その彼が、昨年末に毎年恒例にしてる八坂神社のおみくじで1万枚に1枚と言われる金の大吉を引き当てました。
 それによってかどうか、また調子が悪くなっていた病気の再燃も、上手に手術してもらって、悪運強くなんとか乗り切ったようです。
 正月には、このおみくじの運はすべて彼に行くようにと、見せてもらうだけでしたが、良くなったので、2月にはこのおみくじのおこぼれを貰おうと、写真にも撮って、思い切り撫ぜまわしました。
     病気;信ずれば全快
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 そしたら、3月は麻雀3回やって3回とも大勝!、競馬は久しぶりの3万馬券ゲット!など、と絶好調。
 4月に月は変わって、調子は少し下り坂ですが、4月には4人目の孫が元気に生まれて、まあ金の大吉さまさまですかね。
     勝負事;万事障り無し
     願望;諸事成果有り    おみくじの通りでした。

   返事
花水木さん:京都の男性平均寿命は都道府県中第3位。
    80歳越えてましたので、私の希望死亡年齢を今までの80歳より引きあげて、
    今は85歳に訂正しています。
     それで中の上。


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