日本の西端奈留島生活五年半を終えて、今度は日本の臍で働き出しました。再び奈留島に戻り、看板通り働いています。今度は同じ五島列島の富江で働いています。

2017/2/19

スキー  京都から
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 寒かったり、暖かくなったりの天候ですが、先々週はまた雪が積もり、スキーに行こうと出発した車は、軟弱にも大原の少し先で引き返すことになりました。
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 先週は暖かくなって雨が降りそうでしたが、もう一度スキーにチャレンジ、滋賀県と福井県の県境にある国境スキー場まで、老夫婦で出発。
1時間半で到着、少し雨も降っていましたが、平日なので空いてはいます。
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 青野原に帰っていた頃に一度行ったので、5年ぶりくらいのスキーですが、雪が悪いのか体力的な問題なのか元々これぐらいの腕なのか、なかなかつらいスキーです。
家内はそれほど急斜面でない所で転倒後立ち上がれないので、すっかり弱気になって、もうスキーは出来ないと言う始末。
私も3本だけで終了、ヒュッテでカレーうどんを食べて、午前中にスキー場を後にしました。
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 近くのマキノ高原に寄って、雪空のメタセコイヤ並木を見学して、家内は好物の栗を買って帰りました。
 来週ももう一度、スキーに挑戦です。

    返事
花水木さん:天皇陵の立札はどこも皆同じで、
    1.域内に入らぬこと
    2.魚鳥等取らぬこと
    3.竹木等切らぬこと
     と、上手なあるいは下手な字で書いてあります。

2017/2/15

1−2五瀬命  天皇陵巡り
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 五瀬命(イツセノミコト)は神武天皇の長兄です。
二人は日向の国(宮崎県)の高千穂の宮にあって、国を治めていましたが、東征することを決めて日向の国を出発、分かり難い写真の地図のように、宇佐・筑紫・安芸・吉備と瀬戸内海沿いにゆっくり東上、大阪湾に到りました。
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 ここでこの地に住むナガスネヒコの軍と戦い、敵を太陽の方向東に置いたために敗れてしまいましたので、ぐるっと南紀を廻って紀伊半島を縦断して、大和に到らねばならなくなりました。
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 この大阪湾難波の戦いで、長兄の五瀬命は手に矢傷を負い、南紀へ向かう途中の和歌山近くの男之水門(オノミナト)で、その傷が悪化したためあっけなく亡くなりました。
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 墓は和歌山県竃山(カマヤマ)にあるとの記述のごとく、和歌山市の東の方にありました。
昨年和歌山に1泊旅行したのは、ポルトヨーロッパや和歌山城に行くのが真の目的ではなく、この竈山陵に行くのが目的でした。
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 五瀬命を祀ってある竈山神社はナビですぐにわかりましたが、その真裏にあった御陵はちょっと迷いました。
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 以前に訪れた人のブログ写真では、中の方まで行けたようですが、今はここまで。
 長兄なのに末弟の神武天皇に仕えていた五瀬命は、東征途中で死んでしまいます。
なんでこういう話を古事記に入れなければならなかったのか、必ずしも長男が家長に成るのではないことの教訓として挿入されたのでしょうか。

     返事
花水木さん:私の手書きも、皆からは「読めない」と、不評です。
タグ: 天皇陵

2017/2/11

1-1神武天皇陵  天皇陵巡り
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 ウガヤフキアエズノミコトとワニのタマヨリヒメとの間には、五瀬命(イツセノミコト)・稲氷命(イナヒノミコト)・御毛沼命(ミケヌノミコト)が産まれ、さして最後4番目に若御毛沼命(ワカミケヌノミコト)すなわち神日本磐余彦尊(カンヤマトイワレヒコノミコト)=神武天皇が紀元前711年に九州で生誕しました。
 歴代天皇で近畿以外で生まれたのは、神武・応神・継体と大正・昭和天皇だけだと思います。
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 次男は母の国の海原へ、三男は常世の国に行ってしまい、長兄の五瀬命と共に日向の国を治めていた神武天皇は、アヒラヒメを妻としてタギシミミノミコトとキスミミノミコトの二人の子をもうけていました。
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 日向の地はあまりにも辺境なので東へ進もうと、何故か考えた神武天皇は、妻と別れ兄の五瀬命と息子のタギシミミノミコトを引き連れて東征を開始しました。
そして地図のような道を10年以上かけてたどって、紀元前660年辛酉正月に橿原宮で即位しました。
今の天皇が高齢で退位の話もありますが、計算上は神武天皇は111歳で即位されたことになります。
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 大和に到った神武天皇は、三輪神社の娘ヒメタタライスケヨリヒメと結婚し三人の息子をもうけけました。
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 初代神武天皇陵は畝傍山(ウネビヤマ)の麓にあって、その横には宮内庁の畝傍陵墓監区事務所があります。
土日は休みですので、一度失敗した陵印はもう一度行き直してもらいました。
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 神武天皇は紀元前585年に127歳で崩御しています(古事記では137歳)。
この様に実在も疑わしい天皇ですし、この陵もはたして誰の墓か不明ですが、さすがに初代の陵は綺麗に掃除も行き届いていました。
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 この神武天皇の畝傍山東北陵(ウネビヤマウシトラノミササギ)は15年ほど前に始めた天皇陵巡りでも来ていますが、今回も2回来て特に変わった様子は感じられませんでした。
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 天皇陵の隣にある橿原神宮、近鉄橿原神宮前駅もありますし、京都では近鉄の奈良方面行急行が橿原神宮行なので皆が知ってる名称です。
出来たのは平安神宮や明治神宮と同じく明治になってからの明治23年4月創建ですので、新しい神社です。
私の長男の息子は、その頃近くだったので、ここでお宮参りと七五三をしています。
 いよいよ待ちに待った天皇陵巡りが始まりましたが、思っていたほど自分自身の盛り上がりに欠ける文になってしまいましたね。

    返事
花水木さん:私はC型と言う名からからO型に変わったと思ってましたが、
    最近のTVで0(ゼロ)型からO型になったと知りました。
タグ: 天皇陵

2017/2/6

カタカナが多いいが復習です  天皇陵巡り
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 天皇陵巡りも始めてから4カ月ほど経ちました、でも天皇陵は一度も出てこずに、神代の時代をウロウロしていましたが、いよいよ次回から実際の天皇陵が出てきます。
 そこで今回は、初代神武天皇までの道筋をおさらいします。
カタカナばかりで読みにくいですが、復習ですのでお付き合いください。
 
 初めに宇宙に現われた三柱の天神から「地上を作れ」と言われた1.イザナギノミコトとイザナミノミコトは二人でもたくさんの神を産みましたが、最後1.イザナギの左眼から生まれたのが2.アマテラスオホミカミです。
2.アマテラスの玉飾をスサノヲノミコトが咬んで生れた神が3.アメノオシホミミノミコトで、3.はタカギノカミの娘トヨアキヅシヒメノミコトを妻として、4.ニニギノミコトの父になりました。
 2.アマテラスから「地上を治めよ」と命じられた3.は、その子4.ニニギに大役を譲りました。
 地上に降りた4.はオオヤマツミノカミの娘コノハナサクヤヒメと結婚し、5.ホヲリノカミ(山幸彦)が産まれました。
 5.は海神の娘でワニのトヨタマヒメと結婚し、6.ウガヤフキアヘズノミコトが産まれ、6.は叔母でありこれまたワニのタマヨリヒメと結婚し、7.神武天皇が産まれたのです。
   ここまでの話でやっと
    1.イザナギノミコト
    2.アマテラスオオミノカミ
    3.アメノホシホミミノミコト
    4.ニニギノミコト
    5.ホヲリノミコト
    6.ウガヤフキアヘズノミコト
    7.神武天皇
 と繋がりましたので、いよいよめでたく天皇陵巡りを開始いたします。

 今回は写真も少なく、カタカナばかりの読みにくい文ですみません!
     今回の写真はなんだと思われますか?
左肩の写真、「肩かな?」と思いますよね、正解です!
「肩かな?」⇒「かたかな?」⇒「かたかな?」⇒「カタカナ」
そうです!文もカタカナばかりでしたので、写真もカタカナにしました。

     返事

花水木さん1:若草山は単なる禿山と思います。
    私の知るB型男子は、自分勝手な奴が多いです。
和さん:B型女とA型男の組み合わせは良くないそうですが、
    私の所はA型男の私が我慢強いので、うまくいってます。
花水木さん2:色々問題の多いB型人間、
    でも何故かB型はインフルエンザには罹りにくいそうですよ。
タグ: 天皇陵

2017/2/1

若草山の山焼き  
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 写真手前の森は開化天皇陵、その向こうの緑の禿山が夏の若草山です。
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 長男が奈良の町中に住んでいるので、1月28日(土)の山焼きに皆を呼んでくれました。
近鉄奈良駅で降りて、迎えに来た長男家族と興福寺境内を寄り道、左上にチラッと見えるのが、枯れて茶色になった若草山です。
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 若草山の上にあがった花火から始まりました。
マンション最上階に住んでいるので、絶好のポイントです。
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 若草山に火が付き始めました。
孫たちは、山焼きよりもマリオのTVゲームに夢中です。
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 枯草部分の全山が一気に燃え上がると思っていましたが、意外と線状に燃えています。
五島列島福江島の鬼岳山焼きも見ましたが、知らないうちに終わってしまった印象がありました。
 奈良の若草山山焼きも、遠くで観てるせいもあるのか、全山火の海という感じではありません。
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 1時間ほどで終焉を迎えた山焼き、近鉄奈良駅のネオンが写真にすると邪魔になります。
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 でもその近鉄特急の2階立て列車の下の階にある、5人ぐらいが座れる準個室のような座席に、次男家族と乗って帰りました。

    返事
花水木さん:大学卒業してから落語家になった長男さんに続き、
    次男さんも変わりものと言うことは、
    花水木夫妻も変わりもので、面白い夫婦なんでしょうね。
和さん:鹿児島の開聞岳辺りで行われる菜の花マラソンも、
    きれいらしいですよ。

2017/1/28

菜の花  京都から
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 琵琶湖大橋の東岸にあるなぎさ公園、正月早々の新聞にもう菜の花が咲いてるとの写真があったので、雪の降った次の日の朝に行ってみました。
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 比良連峰の雪山と琵琶湖と菜の花、この写真以上になかなか絵になる風景でした。
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 これは福江島の魚津ヶ崎の菜の花畑、ここは3月頃が見頃だったような気がします。
背景が海か湖かの違いもありますかね。
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 植えてる菜の花の種類も違うのでしょうか、琵琶湖の菜の花は12月から咲いてるようで、花もしっかりして大きいような感じです。
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 京都の春はまだまだ、寒い日が続いていますが、だいぶ慣れてきました。

    返事
花水木さん:次男さんの専門が古事記と聞いて、冷や汗ものです。
     あまり嘘が書いてあったら、訂正お願いいたします。

2017/1/24

神代三陵0−10鵜葺草葺不合命  天皇陵巡り
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 ホヲリノミコト(山幸彦)とワニだった海神の娘トヨタマヒメとの間に産まれたのが、今回の天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(アマツヒダカヒコナギサタケウガヤフキアヘズノミコト)です。
 母のトヨタマヒメは、お産のワニ姿を見られたので、海に帰ってしまいましたが、産まれた子のことを心配して、乳母役として妹の玉依昆売(タマヨリヒメ)を地上に寄こしました。
 ワニの妹ですからタマヨリヒメもワニでしょうね。
でも、ウガヤフキアヘズノミコトは子守役で自分の叔母でもあるワニと結婚して(英国のチャールズ皇太子も子守役と結婚しましたね)、4人の子供までもうけました。
この4人の末弟が初代神武天皇ですので、神武天皇の血の四分の一はワニになってるのですが、あまりそのことを言う人はいませんね。

 この神代三陵の最後ウガヤフキアヘズノミコトの陵は、鹿児島県大隅半島にある吾平山上陵(アヒラノヤマノエノミササギ)で、神宮は宮崎県の鵜戸神宮ですが、これは維新後、薩摩の輩が無理矢理鹿児島県内に陵を持ってきたようで、実際は宮崎県にあるほうが納得します。
 ここにも五島列島を離れる昨年4月末に寄り道して訪れる予定でしたが、出発1週間前に熊本大地震が起こり行けなくなりましたので、今回は陵印の写真のみになりました。
 天皇陵巡り終了までには行って報告する予定ですが、完全ではなく1ヶ所だけ欠けてるのも、また良いかなあとも思っています。

    返事
花水木さん:元々猫背でポケットに手を入れて歩く私、
    初老になって、その姿ますますみじめになっています。
タグ: 天皇陵

2017/1/21

京都は連日の雪  京都から
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 1月16日月曜日、15日に続き連日積雪がありましたが、15日が15pなら月曜日は5pぐらいでした。
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 月曜日は自転車で出勤ですが、歩道の雪が残っていて滑りそうなので、この日は地下鉄で出勤しました。
 今出川駅を降りて、相国寺境内を抜けて診療所まで歩きます。
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  相国寺の雪景色は、水墨画の世界。
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 昼に帰る頃には雪は少し融けだしていましたが、枝に積もった雪が風に乗って舞っていました。
 少しもち直した天気も、週末から又寒くなってきてます。
先週にUNIQLOで買ってもらった極暖のHEATTECH、人生68年で初めてのパッチですが、めちゃくちゃ快適ですね。

     返事
花水木さん:駄文を延々と書き続けて、
    やめようとしないのは、確かにツラの皮が厚いのかも。
和さん:ひげは出ませんが、ほうれいせんが出てしまいましたか。

2017/1/18

京都の雪  京都から
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 1月15日日曜日、寒波襲来とのことでしたが、朝起きると15pの積雪。
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 2時間後、雪も融けだし、日もさしてきました。
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 時々行く宝ヶ池への散歩道、最近は北の方の病院にも自転車で行き出したので、そこへ行く道でもありますが、今日は信州のスキー場周辺の道になっていました。
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 宝ヶ池も雪景色、比叡山の山頂もわずかに見えてきました。
それでもここはうれしそうに散歩する人や、自転車で走る人もいます。
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 ベンチに積もった新雪に、思わず顔を押し付けて、雪のマスクを作りましたが、この写真では本当に私か福山雅治か判りませんね。
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 その日は、都道府県対抗女子駅伝、折り返し点ではもう茨城県の選手・コーチが待っていましたが、開催決定はまだとのことでした。
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 駅伝は始まりましたが、途中からは吹雪の中、それでも道路の除雪は完璧。
折り返し点も、朝とは違って雪が激しく舞っていました。
 最後はさされそうになった京都が振りきって、めでたしめでたしを炬燵で観戦。
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 最近の女子スポーツ選手は可愛い人が多いですが、このタスキを渡そうとしてる千葉の選手は、アイドルにしてもいけそうなぐらいのかわいらしさでしたので、今後が楽しみです。

   返事 
花水木さん:「心へこむことなど見ずに通り過ぎてしまいたいです」
    との花水木さんのコメント、私も年とればとるほど、そういう気持ちになっています。

2017/1/13

神代三陵0−9彦火火出見尊  天皇陵巡り
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 「あんたの子やで」であることを証明するために、産屋に火を付けたコノハナサクヤヒメは、無事に3人の子を産みましたので、ニニギノミコトも観念して認知したのでしょうね。
 この3人の御子は、火照命(ホデリノミコト)・火須勢理命(ホスセリノミコト)と、火遠理命(ホヲリノミコト)、別名天津日高日子穂手見命(アマツヒダカヒコホホデミノミコト)です。
この最後の末弟ホヲリノミコトが、漢字は色々な書き方ですが、今回の主人公です。
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 こんな三人の名前を聞いてもピンときませんでしょう。
でも、兄のホデリノミコトが海幸彦で、末弟のホヲリノミコトが山幸彦のことだと言ったら、皆さんにも「ああそうか」と言ってもらえると思います。
 今回のホヲリノミコトを祀る鹿児島神宮にも参りました。
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 小学校の学芸会でも見たような気がする、浦島太郎の話ともちょっと混同してしまう、「海幸山幸」の物語。
 兄のホデリノミコト(海幸彦)の使う大事な釣り針と、自分の使う弓矢を取り替えてもらった弟のホヲリノミコト(山幸彦)は、魚も釣れず、その釣り針さえ魚にとられてしまいました。
どう頼んでも許されず、自分の釣り針を返せと、兄に迫られたホヲリノミコトが泣き悲しんでいる時、塩椎神(シホツチノカミ)から綿津見の神の宮殿に行くように薦められ、そこで海神(ワタツミ)の娘豊玉姫(トヨタマヒメ)と上手に結婚し、3年間幸せに暮らしました。
 私でも島で10年以上楽しく暮らしましたが、ホヲリノミコトは3年経つと、結婚生活に飽きたのか、故郷が恋しくなったのか、なくした釣り針を鯛の喉から見つけてもらい、地上に帰ってしまいました。
地上では、お土産に貰った玉で、兄のホデリノミコト(海幸彦)を何度も懲らしめ、隼人(ハヤトビト)として家来にしてしまいました。
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 その後、海に残してきたトヨタマヒメが、海原でホヲリノミコトの御子を産むのは良くないと、地上まで訪ねてきて、渚に鵜の羽根で葺いた産殿を作り産もうとしましたが、まだ出来あがらないうちに産気づき、ホヲリノミコトに「決してお産の姿を見ないでください」と言って産殿にこもり、御子を産みました。
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 見るなと言われたら見たくなるもので、ホヲリノミコトが産殿を覗いてみると、妻は恐ろしいワニの姿に変わっていたそうで、ワニ姿を見られたタマヨリヒメは恥ずかしがって生まれ故郷に帰ってしまいました。
 ちなみに私は、万一妻がワニだったら、そのまま徳島に帰ってしまうのが悲しいので、お産には3回とも立ち合いませんでした。
 ここの陵印は前回の可愛山陵で、神代三陵合わせてもらっています。
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 ホヲリノミコト、すなわちヒコホホデミノミコトは580年間高千穂の宮にいて、その陵は高千穂の山の西にあります。
 鹿児島空港の近くにある高屋山上陵(タカヤノヤマノエノミササギ)には、2008年の奈留島からの鹿児島旅行で、フークも一緒に行っています。
 二人が陵に参拝してる間、不安げに待ってるフークの姿が懐かしいです。

    返事

花水木さん:元旦祭というのは、
    京都は日教組が強かったのか、全く知りませんでした。
大雪男さん:山村総は「ただいま11人」で、
    私はこちらの方を観ていました。
タグ: 天皇陵


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