日本の西端奈留島生活五年半を終えて、今度は日本の臍で働き出しました。再び奈留島に戻り、看板通り働いています。今度は同じ五島列島の富江で働いています。

2017/4/30

7−2孝霊天皇皇女  天皇陵巡り
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 第7代孝霊天皇は4人の妻を持ち、8人の子をもうけていますが、4人の妻のうちオホヤマトクニアレヒメノミコトが産んだのが、古事記では夜麻登登母母會毘売命(ヤマトトモモソビメノミコト)、日本書紀では倭亦亦日百襲姫命(ヤマトトトビモモソヒメノミコト)と表記されている娘(皇女)です。
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 巫女的存在として、皇女にしてはいろいろな話が残っていますが、卑弥呼のモデルではないかとの話が一番有名です。
 その墓は、奈良盆地の東の桜井市にある大市墓(オオイチノハカ)、普通には箸墓古墳(ハシハカコフン)と呼ばれています。
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 近くにあった桜井市立埋蔵文化財センターに寄って、付近の様子を勉強した後に、箸墓に向かいました。
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 箸墓を真横から眺めた写真です。
長さ280ⅿ高さ30ⅿ、右に前方部左が後円部にあたります。
3世紀中頃に作られ、日本で11番目の大きさで、全国でも古いほうの前期古墳に入る大型前方後円墳です。
卑弥呼(〜248年)と同時期に作られたこともあって、邪馬台国畿内説の人々には卑弥呼の墓ではないかと思われています。
「昼は人が造り、夜は神が造った」そうです。
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 ヤマトトトビモモソヒメノミコトは大物主神(オホモトヌシノカミ)の妻となっていましたが、夜しか来ないのでお顔が分かりませんでした。
ぜひ顔をお見せ下さいと願ったら、「櫛の箱に入ってる」と言われたので、朝になって箱を開いて見てみると、小さな蛇が入っていたので、思わず驚いて叫んでしまいました。
正体を見て驚き、恥をかかされたので、大物主神は「私は離婚して、お前に恥をかかす」と、山に帰ってしまいました。
姫は悔いて、その場にペタリと座り込んだ時、下にあった箸が陰(ホト)に刺さり死んでしまったので、その墓を箸墓という伝説があります。(ちょっと意図が不明の伝説ですね。)
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 箸墓のちょうど向かいに、昔から三輪そうめんやっまっもと♪♪
のコマーシャルソングで懐かしい三輪そうめん山本の店と広い駐車場があったので、ここに車を停めさしてもらって(もちろん帰りに細いそうめんを買いました)、箸墓をゆっくり見学に行きました。
 三輪そうめん山本は創立300年の会社ですが、看板のごとく、株式会社三輪山本に名前が変っていたのですね。
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     少し勉強というか:
 初代神武天皇から第124代昭和天皇まで、すなわち紀元前660年から1989年までの2649年間で124人の天皇ですから、1代の平均在位年数は2649÷124≒21年間。
これなら20歳で子供を産んで、20歳で即位して40歳で死んだ時に、子供が20歳になっていて、また即位して子を産むという繰り返しで、何とか計算は成り立ちます。
 これに比べて初代神武天皇から第33代推古天皇まで、紀元前660年から601年までの一蔀1260年では、1260÷33≒38年間と、これはなかなか不可能な数字です。
 さて、それで日本の始まりを紀元前660年としてしまった人たちは困ったんでしょうね。
         続く

    返事
花水木さん:カタカナで読み方を書いていますが、
    書き間違ってるような、いないような、わからない時があります。
     頑張るので、よろしくお願いします。
タグ: 天皇陵

2017/4/26

7-1孝霊天皇  天皇陵巡り
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 第6代孝安天皇の第2皇子大倭根日子賦斗邇命(オホヤマトネコヒコフトニノミコト)は黒田盧戸宮(クロダノイオトノミヤ)を作って天下を治めました。(奈良県田原本)
この人が今回の第7代孝霊天皇(コウレイ)です。
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 この孝霊天皇には4人の妻がいて、全部で8人の子をもうけています。
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 106歳で崩御し、片岡馬坂陵(カタオカノウマサカノミササギ)に葬られました。
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 この孝霊天皇陵は奈良県王子にあって、車が通る道からV字型になった石段を上がるとすぐにありました。
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 第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの9代の天皇は「欠史8代」と言って、本当に本当に存在した天皇かどうか怪しまれています。
特に第2代から第6代孝安天皇までは、古事記でも短い内容で終わっていますが、この孝霊天皇からは欠史8代でも少し長く書かれています。
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 ちょっと前まではこの陵をぐるっと回れたようですが、今はだめなようですので、私も無理はしませんでした。
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     もう一度勉強の時間:
 600年代後半、第40代天武天皇の国史編纂事業により、以前からあった帝紀と旧辞を検討して、712年太安万侶が古事記を編纂、720年には舎人親王が日本書紀を献上しています。
私の天皇陵巡りの内容も、古事記や日本書紀から成り立っています。
 そもそもなんで、日本の天皇家の始まり初代神武天皇の即位を紀元前660年にしたのでしょうか。
 ここで前回勉強した干支を思い出して下さい。
干支一周の60年を一元と言うのですが、それが21回廻る60×21=1260年を一蔀(ホウ)と言います。
そして一周60種類のうち58番目の辛酉(カノトノトリ・シンユウ)には王朝が交代する革命が、一蔀の1260年に1回の辛酉の年には大革命が起こる、との説が中国にはあったそうです。
古事記よりもっと前の帝紀・旧辞があったのが、それより100年ほど前の推古天皇の頃だとすると、その時代の601年は辛酉の年になります。(601年はたいしたことは起こっていませんが)
 601年頃、日本の天皇家の始まりはいつ頃にしようかと集まって相談した人たちは、その年が辛酉の年でもあったので、それより逆算して「一蔀の1260年前の辛酉の年が、大革命が起こって神武天皇が即位して日本が始まったとするのが、歴史もあって良いのではないか」、「そうしよう そうしよう」になってしまったのでしょうね。
これで日本の始まりは紀元前660年に決まりました、がそれによってそれに合わせないといけないことが起こってきたようです。
  続く

     返事
花水木さん:小布施の栗きんとんとおこわは、
    私には美味しかった印象がありますよ。
     桜も良いですが、梅の良さが少しわかってきた気もしています。
    今はどこも花水木が満開ですね。(満開とは言わないかもしれませんが)
大雪男さん:箱館山は反対側、北寄りの湖西の方向です。
     阪神も少しづつボロが出てきていますね
タグ: 天皇陵

2017/4/24

最後の桜  京都から
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 先週は海津大崎の桜でも船から見ようかと、マキノまで出かけましたが、1日1便になってしまっていた船は出てしまい、海津の桜ももう終わりぐらい。
箱館山スキー場にだけ、少し雪が残っていたぐらい。
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 日曜日はブラブラと北野神社まで、桜は見当たりませんが、いつも受験でお世話になってるので、お礼参りと、横の観音堂にもお参り。
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 西陣のお茶屋街である上七軒をブラブラ、ここも石畳になって電柱もなくなって、明るくなっていました。
 家内が美味しかったというケーキ屋さんで一休み。
家内が頼んだモンブランの方が美味しかったです。
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 千本釈迦堂にも30年ぶりぐらいに寄りました。
本堂横のこのチェーンの低い柵、我が家の記念碑的笑い話である、皆の前で次男が笑いながらこれを飛び越えようとしてつまづき転倒した事件、30年たってもチェーンは有りました。
次男が偉くなったら、「つまずき柵」として名所になるのですが、さすが京都の歴史は奥深い??。
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 同じく本堂前の普賢像桜はまだ満開です。
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 枝垂れ桜のおかめ桜はもう終わってました。
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 そのかわり、阿龜像の前の桜はまだ満開で、初夏のような日差しの影が、私の芸術心?を刺激しました。
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 我が家の小さな2代目桜もまだ花が付いていますが、今年の京都の桜はほぼ終了です。

     返事
花水木さん:丙午の話は統計学ではないと思います。
     丙も午も火の性らしく、それに丙午の年に江戸によく火災が起こったことや、
    八百屋お七の話と結びついて、迷信が広まったようです。
     なんで古い天皇が100歳以上の長生きなのか?
    これから私の勉強で、私なりの説明をしていきたいと思います。
     別に半年暦説と言うのもあって、
    古代日本では半年を1年と数えていたという説です。
    それなら120歳の長生きも、今なら60歳で納得。
大雪男さん:10と12の組み合わせなら120通り、
    と早とちりしてしまいますよね。
     パは今のままの順位ではないと思いますが、
    セはだいたいこの順位ですかね?!
    交流戦でどうなることやら、パに勝てそうな気はしません。
    

2017/4/21

6-1孝安天皇  天皇陵巡り
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 縦長長方形の形の奈良盆地の西南隅近くにあるのが御所市ですし、ここから24号線を南下すると、すぐに和歌山県に入ります。
 第五代孝昭天皇陵から東へ3q、第6代孝安天皇の玉手丘上陵(タマテオカノエノミササギ)は御所にありました。
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 第5代孝昭天皇の2番目の息子、大倭帯日子国押人命(オホヤマトタラシヒコクニオシビトノミコト)が即位し第6代孝安天皇として、葛城の室に秋津島宮(アキヅシマノミヤ)を置いたそうです。
姪(兄の子)のオシカヒメノミコトを妻として、二人の子をもうけ、123歳(日本書紀では137歳)で崩御と長命です。
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 初期の頃の天皇はだいたい次男がなっていますね。
長男は神に仕え第2子が国を治める、というパターンは何故なんでしょうね?
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 この陵は実際丘の上にあるので、麓に自転車を置いて、どこの陵もこんな感じの石畳の参道を上ります。
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 坂道の上に冬の午後の陽を浴びて現れたので、なかなか荘厳な感じのする陵です。
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 西に葛城の山並みも望めましたが、この陵も真正面には廻れませんでした。
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 再び下に降りて、麓を廻って陵を見上げましたが、真下にある大きな寺の建物の影になって、陵は石柱ぐらいしか見えません。
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 麓の交差点の看板の如く、高校ラグビーで今や奈良では天理高校よりも強いどころか、全国でも五本の指に入るぐらい強い奈良県立御所実業高校(ゴセジツギョウと読みますよ)は、ここにあります。
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   今回は干支(えと・かんし)の勉強をします:
 十干(ジュッカン)は現代ではあまり使いませんが、甲(コウ・キノエ)・乙(オツ・キノト)・丙(ヘイ・ヒノエ)・丁(テイ・ヒノト)・戊(ボ・ツチノエ)・己(キ・ツチノト)・庚(コウ・カノエ)・辛(シン・カノト)・壬(ジン・ミズノエ)・癸(キ・ミズノト)の十種類。
十二支は皆さんよくご存知の、子(ネ・シ)・丑(ウシ・チュウ)・寅(トラ・イン)・卯(ウ・ボウ)・辰(タツ・シン)・巳(ミ・シ)・午(ウマ・ゴ)・未(ヒツジ・ビ)・申(サル・シン)・酉(トリ・ユウ)・戌(イヌ・ジュツ)・亥(イ・ガイ)の十二種類。
 干支とは、この十干と十二支を組み合わせた(10と12の最小公倍数は60)60を周期とする数を表わす語です。
すなわち、1甲子(キノエネ)2乙丑(キノトウシ)3丙寅(ヒノエトラ)・・5戊辰(ツチノエタツ)・・・・・・43丙午(ヒノエウマ)・・・・・58辛酉(カノトノトリ)59壬戌(ミズノエイヌ)60癸亥(ミズノトノイ)の60です。
 最初の組み合わせは甲子(キノエネ)で、1924年(大正13年)はその甲子の年、その年に完成したのが甲子園球場です。
 会津藩が涙が出るほどよく戦った戊辰戦争(ボシンセンソウ)は1968年(明治元年)の戊辰(ツチノエタツ)の年に始まったのでこの名が付いています。
 大化の改新虫五匹と憶えた645年、今は大化の改新と言わず乙巳(イッシ)の変と言うようですが、645年は乙巳(キノトノミ)の年だからです。
 だから有名な丙午の年も60年に1回来るのです。
 そして61回目は又元の干支に戻るので、暦が還るということで、還暦になります。
ちなみに2週(120年)した時は大還暦と言うそうですが、我々の年代の何人かは大還暦を経験するかもしれませんね。
  ということで、干支と言う言葉は十二支だけを表わしてるのではなく、十干・十二支で干支であることを私も知りました。
これを基本に、天皇陵巡りには大事な情報なので、又勉強は続きますよ。

     返事
花水木さん:私は人情に厚く優しい人ではなく、
    ひがみっぽくって、世の中を斜めからしか見ない人間のようですよ
タグ: 天皇陵

2017/4/18

5-1孝昭天皇  天皇陵巡り
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 そもそも天皇陵巡りを始めたのは、50歳を過ぎた頃に、おのれの記憶力の衰えを自覚し、記憶力のトレーニングのつもりで、通勤電車の中で懸命に歴代天皇124人の名前を、戦前の小学生のように覚えはじめたのが発端です。
どちらかと言えば、反体制・反権力・左翼系として、人生を過ごしてきましたが、せっかく覚えたのだからと、平成15年頃から天皇陵巡りを開始しました。
しかしながら、突然奈留島に行こうと思ったため、天皇陵巡りは半分ぐらいで頓挫してしまいました。
昨年島から京都に戻ったため、また、奈留島で始めたブログのネタとして、天皇陵巡りを再開してブログで記録しておこうとしている次第です。
 前回も集めていた陵印を、今回も貰っていますが、せっかくの陵印を2.綏靖 3.安寧 4.懿徳と掲載を忘れていたので、ここに三つ並べて掲載します。
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 今回の第5代孝昭天皇(コウショウ)は、第4代懿徳天皇(イトク)が妻のイヒビヒメノミコトに産ました長男の方の御真津日子訶恵志泥命(ミマツヒコカエシネノミコト)です。
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 孝昭天皇は今の奈良県御所市である葛城の掖上(ワキノカミ)に宮殿を作って天下を治め、古事記では93歳で崩御しています。
 第5代孝昭天皇の陵である掖上博多山上陵(ワキノカミノハカタヤマノエノミササギ)は、JR御所(近鉄御所)駅から南へ1q程、1〜4代の天皇陵があった橿原からは南西に5qほど離れて有りました。
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 第5代孝昭天皇陵の陵印です。
陵印は今では各陵にあるのではなく、奈良地区はまとめて、神武天皇陵にある宮内庁の畝傍陵墓監区事務所にあります。
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 孝昭天皇陵は微妙に正面に廻ることが出来ないので、せっかく来たのに、横から写真を撮るしかありませんでした。
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 陵のすぐ横には小さいながら孝昭宮と言う神社もありました。
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 神社参道を上って行くと、小さな社があって、そこから陵の墳丘を眺められましたが、住宅街の中にある小さな丘ぐらいにしか確認できませんでした。

    返事
花水木さん:そんなに忙しくない仕事が多いですし、
    金・土・日はだいたい三連休で、これを楽しみに生きています
タグ: 天皇陵

2017/4/15

通勤桜  京都から
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 久しぶりの京都の桜、今年は長く楽しめています。
先週土曜日、月に1回だけ行く病院の外科外来、通勤途中の同志社大学の桜も満開かな。
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 今週月曜日朝、診療所の外来勤務に自転車で通勤の鴨川べりの桜も満開。
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 併設のデイサービスの皆さんが昼の花見に行っていた近くのお寺の桜、ネットで有名になって外国人が沢山観に来るようになったそうですが、もう散り始めていて、地面は真っ白。
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 午後からは北の方の病院に、精神病棟で外科のちょっとした仕事をしてます。
ここの構内にはピンク色の桜が咲き誇っていました、ベニヒガンではないようですが、職員に聞いても誰も知らず。
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 火曜日朝は、伏見の老人ホームに地下鉄とJRで出勤。
花嵐で寒い日でしたが、まだ満開ちょっと前なので、桜の花びらももっています。
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 午後は醍醐の施設に行きます。
帰り道の山科川の桜も雨と風で寒そう、帰りに醍醐の桜を観に行く予定はやめました。
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 水曜朝は又北の精神病院でちょっとだけ働くために自転車通勤。
岩倉実相院のヤマザクラはもう終わっていました。
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 木曜日朝はもう一度伏見の老人ホームに行きます。
先週はまだ蕾だった構内の枝垂れ桜も、その日は好天気で一週間で満開です。
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 午後は町中に戻って往診です。
同志社大学の桜も満開、今年は桜が遅く、入学式には完全にまにあったようですね。
 金曜日は知人を案内して大原三千院の桜を見ましたが、まだこれからの桜もありました。
でも今日、肝心の土曜日なのに雨が降ってきましたよ、これで今年の京都の桜も終わりそうです。

   返事
花水木さん:ショートケーキも苺タルトも見た目は普通です。
    料理写真はいつも食べてから撮り忘れに気づいています。
    シャコも遅れました。

2017/4/12

岡山の旅  
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 京都の桜は満開になりましたが、4月始め、予定がキャンセルになったので、急きょ変更して行った、岡山の旅の桜はまだまだでした。
 日本武尊の母親の陵が加古川にあるので、青野原の頃によく通った懐かしい道を走って到着も、あいにくその日は雨、日岡陵の日岡神社の3月31日の桜です。
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 雨が強くなってきたので、予定の姫路城見学はやめました。
私の旅行は、日程を結構しっかり決めて予習して出かけますが、その割にはすぐに予定を変更してしまう、行き当たりばったりになってしまう旅が多いです。
 瀬戸内海岸をゆっくりドライブしながら進むことにして、途中の道の駅で食べてしまったシャコの残骸、まだ小さめでした。
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 日本のエーゲ海と言われている、竹久夢二の生家もある牛窓のホテルに泊まりました。
牛窓は山陽自動車道からもはずれていますが、まだ山陽道が完成されてない頃からも結構寄っているので、もう5〜6回は来てると思います。
  
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 向かいの島に行くフェリーの発着を、なんとなく奈留島の頃を思い出しながら、ここではもっとハイカラにロマンチックに、ギリシャ料理を楽しみました。
左上の皿がギリシャのパンでチヂミ風、皆美味しかったですが、デザートが豪華で、その中でイチゴのショートケーキが、心に残るほど美味しかったです。
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 朝もバイキングではなく、4種類から選べますし、朝からミニステーキもありましたが、私が選んだのはこの魚料理。
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 家内はこのパンケーキを選びました。
ちょっと分けてもらいましたが、皆美味しかったですし、朝から贅沢な感じ。
フレーバーコーヒーであることを除いては、他はすべて満足しましたし、牛窓のこのホテルはお勧めします。
もちろん私が選んだので、そんなに高くはありません、リーズナブルでした。
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 次の日は、一転暖かく良い天気。
もちろん陵やその関連の吉備津神社・吉備津彦神社も廻り、立派でなかなか良い神社でしたが、それは後日天皇陵巡りで紹介します。
 これは有名な備中国分寺五重塔、山陽自動車道のSAに鉄製のこの五重塔が建っているのを、五島への行き帰りによく見ていましたが、本物は初めて見ます。
江戸時代のものですが、周囲の景観が良いため、高くそびえたってる印象が強く出て、奈良や京都の五重塔とはまた違った雰囲気でした。
 

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 これで周りの桜が咲いていればもっと良かったのですが、10日ほど早かったようです。
突然の旅でしたが、まあ満足した旅でした。

    返事
花水木さん:イヤイヤ!一番大きく立派に見えましたよ。
     私の友人達も、笑点観たと言ってくれました。
和さん:海津大崎の桜も観られましたか?

2017/4/9

京都の桜  京都から
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 今年は桜の満開が遅く、京都はこの週末が見頃になってしまいましたが、金・土は雨が降り、日曜朝も雨。
9時頃雨がやんだので、近くの疎水まで散歩、満開ですし、いつもより人も少ない。
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 ついでに、バスに乗って銀閣寺道まで、ここの桜も満開です。
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 銀閣寺からベタに哲学の道を歩きました。
こんなに満開の時に哲学の道を歩くのは初めてだと思います。
 キミマロズームもそろそろ替え時か、色が綺麗に出なくなったような気がしますが、腕の問題かもしれません。
 それでも京都の桜は、やっぱり綺麗ですね。
   
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 コーヒー飲んで休憩して、岡崎まで歩きました。
平安神宮の鳥居前の美術館の桜も満開です。
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 インクラインからの疎水沿いの桜、家内は乗ったことがあった十石船?も動いていました。
  
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 橋の下をくぐった船は、近代美術館沿いを走り抜けていきました。
こちら側の桜も満開です。
 ここまでで1万歩歩いたし、天気も良くなって観光客も増えてきたので、地下鉄で帰りました。
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 帰って観たのは桜花賞、池添さんのおかげで、三連複獲れました。
14番が残らなかったら、もっと万歳万歳!だったのですが、贅沢は言いません。
 それに、今日は9レース買って、なんと4レースも獲ったのですよ。
 競馬の喜びの間に、アーアと思っていた阪神まで、予想外のホームランで巨人に雪辱、これでもう少し野球を観られます。
   喜びの余韻に浸りながら、笑点も観ましたよ!!
 良き日曜日になりました!

     返事
穴狙いさん:あんたの希望に沿うように行きてるしもべですが、
      今度は大きすぎるとの文句ですか。
      今年のGT、万馬券ではないですが、やっと獲りましたよ。
花水木さん1:5月12日は、まんが悪く仕事でした。
       京都の仕事が入ったら、お知らせください。
福山市さん:福山市さんのコメントにも助けられていますよ。
      またよろしくお願いします。
花水木さん2:笑点はあまり好きでないのですが、
       40年ぶりぐらいに観ました。
        息子さん大きいですね!!

2017/4/6

名古屋市内の旅5  
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 名古屋港水族館にも行きました。
ここにはさすが名古屋、金色ではないですがシャチもいます。
    
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 シロイルカもいました。
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 オオカミウオも生きていましたが、ここでは人工砂浜を作って、飼育されてるウミガメを産卵させて、子ガメが産まれてるのには驚きました。
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 イルカのショーもありましたので、疲れ気味の二人はボーと観覧。
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 隣には、帆船をイメージしたという、ややあぶなかっしいビルである展望室と名古屋海洋博物館があり、その横には南極観測船ふじも係留されていました。
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 展望室にも登って、今行ってきた水族館や、その日は改装中で入れなかったふじを見下ろします。
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 南極で生き残っていたカラフト犬のタロ・ジロの像もありましたが、タロウ・ジロウではなかったのですね、私は今の今までタロウ・ジロウと思っていました。
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 海洋博物館は空いていたので、船の操舵シュミレーションゲームもゆっくりさせてもらいました。
お姉さんの優しい手伝いで、上手に着岸できましたよ。
 徳川美術館・徳川園・名古屋城・名古屋テレビ塔・熱田神宮宝物館・名古屋ボストン美術館・名古屋港水族館・名古屋海洋博物館・展望室と、色々有料施設に入りましたが、1日乗車券割引・シニア割引・インターネットで取り込んだ割引券など利用して、数百円安くついたのが無性にうれしかったです。

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 最後は大須観音に参りましたが、あまり有難味が感じられませんでした。
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 大阪に似た感じの、下町風の門前の賑わい、演芸場もあります。
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 ここは大正琴発祥の地のようです。
 のんびり旅行が、けっこう色々行った名古屋市内の旅、頑張りすぎてちょっと疲れました。
名古屋駅で名古屋ラーメンを食べて、帰りは普通に新幹線で帰りました。
  
  友達が字が小さくて読みにくいと、文句を言うので大きくしてみました、どうでしょうか?


   返事
花水木さん:そうですよ、日本武尊が火責めにあったのが、
    今の焼津ですよ。
     静岡県にある草薙なら、絶対これに関係ある所だと思いますよ。

2017/4/3

名古屋市内の旅4  
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 名古屋市内の旅2日目は、やっぱり?熱田神宮からです。
 スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した時に、その尻尾から出てきた剣を、姉の天照大神に献上しました。
 天孫降臨の際に、ニニギノミコトに託されたこの剣は、伊勢神宮に祀られていました。
 東国征伐に向かった日本武尊は、この剣を伊勢のヤマトヒメから袋と共に授けられ、焼津で野火で焼き殺されそうになった時に、この剣で草を薙ぎ払い、袋に入っていた火打石で迎い火を付けて難を逃れたので、この剣を草薙の剣と言うそうです。
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 日本武尊は尾張国で結婚したミヤズヒメにこの剣を預け、伊吹山に出かけて殺されます。
熱田神宮は、草薙の剣と共に、これと関係があったこれら神々を祀っているようです。
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 横には有料の宝物館もありましたが、もちろん草薙の剣は置いてありませんでした。
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 織田信長が桶狭間出陣の際に願文を奉し、今川義元の首を獲ったので、お礼に奉納した信長塀。
土塀にも日本三大土塀があって、これと三十三間堂の太閤塀、それに福男で有名な西宮神社の大練塀だそうです。
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 近くに前方後円墳のほとんどを削り取られた白鳥古墳、これを家内のスマートフォンで探し当てました。
ここも日本武尊の御陵との説があるようですが、他の三つと違って、ここは宮内庁御用達ではありませんでした。
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 地下鉄一日券を買っているので、また地下鉄に乗って金山まで戻り、今度はそこの名古屋ボストン美術館にも行きました。
丁度その日から、歌川広重の東海道五拾三次展が開催されていました。
 常設展示で、ボストン美術館から貰ったような絵でもあるのかと思っていましたが、ここは企画展ばかりの美術館の様で少し拍子抜け、まあそれでも、広重の五十三次はそれなりに観たかいがありました。
 2日目午前中でここまで廻れましたので、金山で中華の昼食です。

     返事
大雪男さん:開幕しましたが、中日とオリックスにはがっかり、
    阪神も勝ちきれませんね。
花水木さん:若いのは胃腸だけで、他はダメです。


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