奈留島ゴミ箱131ヶ所巡り・奈留島百人一首に続いて、天皇陵巡り掲載中。

2017/11/18

近場の秋  京都から
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 めっきり寒くなってきた京都、通勤途中の電車も地下鉄も観光客であふれています。
お手軽に家の窓から京都の秋を眺めます。
 目の前の柿の木。
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 教習所と球技場周囲の秋。
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 送り火の「妙」も寒そうです。
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 じっとしててはいけないので、近くを散歩。
宝ヶ池の国際会議場と比叡山。
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 紅葉は陽が当たるとよけいきれいになりますが、写真に撮ると今回はもひとつです。
写真の昨日は晴だったのに、今日は雨で、余計に寒くなってきました。

     返事
花水木さん:せこ蟹は松葉蟹のメスです。
    昔はただ同然で、子供のおやつだったそうでが、今はそうはいきません。

2017/11/15

若狭小浜  
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 奈良に行くつもりが急に方針転換で、小浜へドライブ、この辺が二人だけで気ままなものです。
 小浜の蘇洞門巡りの船は、波が高くてショートコースになっていたため断念、いつもの店で牡蠣か蟹か赤エビを食べようと思いましたが、貸し切りで満員。
 松葉カニは高かったので、せこ蟹(コッペ)を買って帰るだけにしました。(夕食は一匹ずつで結構おいしく満足しました)
 結局秋の日曜日でも誰もいなかった鵜の瀬に寄りました。
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 有名な奈良東大寺二月堂のお水取りで、井戸から汲みあげる水は、ここ鵜の瀬の水中洞窟から地下水路を通って、1年かけて流れてきた水です。
実際は、3月2日にここでお水送りをして、3月12日には東大寺でその流れてきた水でお水取りをしています。
 奈良に行くつもりが方針転換でここ小浜に来ましたが、あながち転換でもないようでした。
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 近くの明通寺(ミョウツウジ)にも寄りました。
三重塔とと本堂が国宝なので、前回の国宝展と繋がってるということにもなります。
ここには観光バスも来ていました。
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 紅葉もまずまずです。
806年に征夷大将軍坂上田村麻呂が創建したという由緒ある寺ですが、なんでこんなところに建てたのか、蝦夷征伐の帰りにでも船で若狭湾に上陸したのですかね?
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 三重塔は鎌倉時代の再建ですが国宝です。
1階は扉が開かれていて、写真撮影は禁止ですが、釈迦三尊像と阿弥陀三尊像があり、周囲の壁や柱には極彩色の絵図が色鮮やかに残されていました。
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 本堂も鎌倉時代の再建ですが国宝です。
若狭は古くから発展していたのでしょうね。
 中で詳しい説明をしてくれました。
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 本尊の薬師如来の左には、あまり聞いたことのない深紗大将(シンジャダイショウ)、西遊記の沙悟浄のモデルで頭に髑髏・腹には女性の首・手には蛇を持っています。
右には降三世明王(ゴウザンゼンミョウオウ)、両足で踏みつけているのは邪鬼ではなく、仰向けの神々の王シヴァとその妻らしいです。
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 京都はどこも紅葉だらけですが、ここの紅葉も綺麗でした。
 毎年当ててるような気がしてるこの日のエリザベス女王杯、今年はかすりもせず、昨日の麻雀も負けて、今年の秋は長く冷たい秋になっています。

    返事
花水木さん:後半が消えてしまったブログになり。
    その再掲も不可能ですが、消えた部分を読んでいただいたのは花水木さん他数人だと思います。
花水木さんの再掲分:何度書いても消えたのにはめげました。
    今回もおそるおそる送ってみます。

2017/11/11

  
 どうもみんみんを漢字にすると消えるようですので、もうこれ以上はやめます。

2017/11/11

Re変更  
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 また飛びましたので、消滅したイノダのコーヒー写真だけ出します。
どうも

2017/11/11

変更  
 文字化けを直したら、それより先の文と写真も飛んでしまいました。
変更しても直りません、花水木さんのコメントも他の人には解かりにくくなってしまいました。
 ここで続きを書きます。

 昔は300円ぐらいで済んでいた

2017/11/11

国宝展  京都から
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 京都の秋も本格化、通勤途中の地下鉄もJRも観光客がより増えました。
京都国立博物館の国宝展も混雑してるとのことで、金曜日の夕方から出かけました。
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 展覧会自体は、ロダンの考える人と木の向こうにチラッと見える新館の方です。
人は多かったですが、並ばずに入場は出来ました。
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 私のお目当ては長谷川等伯の松林図屏風、水墨画としては一番と思ってます。
確かメガネをかけ始めたころに観て、眼鏡をはずしてますますぼやーと霧の中に立つ松の姿に、同じ作品でもメガネと裸眼と2回楽しめるので、目が悪くなったのもなかなか良いものだ、と思ったことを想い出しました。
 他にも教科書で有名な源頼朝像や、最近お世話になっている日本書紀もありました。
金印は五島でそのレプリカ見て、しかも触れましたので、あまり感激はせず、火焔状の土器は今回の時期にはもう展示終わっていて、少し残念。
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 もっとたくさんの展示物があって疲れると思いましたが、意外とあっけなく終わり、満足度は50%ぐらいです。
 外に出ると、それでももう夜。
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 考える人の向こうには京都タワーが見えます。
奈留島の旧奈留小学校の考える人の向こうには、焼き肉の大正閣の看板があったことを思い出したので。
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 家内に許してもらって、焼き肉ではないですが、夕食はめちゃくちゃ久しぶりの餃子の

2017/11/8

22-1清寧天皇  天皇陵巡り
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 古事記では、第21代雄略天皇には二人の子供しかおらず、その皇子は白髪大倭根子命(シラガノオホヤマトネコノミコト)のみです。
その皇子が大和の伊波礼(イワレ)に甕栗宮(ミカクリノミヤ)(奈良県桜井市)を造り、第22代清寧天皇として天下を治めましたが、太后も御子もいなかったようです。
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 したがって、清寧天皇が崩じた後天下を治めるべき人がいないため、17−2市辺押磐皇子(イチノベノオシハワケノミコ)の妹17−3の飯豊王(イヒトヨノミコ)が、一時期天皇になったかのように書かれていましたが、清寧天皇自身の陵はどこか書き忘れています。
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 日本書紀では、雄略天皇には他にも妃がいて、全部で4人の妻から1.清寧天皇2.稚足姫(ワカタラシヒメ)3.磐城皇子(イワキノミコ)4.星川稚宮皇子(ホシカワノワカミヤノミコ)5.春日大娘皇女(カスガノオオイラツメ)と5人の子が出来、その内異母兄弟の星川稚宮皇子の反乱を焼き殺して押さえて、清寧天皇が天下を治めています。
また春日大娘皇女は後に第24代仁賢天皇の后になり第25代武烈天皇を産んでいます。
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 また日本書紀では、清寧天皇が在位中に市辺押磐皇子の遺児である億計(オケ)と弘計(オケ)が見つかり、次の御世を譲るようにして、41歳で崩御し河内坂門原陵(コウチノサカドノハラノミササギ)(大阪府羽曳野市)に葬られました。
 かくして兄弟や親族の殺しあいによって、允恭から安康・雄略・清寧と続いた家系は男系としては断絶しました。

     返事
花水木さん:そんなこと言ったってえ〜(少し甘えてみました)
    天皇陵巡り、確かに同じような写真ですね。
    周りの景色を入れたり、寄ったパフェを入れたり工夫します。
     と言いながら、今回も前回と同じような写真ですみません!。
タグ: 天皇陵

2017/11/5

21-1雄略天皇  天皇陵巡り
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 第20代安康天皇が義理の息子の眉輪王に殺されたために、安康天皇の弟の大長谷命(オホハツセノミコト)は仇を討とうと兄のクロヒコノミコを誘いましたが、賛同しなかったのでこの兄を切り殺し、もう一人の兄シロヒコノミコものんびりしていたので、生き埋めにして殺してしまいました。(この結果第19代允恭天皇の皇子5人中4人は死亡)
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 続いて、オホハツセノミコトは兄の安康天皇の殺害犯のイトコの眉輪王が逃げ込んだ家臣の家を包囲したため、家臣と眉輪王は自害して果てました。
 また以前紹介したように、第17代履中天皇の息子であるイチノベノオシハノミコはイトコにあたりますが、これを猟に誘って射殺し飼い葉桶につめて、その舎人と共に埋めていますし、イチノベノオシハノミコの弟である御馬皇子(ミマノミコ)も日本書紀では殺しています。
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 こうして大長谷命は、大和の長谷(ハツセ)に朝倉宮(奈良県桜井市)を造って第21代雄略天皇(ユウリャク)として天下を治めました。
 兄の紹介してくれた叔母にあたるワカクサカベノミコを妻としましたが、子は出来ませんでした。
又眉輪王をかくまった家臣の娘カラヒメを妻として二人の子をもうけていますが、このうち白髪命(シラガノミコト)が次の第22代清寧天皇に成りました。
 日本書紀では、その他に2人の妃から2皇子と1皇女が産まれていると書いています。
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 こうして雄略天皇は他にもいろんなことがあった後に、古事記では124歳(書紀では62歳)で亡くなって、大阪府羽曳野市にある丹比高鷲原陵(タジヒノタカワシノハラノミササギ)に葬られました。
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 陵南の森図書館に車を置いて、すぐ近くの雄略天皇陵まで歩きました。
この陵は元々円墳だったのを、無理矢理前方部を付けて前方後円墳なおしたようで、文久の修陵の時の絵図はまったく違った形をしています。

     返事
花水木さん:私も自分を小さく撮っていますが、
    それでもその立ち姿があまりにも爺さんなので・・・。
     天皇陵巡りにパフェはなかなか難しいので、堪忍して下さい。
    他の話の時にはなるべく入れるようにしますが、食べた後に写真撮影を思い出すことが多いです。
大雪男さん:昨日は遅くまでかかって、最後は寝てしまいました。
    4−2ソフトバンクと予想は当たりませんでしたので、今日の競馬もまだダメです。
    まあ丸く収まった結果ではありますね。
タグ: 天皇陵

2017/11/1

20-1安康天皇  天皇陵巡り
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 さて、第19代允恭天皇には同母である9人の子供がいましたね。
その内長男のキナシカルノミコは、妹のカルノオオイラツメと同母兄妹という禁断の恋で流罪になりました。(後に死亡)
 そして、三男の穴穂命(アナホノミコト)が石上(イソノカミ)に穴穂宮(アナホノミヤ)(奈良県天理市)を造って、第20代安康天皇(アンコウ)になりました。
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 安康天皇は9人の同母兄弟姉妹のうち弟のオホハツセノミコトの為に、祖父の第16代仁徳天皇の5番目の息子、自分にとっては叔父にあたるオホクサカノミコに、その妹ワカクサカノミコを紹介してもらうように要請しました。
快諾したオホクサカノミコでしたが、使いの者が結納品欲しさに安康天皇に嘘の報告をしたため、安康天皇の怒りを買って殺されてしまいました。
そして安康天皇は殺したオホクサカノミコの正妻であるナガタノオホイラツメを奪って、太后としたそうです。
 (でも、ナガタノオホイラツメは允恭天皇の9人の子のうちの一人なので、キナシカルノミコに続いて、安康天皇も禁断の同母姉弟で交わったことになりますが、これは非難されなかったのでしょうか?)
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 日本書紀では、キナシカルノミコは愛媛に流されたのではなく、安康天皇に攻められて自刃したことになっていますし、オホクサカノミコを殺してその正妻を自分の太后に迎えましたが、その太后はイトコのイチノベノオシハノオウジの妹中蔕姫(ナカシヒメ)と言うことになっており、されならイトコ同士の結婚なのでセーフです。
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 さてある日、安康天皇が太后にしたオホクサカノミコの正妻であったナガタノオホイラツメ(あるいは中蔕姫)の膝枕で、「おまえの連れ子の眉輪王(マヨワノミコ)が、自分の実父を殺したのが私だと知ったら、復習するんではないか。」とつぶやきました。
これをその時7歳だった眉輪王が床下で聞いて、夢中になって義理の父ではあるが実父の仇でもある安康天皇を切り殺しました。
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 こうして安康天皇は、在位3年にして56歳で亡くなり、菅原伏見西陵(スガワラノフシミノニシノミササギ)に葬られました。
 この陵は奈良市の西、第2阪奈道路宝来ランプのすぐ近くにあって、車の往来の激しい道を一歩入ると、急に陵の周りだけが静かになりました。

   返事
花水木さん:新しいデジカメでは液晶画面を反転して自撮りしますが、
    アップになったおのれの顔に愕然としてしまいました。
    ソフトフォーカスでも撮れるので、これに頼ります。
和さん:古墳パフェ、確かにもひとつでしたが、
    冷たくなって少し硬くなった絵入りのマシュマロは良い味でした。
大雪男さん:今のところ(第4戦直前)予想通りソフトバンク3連勝。
    私の予想4連勝で、今秋麻雀負け続け競馬入らなすぎの私のつきが、変わることを祈ってます。

    
タグ: 天皇陵

2017/10/28

近つ飛鳥博物館  趣味
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 今週も土・日は雨、秋華賞・菊花賞・天皇賞と三週続けて重馬場のようですね。
でも、昨日金曜日は晴。
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 大阪府の河内にある太子町へ、車に自転車とナビゲーターの家内を積んで、天皇陵巡りです。
太子町と言う名前だけあって、聖徳太子の墓や父親の用明天皇陵などが密集しているので、五つほどまわれました。
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 ついでに、近くの大阪府立近つ飛鳥博物館にも行きました。
安藤忠雄さんの設計ですので、そういう感じです。
建物も陳列物も良いと、以前から同級生からも薦められていました。
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 30年程前に発掘され、1500年ぶりに日の目を見たと、当時も話題になった大きな修羅も、保存処理して飾られていました。
 写真撮影も完全禁止ではありません。
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 どこからも見えるように中央には仁徳陵の大きな模型、ゆったりと自然に歩いて見学できるような設計になってるのは、さすがに安藤忠雄さんです。
これで特別展も含めて、65歳以上は約半額の300円、駐車場は無料、しかも無料で音声ガイドも貸し出してくれると、大阪府もやりますね。
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 喫茶コーナーで、昼ご飯のかわりに(家内のハヤシライスも少し貰いましたが)古墳パフェを食べました。
もちろんかび臭くはありませんが、味は普通です。
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 喫茶コーナーからも、秋の空が見えます。
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 吹き抜けの天井越しの秋の空は、実際よりも写真に撮った方が綺麗でした。
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 次の日が雨とは思えない秋晴れ、空にいつも現れるシミもないでしょう?、やけにしつこく秋の空の写真が続くでしょう?。
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 キャノンの40倍デジカメに、液晶画面が裏返るので自撮りも出来ると、キミマロズームを裏切って買い替えました。
これが最後のお務めとなった?キミマロズームを写し込んで、キミマロズームで撮ったCanon、ちょっと重いですが今回からはこれが私のシミなし相棒です。

     返事
花水木さん:底にひろがった薄いプリンですが、
    薄くても思いのほかプリン量もあって、美味しかったです。
     坂井さんにすぐ訂正しました、いつもありがとうございます。
大雪男さん:広島は今度こその日本一を目指すので、
    来年も広島優勝の気はします。
     今年のドラフトはどこが得しますかね?


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