奈留島ゴミ箱131ヶ所巡り・奈留島百人一首に続いて、天皇陵巡り掲載中。

2018/1/18

正月明けの旅行3  
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 牛窓を出て北に向かいます。
世界最古の庶民のための公立学校である旧閑谷学校(シズタニ)も見に行きました。
 岡山県の東の端、備前にある特別史跡です。
高校の日本史で名前を知って、「閑」の字が印象的で憶えていて、一度は行きたかって、意外と行ってなかった場所です。
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 備前焼の瓦が美しい建物群ですし、一番大きいこの講堂は国宝ですが、今も学習に使われているようです。
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 学校全体を取り囲む765ⅿの石塀が、300年を経た今もそのままに有って、丸いカーブが美しく、私はなんとなく、五島列島の福江の武家屋敷を思い出しました。
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 岡山藩主の池田光政が、庶民教育の学校を建てるように命じたのですが、実際に実行した家臣の津田永忠(ツダナガタダ)がなかなかの人物だったようで、その人が最後まで住んだ学校近くの屋敷跡のそばに、この黄葉亭(コウヨウテイ)と言う茶室がぽつんと建っていました。
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 国宝ついでに、世界文化遺産でもあり、綺麗に修理された姫路城(白鷺城)にも寄ってきました。
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 やっぱり大きい!
千円の入場料が高いか安いかは別にして(得意のシニア割引もありませんでした)、観光客は多く、天守閣の中は混みあっていました。
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 この写真を撮っていて、このアングルになんとなく見覚えがあるので、帰って過去の写真を見てみたら、
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 30年前に家族5人で来て、この場所で写真を撮っていました。
比べてみたら、30年前の方が木が多かったんですね、そして今よりはもう少し仲良しでしたね。
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 子供たちも30年間で大きくなりました。
末の娘も、今春にはお母さんになる予定です。

    返事
花水木さん:京都の湯豆腐は美味しいですが、
    値段が高すぎる気はします。
     私の愛の灯はまだ燃えているのですが、甲斐バンド以上に
       カナイ おまえの愛の灯は まだ燃えて〜いるか〜い
    と心配しています。

2018/1/15

京都にも雪が積もりました  京都から
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 日曜日朝起きたら、雪が積もってました。
この冬初めての本格的な積雪です。
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 朝早くからすべらないようにブーツを履いて、近くのコンビニまでスポーツ新聞を買いに行きましたが、雪の朝なのでそれほど寒くもありません。
 比叡山もうっすら雪を冠っていました。
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 北山通りの結婚式場の教会も雪景色。
白塗り厚化粧は嫌いですが、雪の朝の白塗りは、皆が新鮮で綺麗に見えます。
これで少し朝日があたれば最高です。
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 本日はどこにも行かず、炬燵の中から都道府県女子駅伝を観戦。
島に行ってから、高校野球でも京都と長崎の対戦がよくある気がしますが、今回の駅伝も最後は京都と長崎の2位争いでした。
 続いての競馬はやっぱり何にも入らずで、私の賭け事運は完全に落ちています。

      返事
花水木さん:行間から滲み出る私たち夫婦の仲の良さ、と言われますが、
    私たち夫婦の葛藤を、行間からは滲み出ないように書いている、
    私の筆力に感心して下さいよ。
和さん:TV人生の楽園の暮らしも羨ましいですが、
    シティボーイ?の私には、田舎で暮らす能力が全くないのが残念です。

2018/1/12

正月明けの旅行2  
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 牛窓は日本のエーゲ海なので、泊まったホテルはギリシャ料理です。
でも、夕食のギリシャ料理最後のデザートは、前回も食べた10種類ほどのケーキから好きなだけ選べる、日本風でした。
一切れが小さくなかったのと、あまりたくさん選ぶのは恥ずかしいので、二人で四つだけ選び、家内の分も少し貰いました。
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 それにもう一つ、古い形のテラミスというケーキ?も選んで、大満足でした。
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 朝食は、これも選べるジュースから苺ジュースを選び(トマトジュースではありませんよ)、美味しいのでおかわりも頼みました。
牛窓産谷口農園の苺は美味しい!!
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 サラダにも少し固めの苺が入っていて、昨夕の苺のショートケーキが美味しかったことも思いだしました。
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 家内はふわふわのパンケーキを選び、パイナップル部分を少し貰いました。
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 魚を選んだ私は、朝から鯛まるまる一匹、洋風味つけの鯛をナイフとフォークで食べるのも美味しい!
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 昨日行った前島が、ホテルの部屋から見えます。
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 ホテルの前にある、明治時代に牛窓警察署庁舎として建てられた建物の海遊文化館を見学、シルバー割引で入って、丁寧な説明も受けました。
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 瀬戸内の他の古くからの港町と同じように、ここ牛窓にも朝鮮通信使節団が15回も寄っています。
 江戸時代から明治にかけて、この町が栄えた時に出来た船形のだんじり(山車)も飾ってありました。
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 少し山側にある本蓮寺(ホンレンジ)の境内には、元禄年間に建てられた三重の塔があって、海も見渡せます。
朝鮮通信使の宿泊場所にもなっていた、静かなお寺でした。
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 私の産まれる半年前、昭和23年1月28日に、牛窓沖で関西汽船の女王丸が機雷に触れて沈没、二百十余名の人が亡くなられた、その慰霊碑が境内にありました。
私が産まれた頃は、まだまだ戦後は終わってなかったのですね。

    返事
花水木さん:キャベツは100円でした。
    帰ってからの、キャベツ豚うどんは甘くておいしかったです。
    おでんでも美味しかったですが、ちょっと柔らくなりすぎになります

2018/1/10

正月明けの旅行1  
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 昨年も泊まった岡山県牛窓のホテル、あまり同じ所には泊まらない私ですが、ここのホテルの朝食が美味しかったのと、食堂から島を結ぶフェリーの発着が見え、その向こうにある島にも渡りたくて、正月明けの連休に行ってきました。
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 ホテル横の牛窓港からフェリーで5分、120円の前島までの船の旅です。
奈留島にある前島は「まえしま」ですが、岡山の前島は「まえじま」のようですし、面積もだいぶ大きそうで、人口は180人ほどらしいです。
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 前島フェリーは2隻の船で運航しているようで、朝6時から夜10時まで40分毎の運航なのでかなり便利そうです。
 人だけで乗ったのは私たち老夫婦だけですが、車は5台ほど乗ってきました。(車でも千円台の運賃の安さ、かなり補助が出てる気がします)
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 島に降りて、二人でブラブラと近くだけの散歩コースを歩きましたが、島民には誰にも会いません。
 小豆島がまじかに見えます。
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 「ブラタモリ」で学んだ「メサ」という地形、典型的なメサの四国屋島が、台形型の姿を見せています。
さすがに瀬戸内海、波は穏やかです。
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 ここは日本の夕陽百選に選ばれていますが、今日の夕陽は雲から顔を出してくれませんでした。
 こんな風に海を眺めていると、奈留島の海を想い出します。
というか、ロマンチスト?の私は、想い出したくてここに来たのかもしれません。
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 この島にはキャベツ畑や白菜畑がたくさん有りました。
漁業ではなく農業の島のようですね。
ちなみに、白菜はこんな風に結んでおかないと丸くならないそうですね。
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 30分ほどの散歩を終えて、次の船までフェリー乗り場で休憩、ここの島の駅もっくりで、キャベツと夏ミカンを安いので買って帰りました。
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 この船に乗って帰りますが、前島から牛窓までは奈留島と前島よりも近いですね。
奈留島の前島の人たちと同じように、橋を架けようとした時に、この島の人たちも、橋が出来たら本土から悪い人たちが入ってくると、拒否したのですかね。

      返事

花水木さん:この世の中は狭いですね、
    やっぱり良いことをしておくと、巡り巡ってこのことを知ってる人に巡り合ったり、
    感謝されたりするので、こまめな善行は大事ですね。
大雪男さん:地下鉄などには、若い人や子供が溢れているのに、
    田舎には本当に子供が少ないですね。
和さん:すごい旦那さんですね、
    会って教えてもらいたいです。

2018/1/7

今城塚古墳  天皇陵巡り番外
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 4日初出勤後また4連休の今年のお正月もそろそろ終わりかけ、あと一つ新年会を残すだけになりました。
 2回目のブログは、天皇陵巡りから始めるのも読者をなくすようで、かといって正月の話題では私の気持ちも表現できず。
と言うことで、昨年書き残した天皇陵巡り番外編で妥協というかお茶を濁します。
 高槻市、ここにある大きな今城塚古墳(イマシロツカコフン)は、ほぼ第26代継体天皇陵と思われますが、宮内庁がこれを治定しなかったので、誰でも入れるどんな調査も出来る巨大前方後円墳になっています。
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 昨年12月、天皇陵巡りの番外編としてここを訪問しました。
宮内庁に治定された天皇陵なら、この外堤に拝所があって、目の前の空濠になってる外濠越しの内堤と、その向こうの見えない内濠越しに、前方部を見るだけに終わってしまいます。
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 しかしここでは、内堤の上にこの様に立つことが出来、再現されてる多数の筒型はにわが並べられた向こうには、内濠も充分見渡せます。
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 しかもここは、前方部にも後円部にも登ることが出来ます。
戦国時代には城として使われたり、伏見大地震で地滑りを起こしたので、後円部は削られ、石室や石棺などはまったく判りませんが、いつもは外から眺めるしかなかった天皇陵を、その墳丘に足を付けて、内から内堤や内濠を見てると、さすがに私もちょっと感極まってしまいました。
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 内堤の上には、埴輪祭祀場として発掘された大きな形象埴輪のレプリカが並べられていて、なかなか壮観で、その技術力にびっくりしました。
でも、これより700年ぐらい前に兵馬俑を作った中国も、昔はすごかったですよね。
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 この古墳の横には、今城塚古代歴史館が建てられていて、無料で見学できました。
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 出土した巨大な家型はにわなど、本物が並べてあって、写真撮影も許されて、ボランティアの人が丁寧に説明してくれました。
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 マンツーマンで説明してくれたボランティアの人と話していると、なんと私の小学校の先輩で、同級生の親戚でもあり家も近いことが判明、奇跡の出会いでした。
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 写真左の方に写っている宮内庁治定の次の回の継体天皇陵を巡って、右の方の今城塚古墳まで歩いてきたのですが、もう少し山側には、藤原鎌足の墓と言われる古墳もあるようで、その話も熱心にしていただいたので、興味深く楽しかったです。
 先輩、どうもありがとうございました!

      返事
花水木さん:おめでとうございます
     暮れの富士山女子駅伝で、富士山型コーンをたくさん見ました。
     最後は1週間ぐらいちょっと苦しんで、死ぬなあと思ってから死ぬのが、私の理想です。
大雪男さん:おめでとうございます
     元伊勢からその奥の眞名井神社に行く途中に、ユースを見た気がしています。
    元気に安全に山して下さい。
タグ: 天皇陵巡り

2018/1/1

おめでとうございます  
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 京都鷹ヶ峯のお寺で除夜の鐘を5回撞かせてもらって帰ってきました。
満月か、明るく寒くない大晦日です。
ガキの使いも今年は眠ってしまった時もあって、あまり熱心に観なかったので、まだ眠くありません。
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 そして、
    あけましておめでとうございます
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 面白くない天皇陵巡りも、春には京都に突入したいですが、他の記事でも頑張りますので、今年もほんブログよろしくお願いいたします。
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 今年は古希です、特に致命的な欠陥は見つけていませんが、全体に頭も体も弱りつつあります。
あと5~10年働いて、10~15年後に終わりになれば上出来だと考えていますが、どのような形で死ねるのか、まだ具体的な姿が思い浮かびません。

   返事
>大雪男さん:京都からどこへ行かれるのですか?
     祖母山も気を付けて行ってください。
花水木さん:63種類の野菜サラダ、数えられませんでしたが、
    メニューには1.なでしこから63.ビーツまで書いてありましたし、味も良かったです。
和さん:高槻の散髪代の3回分ぐらいでした。
     もう正月の仕事も無くなったので、ゆっくり皆と過ごします。

2017/12/27

12月の思い出  
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 いよいよ今年も終わりですが、12月初旬に下鴨神社に行った時は、まだ最後の紅葉があってまだ秋だったのに、もう初雪も積もり、今は雪も舞ってますので冬ですね。
下鴨神社へは孫の習字が境内に貼ってある(地元の子供なら誰でも、上手下手は問いません)ので、見に行ったのです。
何故か、幼稚園児の孫は「ほしのカービィ」と、小二の孫は「力づよく生きる」と書いていました。
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帰り道にぶらっと入ったフランス料理店のランチ、前菜と鹿ケ谷カボチャのポタージュに続いて出てきたのが、この63種類の野菜・花・野草のサラダ、直径20p以上あって綺麗なのにびっくり、ここまででちょっと腹も大きくなりました。
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 メインは牛肉の赤ワインソースで、その後デザートのカシスモンブランのケーキが出た後、コーヒーにも写真上方の小菓子が付いて来ました。
苦しくなってきたのと同時に、ランチにしてはちょっと高い店に入りすぎたかと思ったのですが、会計の家内から聞いた値段は、ホッと胸をなでおろす金額で、良かった!また行けると思っていたら、数日後のTVでこの店紹介されていました。
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 神戸に買い物に行った日は、久しぶりの元町で、観音屋の名物チーズケーキを家内は食べましたが、私はこのコーヒーゼリー様パフェです。
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 天皇陵巡りは阪急電車で、高槻から富田へは普通電車に乗り換えて行きました。
昼の普通電車の先頭車両の乗客は私一人、運転手さんは銀河鉄道999のメーテルさんみたいでした。
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 降りた摂津富田は、さすがに北大阪でした。
有料の駅前自転車置き場「チャリンコの家」は、1階は150円・2階は100円って、なんか納得できた、さすが大阪!
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 またある日、よく行くスーパ近くの若々しい店で、軽いランチの大きな玉子サンド。
私は玉子サンド好きですが、やっぱり昔風のゆで卵をつぶしたような玉子サンドの方が好みです。
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 またある日、友達が日展作家なので(最近は別の友達の奥さんまで、日展作家になりました)、日展初日にも出かけました。
今年は京都市立美術館が改装中なので、会場は近くの「みやこめっせ」と「京都市美術館別館」で開催されていますが、さすがに狭い。
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 南座も耐震工事中なので、今年の顔見世興行はロームシアターであります。
京都の師走風景まねきも、ロームシアター前にちょっと不自然にあがっていました。
  12月も残り数日、仕事は明日1日だけになりました、さすがに観光客も減ってきたので、京都観光でもしますかね。

     返事
花水木さん:「神代の昔から、一番性質の悪いのは人間」、
    なかなか素晴らしいお言葉ですね。

2017/12/24

25−1武烈天皇  天皇陵巡り
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 古事記の武烈の記述はかなり少ないです。
第24代仁賢天皇が、第21代雄略天皇の娘の春日大郎女を妻として産ませた、小長谷若雀命(ヲハツセワカサザキノミコト)が大和の長谷(ハツセ)に列木宮(ナミキノミヤ)(奈良県桜井市)を造って、そこで第25代武烈天皇(ブレツ)として天下を治めました。
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 しかし、日嗣の御子がいなかったので、応神天皇の5世の孫の袁本杼命(ヲホドノミコト)を近淡海(チカツオウミ)から呼んで、仁賢天皇皇女の手白香皇女(タシラカミノミコト)と結婚させ、次の天皇にしたと書いてあるだけでした。
 志都美神社(シズミジンジャ)に車を停めて、陵に沿って回り、拝所を探しました。
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 でも、日本書紀では天皇になってからの武烈は、妊婦の腹を裂いて胎児を見る、生爪を剥がしてから芋掘りをさせる、樋から人を流して下で待ち受け矛で刺す、髪を抜いて木に登らせその木を切り倒す、木に登らせて弓で射落とす、女と馬を交わらせる、と悪行の限りを尽くしたように書いてあります。
 刈り入れまじかの秋の田と御陵の間の細い道を通って廻っていきます。
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 こんなおぞましい悪行を先祖がしたのだと書くのは恥ずかしいと思うのですが、これは第16代仁徳天皇と言う聖帝の良き政治が、第25代武烈天皇の悪逆無道の天皇で断絶したという、中国の王朝交代思想の影響らしいです。
日本書紀が書かれた頃の人は、万世一系とは思っていず、その時の天皇と武烈以前とははっきり繋がっていないと思っていたので、こんな悪人に書いたのではないでしょうか。
 こうして仁徳天皇から続いた家系は、その子允恭天皇の家系も、履中天皇からの家系も途絶えてしまい、仁徳天皇直系の男子は滅びたので、仁徳の父である第15代応神天皇まで遡って繋げるしか道は無くなったのです。
 最後は入ってはいけないような所を通り抜けて、拝所に出てきましたが、拝所捜しは一番遠回りしたようです。
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 武烈天皇は在位9年、18歳で(57歳・61歳説もあり)亡くなり、この傍丘磐坏丘北陵(カタオカノイワツキノオカノキタノミササギ)(奈良県香芝)に葬られました。
  制札も新しく、砂利もきちっと掃かれている陵でしたが、最後私はその砂利の掃き目を荒らしながら前方に出てきました。
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 ここは宮内庁管理の常駐する職員のいる御陵だったので、数名の人が働いていました。
中から出てきたのが見つかったら怒られるところでしたが、危うくセーフ。
  今年もあと1週間! 
   今日はこれから高校駅伝観て、有馬で儲けて、年賀状を書きあげます!

    返事
花水木さん:古事記の時代が終わったら、
    長いカタカナ名が無くなるので、まだ読みやすくなると思います。
      よろしく
タグ: 天皇陵

2017/12/20

24−1仁賢天皇  天皇陵巡り
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 弟の顕宗天皇が亡くなった後、その兄であるオケノキミは大和の石上(イソノカミ)に広高宮(ヒロタカノミヤ)(奈良県天理市)を造って、そこで天下を治め第24代仁賢天皇(ニンケン)になりました。
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 古事記はこの第24代から最後の第32代推古天皇までは、短い文で子供や陵のことを記述するだけで、間違いもありますし、そろそろ日本書紀も編集されはじめたので、詳しい話はそれにゆだねるのか、もう稗田阿礼(ヒエダノアレ)も太安万侶(オオノヤスマロ)も疲れてきたのか、尻すぼみになっています。
 天皇陵の駐車場は、無断駐車が多くなってきたのか、ほとんどがこの様に鎖で閉鎖されているところが多くなっています。
車はもう少し向こうの広い所に停めて、なにもない駐車場から仁賢天皇陵の参道を見てる写真です。
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 仁賢天皇は父の仇でもある第21代雄略天皇の娘であるにもかかわらず、春日大郎女(カスガノオホイラツメ)を妻として、1.高木郎女(タカキノイラツメ)2.財郎女(タカラノイラツメ)3.久須毘郎女(クスビノイラツメ)4.手白髪郎女(タシラガノイラツメ)5.小長谷若雀命(ヲハツセノワカクサノミコト)6.真若王(マワカノミコ)を産ませ、糠若子郎女(ヌカノワカゴノイラツメ)を妻として、7.春日山田郎女(カスガノヤマダノイラツメ)を産ませ、計7人の御子がいたことになります。
このうち5.のヲハツセノワカクサノミコトが次の第25代武烈天皇になっています。
  陵道はアパートの間を縫って続きます。
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 雑然とした畑と倉庫の間から拝所が見えてきました。
古事記では、その陵の名も書かれていません。
 日本書紀では、微妙に子供の名前も数も変わっていて、皇子は一人になっていますが、それでも3人の皇女が継体天皇系の皇后になって、かろうじて女系として仁徳系が未来に繋がっています。
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 仁賢天皇は在位11年にして50歳で、宮があった奈良県から遠く離れたこの埴生坂本陵(ハニュウサカモトノミササギ)(大阪府藤井寺市)に葬られています。
  すぐ横には民家の壁もある拝所と陵ですが、周濠も残っていました。
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 古市古墳群に属する陵墓も、残るは安閑天皇陵のみになりました。
半分都会で半分田舎のようなこの辺りは、どっちつかずでなかなか微妙な地域です。
  看板と書いて来ましたが、正しくは制札(セイサツ)と言うそうです。

   返事
花水木さん:拝所を撮らなければならないし、
    制札も入れて、陵印も一応並べると、皆がほぼ同じになりますね。
    変化を考えているのですが、花水木さんのリクエストに応えるには力量不足です。
    その中でなんとか工夫していきますので、見捨てないようにお願いします。
タグ: 天皇陵

2017/12/15

23−1顕宗天皇  天皇陵巡り
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 さて、久しぶりの天皇陵巡りなので、少し前のブログを思い出して下さい。
第21代雄略天皇は、伯父である第17代履中天皇の息子、すなわち自分の従兄弟である市辺押磐皇子(イチノベノオシハオウジ)を射殺して、飼い葉桶につめて埋めてしまいましたね。
殺された市辺押磐皇子の子供二人、オケノキミとヲケノミコトはすぐに播磨の国に逃れて、馬飼・牛飼に身をやつして暮らしていました。
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 播磨の長官だった小盾(ヲタテ)が新築の家の宴に招かれた時に、そこにいた少年二人が舞い踊って、自分たちが市辺押磐皇子の子供であることを告げました。
いわゆる貴種流離譚(キシュリュウリタン)の話は、ここから始まります。
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 二人が見つかった時、古事記ではもう先代の第22代清寧天皇は死去していて、市辺押磐皇子の妹とも娘とも書かれている17−3飯豊王が天下を治めていて、これを喜んだと書かれています。
また日本書紀では、清寧天皇は生きていて、喜んでこの二人を宮中に迎い入れたと書いてあります。
 その後二人は互いに譲り合った後に、兄は弟が積極的に名乗り出たから今があるのだと、弟に天下を治めるように言いました。
 こうして弟のヲケノイワスワケノミコトは、近飛鳥八釣宮(チカツアスカノヤツリノミヤ)(奈良県明日香村)を都として即位し、第23代顕宗天皇(ケンゾウ)となりましたが、子供はできませんでした。
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 顕宗天皇は殺された父の遺骨を捜し当てて、滋賀県の蚊屋野(カヤノ)に共に殺された舎人との双墳の墓を作った話は、17−2(9月17日)で紹介しています。
 また父を殺した第21代雄略天皇を恨んで、その御陵を破壊しようとしましたが、兄に諭されて、その陵の片隅の土を少しだけ削るだけにしたそうです。
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 顕宗天皇は在位8年、38歳で崩御し、傍丘磐坏丘南陵(カタオカノイワツキノオカノミナミノミササギ)(奈良県香芝町)に葬られました。
 この顕宗天皇陵は、交通量の多い国道168号線のすぐ横にありました。
近くの喫茶店に車と家内を置いて、少し歩いてこの陵に参拝しています。
 ということで、1ヵ月ぶりの天皇陵巡りに帰ってきましたが、また花水木さんに怒られそうな同じような写真になりましたよ。

   返事
花水木さん:高校修学旅行は夜行列車で鹿児島まで行きました。
    阿蘇がススキだらけだったこと、
    前に座った同級生のかわいい女子のスカートが、風で思い切りめくれ上がったこと、
    夜中の岡山駅ホームでかけっこをしたこと、
    ぐらいしか覚えていませんね。
大雪男さん:源五郎丸さんは一時滋賀県でスポーツ店をやっていた記憶があります。
    黒川温泉も外国人のぶらぶら歩きが多かったですよ。九州の観光地はどこもそうですね。
    久留米ラーメンではなく熊本ラーメンでったので、あっさりでした。
和さん:本日、茨木から高槻へ古墳巡りで歩きました。
    和のブログも3カ月空いてますよ!もう少し書いてください。
タグ: 天皇陵


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