雨。
8時から。
…お。
公休のあいだに、当社労組・副○○長決選投票の開票があったようで。
結果が貼りだしてある。
ばんざーい、ばんざーい。
ばんざあい。
Kちゃん当選。
わい、落選。
よ、よかった。
これでまあ、とりあえず、「履歴書もってハローワーク」も先送り、か。
とりあえず、ね…。
…。
9時40分、桟橋から立ヶ谷まで、おっちゃん、500円。
雨あがって陽がさす。
10時45分、はまゆう病院から大浦まで、おばちゃん、500円。
ヒマすぎてどうしようもないんで、飯。
からあげ弁当500円なりを美味しくいただく。
12時、古賀浦から田辺まで、女性1人、2840円。
「オーランドー」(ヴァージニア・ウルフ著/杉山洋子訳)
http://www.bk1.jp/product/01779558読了。
これは…。なんともいえぬ読後感。16〜20世紀を生きつづけ、男性であったのがなぜか途中から女性になり、著者の執筆当時である1928年に至って幕を閉じるという物語。著者のくすくす笑いの、おいでおいでに主人公ともども読者が追いついた瞬間、著者とその「被造物」である主人公が一体になるわけで、よって読者もある種の達成感というか崩落感にまきこまれる。これが小説の醍醐味とまではいわないが、読後長らくウルフの人格からにじみでたものに浸され、この本の毒気というかその一歩手前の愛であるような情熱にいまだあてられたままであり、この凄味よ。
「ではいっしょに行きましょう。この夏の朝、人みなスモモの花とミツバチを賞でています。もぐもぐ口ごもりながら、椋鳥(雲雀より愛想のよい鳥だから)にきいてみましょう。ごみバケツの縁にとまって小枝に絡んだお手伝いさんの抜毛を選り出しながらお前はいったいなにを考えてるの? ときいてみよう。人生とはなに? と農園の門にもたれてきいてみる。すると鳥は、人生、人生、人生! と叫ぶ。(…略)連中はここにやって来て、わたしに人生とはなに? 人生、人生、人生とはなに! ときくんです、と鳥が鳴く。
(略)キリギリスは言う(やさしく聖なる虫の声を言葉にするなら)「人生は労働なり」と。塵まみれの震え声はそう聞こえる。蟻も蜜蜂もそのとおり、というけれど、このままじっと寝そべっていて、夕暮、ヒースの釣鐘花が白っぽく見える頃そうっとやってくる蛾にたずねれば、蛾は、雪嵐にうなる電線の歌のようなたわごとをこの耳にささやくことでしょう。ヘッヘッホッホ、笑いだ、笑いだ! と蛾は申します。
人にも鳥にも虫にもきいてみました、(…略)とにかく、魚以外のみんなにきいてみたけれど、いっこうに知恵もつかず、ただ年老い冷え冷えとなるばかり(これぞ人生の意味なり、と誓えるような固く貴重なものを一冊の本に包みこめますように、と、あの時祈ったのに?)それで戻ってきて、待ち焦がれている読者に、人生とはなにかずばり聞かしてあげたいのだけれど――ああ、わからないのです。」(P238〜239)
…。
つづいて、「人は見た目が9割」(竹内一郎著)
http://www.bk1.jp/product/02603174を読みはじめる。
で、18時35分、アクアマリンシラハマから民宿塔島館まで、Kスポーツ未収。
まで。
午前中はどうなることかと思うたが、午後はけっこう稼動して、本日トータル12回走って本日終了となったのでした。