この海面には3年ほどしか係留できなかったが、この海面に居た時、1991年11月24日にサムシングVが進水した。当時、某女子大の美術デザイン科の講師もやっていたこともあって、女性クルーを養成し、女性だけでサムシングを動かしてみたくなった。
ツボヰ造船所へ出かけた。横山設計のSWIN31にしようか、アメリカズカップで好成績を残しているブルース・ファー設計のSWIN28にしようか迷ったが、SWING28をサムシングVにした。金額はさほどかわらなかったが、女子クルーのハンドリングし易さを優先した。これで大型艇を抜こう!(笑)。
1987年、Nifty(パソコン通信)が立ち上がり、立ち上げ時の某フォーラムのサブシスをやっていたこともあって、この時の進水式には大勢のネット仲間が訪れてくれた。オフ会と言う名前すら無かった頃かも。
CG画像のように埋め立てが始まって行った。毎日空から見ているわけじゃあないので、何かあっけなく終わってしまった気がする。が、何か大事なモノが埋められてしまった気もした。
その一つが、上架場の前の防波堤。浮き桟橋へ降りるための通路を掛けた防波堤。みんながシャワーを浴びた防波堤。あれは「清水の次郎長」が作った次郎長堤と言って時代考証的にも残しておきたいモノだったのだ。
http://iso-ya.com/today/2008/02/post_528.html
また、毎日厚木から豊田へ飛行機通勤をしているNiftyの知人が上空から写真を撮ってくれたこともあった。1995年の写真だ。
ここでのハーバーライフは女性クルーの養成も相まって、ボクとしては楽しい時代を過ごせたが、「歩いて自分の艇に行けるヨットハーバー」が本当に出来るのか、疑心暗鬼だったし、ほとんどの仲間がそうだったと思う。
同じ頃だったと思う。それまで長い間、ボクたちの飯を供給してくれた昔ながらの洋食屋「レストラン五万石」が解体され更地になった。
よく食べに行ったころ写真を撮っておいたが、それも行方不明。今で言う古い洋館タイプの建物だった。二階でみんなでたむろしたなぁ。元気がよいオバーチャンが居て「あんたっちはいつも元気でイイね!」とか言ってくれた。A定食、B定食、ジャンボエビフライ定食なんかがあった。夏目雅子が生ビールを持ったポスターが貼ってあって、「終わったらポスター頂戴!」なんて言ったりもした。
…まだまだ続く(笑)。