貝島へ一時移転して約2年。桟橋付きのヨットハーバーが完成して、全艇が戻ってくることが出来た。もの凄く嬉しいことだった。
約9年経った今、書庫の中に仕舞い込んだ書類の量を見ると、厚み5センチのバインダー3冊に綴じられている。9年の間、仕舞い込んだままにしてあった。忘れていたわけではないが、もう見たくなかったので書庫の奥に仕舞い込んだままだった。
港湾管理局、県の土木部長への要望書とか、工事会社からの工程表、各艇の配置予定図、あるいは全ての会議の議事録、ゼロ年度役員間の書類、メンバーへのお知らせ、諸々の書類でイッパイだ。
1971年頃から30年近く、みんなを引っ張ってくれたヨット協会の存在も気になった。今までのヨット活動のほとんどは係留費でまかなっていたんだけど、それが入ってこなくなった。協会に入っている必要を感じない人達も出てきてしまった。もっともっと海へのヨットへの文化度を高める必要がでてきた。諸先輩が苦労して造ってきたものを消してしまうわけにはいかない。後日、NPO法人「清水港ヨット協会」として再スタートすることにもなった。
1999年7月25日。
ヨットハーバー完成を記念してヨットレースを行った。
出艇数100隻を目標にしたが、半分くらいしか集まらなかった。でも、とっても楽しかった。ヤマハの小松選手も参加してくれてどこかの艇に乗った。古くからのヨット仲間のM下くんも取材と言いながら遊びに来てサムシングへ乗った。M下くん、今では日本に一冊しかないヨット専門誌の編集長になっちゃった。
新ヨットハーバーの建設にちょっとだけ手伝っただけだったが、いざポンツーンが完成して、実際に自分の艇へ歩いて行くことが出来た時には、ものすごく嬉しかった。ポンツーンに座り込んで自分の艇を眺めているだけで満足もした。燃え尽きた感がしないわけではなかった。正直言って、しばらくヨットへ乗りたくなかった(笑)。眺めているだけで良かった。