「子宝湯」の西隣に、台東区下谷二丁目にあった居酒屋「鍵屋」が移築されている。木造2階建で、建築年は、安政3年(1856)である。震災・戦災を免れた150年前の建物である。そもそもは、酒問屋として建てられ、明治から昭和初期までは酒の小売り店を営み、昭和の初期から店の片隅で夕方だけ一杯飲み屋を始めたという。戦後の昭和24年(1949)から本格的に居酒屋として営業を始めた。
「鍵屋」のあった下谷坂本町(現、台東区下谷)は、金杉通りという奥州・日光街道裏に面した商業地区で、江戸の中期には既に町家が建てられていた。関東大震災や太平洋戦争の災禍にも耐え、現在も出桁造りの町家やその奥の長屋など、東京の古い町並みが比較的残る地域である。
「鍵屋」は、昭和30年代に夕方の5時から夜2時過ぎまで営業した。夕方5時からは近所の常連、7時頃からはサラリーマン、9時を過ぎると寄席のはねた落語家や芸人などが鍵屋の客となった。また客には著名人も多く、小説家内田百聞、ドイツ文学者高橋義孝をはじめ劇作家、画家、能楽師など様ざまだったという。
建物の構成は、正面に向かって右側にカウンタ一席を持つ土間のみせ、左側に四畳半の店座敷を置き、それぞれに独立した出入口が設けられた。特にみせ部分の出入口はガラス戸の内側に設けられた摺上げ戸が、仕立屋と同じく江戸以来の商家の形式を伝えている。店座敷の左側には、大坂格子を介して2階居住部分への階段がある。根太と床梁が露出する根太天井は、武居三省堂にもみることができる。また、壁の上部を吊り棚としたり、階段の下に押し入れを設けるなど、狭い空間を工夫して利用する点も武居三省堂と同じく町家の伝統を受け継いだ特質である。

「鍵屋」の外観。

「鍵屋」の看板。

店内の様子。

肴の品書きは、ポピュラーなものが多い。

居酒屋は、こういうカウンターで一杯やるのがいい。

日本酒の蔵元の看板だろうか?文字がはっきり読めない。

懐かしい「カブトビール」のポスターだ。

こちらは座敷だ。