会水庵に隣接するのは西川家別邸である。大正11年(1922)昭島市中神町二丁目に建てられた西川家の別荘である。西川家は、明治期に多摩地域ても有数の製糸会社を経営していた。
西川伊左衛門が設立した西川製糸は、明治26年(1893)操業を開始し、順調に輸出で実績を残した。その製品は、大正15年(1926)にアメリカのフィラデルフィアで開催された博覧会で高品質を認められて表彰されるほどであった。昭和初期に最盛期を迎える。戦時体制が強まるにつれて、西川製糸も軍需工場への転換を余儀なくされ、昭和15年(1940)頃に製糸工場としての役目を終えることとなった。
この建物の西側の2部屋は、接客用として用いられ、取引先の業者や土地の有力者などが集まった。西側から「一の間」、「二の間」と呼ばれる。このように客間を2室の続きの間とする点は、近世住宅以来の伝統を受け継いでいる。
一方、東側の居住空間は、「玄関の間」から右に伸びる中廊下によって南北に分けられ、南側に応接間(「客間]よりも日常的な接客の場)、北側に座敷と居間を配する。このように居住スペースが条件の悪い北側に置かれているところは、元来接客を目的として建てられた別邸とはいえ、日常的な空間よりも接客のための空開か重視されていた時代性をよく表しているといえる。
西側の接客空間と東側の居住空間とは、客間をぐるりと巡るように配された廻り廊下によって結ばれる。勝手口にあたる土間から茶の間を通り、廻り廊下を通って西の客間へ至るという合理的な動線が取り入れられている。
総じてこの建物は、伝統的な住居形式と近代的な合理的手法が融合された「近代和風」としての特質をよく表している。

西川別邸外観。

西川別邸外観。

原価の間東側の応接間。

向こうは一の間、手前が二の間。

高梁是清邸2階から見た西川別邸。