あくがれありく

 「名古屋なんでも情報」を「憧れ歩く」と改めた。古語では「あくがれありく」と発音する。(『源氏物語』野分の章 夕霧の場面)」
・・・何かに心をひかれ、家を出て憑かれたように彷徨う様子をいう。
 これからこのブログは、テーマを決めずにあちらこちらを彷徨い歩いてみることにしよう。
 「けふもまたこころの鉦をうち鳴しうち鳴らしつつあくがれていく」(牧水)

 

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784 犬山F 高節凌雲霄

 犬山城の登り口に大きな石碑がある。「高節凌雲霄(こうせつりょううんしょう)」顕彰碑である。「高節凌雲霄」とは、尾張藩の附家老で犬山藩の第9代(最後)の藩主成瀬正肥(まさみつ)のことである。
 正肥は、天保6年(1835)丹波国篠山藩主青山忠良の三男として生まれ、安政2年(1855)成瀬正住の婿養子となり、その2年後に家督を継いだ。藩主徳川慶勝が第1次長州征伐で征長総督となったとき、その補佐役として出陣し、責任を取って切腹した長州藩の家老・国司信濃、福原越後、周布政之助、益田右衛門介らの首実検を担当した。
 王政復古の大号令後、朝廷から正式に犬山藩主として認められた。それまで犬山藩は尾張藩の附家老であり、正式に大名としては認められていなかった。ただしそれも、1871年の廃藩置県までという短い間であった。維新後に子爵となる。
 明治36年(1903)死去。法号は、興徳院高節英嶽。墓所は、名古屋市中区栄三丁目の白林寺にある。

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投稿者:masa 
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